乱鳥の書きなぐり

遅寝短眠、起床遊喰、趣味没頭、興味津々、一進二退、千鳥前進、見聞散歩、読書妄想、美術芝居、満員御礼、感謝合掌、誤字御免、

アラン【Alain】『幸福論』7  「汝自らを知れ」(古代ギリシアの賢人の中でこの格言の作者と言われたことがあるのは少なくとも、6人)

2021-05-04 | 哲学

大阪民族学博物館

 

 アラン【Alain】『幸福論』7  「汝自らを知れ」(古代ギリシアの賢人の中でこの格言の作者と言われたことがあるのは少なくとも、6人

 

 

アラン『幸福論』P.223-225 memo

汝自らを知れ

 汝自身を知れ(なんじじしんをしれ、ギリシア語: γνῶθι σεαυτόν(グノーティ・セアウトン)英語:Know thyself)

 デルポイのアポロン神殿の入口に刻まれた古代ギリシアの格言である。

 これについてはパウサニアスの『ギリシア案内記』10.24.1 に記されている。

 プラトンの『プロタゴラス』の中でソクラテスは、七賢人がデルポイのアポロン神殿に集まって

    「汝自身を知れ」

    「度を越すなかれ」

という碑文を奉納したと語っているが、この話の真偽は不明である。

 

 古代ギリシアの賢人の中でこの格言の作者と言われたことがあるのは少なくとも以下の6人である。

 スパルタのキロン (Chilon I 63, 25)

 ヘラクレイトス

 ピュタゴラス

 ソクラテス

 アテナイのソロン

 ミレトスのタレス

 デルポイの最初の巫女と言われる神話的詩人ペーモノエー(英語版)の言葉とする文献もある。

 

 また、ローマの詩人ユウェナリスは、中庸や自己認識についての議論においてこの格言を引用し、天からの (de caelo) 教訓であると述べている(『諷刺詩』11.27)

 

 自分自身を理解するということは結局のところ他者をも理解するということであるから、この「汝自身を知れ」という格言は人間の行為・道徳・思考を理解するという理念を表すものと拡大解釈されることがある。

 しかし、古代ギリシアの哲学者は、決して人間の精神や思考を完全に理解することはできないと考えており、ゆえに自身を完全に知るなどということは考えられなかった。

 よって、この格言は人間の理解という大きな理想を語ったものではなく、普段の生活を送る中で自分が立ち向かうところの人間的性質の諸相を知るということ、たとえば、自身の習慣・道徳・気質を自覚し、自分がどれだけ怒りを抑制できるかを把握する、といったようなことを指しているものである。

 神殿の入口に刻まれていた本来の意味は、「入口前までは人間世界だが、この入口を通った先は神域である」、という警告であり、神殿に入るにあたって心身を正しなさい、という意味であった。

 

 また、この格言には神秘主義的な解釈もある。

 その場合、「汝自身」というのは「己の分をわきまえぬ自惚れ屋」を意味しているのではなく、自己の中の自我、つまり「我あり」という意識を意味している。 この格言はラテン語では普通 "nosce te ipsum" という。

 

   アラン『幸福論』

   岩波文庫

   1998

   アラン  (著), Alain (原著)

   神谷 幹夫 (翻訳)

 

アラン【Alain】『幸福論』1 (言葉memo ストア派とは / デカルトについて)

アラン【Alain】『幸福論』2 (言葉memo モーリス・バレス / ヴォルテール / ルネ・デカルト / ピュロス)

アラン【Alain】『幸福論』3 (言葉memo プラトン 大草原の中ででは、「プラトンにはおとぎ話がいくつかある。」から、始まっている。)

アラン【Alain】『幸福論』4 (言葉memo デカルト「我思う、ゆえに我あり」 / スピノザ「汎神論(はんしんろん)」)

アラン【Alain】『幸福論』5  言葉memo 『ユリシーズ』(Ulysses アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの小説。)

アラン【Alain】『幸福論』6  言葉memo ストア主義(へレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めの古代ギリシャでゼノンによって始められた。自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくか)

アラン【Alain】『幸福論』7  「汝自らを知れ」(古代ギリシアの賢人の中でこの格言の作者と言われたことがあるのは少なくとも、6人)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アラン【Alain】『幸福論』6  言葉memo ストア主義(へレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めの古代ギリシャでゼノンによって始められた。自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくか)

2021-05-04 | 哲学

イラン国立博物館「アイスマン」(テヘラン)

 

 

 アラン【Alain】『幸福論』6  言葉memo ストア派(へレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めの古代ギリシャでゼノンによって始められた。自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくか

 

 

アラン『幸福論』P.220-225 memo

ストア派

 以前にもこのブログで取り上げたが、もう一度書き留めて置きたい。

 ストア派(ストアは、希: Στωικισμός、英: Stoicism、ストイシズム)

 ヘレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めの古代ギリシャでゼノンによって始められた。

 自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくかを説く哲学を提唱した。

 例えば、知者すなわち「道徳的・知的に完全」な人は、判断の誤りから生まれる破壊的な衝動などに苛まされることはない、と説いている。

 

 当初アメリカの雑誌『リトル・レビュー』1918年3月号から1920年12月号にかけて一部が連載され、その後1922年2月2日にパリのシェイクスピア・アンド・カンパニー書店から完全な形で出版された。

 20世紀前半のモダニズム文学におけるもっとも重要な作品の一つ。

 プルーストの『失われた時を求めて』とともに20世紀を代表する大長編小説とみなされている。」

 物語は冴えない中年の広告取りレオポルド・ブルームを中心に、ダブリンのある一日(1904年6月16日)を多種多様な文体を使って詳細に記録している。

 タイトルの『ユリシーズ』はオデュッセウスのラテン語形の英語化であり、18の章からなる物語全体の構成はホメロスの『オデュッセイア』との対応関係を持っている。

 例えば、英雄オデュッセウスは冴えない中年男ブルームに、息子テレマコスは作家志望の青年スティーヴンに、貞淑な妻ペネロペイアは浮気妻モリーに、20年にわたる辛苦の旅路はたった一日の出来事にそれぞれ置き換えられる。

 また、ダブリンの街を克明に記述しているため、ジョイスは「たとえダブリンが滅んでも、『ユリシーズ』があれば再現できる」と語ったという。

 意識の流れの技法、入念な作品構成、夥しい数の駄洒落・パロディ・引用などを含む実験的な文章、豊富な人物造形と幅広いユーモアなどによって、『ユリシーズ』はエズラ・パウンド、T・S・エリオットといったモダニストたちから大きな賞賛を受ける一方、初期の猥褻裁判をはじめとする数多くの反発と詮索とをも呼び起こした。

 

ストア派

 紀元前301年の初めごろ、キティオンのゼノンがストア・ポイキレ(すなわち彩飾柱廊)で哲学を説き、ここからその名声を得た。

 エピクロス派のような他の学派とは異なり、ゼノンはアテナイのアゴラ(中央広場)を見晴らすコロネードのような公共的な場所で哲学を説くことを選んだ

 ゼノンの思想はソクラテスの弟子アンティステネスを始祖とするキュニコス学派の思想から発展した。

 ゼノンの弟子のうち最も影響力があったのはクリュシッポスで、彼は今日ストア主義と呼ばれているものを成型した。

 後のローマ時代のストア主義は、何者によっても直接制御されていない世界と調和する生き方を喧伝した。

 研究者は大抵ストア派の歴史を三相に分ける: 前期ストア派、ゼノンによる学派の創設からアンティパトロスまで。

 中期ストア派パナイティオスやポセイドニオスを含む。

 後期ストア派、ムソニウス・ルフス、ルキウス・アンナエウス・セネカ、エピクテトス、そしてマルクス・アウレリウス・アントニヌスらを含む。

 アルバート・アーサー・ロングが述べているように、前二相のストア主義者の著作で完全な形で現存するものは全く無い。

 後期ストア派のローマ人たちの著作のみが現存している。

 

ヘレニズム哲学

 何度も書いているが、私には難しく覚えられないので、もう一度。

 ヘレニズム哲学 (Hellenistic philosophy) は西洋哲学の一時代。

 ヘレニズムの時代にアリストテレスに続いて発展し、ネオプラトニズムの始まる時期に終わりを迎えた。

 

ヘレニズム

 ヘレニズム時代とはアレクサンドロス3世(大王)の死後からローマ帝国による地中海世界統一までの、ヘレニズム諸国が存続した期間を指す。

 まず、「自然に即した生」を実践するキュニコス学派、徹底的な現象主義と刹那的快楽主義を説くキュレネ派、論理的な正しさを追求したメガラ学派といった常識を攻撃するような思想を持つ学派がヘレニズム時代初めの混乱期に興隆した(いずれも始祖はソクラテスの弟子である)。

 しかしその後長きにわたって栄えることになるのはそれらより穏健なプラトン学派エピクロス派、ストア派の三学派であった(ペリパトス派はヘレニズム時代末期まで振るわなかった)

 これら三学派の根城、つまりプラトン学派のアカデメイア、エピクロス派のエピクロスの園、ストア派のストア・ポイキレは全てアテナイに存在し、紀元前3世紀のアテナイは諸国から哲学を志す者が集まる哲学の最大の中心地であった。

 一方、アレクサンドリアでは数学や天文学、医学、文献学といった分科された学問が発展した。

 紀元前2世紀以降はローマの勢力が拡大するとともに哲学の拠点が拡大し、アテナイはかつてほどの求心力を持たなくなった。

 

ストア派

 ストア派は紀元前3世紀にキティオンのゼノンが創始した。

 キュニコス学派の倫理思想に基盤を置いており、人生の目的は自然との調和のうちに生きることだと説いた。

 また、破壊的な欲望に打ち勝つための手段としての自制心・不屈の精神を主張した。

 紀元後3世紀に滅びるまでは最も栄えた学派であった。

 始祖ゼノンの提示した学説は大まかなものにすぎないものであって、後代の学徒たちがアカデメイアからの批判や学派内での相互批判を経て、キケロを驚嘆せしめた精緻な体系を生み出した。

    キティオンのゼノン (紀元前333年-紀元前263年)

    クレアンテス (紀元前331年-紀元前232年)

    クリュシッポス (紀元前280年-紀元前207年)

    パナイティオス (紀元前185年-紀元前110年)

    ポセイドニオス (紀元前135年-紀元前51年)

    小セネカ (紀元前4年-紀元後65年)

    エピクテトス (紀元後55年-135年)

    マルクス・アウレリウス・アントニヌス (紀元後121年-180年)

 

 

 

   アラン『幸福論』

   岩波文庫

   1998

   アラン  (著), Alain (原著)

   神谷 幹夫 (翻訳)

 

アラン【Alain】『幸福論』1 (言葉memo ストア派とは / デカルトについて)

アラン【Alain】『幸福論』2 (言葉memo モーリス・バレス / ヴォルテール / ルネ・デカルト / ピュロス)

アラン【Alain】『幸福論』3 (言葉memo プラトン 大草原の中ででは、「プラトンにはおとぎ話がいくつかある。」から、始まっている。)

アラン【Alain】『幸福論』4 (言葉memo デカルト「我思う、ゆえに我あり」 / スピノザ「汎神論(はんしんろん)」)

アラン【Alain】『幸福論』5  言葉memo 『ユリシーズ』(Ulysses アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの小説。)

アラン【Alain】『幸福論』6  言葉memo ストア主義(へレニズム哲学の一学派で、紀元前3世紀初めの古代ギリシャでゼノンによって始められた。自らに降りかかる苦難などの運命をいかに克服してゆくか)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アラン【Alain】『幸福論』5  言葉memo 『ユリシーズ』(Ulysses アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの小説。)

2021-05-04 | 哲学

 

 アラン【Alain】『幸福論』5  言葉memo 『ユリシーズ』(Ulysses アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの小説。)

 

 

アラン『幸福論』P.203-206 memo

ユリシーズ

『ユリシーズ』(Ulysses)は、アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの小説。

 当初アメリカの雑誌『リトル・レビュー』1918年3月号から1920年12月号にかけて一部が連載され、その後1922年2月2日にパリのシェイクスピア・アンド・カンパニー書店から完全な形で出版された。

 20世紀前半のモダニズム文学におけるもっとも重要な作品の一つ。

 プルーストの『失われた時を求めて』とともに20世紀を代表する大長編小説とみなされている。」

 物語は冴えない中年の広告取りレオポルド・ブルームを中心に、ダブリンのある一日(1904年6月16日)を多種多様な文体を使って詳細に記録している。

 タイトルの『ユリシーズ』はオデュッセウスのラテン語形の英語化であり、18の章からなる物語全体の構成はホメロスの『オデュッセイア』との対応関係を持っている。

 例えば、英雄オデュッセウスは冴えない中年男ブルームに、息子テレマコスは作家志望の青年スティーヴンに、貞淑な妻ペネロペイアは浮気妻モリーに、20年にわたる辛苦の旅路はたった一日の出来事にそれぞれ置き換えられる。

 また、ダブリンの街を克明に記述しているため、ジョイスは「たとえダブリンが滅んでも、『ユリシーズ』があれば再現できる」と語ったという。

 意識の流れの技法、入念な作品構成、夥しい数の駄洒落・パロディ・引用などを含む実験的な文章、豊富な人物造形と幅広いユーモアなどによって、『ユリシーズ』はエズラ・パウンド、T・S・エリオットといったモダニストたちから大きな賞賛を受ける一方、初期の猥褻裁判をはじめとする数多くの反発と詮索とをも呼び起こした。

 

 

   アラン『幸福論』

   岩波文庫

   1998

   アラン  (著), Alain (原著)

   神谷 幹夫 (翻訳)

 

アラン【Alain】『幸福論』1 (言葉memo ストア派とは / デカルトについて)

アラン【Alain】『幸福論』2 (言葉memo モーリス・バレス / ヴォルテール / ルネ・デカルト / ピュロス)

アラン【Alain】『幸福論』3 (言葉memo プラトン 大草原の中ででは、「プラトンにはおとぎ話がいくつかある。」から、始まっている。)

アラン【Alain】『幸福論』4 (言葉memo デカルト「我思う、ゆえに我あり」 / スピノザ「汎神論(はんしんろん)」)

アラン【Alain】『幸福論』5  言葉memo 『ユリシーズ』(Ulysses アイルランドの作家ジェイムズ・ジョイスの小説。)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アラン【Alain】『幸福論』4 (言葉memo デカルト「我思う、ゆえに我あり」 / スピノザ「汎神論(はんしんろん)」)

2021-05-04 | 哲学

 

 アラン【Alain】『幸福論』4 (言葉memo デカルト「我思う、ゆえに我あり」 / スピノザ「汎神論(はんしんろん)」)

 

 

アラン『幸福論』P.187-189 memo

デカルト

 このブロクで何度も取り上げているデカルトですが、ここでもう一度メモして見たいと思います。

 ルネ・デカルト(仏: René Descartes、1596年3月31日 - 1650年2月11日)

 フランス生まれの哲学者、数学者。

 合理主義哲学の祖であり、近世哲学の祖として知られる。

デカルト

    考える主体としての自己(精神)

    その存在を定式化した「我思う、ゆえに我あり」

我思う、ゆえに我あり」は哲学史上で最も有名な命題の一つである。

 そしてこの命題は、当時の保守的思想であったスコラ哲学の教えであるところの「信仰」による真理の獲得ではなく、人間の持つ「自然の光(理性)」を用いて真理を探求していこうとする近代哲学の出発点を簡潔に表現している。

 デカルトが「近代哲学の父」と称される所以である。

 ただし、デカルトはそのすべてを信仰も根ざして考えており、著書『方法序説』においても神の存在証明を哲学的にしようと試みてさえいる。

 初めて哲学書として出版した著作『方法序説』(1637年)において、冒頭が「良識 (bon sens) はこの世で最も公平に配分されているものである」という文で始まるため、思想の領域における人権宣言にも比される。

 また、当時学術的な論文はラテン語で書かれるのが通例であった中で、デカルトは『方法序説』を母語であるフランス語で書いた。

 その後のフランス文学が「明晰かつ判明」を指標とするようになったのは、デカルトの影響が大きい、ともいわれる。

 レナトゥス・カルテシウス (Renatus Cartesius) というラテン語名から、デカルト主義者はカルテジアン(仏: Cartésien ; 英: Cartesian)と呼ばれる。

 その他、デカルト座標系(仏: système de coordonnées cartésiennes ; 英: Cartesian coordinate system)のようにデカルトの名がついたものにもカルテジアンという表現が用いられる。

 

「我思う、ゆえに我あり」

「我思う、故に我在り」(われおもう、ゆえにわれあり、仏: Je pense, donc je suis、羅: Cogito ergo sum)

 デカルトが仏語の自著『方法序説』(Discours de la méthode)の中で提唱した有名な命題である。

『方法序説』の他、『省察』、『哲学原理』、『真理の探究』でも類似した表現が使われている。

 一様でなく、その解釈について争いがある。

 ラテン語訳のCogito, ergo sum(コーギトー・エルゴー・スム、cogito =我思う、ergo = 故に、sum = 我在り)との標題が有名だが、これは第三者の訳による『真理の探求』で用いられたもので、デカルト自身がこのような表現をしたことはない。

『方法序説』の幾何学部分以外は、神学者のエティエンヌ・ド・クルセルがラテン語に訳し、デカルト自身が校閲し、Ego cogito, ergo sum, sive existo との表現がされている。デカルト自身がラテン語で書いた『哲学原理』 、『省察』では、Ego sum, ego existo と表現されている。

 

コギト‐エルゴ‐スム【(ラテン)cogito, ergo sum】 「我思う、ゆえに我あり」と訳される。

 すべての仮構的権威を排したあとで、絶対に疑いえない確実な真理として、考える我という主体の存在を提起したもの。デカルトの言葉。 我(われ)思(おも)う故(ゆえ)に我(われ)在(あ)り 《(ラテン)Cogito, ergo sum》フランスの哲学者デカルトの言葉

 すべての意識内容は疑いえても、意識そのもの、意識する自分の存在は疑うことができない。

 

 

スピノザ

 バールーフ・デ・スピノザ(Baruch De Spinoza [baːˈrux spɪˈnoːzaː]

 1632年11月24日 - 1677年2月21日)は、オランダの哲学者である。

 ラテン語名ベネディクトゥス・デ・スピノザ(Benedictus De Spinoza)でも知られる。

 デカルト、ライプニッツと並ぶ17世紀の近世合理主義哲学者として知られ、その哲学体系は代表的な汎神論と考えられてきた。

 また、カント、フィヒテ、シェリング、ヘーゲルらドイツ観念論マルクス、そしてその後の大陸哲学系現代思想へ強大な影響を与えた。

 スピノザの汎神論新プラトン主義的な一元論でもあり、後世の無神論(汎神論論争なども参照)や唯物論に強い影響を与え、または思想的準備の役割を果たした。

 生前のスピノザ自身も、無神論者のレッテルを貼られ異端視され、批判を浴びている。

 スピノザの肖像は1970年代に流通していたオランダの最高額面の1000ギルダー紙幣に描かれていた。

 

汎神論(はんしんろん)

 一切の存在は神であり、神と世界とは一体のものだとする宗教観・哲学観。

 

 

 

   アラン『幸福論』

   岩波文庫

   1998

   アラン  (著), Alain (原著)

   神谷 幹夫 (翻訳)

 

アラン【Alain】『幸福論』1 (言葉memo ストア派とは / デカルトについて)

アラン【Alain】『幸福論』2 (言葉memo モーリス・バレス / ヴォルテール / ルネ・デカルト / ピュロス)

アラン【Alain】『幸福論』3 (言葉memo プラトン 大草原の中ででは、「プラトンにはおとぎ話がいくつかある。」から、始まっている。)

アラン【Alain】『幸福論』4 (言葉memo デカルト「我思う、ゆえに我あり」 / スピノザ「汎神論(はんしんろん)」)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

アラン【Alain】『幸福論』3 (言葉memo プラトン 大草原の中ででは、「プラトンにはおとぎ話がいくつかある。」から、始まっている。)

2021-05-04 | 哲学

「ほろ酔いの窓」Rancho

 

 

 アラン【Alain】『幸福論』3 (言葉memo プラトン 大草原の中ででは、「プラトンにはおとぎ話がいくつかある。」から、始まっている。

 

 

アラン『幸福論』P.109-111 memo

プラトン

 このブロクで何度か取り上げているプラトンですが、ここでもう一度メモして見たいと思います。

 プラトンにまつわる話は多くのおっっているのですが、そのうちのごく一部です。

プラトンとは

 前4世紀、古典期ギリシアを代表するアテネの哲学者。

 ソクラテスの弟子として思索を深め、イデア論などの認識に達し、理想的国家のあり方を国家論で展開した。

 アテネに学塾アカデメイアを開設した。   

 

 プラトン(Platon 前427~前347)はソクラテスの弟子

 古代ギリシア哲学の最盛期であった前4世紀のアテネを代表する哲学者。

 彼が生まれたのはペロポネソス戦争が始まって4年目、ペリクレスの死後2年目にあたり、アテネの民主政が大きな岐路にさしかかり、ポリスの衰退期に向かおうとしていた時期。

 

 プラトンは名門の出であったがアテネの政治に関わることはなかった。

 

 前399年に師のソクラテスが、民主政にとって有害であるとして民主派政権の手によって裁判にかけられ、有罪となって刑死してからは、フィロソフィア(知を愛する者)としての思索生活に入った。

 

 プラトンの著書はその師のソクラテスの対話という形の対話編として、

    『ソクラテスの弁明』

    『饗宴』

    『パイドロス』

    『国家論』など

 

 何度かシラクサにおもむき、理想政治を実現しようとしたが失敗。

 

 アテネで学園アカデメイアを創設して、弟子たちとの議論に明け暮れ、ギリシア北方のマケドニアのフィリッポス2世(前359年即位)が台頭。

 前347年にアカデメイアで亡くなる。

 構内に葬られた。

 

 なお、プラトンは生涯、独身であった。

 

イデア論 

 プラトンの思想の中心となるのはイデア論といわれるもので、現実の世界は、真実の世界(イデア)の影のようなものであるととらえ、それを探求した。

 人がイデア界の最善最美にあこがれるのがエロースであるであり、それを認識するにいたる方法は、師と同じく対話(ディアレクティケー)にあると説いた。

 

国家論 

 彼は多くの対話編を書いて名声を高め、そのような中でポリス政治のあり方にも理想を求めるようになり、『国家』で哲人政治の実現を模索した。

 その国家論では、現実のアテネの政治を批判的に論じ、徳のある哲人が国を治め(哲人政治)、軍人が防衛し、市民が文化を担うという分業国家を理想とした。

 奴隷は労働をになう分業社会の一員として肯定されている。

 

アラン『幸福論』P.109-111 31 大草原の中で

 アラン『幸福論』P.109-111 31 大草原の中ででは、「プラトンにはおとぎ話がいくつかある。」から、始まっている。

 

 

   アラン『幸福論』

   岩波文庫

   1998

   アラン  (著), Alain (原著)

   神谷 幹夫 (翻訳)

 

 

アラン【Alain】『幸福論』1 (言葉memo ストア派とは / デカルトについて)

アラン【Alain】『幸福論』2 (言葉memo モーリス・バレス / ヴォルテール / ルネ・デカルト / ピュロス)

アラン【Alain】『幸福論』3 (言葉memo プラトン 大草原の中ででは、「プラトンにはおとぎ話がいくつかある。」から、始まっている。)

アラン【Alain】『幸福論』4 (言葉memo デカルト「我思う、ゆえに我あり」 / スピノザ「汎神論(はんしんろん)」)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする