うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

4のつく日

2006年04月24日 | お出かけ
ただいま。 さっき帰ってきました。京都から。
日曜は、京都市内に入ってから、急に思い立ち、アサヒビール大山崎山荘美術館にいきました。 大山崎の町営駐車場に止め、すごい坂を登り、お大尽が蘭の繁殖三昧のために建てた山荘へ。山荘は、アサヒビールが10年前に美術館にしたものです(それまで、私はその美術館がサントリーのものだと誤解していました。「山崎」というウィスキーがサントリーにあるように、近くにサントリーの蒸留所があります。ここでは、ウィスキーのテイスティングができるようです。サントリーは大阪府三島郡山崎。アサヒビールの山荘美術館は京都府乙訓郡大山崎町です。2つの距離はそう離れていないので、間違えてしまったんですね。)
大山崎の山荘美術館は、モネや、民芸運動の河合寛次郎、バーナード・リーチの陶器などが、 チューダー様式の山荘と、安藤忠雄設計の地下展覧室に 飾ってあり、枝垂れ桜などの花が咲き乱れ、野鳥が鳴き、新緑の眺望は世俗とは遠いものでした。まったく、昔のお大尽はなさることが違う。三島の「春の雪」の主人公たちが、追っ手を逃れて道行きしていきそうな別荘でした。
また、紅葉のときにも、睡蓮の頃にも、桜の頃にも行きたい。遠くのお山を見ながらバルコニーで飲むお茶は、コーヒーでなく、「珈琲」でございました。
市内のホテルで一泊し、今日はいつもの豆腐を買い、信三郎帆布に行ってみました。 午前11時というのに、お店に残っていたのは、24000円のショルダー一個。
9時開店なのに・・・
さすが、です。
帆布のついたバンフレットもらって帰ってきました。

自分で言うのも、アレですが、今日は誕生日です。世の中には、「大きく」なって誕生日なんてさ、って言う人もいますが、私は、いくつになっても誕生日がうれしいです。4月24日という数字も好きです。巷では、「4のつく日は冬ソナの日」らしいですが、きっぱりとした、この424の数字の並びは、わたしっぽいかなって思っています。お誕生日を覚えてくれていた、MBちゃん、YS君、ギビちゃん、富士通さん、mixiさん、ありがとう。
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問答無用

2006年04月22日 | ことばを巡る色色
いろいろなサイトを見るようになり、自分の中に「問答無用」な部分がいくつかあったことに気づいた。それらに対して、私が強い信念なり、他者を論破できるような理路整然とした理由をもっているわけでは、ない。にもかかわらず、私の中でそれらは、「問答無用」であり、自らに問い直してみる余地が窮屈なのである。私はそれらを、もう私の中で確立し、手直しする必要のないものとしてしまっていた。「良き市民」として生きるには、そのように考えるのは当然であると考えていたのだ。たとえば、「人を殺すことはいけない」というように、考える必要もなく、それを思いつくだけで自らが穢れてしまいそうなほど自明のことだったのだ。
しかし、それらがなぜ私の中で「自明」のことだったのかを考えてみると、私が育った時代、受けた教育が大きく影響しているのかもしれないと思う。私は、育った時代の中で「良き市民」と考えられているものを、私の規範として持っていたに過ぎないのかもしれない。わたしは、「良き市民」になりたかったのだ。だから、私は、今という時代の中でもう一度、それらの意味を問い直さなければならないのかもしれない。
私の立つ位置は、少しだけ左側だ。右側に行くのは野蛮で粗野なことだと思っていた。そうして、 「君が代」を歌うことに躊躇はないが、式においての斉唱には違和感を感じる。天皇制は存続してもよいと考えている。神仏は心の中で考えるものであり、特定の宗教団体に属そうとは思わない。マイノリティへの差別は決してしてはいけないことである。死刑は廃止されるべきである。原発は、近い将来に不要になるのが望ましい。与党が絶大な数となるのは危険である。脳死移植はまだ日本において成熟しておらず、現状での実施は早計である。
これらは私の中で、問答無用のものであった。私は、それらを問い直すことから逃げていたのかもしれない。その是非を考えるのが困難であるからという理由ではない。私は、むかし身に着けた「よき人」の上着が、気に入っていたし、それは美しい薄空色をしていたのだ。
では、私は何故、今、それを問い直そうとしているのだろうか。それは・・・それは、なぜだろう。多分、ネットの右側の人が、そうして左側の人が、あまりに強弁だからだ。「右のやつの言うことだから」とか、「左のやつの言うことだから」とかが溢れかえっている。本当はその前に、「よき人」であるために、それぞれの事柄をどう考えるかが問われるべきであるはずだ。私が間違っていたのかもしれない。私の考えてきたこと、問答無用だと思ってきたことは「キレイゴト」だったのかもしれない。でも、コトの是非は、それが発せられた集団の出自によって判断されるべきでなく、独立した、その「コト」によって判断されるべきだろう。だから、もう一度、私から、自分から、問い直すべきなのだろう。
死刑にすべき犯罪者もいる。マイノリティを武器にしていることを糾弾されるべき人もいるだろう。原発に頼らざるを得ない生活をしている。臓器移植により救える人がいる。
ひとつの「コト」の真実をニュートラルに問うことは難しい。人はいつも自分の立ち位置からものを言うから。自分の言葉で語るということは、立ち位置を語ることに他ならない。それと、ニュートラルに語るということの間に自己矛盾があることは否定できない。けれど、せめぎ合いながら、問い直すしかない。そうしなければ、私はただ、気に入った古い上着を着ているに過ぎなくなってしまう。問い直した私は同じ色の上着を選ぶかもしれなくても、問い直すということが意味のあることだ。今の私はそう思っている。
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春の記憶

2006年04月18日 | ことばを巡る色色
久しぶりだから、何か気のきいたことを言いたいと思うのだけれど、
冬眠があけたばかりのあたしは
ぼんやりした頭で、君にあげる言葉がない。
あの、目の前で舞う桜の一ひらのように
やってきたかと思うと、ふっと、消えてしまうのさ。
それでも、君は今日もここにやってきてくれたんだね。

ねえ、人の記憶って不思議なものだね。
変なことばかり覚えている。
父が死んだとき、焼き場から見た田んぼには、一面にれんげが咲いていた。
毎日そんなことを考えているわけじゃない。
でも、冬が終わって春が巡ってきて、れんげが咲くと、また、思い出す。
思い出された記憶は、また、有効期限を延ばし
次の年の春に、次のれんげを見て、また、忘れられることなく残っていく。
思い出された記憶だけが、「記憶」になっていくんだね。
思い出されなくなって記憶は死んでいくのに。
だから、今年も、同じように咲いたれんげを見て、あたしは、あのときを思い出し、来年も、また、こうやって思い出すんだろう。

そのてにて われをいだきて 蔓藤蔦 がんじがらめの じごくのらくえん
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春のまつりに

2006年04月13日 | コレクション
春がやってきたのに、身の回りが落ち着かず、随分と記事が書けない日が続いてしまった。ピアノのお稽古のように、文を書くと言うのも、しばらく間が空いてしまうと、なかなかチャンネルが合わないものである。という言い訳をしながら、今日は腕慣らしということで散漫な内容になってしまうかもしれないけれど、ご容赦を願いたい。
パソコントラブルだけでなく、他にも降ってわいた処理事項や、たまりに溜まった事務仕事があるんだけれど、その間に、ちゃっかり美濃仁輪加と多治見の陶祖祭りに出かけたことは、前にも書いたとおりである。
美濃仁輪加は、美濃祭りの宵に、町の若衆が神楽やお囃子を奏でながら廻り、辻でコントのような落ち話を角付けするものである。昨今ではほとんど聞かなくなった美濃弁で、社会風刺がなされる。
青年の年頃にこのような、地域での伝承を続けていくということは、美濃の人、一人一人のその後の人生に大きく影響を及ぼすんだろうなあと、強く思った。それを経験したこととしないことでは、人生はまったく違うさ。外には明らかにならなくとも、絶対的な違いだ。間が抜けているのか、絶妙なのか、微妙なはざ間でなされる掛け合いは、若い人たちの間に飄々と刻まれるんだろうなあと思う。
鼓、太鼓、横笛でお囃子とともに若衆はやってくる。辻の陰からひゅるひゅるとやってくる。ぼんやり灯った提灯の車を引いてやってくる。ひと時の笑いをもたらして、また次の辻に流れていく。

春祭りの季節だ。
夏の祭りには、気だるい、惜別のうら寂しさがあるが、春祭りは、新しき清浄なる物を迎える祭りだ。
冬の間に積もった古いもの、死んだものを、
火で焼き清め、若水で洗い清める。
もう一度生き返るためにである。
昔々の、私の血の中に流れる血を、同じように持っていた人は、春の祭りをしたのではなかろうか。
誰かに聞いたとか、何かで読んだとか、そんな記憶はないのだけれど、
春の祭りを思うとき、
不浄なものを全て、ま白な灰にして、清め清めて、新しきものとしていこうとした
そんな太古から現在までの、この国人の像が心のどこかから、沸いてくる。
それを心の中で結んでいるということが、、私がこの国に生まれてきた「意味」であろう。
あなたもそんな「像」を、春に結ぶことはないのだろうか。
この国に暮らすということは、不浄なるものを浄めながら、生きていくということではないのだろうか。
それは、焼き尽くせば、洗い流せば、全てが許されるという楽観的なものではなかったはずだ。
いつもわが身の不浄を振り返ろうとする気持ちを持ち続けているということだ。
それがこの国の良心であり、品格ではなかったのだろうか。原罪(Sin)とは異なっているだろうが、私たちは(浄める民)として、私たちを考えていくべきではないのかと思った春の宵だった。
春は、早蕨、若水、早乙女、早苗。すべて全てが新しいね。

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もどってきた

2006年04月10日 | 語る!
パソコンが戻ってきた!
電源部分が故障していたようで、結構かかってしまったけれど、とにかくすべてそのまま帰ってきたのが、何よりほっとしました。

春休みに温泉に行くべくネット検索(なぜか、再来週の京都のホテルが、びっくり安値なのを発見し、ツイン2部屋、トリプル1部屋をとりあえず予約してみた。)

下呂あたりの温泉を探してる途中にぱたりとパソコンがダウン。とにかく電源が入らない。

パソコンダウン2日目しばらく様子を見ようとしたが、パソコンは無反応。ネットカフェで温泉を探したけど、見つけたところは満室であきらめた。

パソコンダウン3日目 メーカーに電話。修理に出すことにする。宅配は翌日朝に取りに来てくれるということで、この日の温泉お泊りは無理というのが決定。春休みなのに・・・温泉が遠のいていった。

4日目。宅配のおじさんが梱包して持ってってくれる。電気屋に行き、PCカードを買ってくる。98のノートをネットにつなげてみる。当然ADSLに対応しておらず、設定に手こずる。やっと繋がって、とりあえず、ウィンドウズのアップデートをしてみた途端に、ウィンドウズが起動せず、泣く泣くリカバリー。またまた、ネットの設定やら何やら、とにかくいっぱい設定。

繋がったけど、メール設定やら何やらを、主パソコンが戻ってきたときのためにしているうちに日が暮れる。疲れ果てました。一日モニター見てて、目はしばしばするし、修理に出したパソコンのデータも心配だし、泣きながら寝ました。


パソコンが戻ってきたときは、春休みは終わっていました。とほほ。しかも、パソコンがいなかった間に溜まった新年度用のパソコン仕事が山積みでございます。今も格闘中でございまする(と言いながら、美濃仁輪加と、多治見陶祖祭りは、お出かけしたけどね)

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呪われた春休み

2006年04月05日 | ことばを巡る色色
パソコンを修理に出しています。
史上最悪の春休みです。
windows98の古いノートでやっとつなぎました。
98で、ADSLつなげるの、ほんとうに大変。
ってわけで、まだまだ、ちゃんとできない状況です。
しばらく、休憩。
すんません。
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