四国のんびり旅

主に88ヶ所のお寺を中心にその周辺の紀行文的なものにしていく予定です。

小島砲台跡 7

2011-03-25 11:26:27 | 名所・観光地
 監視所から見た来島大橋です。正面が馬島で、右の方に四国本土があります。
 大正13年に砲台が廃止された後、人家から最も離れた北部砲台跡は日本軍の飛行機による爆撃訓練の標的にされましたが、穴が1ヶ所開いただけのようです。この要塞の設計者でもあり当時の元帥、上原勇作氏は「俺の造った要塞が飛行体の爆撃で破れるものか」と豪語したといいます。

小島砲台跡 6

2011-03-24 08:36:07 | 名所・観光地
 中部砲台跡の砲座跡と地下兵舎跡の境にある急な石段を登ると高台にある司令所(監視所)に出ます。割れたテーブル状のものは石が新しそうなので新しい物かも知れません。写真左の側壁にも穴が開いており、砲座跡の穴などと繋がった連絡用のものらしいです。

小島砲台跡 4

2011-03-21 11:39:39 | 名所・観光地
 砲座跡です。2門ずつ仕切られて3ヶ所、6門が中部砲台にあったようです。周囲の壁際の凹んだ部分は戦闘時に弾薬を置く場所だったそうですが、この場所で実践はなかったそうです。写真中央の壁(石垣)に穴が開いていますが、これは司令所からや宿舎との連絡用の伝声管もしくは電話ケーブル用の穴だそうです。

小島砲台跡 3

2011-03-20 13:58:11 | 名所・観光地
 中部砲台跡です。左側の建造物の間に2門ずつ、6門の28cm砲がありました。日露戦争の時、旅順の鶏冠山北砲台がなかなか陥落しなかった時に、ここの6門の大砲を旅順に運んで勝利に貢献したと言われているようです。奥に見えるのは地下兵舎跡の入り口です。

小島砲台跡 1

2011-03-18 10:44:58 | 名所・観光地
 今治市波止浜のすぐ沖に小島(おしま)という島があります。日清戦争後、ロシアとの衝突が避けがたくなった明治30年代、日本の各地で要塞の建造がすすめられました。この小島も1900年(明治33)に大久野島等と共に芸予要塞に指定され、指令台・砲台・探照灯・発電所が設置されました。しかし日露戦争では一度も使用されることがないまま終戦を迎え、1924年(大正13)の軍縮時に廃止されたものです。
 写真は船着き場に近い方の発電所跡です。