御廟橋から奥の院を写したもので、この橋から先は写真撮影禁止です。
この橋まではお参りの人をお大師様がお出迎え、お見送りされるといわれており、この橋を渡る前に一礼し、戻ったときも一礼する人が多かったです。そういうことを知らない(と思われる)人は普通に歩いていました。
納経所である人が「霊山寺にお礼参りに行っていない」と言われたら、「お礼参りは高野山でいいのですよ。1番に行ったら、また2番3番とお参りしないといけませんから」との答。それもそうか、と納得でした。
この橋まではお参りの人をお大師様がお出迎え、お見送りされるといわれており、この橋を渡る前に一礼し、戻ったときも一礼する人が多かったです。そういうことを知らない(と思われる)人は普通に歩いていました。
納経所である人が「霊山寺にお礼参りに行っていない」と言われたら、「お礼参りは高野山でいいのですよ。1番に行ったら、また2番3番とお参りしないといけませんから」との答。それもそうか、と納得でした。
標高1000m前後の山々に囲まれた平坦地に諸堂が立ち並ぶ姿は、『蓮』の花が開いた様であり、『八葉の峰』とも呼ばれ、内に八葉(峰)外に八葉の山々に囲まれています。内の八葉は、根本大塔をめぐる八峰で『伝法院山、持明院山、中門前山、薬師院山、御社山、神応丘、獅子丘、勝蓮華院山』と呼ばれ、山上の周辺にそびえる外の八峰は『今来峰、宝珠峰、鉢伏山、弁天岳、姑射山、転軸山、楊柳山、摩尼山』とよばれています。その地形からしても、まさしく聖地としてふさわしい山上の宗教都市です。
高野山全体を総轄し、高野山真言宗の総本山として一切の宗務を司どる宗務所があって全国及び海外の末寺四千ヶ寺の行政を統べ、壱千万大師信徒の信仰の中心となっています。
高野山全体を総轄し、高野山真言宗の総本山として一切の宗務を司どる宗務所があって全国及び海外の末寺四千ヶ寺の行政を統べ、壱千万大師信徒の信仰の中心となっています。
金剛峯寺はもともと高野山一山の総称でしたが、明治2年、青巌寺と呼ばれていたこのお寺が金剛峯寺と呼ばれるようになりました。内部を見学することができ、新別殿ではお接待を受けられます。各部屋のふすま絵は狩野探幽などの手により、立派な石庭もあります。