うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

年末御礼

2005年12月30日 | ことばを巡る色色
本年度は、当ブログをご愛顧くださり、お訪ねくださり、まことにありがとうございました。心より御礼申し上げます。

年、新たまりましても、傲慢無礼のそしりを恐れず、書いてまいる所存でございます。なにとぞ、よろしくお願いいたしまする。

行く年を 良しと悪しと いう勿かれ 掃いて清めて さて大つごもり
やなことは きれいさっぱり わすれたり もいちど ここから あたらしきとし  
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人の子われ

2005年12月25日 | ことばを巡る色色
ひとは、「カリスマ」というものを求める。絶対的な存在に、身をゆだねてしまいたくなる。その時、その人が絶対的な真実の人であれば、何の問題もないのだけれど、傍目で見ていても、「ちょっと待て」と思うことは少なくない。
人は、どのような人を「カリスマ」と感じるのだろう。
ここで、問題となるのは、「わからなさ」であろう。「カリスマ」は絶対的存在として認識されるものであるのだから、当然「凡人」たる自分と隔絶した存在でなければならない。それを人は「わからなさ」で計ってしまう。「強い意思表明」と「わからなさ」を併せ持つものを「カリスマ」と感じてしまうのではなかろうか。圧倒的に迫ってくる「強い意思表明」だけでは、なかなかその存在の力は評価されない。その中に、何か、自分では理解できぬものがある時、その力の中におぼれてしまいたくなる。熱狂したくなる。崇拝したくなる。
「わからなさ」が正しく、凡人の「凡才」を超えたものであるのなら、これまた何の問題もない。しかし、それは稀有である。多くのカリスマと呼ばれる人の「わからなさ」は、単にカリスマと呼ばれる人本人の「あいまいさ」でしかない。
それを、武器とする人もいる。真の力の凡庸さを誤魔化すために、「わからなさ」の要素をちりばめておくのである。「凡人」はそれに翻弄され、翻弄される快楽に翻弄される。似非カリスマの手法は、「強い意思表明」と「わからなさ」をいかにブレンドするかということに尽くされる。
「わからなさ」は、当然「わからないもの」であるのだから、正しいのか間違いなのか、高度か低度か、上等か下等か、観客には「わからない」。ゆえに判断は迷宮をさまようこととなる。

目覚めなさい。あなたが、「すっげえ」と思っていることは、本当にすごいのか。それは、あなたが「わからなさ」に翻弄されている結果ではないのか。「わからなさ」を、いかに評価するのかを考えるという面倒な作業を放棄した結果のものではないのか。
考えること、問い直すことは、面倒なことである。人はいつも絶対的な波に洗われ、飲み込まれるエクスタシーを心待ちにしている。
だが、だがである。もっとも危険なものが、その海の底に潜んでいる。「わからなさ」が、まったくの空虚であることもあるのだ。飲み込まれた海の底は真っ暗な視界0の深海であることもあるのだ。
「カリスマ」の御輿に乗せられている人よ、目覚めなさい。あなたが、あなたの見下す「凡人」に「カリスマ」と思われているのは、ただ、あなたが自分の思考の浅さに「わからなさ」という煙幕を張っているからではないのか。問い直しなさい。あなたはあなたのすべてを、曖昧なものも含んですべてを、だれかれに向かって、お天道様の下で語っているのか。「人の子」として、だれかれに語ろうと努めているのか。
「本物」の真実は、「人の子」の言葉として語られる。「認められる」ためでなく、「伝える」ために、「わかっていただく」ために語られる。

キリストがマリアと大工の子でも、やっぱりキリストになれたんだろうか。
キリストがマグダラのマリアと恋仲でも、キリストになれたんだろうか。
キリストが復活しなくてもキリストになれたのだろうか。

なれたのだと思いたい。
キリストがキリストであるのは、奇蹟ゆえでなく、
キリストの言葉が、キリストをカリスマにしたのだと思いたい。

君よ、白百合の美しさは、誰にもわかる形で、ひとつの曖昧さもなく、世の中に送られているではないか。
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merry happy

2005年12月24日 | ことばを巡る色色
メリークリスマス
あたしは やさしいゆめなんて なんにもしんじてないけどさ
今宵はイブだから
聖なるひとにおねがいをしよう
次のこの日には
戦いのない世界になっていますように。
死んでしまった歌い手が言っていたように。

降り積もった雪のように真っ白になり
いつかいつか
あの人の心にも 盾やら矛やら剣やらが
なくてもいい日がやってきますように
明日はきっと 今日より あたたかく やさしい心で すごせますように

今日の糧がない人にも
明日は暖かい食卓が待っていますように
今日は疲れ果てている人にも
明日は その明日を夢見る日となりますように
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いぢわる

2005年12月22日 | ことばを巡る色色
ブログなんてものを書いていると、ついつい自分をいい人に見せたくなってしまう。「愛にあふれた人」に見せたくなってしまう。だから、だからこそ、書いてみる、私の’いぢわる’
私は、いぢわるだ。生まれつきのいぢわるだ。 I was born to be an IJIWARU.
母は、いつも私のことを「本当にあんたはコンジョワルな子やわ」と言っていた。
コンジョワル=根性悪      
これは我が地方では、最高級の叱責言葉である。「おまえは根性がひん曲がっているのだ!」という意味さ。ふふーん、だ。
なぜ?なぜだったんだろう。どこが?どこだったんだろう。  オモイダセナイ。
が、しかし、とにもかくにも、なにはともあれ、私は母もおののく「コンジョワル」な子だったわけで、誰がなんと言おうと「コンジョワル」な人生を歩くことになったわけである。
うむ、ちょっと思い出してみた。多分幼い私にとって、「コンジョワル」は顔に目があるように当然のことだったので、ムリ無理でないと思い出せないほどの日常だったのだが、ムリムリ思い出してみてみた。うっすらと、男子をぬれ雑巾でひっぱたいた覚えがある。「あんたなんか私より馬鹿な癖して」といった覚えが、うーーっすらとある。小2の時は、学級委員バッチを水戸黄門の印籠のように振りかざし、「私は学級委員よ、あんたなんか私より馬鹿なくせして(こればっか)、控えおろお」といった覚えがかすかにある。その時、格さんのように私の横にいたのは教師の娘だった。ここぞとばかりに「この子のお父さんは中学の先生やし、あんたが中学に入っても、きっとこの子のお父さんに叱って貰うし、私より馬鹿なくせして(またですね)。ばかばか」といって、諸国漫遊の旅をしていたことを思い出した。
小学生の時、通信簿の所見欄には、いっつも、「ともだちにはやさしくしましょう」と書かれていた。「ち、またかよ、これさえなければ、あたしは蟻も通さぬほど完璧な人間なのに、てやんでぇ」と思ったものだった。
3つ下のいとこは完全に手なづけていた。七並べ(私はこのゲームが苦手だ。それゆえ何度もいとこに相手をさせた)で負けそうになると、あーだこーだと文句をつけては、みかんを持ってこさせたりしながら、私の勝ち、もしくはいとこが泣いて終了を懇願するまで続けた。
嫌いな、ヤなやつは、とりあえず、じろりぶさりと睨んでいた。文句を言うももったいないわ、と思っていた。思うに、いぢわると傲慢とわがままとぐうたらが、鍋の中でぐつぐつ煮立っている状態だったのである。ま、いわば、いぢわるの帝王学を体得しながら、その王道を歩いてきたのだ。
その何者も恐れぬいぢわる王者の風格ゆえか、小6の時には、床屋のおっさんに、「お嬢さんは高校生?」「え、違うの大学生かあ」「じゃあ、中学生?大人びた子やね」といわれ、説明するも面倒であった。
いぢわる王様は、負けず嫌いでもあったので、ありとあらゆるお誕生会に招待されなければ気がすまなかった。嫌いなやつの誕生日でも、とにかく呼ばれなければ「私も斜陽ね」なんてさびしい気持ちになってしまうのである。誕生会の噂がちらりとでも耳に入ると、「まさか私を呼ばないなんて、とんでもないことを考えてはいないでしょうね」とじろりぶさりと睨んだものである。これで大抵の子は「落ちる」のであった。
中学の頃、「どうもいぢわるとは世の中では日陰者である」と気づいた私は、とりあえず目を伏せ、従順なやつの振りを、時々は装えるようになった。だが、言っちゃいましたよ、新採の教師が「うさとさん、最近ちゃんと僕の話聞いてくれないね、僕はどんな授業をやったら君に聞いてもらえるんだろう、僕はどうすればいいんだろう」なんて泣き言を吐くんで、「教師やめるしかないんじゃないですか」ってね。センセイもその後立派に強い人になり、立派な校長になられたそうで、お慶び申し上げます。
特に男子のうじうじしたやつはいぢめたくなってしまう。偉そうに「とお」って教室でプロレスごっこをやって弱い子を叩いてるやつには、相変わらず、「私より馬鹿なくせして(定番です)、強ぶってんじゃねえよ、うりうり、何か言ってみぃ」と、後ろ手をひねりあげていたし(この技はいとこ相手にたくさん練習し、必殺技になっていた)そんなやつにやられてるヨワッチイ男子には、「しっかりせんかい、前を向いて、ずばっと言い返したれ」と、背中をばんばん叩いてやったものだ、ハハ。

この後私のいぢわるは、思春期を迎え螺旋状の展望を遂げるのであった・・・ つづく
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諸師こぞりて走りませり

2005年12月20日 | 語る!
もうすぐ、クリスマス。
私の中でクリスマスは、父がパチンコの景品のチョコレートを枕元に置いてくれる日でしかなく、ホテルでディナーとか、ヒカリ物とか、はたまた、煙突からくるサンタさんに靴下をつるすとかの日ではない。ずいぶん、日陰を歩いてきたものである。できれば私も、そんなかわいらしい、メリークリスマス なんてのも憧れではあるが、まあ、それは向き不向きというのもあり、仕方あるまい。
欧米ではクリスマスツリーを飾り付け、贈り物を交換する。また、家や並木に明かりをつける。最近は、我が家の回りでも、イルミネーションの家が増えてきた。
そんな賑々しい家の飾りを見ながら、ふと考えた。
欧米って、「祭り」を飾り立てる、「プラス」の文化なのかなっと。
私は、個人的に、大晦日とか、元旦とかが好きだ。
町中の人が、窓を拭き、障子を張り替え、水周りを磨き、家を掃き清める。
我くにびとは、余分なものを削り、要らぬものを捨てる、「マイナス」によって、新年を「祭る」
新しき年を迎えるという「祭り」は、神聖で、清めることによりなされる。
元日の朝は、すべての玄関が新しいとしにふさわしく、清められている。町中が、冷たい風の中で、過剰な飾りをつけることなく、新しく立っている。ここから、もう一度始めてよいのだという気持ちになれる。
だから、私はちょっと、クリスマスが苦手だ。
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cold silent night

2005年12月17日 | ことばを巡る色色
もしも、もしもだよ。
あなたが、私の書いたものを
ただ、読むためだけにここに来てくれているとしたら、
こんな凍るような寒い日に
そのためだけにここを開いていてくれるとしたら

どうしよう。どのようにお礼を言おう。

私はあなたが重い荷を持っているとき
傍らに添って、そのいくらかを持つことができない。
その時に合った言葉をかけることもできない。
私はここで、こうやって、独り言を繰り返していることしかできない。

それでも、あなたがここにこうやって来てくれて、
私の言葉を聞いてくれて

だから、私は、私の聞いた星の言葉を
私の聞いた鳥の言葉を
花の言葉を  風の言葉を 水の言葉を
ここに書いて あなたに捧げよう。
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超えてやってくるもの

2005年12月15日 | ことばを巡る色色
言葉を聴いたり、物を見たりしたとき、ほんのたまに、頭の奥の奥の「私」であるところに、解釈やら、理解やら、分析やら、考察やら、すべてを突き抜けて、突如と届く時がある。それはデジタルもアナログも理系も文系も感性も理性も、すべての取捨選択を超えて、やってくる。物に触れた途端に、びゅうーーんと、光のように飛んでくる。その「真」は、揺るがない。それに比べれば、なんと世の中は瑣末な分別に満ちていることだろう。好きとか嫌いとか、正しいとか間違っているとか。無用長舌な議論とか。
私は信じている。私の奥の奥の「私」で感じたもの、いや、それは「感じた」という言葉のカテゴリーの中にも入らないもの。「啓示」のように、それまでのすべての迷いを解いていくものだ。そうだったのだ、これが「真」であったのだと、届いた途端に、すべての細胞に、その「了解」が伝えられ、私は細胞のレベルまで納得する。「ああ、そうだったのだ。」それだけが、「言葉」となり、起立する。「言葉」で理解しようとしていたことは、この一瞬の「了解」のために試されていたことに過ぎない。ゆるりゆるりと周りを辿っていたに過ぎない。
「言葉による思考」は、これに比べれば、取るに足らないものだ。しかし、この了解を得るためには、「言葉による思考」の何万回もの繰り返しがされなければならないのも、また事実だ。たとえれば、湯川秀樹博士が、研究室の机上でなく、木立の木漏れ日を見て原子の在り様を悟ったように、それは、「言葉による思考」の果てに突然、しかし、すでにそこにあることが決められていたようにやってくる。
「言葉」は、これの前では、記号の羅列に過ぎぬが、私にとって「これの完結」は、言葉を使って他者に語ることでしかやってこない。たとえば私が職人であったなら、その仕事振りで「語る」のであろう。絵師ならば絵で、演奏家ならば、音楽で、蕎麦屋なら、一枚のざるで、大工なら家で語る。私の「職」は書くことなので、私は「言葉」でこれを語らねばならない。そうして、私は内の内から、語らずにはいられない。
あなたは、これを、受け取ったことがあるだろうか。きっと、わけもわからず、一事に「ツトメル」人ならば、それを知っているだろう。
そのために、私は、何もかもを見、聞き、嗅ぎ、舐め、触れ、考える。
そうして、ただ、ただ、受け取ったそれを、語る。
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京都ご報告

2005年12月12日 | お出かけ
今回の京都は、土曜の9時近くに出て、栗東まで一般道を走り、栗東ー京都南と高速を走り、今回の課題(なぜかプレゼンを聞くことと、丸太町の小さな菩提寺にて墓参り)を済ませ、三条大橋たもとの旅館に夜8時に着く。ちょっと三条から四条を歩く。やっと「国家の品格」を見つけ購入。かの「六曜社」地下にてコーヒーを飲む。久しぶりに、懐かしくおいしいコーヒーだった。定番のシンプルなノリタケだった。日曜は、また三条へ。「寛永堂」の「丹波大納言」を購入。きんつばである。そうして、錦へ。いつものように、「冨美家」のうどんすきとカレーうどん、豆乳ドーナツ、山椒ちりめんをかう。和泉式部、一遍上人、世阿弥ゆかりの誓願寺を拝し、先斗町を抜け、四条大橋をわたり、三条に戻り、車を出して、中立売の「とようけや」へ。胡麻豆腐、紫蘇豆腐、柚子豆腐、豆乳、引き上げ湯葉、油揚げ×3。西本願寺の前を通り、「東福寺」へ。門内の駐車場に車を止めて、拝観する。紅葉の盛りは過ぎていたけれど、一面に少し赤茶けた紅葉葉が敷き詰められており、静かな秋の終わりだった。そうして、伏見の月桂冠近くで、とり飯をいただいた。たべるものばかりですね。
すべてをわすれました。よろしうございました。

女人の「往生」を考える旅となりました。
何度も行ったはずの新京極で、和泉式部の墓所をはじめて拝観いたしました。
謡曲「誓願寺」の舞台となったところです。
その昔、女人は「往生」(極楽往生のあれです)できぬ「性」とされていたそうです。
女人は、「業」が深いと思われていたゆえでしょう。

ふと、与謝野晶子の「やわはだのあつきちしおにふれもみで」の歌を思い出しました。殿御は、「やわはだ」には触れたがるが、柔肌の下にある、女人の「熱き血潮」には、なかなか触れようとせぬものかもしれぬ、などなどと考えました。

やわはだのあつきちしおにふれもみで
かなしきか
さびしきか
むなしきか
みちたるや
みち(理)をとくや
きみよ
われと ともに はしりて かたりて
わが あつきちしおに
ふれてみよ

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ここだ愛しき

2005年12月10日 | ことばを巡る色色
前回の記事において、私は私の感動を、私はうまく表現できたのだろうかと反省いたしております。
番組(NHKスペシャル「脳梗塞からの“再生”~免疫学者・多田富雄の闘い~」http://www.nhk.or.jp/special/libraly/05/l0012/l1204.html)に関して言えば、「障害を持っているけどがんばってるよ」というような次元を超えたものだと私は感じました。抽象的な言葉で言えば、「尊厳」とか「アイデンティティ」とかいうものへの感動です。人は自分の一部を損なうことが往々にしてある。それは体の一部だったり、目に見えないところのの一部だったりするのだけれど、その時、その人の、その人であるという「尊厳」「アイデンティティ」はいかに持ち続けられるのかということに関してです。「自分の望まない自分」にならざるを得なかったとき、いかに「自分」であり続けることができるのか。自分が心のどこかで忌む姿に自分がなった時、どのように「自分」であり続けようとするのか、ということです。
不能」「無能」「不自由」を自分は差別しないと思いながら、心のどこかでそれを忌避しようとしている。だから、自分がそうなったとき、落ち込んだり、混乱したりする。いくら心の広い、思慮の深い人でも、そういう「差別」は、他のみでなく、自に向かっても持っている。でも、状況がいかに自分の望まぬほうに進んでも、人は生きていかなければならない。その時、本当の「その人」が問われるのではないかと思います。
彼が、「自分の望まぬ自分の姿」に苦しみ、あがき、受け入れ、自らのなすべきことを、「自分」であり続ける中でし続けたことは、美しかった。冴えた、一線の科学者としての頭脳の中で、受け入れがたい不自由な自分を受け入れ、その中で己のなすべきことを考え続けたその精神。
「自分がもはや、弱者の立場になったことを受け入れてかつ、あきらめない」「できぬ自分をできた記憶を持つ自分が冷静に見て、その上で生きる」「できぬ自分として、この世に送られた意味を考える」というところに感動したのです。
もうひとつあります。それは、タイヤ屋さんの話です。「尊厳」「アイデンティティ」のあり方は一様ではないということです。多田さんの仕事は、輝くばかりの世の中で評価されえているものです。しかし、わたしは、タイヤ屋さんにも感動した。だから「尊厳」のあり方はさまざまで、世のつける上下なんて、本当に「瑣事」だと思ったのです。生きていく中で大切なのは、何なのか。ささやかに、しかし、けして絶望することなく、自らの「できなさ」から目をそらさず、その上で「よりよく」生きていくことなのだということです。「できない」自分や、「できないことは負であると思ってしまう」自分を自覚するのはつらい。しかし、そこからしか始まらない。そうわたしは思っています。
以前ちらりとブログにも書きましたが、私自身が、「自分の負の部分」(性格が暗いとかそういうのではなく、社会的なマイノリティーの要素です。いわば、「差別さをうける」要素です。)を持っています。わたしはそれから逃れられないけれど、同じ境遇にある人を、どこか「差別」する自分もいます。そういう自分は弱いと思います。自分が、「恥ずべき要素」と思ってしまうのは、とりもなおさず、その要素への「差別」を私が持っているからです。なんと、だめなやつでしょう。なんと、悲しいことでしょう。でも、それがわたしです。その私がどのように生きるのか。どのように、それらのすべてを抱き、絶望せず生きるのか。「差別される側」でありながら、「差別する意識を消せない側」である自分をどう生きるのかは、わたしの大げさに言えば、人生の課題です。だから、わたしにとっては、「ありがちな感動」などでは済まされないのです。わたしの、「死活問題」なのかもしれません。
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さらす手作りさらさらに

2005年12月07日 | 語る!
夕べの寝不足がたたり、頭の中が、しびれたようにぼおっとしています。
外は冷たい雨が降っています。
さすがの私も元気の出ない一人の夜はあるなあ。

新しくスタッドレスタイヤを買いに行った。
激安タイヤ屋は、廃タイヤに埋もれていた。
タイヤ屋の兄ちゃんは、あれやこれや誠実に私のタイヤを選んでくれた。
ひっきりになしに客の来る中、ケージの中には、生後10日の柴が4匹くうくうと眠っており、
大きな水槽では、ぷくぷくに太った金魚がたくさん、澄んだ水の中で泳いでいた。
私が、手に入れたものなんて、無価値だ。
笑って電卓をたたいてくれるタイヤ屋の兄ちゃんに比べたら。
私が、信じている風にしていたものなんて、まったく、まったく、無価値だ。

日曜の夜、NHKのドキュメンタリーを見た。昨夜の再放送も、やはり見た。
脳梗塞で半身麻痺になった多田富雄という免疫学者のドキュメンタリーだ。私は、こういう「人格」に深く感動する。しかし、私が彼を知らなければ、私は、町の中で彼を、体の自由のきかない老人としてしか見なかったろう。だから、私の信じていたものは無価値だ。
不自由な半身と、明晰鋭利な思考を持つ彼は、また、唾液をたらしながら物を食べる姿をも、カメラの前で晒す。その不自由な姿は限りなく美しい。
人生に美意識を持って臨んでいた彼にとって、話せぬこと、唾液をたらして生きていくことは、許せないことだったろうに、その姿を晒して、その姿を持って語る彼は美しい。
人の尊厳とはなんだろう。きっと、尊厳が保たれていることではなく、尊厳を持って生きようとすること自体が、尊厳ある生なのだ。
タイヤ屋の兄ちゃんの尊厳は、タイヤ屋であることである。そうして、私は同じように、それを美しいと思った。
許すこと、晒すことの中で生きることは美しい。

ごみのような生き方をやめよう。こんなにも、人は美しく生きられるではないか。
ごみのような生き方は、ぽいとゴミ箱に捨ててしまおう。
しかし、だからこそ、ごみのような生き方をしている人も、美しく生きる日が来るかもしれぬことを忘れてはならない。その日を信じることをあきらめてはならない。
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被り物の下

2005年12月04日 | ことばを巡る色色
小さいころから、被り物が好きだった。
小学校に上がる前から、友達の家で、毛布をまとって、王様ごっこをした。
中学校に入ってからは、お芝居をした。部活動やら、クラブ活動やら、サークルやら。
被り物が楽しいのは、脱ぐときがあるからではないだろうか。脱いで驚いてもらいたいからではないだろうか。被ってた時はああだったけど、本当の私はこうなんですよ、さあ、どうだ!ってのが楽しくって、被ってしまうんじゃないんだろうか。観客側も、この人はかぶってるんだけど、本当の顔は何でしょうってのを楽しむ。
しかし、脱いだ時、「えぇーー」と、落胆の声が聞こえると辛い。脱いだ時に大向こうをうならせたいがために、かぶっていない素の自分を磨くべく精進してしまうってのも、本末転倒だけれど、正直言って、ある。

ここで私は、「うさと」を被っている。
もちろん、読んでくださる中には、実@私を知ってる人もいるのだけれど、「忙しい旅館の女将」と思ってくださる人やら、「ノスタルジックな男」「色気のないおばさん」「熱い青年」「投げやりな妻」「講釈師な奴」、いろいろな受け取り方をなさってくださっているだろう。
まあ、その中で、平均的なのは、「パソコンサークルに入ったらブログをすることになってしまったnet初心者の石を投げたら当たりそうな主婦」なんてのだろうけど。それは面白い。私が会社とプールのある300坪の家と偏差69の学歴と某国家資格と50万部発行の著作とを持ち、宝くじで1億2千万当たり、ビルを3棟持ち、日本有数のルオーのコレクターであることを誰も知らない。それが私の正しい実像かどうかは別にして、面白いことだと思う。

「作ったもの」は、それだけで判断されるべきだ。「パソコンサークルに入ったらブログをすることになってしまったnet初心者の石を投げたら当たりそうな主婦」が書いた文章は、面白いものになっているでしょうか。ただ、ただ、それだけが私の求めるものだ。私が何者であっても、「作ったもの」が面白くなければ、私は、「何者でもない」
「書く」ということは、裸の私が問われるものだと思う。肩書きも過去も家族構成も、書いたものが面白くて、初めて問われるものだ。
それは美しい行為だなあ。削いで、削いで、「書いたもの」でつながっていられたら、美しいなあ。
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唐がからからと

2005年12月01日 | ことばを巡る色色
内職に追われ、投稿強化月間を勝手に終了させていただいておりました。よそのブログにもお邪魔できない日々が続いておりました。何とか、締め切りを守ることもでき、復活です。なんだか、妙に慣れない変な気分です。.2.3日前から妙な気分が続いております。そうして、ちょっとコミュニケーションということについて考えてみたり。

昨日、内職の締め切りに追われながら、休憩に見ていたテレビに唐十郎氏が出ていました。彼は大学教授もしているんだけど、その授業中に学生が携帯でメールしてるらしい。メールなら出てしなさい、と彼は思ってるんだけど、その中で、「僕はコミュニケーションをしたくない。携帯はコミュニケーションでしょ。コミュニケーションじゃないものがやりたいから、芝居をしているんだ」というようなことを言っていた。コミュニケーションって言うのは、日本語で「意思伝達」と訳されるんだけど、確かに「com」とつけられているように、「相互」という意味を持つもの。つまり、「やり取り」ということなんだろう。気がつくと、コミュニケーションってとても大切で、大事にすべきものだという意識を当然のように持ってしまっている。世の中では、「コミュニケーション能力」ってものが、現代に生きるには欠くべからざるもののように言われている。「つながっている」ことがとても重要なもの、価値のあるもののようにされており、私も何の疑問も持たず、そう感じていた。しかし、「コミュニケーション」というものは、その一面で、「閉じた」性格を持っている。誰かとつながっているということは、その誰か以外には、つながっていない、閉じているということなのではないか。唐はそういうことを言いたかったのではないか。「親密」は、「全体」に向かって叫ばないことでもある。私も知らぬ間に、コミュニケーション至上幻想を持ってしまっていたのかもしれない。
私は、いったい誰に向かって「書いて」いるんだろう。コミュニケーションをとりたくって書いていたんだろうか。あえて、コミュニケーションのためでない「物書き」もいいのではないかと思っている。逆説的ではあるかもしれないが、「放つ」ためにだけ、書いてみるのもいいのではないかと思っている。気が合うとかそうでないとか、話が通じるとかそうでないとか。好かれているとかそうでないとか。そういうところを離れてみるのもいいかもしれない。って解釈でいいのかな、唐氏よ。

久しぶりで、ちょっと堅いお話になってしまいました。
昔、唐の「状況劇場」を見に行ったことがあります。昨日のテレビでは、「状況」の懐かしいビデオが少しだけ出てきて、またまた妙な気分になりました。こそばゆく、恥ずかしいけれど、「ロマンティック」とか、「センチメンタル」とか、「叙情」とか、絶滅危惧すべきだと思いました。なんでもわかってるような顔をして、世の中は、こういうものを捨ててしまったんだね。私も、捨ててしまっていたんだね。「乙女系」とかいうように、「~系」と名づけてしまうことで、それをかぶっている風に装うんだけど、それによって、「~」であることを、客観的に被虐的に語ってしまう。
敢えて私は、「ロマンティック系」でも「センチメンタル系」でもなく、「ロマンティック」で「センチメンタル」だと、叫んでみよう。
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