四国のんびり旅

主に88ヶ所のお寺を中心にその周辺の紀行文的なものにしていく予定です。

茶堂 4

2008-10-18 14:41:49 | 近所の風物
 旧城川町役場近所の茶堂です。しばらく屋根の葺き替えもされていないようです。国道脇なので趣も今ひとつですが、山道の路傍にあれば良い感じかもしれません。
 新しく改築された茶堂に掲示されている「建築概要」によると、約半額は市の補助があって、残りが該当地区の負担になっているようです。小さな地区では数十万円(または100万以上)もの負担は大変でしょう。

茶堂 3

2008-10-17 14:29:51 | 近所の風物
 北谷茶堂です。江戸時代末期からあったものを昭和58年に新築されたそうで、屋根も瓦葺きになっています。檮原・魚成道路の途中にあってお茶の接待なども多くあったようです。棚には大日如来・地蔵尊・馬頭観音の3体が祀られています。左の水路の奥は砂防ダムになっていますが、コンクリートではなく石積みになっており、景観に違和感がありません。

茶堂 2

2008-10-16 10:34:40 | 近所の風物
 昨日掲載「茶堂 1」の「ごまじり茶堂」を横から見たものです。というか、本当はこの方向が正面で道路から見ていたのは側面です。奥の棚には大師像や地蔵像が祀ってあることが多いようです。
 私の家の近所の茶堂は地蔵尊が祀ってあるため「お地蔵様」とか「地蔵堂」と呼んでいました。そして両脇には「亥の子」に使う「つき石」を納めていました。

茶堂 1

2008-10-15 12:41:51 | 近所の風物
 西予市城川地区には50以上の茶堂があるそうです。地区民の交流の場として、高知県の方に旅する人の休憩の場としての役割があったのでしょうか。もしかしたら坂本龍馬も脱藩の折にどこかの茶堂で一休みしたかもしれません。
 写真は「ごまじり茶堂」と呼ばれており、鉄骨製のものと茅葺きのものが対になっています。

原爆ドーム

2008-10-03 10:32:22 | 名所・観光地
 元広島県物産陳列館ですね。ドーム部分の屋根は銅板葺きだったため最初の熱線で溶けてしまい、次の爆風が通り抜けて多くあった窓から横に抜けて崩壊を免れたとも言われています。横の付属建物は崩壊したり、その後の火災で焼失したようです。保存のための補修工事でしょうか、煉瓦壁の上部などにセメンか樹脂が塗ってあるように見え、ドームの骨組みも錆止め処理がしてあるようでした。アオサギか何かがドームのてっぺんとその脇の壁の上にいました。手前の川が元安川で、火に追われたり火傷をした人達がたくさん飛び込んで亡くなった川のようです。
 右の照明灯は広島市民球場のもので、左の建物は商工会議所のようです。平和公園からですとドームがよく見えますが、他の場所からですとビルの谷間になってしまっています。こうなる前に景観保存地区にして欲しかったですね。

原爆慰霊碑

2008-10-02 11:01:01 | 名所・観光地
 先日、初めて広島の平和公園を訪れました。8月6日にはTVでよく見る慰霊碑を見て戦争と平和について改めて考えさせられました。慰霊碑中央の石棺の中には姓名の判明した被爆死没者の過去帳がおさめられています。そして石棺には「安らかに眠って下さい 過ちは繰返しませぬから」という碑文が刻み込まれています。この碑文については主語がないため、過ちを繰り返さないのは誰かという論争も起きています。当時の浜井信三市長は、「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」と述べられたそうです。原爆を落としたアメリカは勿論のこと、当時の日本軍部にだってその責任の一端はあるでしょう。外国からの訪問者も多くいましたが、原爆を正当化している人達にこそここに来て資料館などを見て欲しいと思います。