天保11年(1840)、当時14才の、シーボルトの娘イネが二宮敬作を訪ねて宇和へ来たとき、安政元年(1854)に再度来たときにはここの茶屋で接待を受けたといいます。大正初期には2軒の茶店があって、駄菓子や雑貨の他、呉服まで置かれていたそうです。写真の茶屋がどちらを模しているのか、どれだけ忠実に再現しているかは分かりません。
笠置峠は宇和と八幡浜を結ぶ旧街道ですが、峠付近では追いはぎや化け物が出没すると恐れられていたそうです。1794年に村の安泰と旅人の安全を祈願して建てられたそうで、住民は経文を書き込んだ真砂石を地蔵の下に埋め込んだとされています。風化して顔の前半分は欠落しています。
稲生地区の池の土手から写しました。正面の山の上が歴史博物館、その下が宇和高校です。写真のもう少し右に西予宇和インターがあります。左の防護網がかかっている橋梁の向こうに見えるのは新しい団地ですが、道路が完成したら閑静な住宅地でなくなるかも知れません。ここから下川、歯長へと続きます。
二神島にはビャクシン(柏槇)の自生地があり、数十本が森になっています。同じ仲間のカイヅカイブキは生け垣などによく見ます。ビャクシンは四国88ヶ所第46番札所浄瑠璃時にも大木があります。このほか、個人のお宅の中庭に写真のような巨大なサボテンもあります。根っこの方からは新しい芽がまだどんどん伸びているようです。
二神島の中央にある「宇佐八幡宮」付近の擁壁です。一見したところコンクリートの擬木かと思ったのですが天然木でした。間伐材の利用かどうかは分かりませんが、コンクリートの無機質なのに比べて暖かみを感じます。
松山沖に浮かぶ忽那諸島の一つ、二神島です。二神氏が領主としてこの地に移って以来「二神島」と呼ばれているそうです。港に下りると篆書家「梨岡素岳」の漢詩碑があります。関東大震災後、奥さんの故郷であるこの島で過ごされたそうです。
坊っちゃん劇場玄関ホールにあるモニュメントです。観劇後にこの前で俳優さん達と記念写真を撮っている人達もいました。
下部に既存の概念や価値観を表現した白い磁器の塊があり、その上に愛媛の自然資源と文化を表現、そして宇宙をイメージした空間があるのだそうです。月に腰掛けているのはバットを持った正岡子規とのこと。
下部に既存の概念や価値観を表現した白い磁器の塊があり、その上に愛媛の自然資源と文化を表現、そして宇宙をイメージした空間があるのだそうです。月に腰掛けているのはバットを持った正岡子規とのこと。
昨年4月、秋田県に本拠地がある「劇団わらび座」の常設劇場として誕生した「坊っちゃん劇場」です。一年近く上演されてきたジェームス・三木 脚本・演出のミュージカル「坊っちゃん」も今月25日が千秋楽とのことで、観に行ってきました。
坊っちゃん劇場と松山自動車道との間にある菜の花畑が満開でした。劇場の駐車場から菜の花畑の向こうにある自動車道を見たものです。川内ICから松山ICに向けて2kmほど走ったところです。今日から今月いっぱい「花まつり」として各種行事がある模様です。