不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

内職with大西ユカリ

2006年11月28日 | お出かけ
只今、内職・本職ともに、超多忙中。締め切りありの内職ゆえ、とにかく余分なこと考えず、ブンブンと仕事をきりたおしている。ゆえに、秋の投稿強化月間も不定期半休業、です。
が、行っちゃったんだもーん。大西ユカリ&新世界inクラブダイアモンド。
会場に入ってみると、予想外に客の平均年齢が高い。普通のおじさんおばさんが随分多い。しかも、ライブでよく見る業界風のお洒落な方ではなく、本当に普通の。私なんかでも、若い方にはいっちゃう。しかも、始まってみると、皆さん、振りもちゃんと知っているし、今日や昨日のファンではなさそう。恐るべし。
大西ユカリちゃん。 非常にヨロシ。昭和歌謡も、スカも、ゴスペルも、よろしかった。ゴスペルでは不覚にも泣いてしまた。あれだけの客数で、そう大きくはないホールで、アンコールこみ2時間半。とても贅沢でしたよ。
ここらで知ってる人は少ないんだけれど、クレイジーケンバンドに劣らぬ力のある人だと思う。浪速のピアノ弾き語りのオバハンは随分世の中で評価されてるけど、私はユカリさんのほうが好きだな。「タイガー&ドラゴン」なんて歌って欲しいなあ。もちろん、ゴスペル、もっともっと聴きたいなあ。
新世界というバンドも、とてもお上手で、でもちょっと脱力でヨロシ。本当にいいバンドだったなあ。
さ、次回を楽しみに、お仕事の続きをしよう。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

べらんめえ鏡花

2006年11月24日 | お出かけ
桑名は鏡花が「歌行燈」のモデルとした地。鏡花の代表作といえば、やはり「歌行燈」と「高野聖」なのだろうけれど、私の記憶に二つの代表作はあまり重くはない。ずっとずっと前、鏡花ばかりを読んでいた時期があった。その頃は、「胡乱」な物に取り付かれていて、高畠華宵や玉三郎やらを見ていた。その中でも好きだったのは、「婦系図(義血狭血)」「滝の白糸」「夜叉が池」「天守物語」
それらの中の水芸の御姐さんやら、本当は池の妖怪やら、天守に住み着いたもののけの姫やらは、みんな、苦境に立つ鉄火肌の御姐さんだ。御姐さんを苦境に追い込んでいる者は、肩書き持ちのオジサンたち。オジサンたちは自分の肩書きや財産や常識を守るために御姐さんに無理難題(御姐さんたちにとってはそうだ!)を突きつける。もののけと人間は一緒になってはいけないとか、恩師と女とどっちを取るのだとか、貸した金をたてに自分の女になれとか、本当に今も昔も偉いオジサンたちは困った人たちなのである。金と権力と建前があれば、なんでも自由になると思っている。

君たち、おい、いやしくも国のためには、妻子を刺殺(さしころ)して、戦争に出るというが、男児たるものの本分じゃ。且つ我が国の精神じゃ、すなわち武士道じゃ。人を救い、村を救うは、国家のために尽(つく)すのじゃ。我が国のために尽すのじゃ。国のために尽すのに、一晩媽々(かかあ)を牛にのせるのが、さほどまで情(なさけ)ないか。洟垂(はなったら)しが、俺は料簡(りょうけん)が広いから可(い)いが、気の早いものは国賊だと思うぞ、汝(きさま)。俺なぞは、鉱蔵は、村はもとよりここに居るただこの人民蒼生(じんみんそうせい)のためというにも、何時(なんどき)でも生命を棄てるぞ「夜叉が池」

天下国家やら、世界平和やらを仰々しくうたいながら、その実、「わたくし」にヨクヨクとしている。そういうオジサンたちに鏡花の中の御姐さんたちは、耐える。忍ぶ。それはいとしい人を守るためであり、お天道様に顔向けできないことはしたくないからだ。なのにオジサンたちはこれでもかと御姐さんを苦境に追い詰める。堪りかねた御姐さんは、とうとう言ってしまう、叫んでしまう。

鷹は第一、誰のものだと思います。鷹には鷹の世界がある。露霜の清い林、朝嵐夕風の爽かな空があります。決して人間の持ちものではありません。諸侯(だいみょう)なんどというものが、思上った行過ぎな、あの、鷹を、ただ一人じめに自分のものと、つけ上りがしています。貴方はそうは思いませんか。「天守物語」

あんた達の大切にしている物はなんて汚いのでしょう。それを臭い口から言われたって、私はあんた達の思うようにはならない。あんた達がもののけだ、貧乏人だと思うものの中にどれだけ清く美しいものがあるかあんた達には、何にもわかっていない。そんなお人たちになぜ私の大切な物を汚されようか、べらんめえ。とね。
ぱちぱちぱち。よぉぉく言った、御姐さん!  拍手喝采だ。
警官や村長や判事や金持ちやは、鏡花の御姐さんの前では襤褸のようなものだ。名もない御姐さんや生首に舌なめずりするもののけの姫様は、彼らよりずっと「ひと」であるなあ、と私は思ったものだ。
オジサンたち(そうして心はすっかりオジサンのオバサンオネエサンオニイサン)は今日も談合を繰り返し、情報操作をし、とりあえずメディアの前では形ばかり頭を下げ、「遺憾だ」と他人事のように言い、世のためという名の売名、アホな少女を買い、料亭でこっそりお話をし、接待したりされたりしちゃっているんだろうか。
おじさんの青年の頃の志はどこに行っちゃうんだろうか。その初めは清かったであろうに。

栄燿(えよう)が見せびらかしたいんだな。そりゃ不可ん。人は自己、自分で満足をせねばならん。人に価値(ねうち)をつけさせて、それに従うべきものじゃない。(近寄る)人は自分で活きれば可(い)い、生命(いのち)を保てば可い。しかも愛するものとともに活きれば、少しも不足はなかろうと思う。宝玉とてもその通り、手箱にこれを蔵すれば、宝玉そのものだけの価値を保つ。人に与うる時、十倍の光を放つ。ただ、人に見せびらかす時、その艶は黒くなり、その質は醜くなる。「海神別荘」
                             青空文庫
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

分れてもすえに

2006年11月22日 | お出かけ
日曜のお出かけは、桑名。諸戸家庭園と旧諸戸家邸(六華苑)でした。うちのナビは一宮から津島を通って弥富に行き長島から桑名に抜けよと指示。1時間半弱で桑名到着。空は暗く時に雨降りの日曜。諸戸家庭園は人影少なく、ほとんど貸切のような状態。撞球室、高く嵩上げし西本願寺を模したというお屋敷。庭は琵琶湖八景に作ってあり、ドウダンが紅く照っている。運河に続く庭沿いにはレンガの壁。あまりの広大さに人家と鳥は気づかぬように、気ままに鳴いている。諸戸家初代清六は、喰うのに時間のかかる温い飯を自戒し、冷や飯を食べて莫大な富を得た。山林王となった。幾らか商売がうまくいかなくなり気鬱になっていたときに、新築をして厄を払えというようなことを言われ、母屋を作ったと言う。商売がうまくいかなくなって作ったおうちなの、これが!?という煌びやかではないが芯の硬い美しいお屋敷。きっと彼の仕事振りもこのようだったのだろう。くるりと川沿いの道を歩き、2代目が建てた洋館を持つ六華苑へといく。
                         
2代目の建てた洋館は塔を持ち、やはり広大な池回遊庭園を見下ろすことが出来る。そうして明るく伸びやかだ。園内のレストランで食事をとり、少しだけ桑名の街を走ってみた。あらあら、「柿安」さんだ。お肉を売っているようで、たくさんの車が止まっている。はいってみると、小型スーパーのように、野菜やらパンやらデリカやら。色とりどりに盛られたお弁当やら。併設のcafeレストで牛丼も食べられる。おお、残念。さっきの食事でお腹は一杯なんですよ。次回は必ず必ず、ここで牛丼を食べ、お弁当を買って帰ろうと心に決め、お肉やらお野菜(キャベツ100円。桑名まできて、キャベツを買ってしまった・・・)やらお惣菜やらを買った。向かいの路地には鏡花の小説に出てくる饂飩屋、今はその名も「歌行燈」というそうな。しかし、残念ながらお腹は一杯。次回は、牛丼とお弁当とうどんを、必ず必ずと思いながら通り過ぎた。辻を越えると、「歌行燈」の中の宿屋(湊屋)のモデルとなった「船津屋」さんの美しい格子が見えてくる。うちに帰って調べたところ、船津屋さんのお食事は格の高いお札が必要のよう。うーん、仕方ない、次回はやっぱ牛丼とお弁当とうどんだね。お土産は柿安さんで買った食材と、貝新さんの「志ぐれたまり(315円也)」。しぐれの佃煮を作った溜りをブレンドしてあり、しぐれのだしが出ているとのこと。ふむふむ舐めてみると確かにこれはしぐれの味ですよ。今日はハマチのみぞれなべ。この溜りと、ポン酢、2種の味で食べてみよう。
桑名は古いおうちがたくさん残っている。黒い壁の低い軒の細かな格子の。宿場であり、後に海運で栄えたこの町。山林王の欅づくりの商店と、レンガ積みの倉と、空色の洋館。
なぜ、こんなにも近代建築は美しいのだろう。商才で富を築いた往時の人の弾けるような悦びが伝わってくる。退廃にはまだ遠く、己の手の中の富を惜しげもなく、あはあはと笑いながら費やしている。そんな快活な気持ちが伝わってくる。自らの才覚を素直に楽しんでいる。そのわかりやすさを時代も許している。
私の時代のお大尽は後の世に、一体何を残すのだろう。みみっちく隠蔽したりするために、嵩のはらぬ金のインゴットとか、汚い茶碗とかだろうか。紙っキレの株券だろうか。せめて、美術館作っちゃうくらいはして欲しいもんだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

雨夜の弁明

2006年11月20日 | ことばを巡る色色
ある人々から言われた(それが複数人だったことも衝撃に輪をかけているのだけれど)
「あなたは強いからそんなことを言うが、他人にそれを求めてはいけない。あなたはあなたの強さで弱い人を切り捨てている。あなたの基準で人を論じてはいけない。君のような考え方が勝ち組、負け組といった世の中の二極分化を促すのだ」
この言葉に対し、私は弁明をしたい、そう書き始めた前回の記事である。
彼らは私の何をして、「強い」としているのだろう。確かに、二十歳前は、「強いと思われているけれど本当は私って弱いのよ」みたいな、「本当に私の弱さをわかってくれる人はいつ現れるのでしょう」みたいな、気持ちはあった。それ故に無要に強がって見せたりすることもあった。「誰も弱い私をわかってくれない、なんて可哀想な私」ってヤツだった。そう思ったのは、若気の至りであり、今はそんなヒロイックなこと被害妄想なことは考えない。注目されない自分であってももう気に病んだりしないだけ私は歳を重ねた。人はみんな自分のことに忙しく、よほど惚れた相手以外の他人は、本人が思っているほど意味を持ってはいない。ほら、自分だってそうだ。相手がどんな服を着ていようと、何を持っていようと、ちょっとの間は気になったり、変なのって思ったり、凄い!って思ったりしても、次のごはんを食べたら忘れてしまうような些事なのだ。だから相手が自分のことを思ってくれなくっても、注目してくれなくっても、アイミタガイってものだ。自分は相手のことをのべつ考えているわけではないのに、自分のことは考えてもらおうなんて、図々しい考えだと思っている。ただ、それでも私の中に消えずにいる、誘惑に弱いことや熱しやすく冷めやすいことや、褒めて褒めて!やらの気持ちは、弱い恥ずべきことだと思っている。そう、その程度の意識しか私にはない。そうして、他人にも強かったり弱かったりするようなことを求めてはいない。だのに、あの人々にとって、私は、私の独善で「弱い人」を切り捨てていると見えている。「弱いやつは自己責任。」と私が思っていると見えている。傲慢に見えているのだろうか、自らの判断基準で「ちょいとあんただめじゃん」と言っているように見えているのだろうか。自分では随分控えめに生きているような気がしているんだが、そう思っちゃっていること自体が「強者」っぽいのだろうか。
確かに私は「努力のないバカは罪悪だ」と思っている。それは、「バカ」であることが周りを不幸にするからである。契約書の読めない人は知らぬうちに保証人になったりして、家族を不幸にする。世の中には交渉次第で100万円の借金が、101万の返済で済むこともあれば、100万返しても元金が減っていないということもある。同じ保険料を払い、税金を納めていても、苦しい生活の人もいれば悠悠自適の人もいる。ほんの数年の大変な時期を過ぎれば、今泣き喚いている赤ん坊も話の出来る少年になるということを想像できれば、辛い今が乗り越えられる。それを考えられない人は、「バカ」だ。そういう人は、本当に愛さねばならない人、本当に愛してくれる人を不幸にする。だから、それは罪悪だ。簡単な+-×÷が出来れば、それはわかることだ。微積分まで出来なければならないわけではない。ほんの少し、人生とまっすぐに向かっていこうと思えば、どこかに必ず道はあるはずだ。問題なのは、ずっと考えるということをしてこないと、考えるということが何かがわからなくなってしまうことだ。「考える」ということは才能やDNAではなく、習慣であり訓練である。「私には才能がない」という言葉の7割程度は言い訳であり、怠慢であると思う。だって、そんな自分のあずかり知らぬところで自分が決められているなんて、嫌だ。人は、それを変えていくために送られてきているのだと思う。そう考える私は、「才能」があるからだ、とあの人たちは思っているのだろうか。でも「あの人には才能があり、私にはないから」と考えてしまっては、自分が余りに可哀想ではないのだろうか。自分を作るのはほかならぬ自分でしかないのに、その自分から見限られてしまったら、あんまり自分がかわいそうだ。それに、人はちゃんと変わっていけるものだ。天与の物が自分を作るのではない。自分を作るのは自分でしかない。たとえ今は遠くかすんでその輪郭さえはっきりしなくても、毎日続ければ必ず、それは少しずつ近づいてくる。それは否定するのは、怠慢でしかないと私は思う。はっきり自覚すべきだと思う。出来ないのは、才能がないからではなく、自分がそれに対して誠実な努力を続けなかったからだということを。人生は信じるに足る物だと思う。絶対にそう思う。それは、私の過去の努力が報われたからさとあの人たちは思っているのだろうか。そう言われれば返す言葉がないけれど、そういう前に一体どれだけのことをあの人たちはしたのだろうか。それとも、「彼は才能がないからそんな努力を求めるのは無理だよ」と思っているのだろうか。そうならば、それは思い上がりだ。人の可能性は限りない。人は自分のため、そうして自分が守りたいもののために何がしかをする自由を持っているし、それを見限り、単なる庇護の対象と見ることは許されない。弱き者を助けるとは、その人の生きる道を知らせることだ。その人がその人の力でそこに辿り着けるように少しだけ伴走することだ。恵んでやることでも、哀れんでやることでもない。その人の力を信じ続け、道標になることだ。
人は今与えられている分の中で粛々と、安らかに暮らしていくべきだと思う。そうして、「分」は広げられ、高められていく物だと思う。弱いものは弱いもののままでいてはいけない。自分より弱いものを守るため、自分の信じる美しいものを守るためにも、強くなるべきだと思う。強くなるための努力をするべきだと思う。そうしてその努力は、いつでもどこからでも可能だと思う。
こういう考え方って、冷たいんかなあ。そうだよね、ずっと、そう言われてきたかもしれない。そういうのって、強(コワ)い考え方だってね。でも、だからって、今弱い人を「駄目さ」っては思ってないんだけどなあ。弱いってことは厳然たる事実なんだから、それをどうこうは思わない。ただ、それを変えていこうって思わなければ、悲しいと思う。言い訳の中にもぐりこんでしまっていると思う。弱い人は弱いからこそ、強くなる権利がある。そうして、切り開いていく意味があると思う。明日を信じるべきだと思う。そのために、とにかく何かしらを、とにかく学んでいくべきだと思う。そうでなければ、不幸は伝染し連鎖する。今は駄目でも、きっときっといつかは変わっていける。人はそのために送られてきたんだから。
何も持っていなかった。たぶんね。あらかじめ奪われていた。でも、一つ一つの加減乗除をきちんと計算し、証文の一句一句を丁寧に読めば、きっと明日は違う日になる。「出来ない」と「面倒くさい」をごっちゃにしてはいけない。きっと、出来るよ、出来る日は来るよ、と私は思っている。そういうのって強者の論理なのかなぁ。
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かなたへの弁明

2006年11月17日 | ことばを巡る色色
去年に引き続き、なぜか秋は投稿強化月間。心の中で書きたくてたまらない気持ちが一人勝手に盛り上がってる。なぜ秋なのか、仕事柄、10.11月あたりがちょっと落ち着いた気分になるのと、11月後半から、内職が忙しくなり、それ以前にやることをとっととやっときたい気分があるのだ。今年もやはり11月後半に仕事がやってくる。9月終わりの内職で、抜けた穴を埋めたご褒美か、今回新しいバージョンの内職もやってくることになり、わくわくしている。11月下旬から12月上旬までは、3連ちゃん内職ロードになる予定。当然本職はあるわけだから、今のうちに、植木の剪定やら、大掃除の第一弾やら、忙しい年末にはできない障子の張替えやらをやらねばならないのだ。年末年始の本職準備もあるし、年末調整のお仕事もある。私は何の因果か名ばかりの(なにせ法人格のメリットがほとんどない状態の零細なのだ)会社役員だ。師走に向かい心はあせる。ならば内職などしなければいいのにということになるだろうけれど、私は、お払い箱になるまでこれを続けたいと思っている。「違う世界」というのを、おあしを頂いて覗かせていただけるというのは貴重だし、これがなくなったら、私は本当にアホーのよーに、うつけのよーに、毎日を過ごしてしまいそうで、怖い。
この時期になると、追い込まれた気になる。実はそれが、私は嫌いでない。「いらち」なので、しゃかしゃか何かをしていないと、血が固まってしまう気がする。最近は随分怠けることを覚えてしまい、またりまたりと過ごしているが、事件勃発、となると、「それっ」と腕まくりをしてしまう。それが問題だったのか、ある私への言葉がずっと私には引っかかっている。

ブログというのは「日記」とも言われている。わたしは12歳から、20歳まで、毎日ノート1頁の日記を書いていた。今考えると,随分粘着質な習慣ではあるが、毎日続けるというのは大切なことのように思う。続けることは確実に人を変える。私は日記を書くことにより、多分「救われた」し、「育てられた」
人は変わることができる。私はその力を、本当に、本当に信じている。
ここ1ヶ月の間に「あなたは強いからそんなことを言うが、他人にそれを求めてはいけない。あなたはあなたの強さで弱い人を切り捨てている。あなたの基準で人を論じてはいけない。君のような考え方が勝ち組、負け組みといった世の中の二極分化を促すのだ」というような内容のことを3人の別人に言われた。
とても、衝撃だった。
何がといって、私が自分の基準ゆえに弱者を切り捨てていると思われていることが、である。
そうなんだろうか。衝撃だったのは、私が自分をそのように認識していないからだ。むしろ、私は逆を志向している。幼い頃からの私のスローガンは、「強きを挫き、弱きを助く」であった。
その人たちへ弁明をしたいのだけれど、それは叶わぬことなので、ここで、自分を振り返ってみたいと思う。ずっと書いてきた日記に書くようにね。
ここしばらく、私はいろいろな問題に巻き込まれた。その中でいろいろな考えを、そう親しくはない人に話した。
その人たちの中で私の考えは、強者のものであるらしい。
まず、それが驚きだった。私は自分を強者とも勝者とも思っていない。むしろ、弱者であり、ある意味敗者である。「名もなき者」である。できれば、弱者として「強きを挫き」たいとは思っている。だから、私は弱者がいかに生きていくべきかを考えている。それを考えることは私がどうやれば生きていってもよいのかを考えることであるからだ。
一体彼らはなぜ私を「弱いものを切り捨てる」と思うのか。私の何が彼らにそう思わせているのだろう。

おっと、タイムリミット。  続きはまた明日。   
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

懐かしきものの罪

2006年11月15日 | ことばを巡る色色
なつかしのメロディーというやつがある。演歌だったり、フォークソングだったり。それを聴くのに文句はないのだけれど、年をとれば取るほど、「昔の耳」で聞いてしまう人が少なからず居て、そんな人の感想やら、思い出話やらを聞くのは、本当に辛い。「君は知らないだろうけれど、このときはこんなことがあって、この歌をみんなが口ずさんだものだよ」「君も覚えているだろう、こんなことがあったね。」という、解釈を聞きながら歌を聴かなければならないのは、本当に辛い。
耳というのは目同様、選択的な器官だ。ニュートラルな状態で物音や歌を聴くというのはなかなか難しい。人は聴きたいものを聴き、聴きたくないものは聴かない。そうして、自分の中にいくつかある耳の聞き方のバージョンを選んで聴いているのではないかと思う。昔馴染みの音楽を聴くとき、人は、その頃の耳になってしまいがちだ。そのとき持っていたの音楽の評価基準で歌を聞く。今聴けば、本当につまらない音楽でも、そのときの耳で聞けば、とても高く評価できる場合があるし、一気にそのときの自分に戻ることができる。それを否定はしない。そのように聴くことも過去を振り返るという点では意味がある。しかし、その耳でしかものが聞けない人が多くはないだろうか。それから、一体何年、何十年が経ったのだろう。その間に、きっと多くの新しい音楽に接したであろうに、当時の音楽への評価となると、何十年前かの耳に戻ってしまう。
その耳の中はさぞや、ぬくぬくとしていることだろう。時の中で温かく守られているだろう。しかし、こと、音楽を聴くという点では甘ったれた聴き方だと思う。今聴く音は、今の耳で評価されるべきではないだろうか。
時を経て、新しい音が現れても、変わらずすばらしい、心を動かす音はある。しかし、その時代の気分で流行った歌もある。それを区別するということは、大切なことのように私は思う。
思い出の中に浸ることは甘美だ。時は過去を美しくする。自分がその甘美さの中で聞いているのか、それとも、今の耳でもそれを美しいと思っているのかは、厳しく区別されるべきだと、私は思う。
同じことは目にも言える。過去の思い出という名の下、心を動かされてしまうこともある。
もっとも、厳しく区別すべきは、心であろう。昔のものを、懐かしいというだけど、「美しい音」「美しい絵」として見ていはしないか聴いてはいないかを、いつもいつも自らに問うべきだ。そうしなければ、本当に美しいものは見えてこない。
年長けて生きているからこそ、厳しく問わねばならない。

まだまだ草稿状態です。きちんと推敲しておりませんので、おかしなところがあるやも知れません。今日は年賀状印刷に忙しく、時間が足りませんでしたが、どうしても書きたくて、投稿いたします。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

運命の恋

2006年11月13日 | お出かけ
11月、秋たけなわのお出かけは、名古屋市則武にある、トヨタの産業技術記念館。自動織機や、車の製造工程や、ロボット展や、お子達も一杯、家族連れ、ドこぞの企業のおじさんの研修旅行の団体。外国の方。賑わっておりました。子どもの頃から文系で、機械やらには興味がなかった私。機械って、煮物ばかしが詰まって全体に茶色いお弁当のようだと思ってた。それに比べて、お話やら歴史やらは、だし巻きの黄色、ブロッコリーの緑、トマトの赤、エビフライの黄金色、とにかく色とりどりで楽しそうって思ってた。しかし、大人になって「機械」を見ると、結構エキサイティング。最新の自動織機はまるで和太鼓集団のようにリズムを刻みながらお仕事をする。ロボットは心を持っているように、働いている。たっぷり時間をかけて見ても飽きない。私の頃の大学受験は、文系でも盛りだくさんの理系科目の記述入試があり、そのおかげで、否応なく理系科目のリテラシーは育てられた。昨今の受験は少子化の影響もあり、入試科目が減らされていたり、文系にとっての理系(理系にとっての文系)はマークシートとなってしまっている。大学入試の時期に、自分の専門の対岸にある科目を、きちんと勉強しないことのデメリットは大きい。日本は、マークシートの導入に伴い、そういう育て方をしてしまっているのかもしれない。本当に高度に専門化された研究をするには、真逆の発想、文系における理系的発想、理系における文系的発想が不可欠であるのに。それができない人を日本の教育は何年もかけて作り上げているということかもしれない。大学受験が人生最大の通過儀礼であるという日本のシステムにおいて、その罪過は深いなあ、とレンガ作りの展示館を見ながら考えた。

まだ、日暮れには時間があったので、急いで川上貞奴が福澤桃介と住んだ二葉御殿へと向かった。二葉御殿は数年前までその崩落が危惧されていたのだけれど、市の改修によって、きれいに保存されていた。「お大尽御殿探検隊(いつから?)」の私にとっては、ちょっと美しくなりすぎていて、もっと古いままで改修して欲しかったなって思ったのだけれど。
ステンドグラスの花、紅葉、女神。
往時の女性には珍しく、花のように口をあけて笑う美しい貞奴。そうして「人たらし」であっただろうと思わせる桃介の美丈夫ぶりの幾枚もの写真。ここは名古屋産業界のサロンであった。貞奴と桃介は若い頃出会い、お互い違う相手と結婚をした。貞奴は川上音二郎と結婚し、欧州で女優としての名声を轟かせた。桃介は福澤諭吉に見込まれその娘の養子となり、株投資で成功、電力王と呼ばれるまでになった。そうして、壮年となった二人はここに共に住んだ。彼らにとって、お互いは運命の恋人であったのだろう。しかし、貞奴は音二郎と結婚し欧州に渡っていなければ、一介の人気芸妓で終わっていたかもしれない。桃介も諭吉に見出されて婿になっていなければ、郷里に帰って病弱な教師にでもなっていたかもしれない。お互い違う相手と結婚したことにより、名をあげ、それ故に再会できたのかもしれない。それを経なければ、一緒になれぬ二人のえにしというものもある。それも運命の皮肉ということである。また出会うために、他者との結婚が必要であった二人。稀代の女優と稀代の電力王は、その運命の力で、最も人生の充実した時をここで過ごしたのだろう。

そうして私はあの青年を、いや、少年とも青年とも区別できぬあの頃の彼を思い出している。思い出は、多くはない幾本かの糸となり、その糸を私は縦にし、横にし織っている。時にあの時の彼の面影がふと形をなし、また消えてしまう。ちょっとだけ私に笑ってみせる。もうとうに青年ではなくなった彼の顔と重なったり、離れたりしながら。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

更待月

2006年11月10日 | ことばを巡る色色
夜空にはくるりとそこだけ切り取ったような月。
白い肌のご婦人は大きなマイクスタンドの前。
腰を絞ったツィードのスーツで歌う。

駄目だよ。路地を入ったジャズ屋の隅っこで、なんて。
ちょっとアルコールを入れて、なんてのも陳腐で駄目。
少しだけ部屋は暗くして、格子の障子を開ける。

遠くの山のススキは揺れ、暗い海は四海波静か。
野では、咲き遅れてやせたアサガヲが朝を待ち眠っているのだろう。
今日の月齢は18.9 欠けていく月 更に待ちて見る月
月のよい秋の宵は 囁くような歌が聞きたくなる
(そういえば昨秋は椎名林檎の「枯葉」だったね)
2006年の秋、更待月は 
光琳を流れる幻燈にし ご婦人  の歌を聞く
               ↑クリックすると歌が流れます:zizi's web site
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かわいくねぇ

2006年11月09日 | ことばを巡る色色
最近の記事を読み返すと、随分、暗く重い。書いてる私は全然暗い気持ちでも、重い気持ちでもないのだけど、読みようによってはそう読めるんだろうなあ。 てな訳で、今日はちょいと雑談。
朝晩めっきり冷え込む昨今、皆様いかがお過ごしでしょうか。エコ実践(という名は便利だな)の私は、昨日ジョボジョボと湯たんぽを作り、温くとまりながら夜を過ごしました。今期初湯たんぽ。ああ幸せでござる。思い起こせば9月は美術館三昧で、いよよ隠居ライフ突入かと思っていたのだけれど、突然湧いてきたような案件が目白押しとなり、さすがの私も少々お疲れ。擦り減り、磨り減る毎日。
擦り減る案件の中でいろんな話をしたり、出かけたり、話したりしたのだけれど、「殴ったろか」の場面がいくつかあり、はあ、と深くため息をつく。
唐突ながら、そこでふと、「むかつく要素」とは何か、と考えた。早い話が私は「むかついた」訳なのだ。
同じ話をしていても、素直に聞きたいと思う相手と、妙にむかつく相手がいる。同じ内容を相手が話していても、「おもしれー」と思える相手と、「ツマラン、時間の無駄」と思える相手がいる。話の内容はおんなじなのに、である。人生何十年とやっていると、「ツマラン」匂いのする相手には近づかないようにする術が身につくし、そういう相手は避けて通るというのも年をとった特権である(若いうちは誰とでも、ぶつかるのが人生の修行であるけどね) そんなわけで数年「ツマラン」相手とは話をせずに済んできた。なのに、ここに来て急にそういう場に出なければならなくなってしまった。私が引き起こしたことではないのだけれど、これも私の不徳のいたすとこ、っと考えといて、話をした。
まあ、揉め事についての話し合いであるのだから、仕方ないのだけれど、「教え諭す」ように話は進み、かれは自らの成果を面に出したり、隠したりしながら、慇懃に話を進める。、私はかれにとって小娘(ハハ・・・)に見えたのかもしれない。それは私の年頃とか、立場からそう判断したのだろう。「私だってさ、私だってさ」と語って名乗るのもかっこ悪いし、日本人の謙遜でもって、私は静かにお話を承った。そうして、つまんなかった。何が「ツマラン」のか。それはかれが、かれの経歴の中でしか語ることのできない人だからだろう。かれはその道では立志伝中の人かもしれない。かれの下部にいる人はかれの話をありがたく聞くかもしれない。それはかれがその地位にいるからであり、彼の名刺の肩書きの話を聞いているのであって、かれ個人の話を聞いているのではない。しかし、彼は肩書きのまま話をする。肩書きのあるものを愛し、肩書きと取引をする。たとえそれが自分で作った物であろうと(それが所属会社の名前だったりするともっと目も当てられんが)その中のものとして自分を語ることは、「つまんねぇ」。その肩書きとの上下関係の中に私を取り込もうとする。そうしてカシャカシャと数字やら下心やらの計算をしている。「だから、私の言うことをあなたは聞きなさい」と言わんばかりに。もちろん、抗ったけれど、かれの肩書き攻撃は強力である。彼自身がそれを疑ってみたことがないからなんだろうなあ。老人クラブにまで就労期の肩書きを持ち込み、勘違いに威張ったりするオジがいるが、「どうせ人間裸で生まれ裸で死ぬのよ」ってのがちゃんとわかってる人に、何か言われつつ、クラブの足手まといになったりするんだろうと悔し紛れにそっと想像したりする。彼の決定的問題は、かれが「かわいくねぇ」ということである。肩書きとか、年とかを基準に話をする人は、かわいげがない。14.5で人生の悲哀を持つ子もいれば、60.70になっても、おかわいそうに自らの「分」が見えていない人もいる。尊敬に値する10代もいれば、軽蔑すべき老齢もいる。肩書きの中で生きてきた人には、それが見えていないらしい。だから、見苦しい。語っていて時間の惜しくない人は、「かわいい」人である。かわいい人は、自分のことを語るとき、本当に楽しそうだ。他人のことを語るときもそうだ。他人のちょっとした行動を褒めたりする。そうして自分の「分」を知っている。他人の弱点を指摘する前に自分を振り返っている。うまくいかない局面を他人のせいにすることから始めはしない。まず、自分に何ができるかということから考えようとする。かといって、「全部自分が悪いのよ」という自虐の甘い浴槽に浸ったりすることもしない。
何かを手に入れることは、それなりの努力を必要とすることである。かれも肩書きを手にするためには、夢や希望や失望や石の上にも3年やらがあったことだろう。それを手に入れた今、振りかざしたくなる気にもなるだろう。しかし、自らの力量を超える物が、肩書きもなく世には転がっているよ。肩書きの中で世を見るとそれに気づかない。日本昔話の汚い坊さん、サリンジャーの太ったおばさんは、今となりにいるかもしれないのに、それを考えようという想像力がない。だから、見苦しく、かわいげがない。そうして、あらかじめ用意された名前の中にしか自らのアイデンティティを刻めない人と話すのは徒労だ。
子どもの頃からそういう大人がデエキレエ(大嫌)だったさ。仮想敵だったさ。実際もいたけどね、そういう想像力のない大人って。そういう人に負けないために勉強したかも。肩書きを振りかざす人は肩書きに弱いからね。でも今回は、立場上、ちょっと負け。故に、むかついているんかもしれないけど。
雑談のつもりが、愚痴になってしまいましたか?
かわいくねぇと 毒づく私も かわいくねぇ 人の充実ってなんぞと 見上ぐ11月の空
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

苛められる私 苛める私

2006年11月07日 | ことばを巡る色色
たとえば私が、「あんたなんか、チビでデブでオバハンで育ちが悪くて偉ソブッテテ薄情で」って言われたら、私はきっととてもとても腹を立てるだろう。「ふざけんじゃねえ」と2.3発殴ってしまうかもしれない(現実はほとんど、こうやって言われたことはない。『何なら殴ったろか』光線がいつも私の周りにはゆらゆらしているからであろうか)
これらのことを言われて、何ゆえ腹を立てるか。「本当のこと」だからである。かつ「気にしている」からである。かつ「変えられない」からである。「本当のこと/気にしている/変えられない」この3要素が全て揃うと、致命傷になる。人によっては2つ揃っただけで、心の弦をでたらめに掻き鳴らされている気になって相手の胸倉をつかんだりする。こういう人は「奴は怒りっぽいぜ、触らぬ神にたたりナシだぜ」となる。また、地獄に繋がれたような気分になる人がいる。こういう人は「腫れ物に触るよう」と表現されたり、バカな奴に「言うと気にしておもしれーぜ」なんていじめられたりする。
「変えられない」 その理由はそれぞれであろう。たとえば、チビなんて、努力をしたって変えられるわけがない。育ちにしろ、生まれにしろ、当人の責任ではない。
また、人になんと言われようと変えられないこと、もある。忘れたい記憶を忘れられないのは、それがよかれ悪しかれ自分を育てたものであるからだろう。それがなくなってしまえば、自分は自分でなくなってしまう。それを乗り越えようとしたり、振り回されたりしながらも生きてきたのが、自分であるからだからである。「ウザイから違う性格になれ」と言われたって、そうは行かない。悪しき物であろうと、自分の過去を自分は抱えて生きているのだ。悪しき過去でも、自分にとっては自分の過去であり、性分は自分の性分だからである。それを愛するのは権利であり、尊厳である。他者にどうこう言われる筋合いのものではない。だから、「どうこう言うな」と言ってやればよい。

人は心の底に、「差別」の心を持っている。いや、少なくとも私は持っている。自らの何かしらを自慢するとき、私はそれと反対の物への差別の心を持っている。ああはなりたくない、と思うことは、「ああである人」への差別である。私は私の心の中の澱んだ物を覗き込む。じっと、暗い底を覗き込み、そんな心を持ちながら、あごを引いて歩く。見届けなければならない。自分がこんな澱んだ心を持ちながら、どこまで、自分と向き合いつつ、どこまで、目をそらさずに歩いていけるか。否定してはならない。目を閉じて見えない振りをしてはならない。私は被害者で、加害者だ。
コメント (13)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

猛禽

2006年11月04日 | ことばを巡る色色
車を駆って街を抜ける。家が疎らになり、田畑が続く。信号で止められることもなくなり、人の跡から離れていく。見えるのは鎮守の森か。もっともっと遠くへ奥へ走る。道はどこかの街に繋がっているのだから、何が奥であるのかわからないのだけれど、私は、離れて走る走る。
もうここまでは人の匂いは追いかけてこない。そんなことが解るのは、高く低く猛禽の飛ぶ姿を見るときだ。
猛禽の姿は、遠くとも一目でわかる。一人で飛んでいる。あるときは鋭いまなざしで獲物を探す。だのに、腹がくちているときの猛禽はどこか所在無く頼りなげだ。
ああ、また会えたね。私はきっと君に会いに街を離れたのだよ。君に会えるところまで、街から逃げてきたのだよ。君の住むここは、もう人の侵してはならない場所だ。君は原始の摂理の結界をなぞって巡る。
そうして、寂しい。つがいと、そうして子とで巡って守る。私は君に会うと泣いてしまうよ。
群れたくないのか、群れられぬのか。「孤高」という言葉さえ賛辞にならぬ。風を斬り抜く広き翼よ。曲がった嘴よ。群れぬ禽よ。

Special Thanks はんたろうさん

覚書
ダイトウノスリ/カンムリワシ(IA類) 
オジロワシ/オガサワラノスリ/クマタカ/イヌワシ/シマハヤブサ(IB類)
オオワシ/オオタカ/チュウヒ/リュウキュウツミ/ハヤブサ(Ⅱ類)
ミサゴ/ハチクマ/ハイタカ/ケアシノスリ/オオノスリ/ノスリ(準)
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サベツ

2006年11月01日 | ことばを巡る色色
もう今年も残りふた月となった。ふと振り返ると、私は今年ずっと「差別」のことを考えている。最近のニュースは伝える。いじめ自殺と被差別利権と。それらを一緒くたに語ることは許されないことかもしれないけれど、私は私の言葉でしか語れないから、私の中でこれらは一緒くたに考えられているのだ。いじめと被差別と国籍差別と社会的弱者福祉とモラルハラスメントと。当然、そう当然、私はこれらを頭の中で整理できず、これらについての記事を書けないでいる。今年が始まって以来、ずっと書きたい、いや、書かねばと思いながら、書けないでいる。
人は自らの上にも、そうして下にも人を作りたいということだ。縦線の中で自分の位置を確かめようとする。はてさて、自分は今どんなところにいる?もうちょっと上に行きたいな、でも見下ろしてみれば、あんな奴もいるから大丈夫さ、と。自分があまりにも可哀想なところにいるとき、そうして心細い時、下の者を無理にも見つけようとする。そいつを罵倒すればするほど、安心する。彼らの差別・いじめの理由を理解するのは簡単だ。彼らが弱者であるからでしかない。差別やいじめをする者がその悪鎖から抜け出すには、彼らが本当の強者になるしか道はないのかもしれない。そうして、そのときの強者とは、けして「比較」の中では生まれない。自分の中で問うものであり、安易な縦線に位置づけられるようなものではない。
「いじめられるほうも弱いから悪いのだ、と言うのはやめよう」とは昨今よく言われていることだ。正論である。いじめや差別は、されるほうに非がないからこそ、「いじめ」であり、「差別」である。しかし、「あんたも強くなりなさい」というのをやめたからといって、被害者である彼が救われるわけではない。では、私は彼になにを語ればよいのだ。
きっと多くの人の反感をかうであろうということを覚悟しながら、私は書く。
こと「いじめ」において、その中で苦しむ君よ。君は君を苦しめるものに仕返しをしたいと思うだろうか。なぜ自分の無念が晴らされないと思い悩むのだろうか。なぜ自分ばかりが一人遠くに追いやられると思うのだろうか。
深呼吸をして、奴を見てみなさい。そうして自分を見てみなさい。思い悩む心の中に、「いじめられるもの」への蔑視がないのだろうか。自分が「いじめられるもの」という箱に入れられたことを恥じる心の奥に、「いじめられるもの」への差別がないのか。自分は、みんなと同じでありたいと思う心は、君がいつか「いじめる」方にまわることもあるということだ。君も同じく、「差別」の心を持っているということだ。
うまく言えたかどうかわからない。ずっと言いたかったのだけれど、うまく言える自信が今もない。10ヶ月間、どう書けばいいか考えてきたような気がする。しかし、やはりうまく書けない。
自分の弱さを見るということは、他人を許すということだ。おあいこ、ということだ。もちろん、今回の事件、そうして私の身近にもあるそれらに、「いじめられても、差別されても許しなさい」とは言わない。差別し、いじめるものは社会的に許されるものではない。しかし、心の中とは、別のことだ。
多分、傷ついた魂は、許すことでしか救われない。社会が差別やいじめをなくすことと、された人が救われる方法とは別のことなのだ。
君よ、捨ててしまえ、許すことは遠い遠い先に投げていい。今は、そんな奴らは捨ててしまえ。君が捨てるのだ。寂しくとも捨てるのだ。捨ててしまえるだけ心はいつだって自由だ。そうして、立ち上がらなくては。本当の再生は、恨みを晴らすことではやってこない。再生は、他人を同じ目に合わせないように生きていくことでしかやってこない。長い長い時間をかけて、自分がされたことが世の中からなくなるようにすることだけが、本当の再生の道だ。

うまく書けませんでした。また、書きます。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする