札所の屋根は多くがいわゆる「いぶし銀」の日本瓦で、檜皮葺や柿葺きのお寺が少しありますが、明石寺は赤瓦(石見瓦)が使われており、本堂は唐破風の造りなので雰囲気がちょっと変わっています。本尊の千手観音も唐渡来だとか。
欽明天皇の勅願により円手院正澄が開基し、天平6年役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)から5代目の寿元が熊野より十二社権現を勧請し修験道場としたからか、昔は入らずの山として崇められた信仰の場で、順拝の人々には本関所として恐れられていたといわれています。
欽明天皇の勅願により円手院正澄が開基し、天平6年役行者小角(えんのぎょうじゃおづぬ)から5代目の寿元が熊野より十二社権現を勧請し修験道場としたからか、昔は入らずの山として崇められた信仰の場で、順拝の人々には本関所として恐れられていたといわれています。