監視所から見た来島大橋です。正面が馬島で、右の方に四国本土があります。
大正13年に砲台が廃止された後、人家から最も離れた北部砲台跡は日本軍の飛行機による爆撃訓練の標的にされましたが、穴が1ヶ所開いただけのようです。この要塞の設計者でもあり当時の元帥、上原勇作氏は「俺の造った要塞が飛行体の爆撃で破れるものか」と豪語したといいます。
大正13年に砲台が廃止された後、人家から最も離れた北部砲台跡は日本軍の飛行機による爆撃訓練の標的にされましたが、穴が1ヶ所開いただけのようです。この要塞の設計者でもあり当時の元帥、上原勇作氏は「俺の造った要塞が飛行体の爆撃で破れるものか」と豪語したといいます。