石手寺の仁王門を入ると右側にある三重塔です。自衛隊のイラク派兵反対やスマトラ沖地震救済などのスローガンが書かれ、たくさんの折り鶴が供えてありました。
仁王門を入って左のポイントから見ると写真のように、裏山にある筆大師が屋根の間から見えます。
衛門三郎の亡くなった翌年、領主河野息利の家に男の子が生まれた。河野息万である。この男児は生まれたときから左手を開かなかった。父親は安養寺の住職に加持を頼んだ。住職が祈願をすると子供は手を開き、その掌から小石が落ちた。小石には「衛門三郎再来」という文字があった。そこで安養寺を石手寺に改めたと伝えられ、小石は石手寺の寺宝となったそうです。
仁王門を入って左のポイントから見ると写真のように、裏山にある筆大師が屋根の間から見えます。
衛門三郎の亡くなった翌年、領主河野息利の家に男の子が生まれた。河野息万である。この男児は生まれたときから左手を開かなかった。父親は安養寺の住職に加持を頼んだ。住職が祈願をすると子供は手を開き、その掌から小石が落ちた。小石には「衛門三郎再来」という文字があった。そこで安養寺を石手寺に改めたと伝えられ、小石は石手寺の寺宝となったそうです。