オリンピックは勝つ人がいれば、当然負ける人もいる。
国を背負った人、声援を受けた人、期待をされた人、自分だけ負けだった人、
負けた人は今日、どんな一日を過ごすのだろう。
最近、私は仕事を減らされた。
負けだ。
私の仕事は請負のようなものなので、出来次第で仕事が増減する。減らされるということは、発注先のお気に召さぬことがあったということである。認められなかった、承認されなかったということだ。今までも、そんな評価にさらされながら仕事をしてきた。幸運なことに、仕事が減ってすぐさま生活に困ることはないが、自分に「×」がつけられたような気がしてしまう。「敗戦」である。仕事の量で私が何者かが変わるわけではないが、それでも、自分の価値がないような気がしてしまう。役に立つ人材であるということが自分の評価であると思ってしまう。なかなかその価値観から抜けられぬために、必要以上に仕事することを求めてしまう。たくさん仕事をすれば、価値のある人間で居続けられるように思っているのだ。仕事がある状態であることで、安心しているのだろう。
問題は、私が自分の価値を仕事の量で確認しようとしていること。
仕事を多くすれば、社会から承認され、許されていると思おうとしていること。
選ばれない自分は、社会から捨てられている気になること。
有能でなければ、社会に居辛いとおもっていること。
自分の価値のようなものをはっきりした数値で確かめずにはいられないこと。
数値で確かめることはわかりやすく、簡単であり、それが明確で安易であること。
それが、ある場面では「やりがいの搾取」という社会構造を生みかねないこと。
「負け」は気分が重い。「負け」の理由を誰かに聞きたくなる。やはり私は「負けなのか」を誰かに聞きたくなる。
こう書いても、「負け」はつらい。
なかなか 花を買ひ来て妻としたしむ という気持ちになれぬ日よ。
勝ちがあれば、負けがあるのは当然だとわかっているのに。
国を背負った人、声援を受けた人、期待をされた人、自分だけ負けだった人、
負けた人は今日、どんな一日を過ごすのだろう。
最近、私は仕事を減らされた。
負けだ。
私の仕事は請負のようなものなので、出来次第で仕事が増減する。減らされるということは、発注先のお気に召さぬことがあったということである。認められなかった、承認されなかったということだ。今までも、そんな評価にさらされながら仕事をしてきた。幸運なことに、仕事が減ってすぐさま生活に困ることはないが、自分に「×」がつけられたような気がしてしまう。「敗戦」である。仕事の量で私が何者かが変わるわけではないが、それでも、自分の価値がないような気がしてしまう。役に立つ人材であるということが自分の評価であると思ってしまう。なかなかその価値観から抜けられぬために、必要以上に仕事することを求めてしまう。たくさん仕事をすれば、価値のある人間で居続けられるように思っているのだ。仕事がある状態であることで、安心しているのだろう。
問題は、私が自分の価値を仕事の量で確認しようとしていること。
仕事を多くすれば、社会から承認され、許されていると思おうとしていること。
選ばれない自分は、社会から捨てられている気になること。
有能でなければ、社会に居辛いとおもっていること。
自分の価値のようなものをはっきりした数値で確かめずにはいられないこと。
数値で確かめることはわかりやすく、簡単であり、それが明確で安易であること。
それが、ある場面では「やりがいの搾取」という社会構造を生みかねないこと。
「負け」は気分が重い。「負け」の理由を誰かに聞きたくなる。やはり私は「負けなのか」を誰かに聞きたくなる。
こう書いても、「負け」はつらい。
なかなか 花を買ひ来て妻としたしむ という気持ちになれぬ日よ。
勝ちがあれば、負けがあるのは当然だとわかっているのに。