うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

片恋

2005年11月25日 | ことばを巡る色色
もう、シーラカンスのように、マンモスのように、始祖鳥のように、アンモナイトのように、枯れた心根を持って暮らしている私だけれど、ブログは、片恋をしているような気分になる。「ねぇ、ねぇ」という気持ちが私の中にも、まだあるのだと気づく。
恋しい人のところに息せき切って駆けて行き、コメントを書いてみる。時々、お返事してくれたかと覗きに行く。お返事がないと、肩を落として、すごすごと帰ってくる。自分の記事を書いてみる。恋しいあの方が私の独り言に、ほんのちょっとでも言葉をかけてくれぬかと、心待ちにする。来てくれぬと、このお話ではだめだったのねと、違うお話を書いてみる。それもなしのつぶてだと、やっぱりわたしでは駄目なのねと、悶々とする。音沙汰が無くなってどれくらい経ったろうと、数えてしまう。何が駄目なんだろう。どうすればいいのだろう。恋人なんてものにしてくれなくっていい。友だちでいい、お話ができさえすれば、いいのに。
突然、恋しい人が私の目の前から消えてしまうことがある。お引越しの転居先を教えてもらえないのが私なのかと、悲しくなる。時々は、思いも寄らぬ人が声をかけてくれることもある。やり取りをしているうちに、長い長い間恋焦がれていたような気持ちになってしまう。
私は、シーラカンスのように、マンモスのように、恋を忘れていたのに。
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二律背反ってとこ

2005年11月24日 | ことばを巡る色色
今月は、一人投稿強化月間だぞ!!と心の中に叫び(エ、この投稿数でですかと突っ込まないでね)、月末も間近になってまいりました。ここで、私はちょっと、考え込んでいるのです。
拙ブログ(私は大人なのでこういう謙譲表現を知っていますよ)にお訪ねくださる方々、ここにいたり、半数は「私」が何者であるかをご存知の方(ぎふてぃのお仲間の優しい方々です)と、私はどこの誰ぞということをご存じない方々がほぼ同数になってきたように思っています。
秋のせいもあり、私は最近、メランコリック(!)です。だから、本当は、リリックな、センチメンタルな、なよなよな記事をすっごく投稿したくなってしまっているのです。なんせ、投稿強化月間なんで、「さあ、書くぞ、投稿するぞ!」という意気込み満点なんですが、浮かんでくるのが、シェリー酒にお砂糖ザボザボみたいなものばっかしなんですよね。実「私」を知ってる人が読んだら、AHAAHA物の、読ませる私も恥ずかしいものばっかしなんですよね。例えばね、

秋が深くなってくると、山に囲まれた町で歩いた夜を思い出す。あれは独立公演の日で、私は、あの子がカーテンコールにもらった花束を、胸いっぱいに抱えていた。
世界のすべての花が私にささげられ、私は世界のすべての花を抱いていると思った。
あの町の秋の夜は、混ぜ物のない、透明な空気に満ちていて、
それまで、寄り道ばかりで見えなくなっていたものなど、何にもなかったようだった。
きっと、世界には、二人だけしか歩いていなかった。銀河系の中でこの道だけが、ただ一つの道だった。
いろいろな、質問や、誤解や、そういうものはどうでもいいと思った。
そんな夜が、いただけることもあるんだなあって、思った。
このまま、どこまでも二人だけで歩いていけたなら、世界全部がなくなってもいいかもしれないと、思った。
でも、それも終電までだとわかっていたのかもしれない。
夜が明ければ、私はまた、遠い町のあの子がわからなくなるんだろうと、知っていたけど。
私は、あれから、何度も、何度も、秋の夜を迎えたけれど、
あの夜だけを信じているのかもしれない。だから、もうそれでいいのかもしれない。



なーんてのをあれよあれよという間に、自動書記のように指がタイピングしてしまう。恥ずかしすぎる!なのに、出来上がってしまうと、読んでほしいぞ!と思ってしまう。ね、Ahaahahaでしょ。前世語られた上に、次は乙女だしてこられたら、ねえ。これは、読んでる私もやっぱ、恥ずかしい。節度も謙譲表現もちゃんと知ってる大人としては。特に実「私」を知ってる人に、どう顔をあわせればいいかわからない。
こっそり、も一つブログを持つしかないのかぁ・・・
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歓迎TB(ちょっといいわけ)

2005年11月21日 | ことばを巡る色色
昨日の、記事、読んでいただけましたか?
きっと、コメントはないぞぉと思っていたら、やっぱし、(0)なので、
ここでちょっと言い訳です。
巷では、スピリチュアルブームで、「前世」のあなたは、戦国の武将とか、マサイの戦士とか、言われていますが、そんな、スピリチュアルな知り合いもいないので、自分で自分の前世を勝手に占ってみたら、贅沢三昧高等遊民的「公女」というお告げがあり、書いてみました。ちなみに、私にはまったく霊的なインスピレーションはないので、好き勝手な前世です。
占われる前に自分の前世を述べてしまうというのも「あり」ではないか、他人に自分の記憶にない自分なんてのを観られるより、自分で考えちゃったほうが、「まし」ではないかしら。
うーーーんと秋の澄んだ空気の中で、自分の前世を占ってみたら、「こんなんでましたけど」って方は、「ずばりいうわよ」と、TB送ってください。でも、こんな馬鹿げたことをやってるのは私くらいかもしれないんっすけど。
勝手自分前世占いの言い訳なんですよ。
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うまれかわり

2005年11月20日 | ことばを巡る色色
私の家は、深い森の奥にある。
金色に輝く耕地から、低い木々の間の小道を進み、薄紫色の小さい花の咲く花畑を抜け、ぴくりとも動かぬ深青緑色の湖を越え、少しだけしか木漏れ日の届かぬ深い森を通ると小高い丘に立つ私の家がある。私にとっては、「家」であるが、あるものにとっては、「城」であり、あるものにとっては、「要塞」である、私の家がある。
そうして、私は、とうのたった領主の娘であり、ある人は「公女」と呼ぶ。
3人の兄たちは、今日も誰が次の領主となるか汲々としている。誰がもっとも、この地に多くの外貨をもたらす治世ができるか、誰がもっとも有力な家の妻を迎えることができるか、誰が最も他国の脅威となるか、誰がもっとも正当な血筋を引いているか。誰がもっとも豊かな収穫へと導くか。
父である領主は戦いの中で死んでしまった。母は、いかにこの地を、独立した国として、他国に承認させるかということばかりを考えている。母は叔父に領主の冠を捧げ、自らは2代の領主の妻の冠をかぶり続けているのだ。
しかし、私にとっては、関係のないことだ。何もかもが私には、関係のないことだ。
私は、こうやって、この城の奥で、こうやって年を取っていくのだろう。母も叔父も兄も私がこの城にいて、血脈を同じくすることなど、もう覚えてはいないだろう。
ずいぶん前、そう、もう何百年とも思える前には、私にも縁談があった。私の頬が柔らかく桃色だった16の時に、南の地の領主の息子との婚礼話がもたらされた。婚礼は多かれ少なかれ、領地間の楔のためになされる。公女の婚礼は、政治的事項である。それを、若い私は理解していたが、婚礼への無邪気な憧れも持っていた。南の国の年若き領主の息子に婚約の印として、私は白い馬を贈った。領主の息子は、南の果実と南の木の実と南のきらきら光る大粒の色石と南との友好条約を私に贈った。領主の息子と私は、結納の祝宴に、この地で古くから伝わる踊りを手に手をとって踊った。リフレインする歌の中で回り続ける伝統の踊りは、政治的事情などすべて忘れさせてくれた。約束された者との約束された踊りを私は踊った。婚礼を間近にして、領主の息子は、西の国との講和会議のために、私の贈った白い馬で出かけた。そして、その馬の白さゆえに盗賊の的となり、西の国との間の沼で、骸となって発見された。南の国は、西の国との講和がならず、今は、その属国に甘んじている。私の白い馬は主を乗せず、南の国に戻って行ったが、その国人にとっては、不吉の印とされた。
南の国から贈られた果実の種は、この城の庭で双葉を出し、私の背の高さとなり、実を結んだ。その間、私は、画家を城に招き、果実の木の絵を描かせた。法外な報酬を与え、成長する木を描かせた。領地の腕に覚えのある画家はこぞって私に気に入られようとした。領地の子どもはこぞって、絵を学んだ。私は城に窯を築かせた。果実に似合う器を造った陶工に法外な報酬を与えた。領地のものはこぞって、器を焼き、私に気に入られようとした。領主の地位を争う兄たちに、私の散財は気づかれなかった。そうして、2つ目の縁談が届けられた。南の南の国の領主の次男は気のいい青年だった。私は、森の木で作った竪琴を贈った。南の国の領主は、次男の祝いに、南の魚と南の甘い草とわずかばかりの真珠を私にくれた。領主の次男は私の贈った竪琴を父領主の前で奏で、その心を慰めた。ある夜も、いつものように竪琴を引いていた次男は、切れた弦に目を打ち、視力を失った。魚を釣る南の南の国の人々にとって、それは死にも近しいことだった。私の縁談は破談になった。大小の国に母がばら撒いた私の肖像画は、それぞれの国で、忌み嫌われ、不幸の印として火にくべられた。わたしは、花嫁にならぬ間に、触れるものすべてを不幸にする花嫁と呼ばれた。そうして、私は領地に益する公女という価値をなくし、忘れ去られようとしていた。私は、城の池に覆いをし南の南の魚を育て、魚の絵を描く者、魚の器を造る者に法外な褒美を取らせた。
私は、もう大きく胸のあいた服は似合わない。細く腰を結わえた服も似合わない。南の国からいただいた色石も、南の南の国から贈られた真珠も、引き出しの中で出されることはない。私は4番目の息子のようになり、戦いにも出る。花嫁になれぬ公女は、戦うことでしか、この国の役に立てない。南の国の侵略からも、南の南の国の侵略からも、私は戦い、この国を守った。
戦いのない日は、多くの絵、多くの器の飾られた、この城の奥の部屋に座る。画家は音楽家を、陶工は詩人を、音楽家は踊り子を、詩人は役者をこの部屋に呼び、私は、この世の美しいものすべてに法外な褒美を取らせた。時に、あの日のリフレインの踊りを踊らせ、竪琴を弾かせたりもした。私は、世の中の美しいものすべてをこの部屋で手に入れようとした。母も叔父も兄たちも、私の散財に気づき始めていたが、公女の役目を失った女とも思えぬ者にどう対していいかわからなかったのだろう。いや、そんな公女がいることさえも、忘れてしまったのかもしれない。私の前に立ち、咎める者はいなかった。咎める者がいたとて、私には、何もかも、関係のないことだったのだが。
それから、私の国は、絵を売り、器を売り、歌を売り、芝居を売り、少しだけ潤った。
後の世の人は、私の部屋を見てどう思うのだろうかと、時々思う。すばらしいパトロンだと思うんだろうか、無駄な、審美眼のない贅沢だと思うんだろうか。少しだけ、聞いてみたい気がしている。

これは、私がこの時代にうまれかわる前の話である。
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スパムメールの恐怖

2005年11月18日 | ことばを巡る色色
本当に、恐怖なんです、スパムメール。一日に何通か受け取って、片っ端から削除してるんです。でも、私が恐怖しているのは、そういう、ありきたりのやつじゃないんですよ、こいつは。


----------------------------
貴方に▲▲さんという女性を紹介しています。仕事が多忙な▲▲さんは男性との出会いがなく、私が男性との出会いをかわりに探してます。こちらで彼女の写真を確認できます。http://www$$$.com
----------------------------


初めて受け取ったときは、あまりの驚きに、心臓がどくどく鳴ってしまいました。同じ文面のメールを、今までに何度か受け取りました。一ヶ月に2度くらいの割でやってきます。いつも、受け取るたびにどきどきします。
「よくある、スパムメールじゃない?何が違うの?何が怖いの?」っておもってるでしょ。

でもね、わたしなんです。この仕事が多忙で、男性との出会いがなく、男性との出会いを探してる、▲▲ って。
よく、意味がわかんないですか。
あのね、私▲▲なんですよ。そう、男性を探してるとされてる女性と私は、同名なんです。
何通か受け取るうちに「ひょうっとして、私って、多忙で、誰かに男性を探してくれって頼んじゃったんじゃないかしらん」と思えてきちゃいました。
このメールには、上にあるように、写真が確認できるっていうURLが付いてるんですが、怖くてクリックできません。クリックして、本当に私の写真だったら・・・きゃーーーーーーー。

註 けしてこれはネタではありません。フィクションではありません。今日も、また、この恐怖のメールが届くかもしれません。誰か、お助けくださいませ。
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寸止めの極意

2005年11月16日 | ことばを巡る色色
ひょっとすると私の目指すところは「寸止め」かもしれないと思うことしばしば。
「寸」というくらいだから、3.3cm前でぴったり止めるということです。遠すぎず近すぎず、10cmでも0cmでもなく、「一寸」というところが大事です。
最近の世の中って、その辺がどうも、ズルズルになってる気がします。ズブズブどろどろ入り込んで行ったり、はぁるか彼方で遠巻きしていたり。
「寸」の単位でとめておくには、ずいぶんな気合が必要です。ヘリコプターが遭難者を救助するために上空で羽を回し続けているような、息を止めた「気合」です。遠くにいたり、近づいたりするよりも、ずっとエネルギーのいることかもしれません。追い詰めても、一寸手前でぴたりと止める。追いかけられても、一寸手前でひらりと身をかわす。
追い詰めることや追いかけることの楽しさを知らないツマンナイ人は論外だが、追い詰めたり、追いかけられたりは、ゲーム的生物である人間にとって、とても楽しいものだ。ついつい、身のうちまで追い詰められたり、相手の中まで追いかけたりしてしまいがちだ。そうしたい気持ちを、一息分止めておく。その快楽を知ってしまうと、近すぎたり遠すぎたりよりもずっと「いい」ものなのですよ。
たとえば家族
家族の所業は何でも知りたいと思うのが人情だが、知っておくのも一寸前までにする。親・伴侶・子ども・兄弟、どの人が何をしているのか、自分を裏切っていないのか、抜け駆けして楽しいことをしていないのか。私が留守の間に、みんなで贅沢ランチに行っているとか。私が働いている間に、一日寝てすごしているとか。残業だといってオネエちゃんのいる店に行っているとか。お弁当持って途中の駅で降りて、学校をずる休みしているとか。洗濯物を取り入れるように頼んでおいたのに、夜中に思い出して洗濯物が冷たくなっていても、宿題をお風呂はいる前にやりなさいといっていたのに、布団の中でやっていても、自分が見えないところなら、0cmのところまで行って見なくてもいいんじゃないだろうか。要求も寸止めがいい。給料が安いとか、成績が悪いとか、子育ては全部任せたとか、あなたのためにやっているんだからわかって!とか、私の愛情を受け止めてとか、そういうことを追求しても、その人が自分の思い通りになるわけではなく、かえって疑心暗鬼に陥るばかりだ。少なくとも家族が今日も幸せそうに「行ってきます」と家を出てくのなら、それ以上近づく必要はない気がする。
たとえば、色恋(特に道ならぬもの)
おなかいっぱいの恋が素敵なんだろうか。好きなような、ちょっと違うような、ずっと一緒に居たいような、でも一人の時間も大事なような。そんな、「際」にいるほうが楽しいように私は思う。シチャウことって、人にとってそんなに重要なんだろうか。その人のすべてが自分のものにならなくっては駄目なんだろうか。好きな人を自分のものにしたいと思うのは、素直な心だけど、好きな人も他人だから、自分のものになるわけはない。好きなのか、恋しているのか、愛しているのか、そうして、好かれているのか、惚れられているのか、愛されているのか、はっきりとはわからない狭間の時がおもしろい。全てを言ってしまったら、関係ははっきりするかもしれないけど、流刑地なんかに手を取り合って沈んでいくのがいいと、教養あるお医者様はおっしゃるけど。思わせぶりで、宙ぶらりんでいるほうが、わくわくする。次はどの手でいこうかと、ファイトも(何と闘っているのかわかんないけど)沸いてくる。
相手の気持ちがわからないけど、自分の気持ちもわからないけど、時々は一緒にいて、きれいなものの話をしたり、面白いものに笑ったり、それでいいんじゃない?本当はそのほうが楽しかったりするんじゃない?
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後宮女官物語

2005年11月14日 | 語る!
久しぶりに、連続ドラマを見ている。「チャングムの誓い」である。ご存知の方も多いだろうが、韓国後宮女官立身物語なのである。
わが町は韓国春川市と姉妹都市で、冬ソナストリート並木道があり、先ほど行われた韓国ウィークには、微笑む方に恋する淑女たちがたくさんお出でになった。経済効果抜群であったらしい(その並木も、そろそろ紅葉です。今が本当にいい時期です。淑女の皆さん、どうぞまた、お出でください)
ではあるが、私は微笑みの方にはあまり興味がなく、ドラマも見ていないし、「様」で呼ばれる方をテレビで見るたびに、「おお、微笑む、微笑む」と傍観している、冷めた態度であった。
しかし、チャングムは、今や週の終わりのお楽しみになっている。
この前の土曜に、チャングムは追っ手に傷つけられた男性の介護をしていたのだが、それがとても、丁寧で手際がよく、美しかった。
チャングムは後宮料理所の見習いで、お話の多くの時間が、お食事の用意を映す。それも、気持ちよい。ちゃっちゃと、調味料を混ぜ、素材を刻み、煮込み、蒸し、炒め、盛り付け、供す。
後宮の人々は、男性役人も、女官と女官のする仕事に敬意を払い、女性だからと軽んじることはない。王は家族を重んじ、皇女を愛し、皇女の具合が悪く食が進まぬときは自らも食を断とうとしてしまう。近くの人に愛を持ち、心を砕き、遠くの人の温情には、できる限りの礼を尽くそうとしている。毎日を「整えて暮らす」人々である。後宮の人の着ている服も美しい。王家の人々も、役人も女官も。
築かれ、整えられ、伝えられ、磨き上げられた生活。
以前韓国に旅行をしたときに、王宮を見に行った。偶然、ドラマの録画をしていた。それがチャングムであったかどうか、確かめるすべはないけれど、王宮は清らかな場所で、韓国人のガイドの方の言葉の中にも王宮を侵すべからざる場所であると考えていることがあらわれていた。
中国の思想の影響を受け、韓国・日本の後宮の作り方は似ている。周りをぐるりと塀が囲み、いくつかの、暗喩を持つ門が設けられている(架空の中国風後宮を舞台にした酒見賢一「後宮小説」という小説と照らし合わせながら王宮を見ると、とても興味深いのでお勧めである)王宮は、春夏秋冬と人の一生を暗示しながら営まれる。つまり、中国・韓国・日本の3国は、同じような王の居所を持っているわけだ。後宮はその民族や伝来文化の融合の中で作られ、果てしなくイマジネーションを見るものの中に喚起する。
私たちの国は、この美しい慣習を持つ国を属国にしようとしたんだなあと思う。
この美しい伝統の衣装、食事、道徳、王宮、習慣、言葉、名前を、全部、ぺろりと塗り替えようという、暴挙をしようとしたんだなあと思う。それって、美しく育った少女をさらっていって、自室に閉じ込め、自分だけのものにしようとすることのように、ひどいことだなあって思う。
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TOYOTA様のお膝元

2005年11月12日 | 語る!
東海地方に住んでいる私は、このごろ思う。ここ一年くらいの間に、景気は急上昇回復してるんじゃないかと。新聞に折り込まれている求人チラシがどんどん増えている。前は、三分の一くらいがチラシ会社の広告だったのに、ぎっしり詰まった物になり、折り込まれる数も増えた。当地から名古屋に行く国道は、前より、通行量が増え、名古屋までの所要時間が十数分長くかかるようになった。いつもは時々しか車が走ってなかった堤防道路も、ひっきりなしに車が続いている。新聞に高卒就職内定率というのがついていたが、上位はすべて中部地方で占められている。つまり、中部は景気が回復しているということなのだ。そうして、車も人も、就職も仕事も、愛知に向かっている。それは、トヨタ様に向かっているということなのだろう。大大名トヨタ様のお膝元である東海地方は、殿の発注で潤い、理系の人手不足に「うれしい悲鳴」をあげている。殿は遊園地と男子限定の学問所を作り、大博覧会を催し成功させ、尾張北部にあった国際線を常滑に移転させ、尾張と三河、三河と世界の街道を強化し、貴階級向け超高級店舗を展開し、日々是「カイゼン」なのである。
ちなみに、私の住む地は、東海圏の中で三河の対極の地にあり、最も遠い場所である。殿の恩恵を受け、この地も好況のオコボレをいただいているが、地場産業は斜陽の繊維であるという、外様大名レベルである。飛行場は遠くなっちゃったし、電車の路線はどんどん廃止されていくし、人は愛知に流れ出ていくし、逆に産廃は流れ込んでくるし。
もちろん私は、大殿に歯向かおうなんて思ってません。殿の施政は、とびっきり正しい。美しいまでに正しい御商売です。ただ、端っこなので、ちょっとすねてみただけなんですよ。

でも、そういう鄙びたここが私は好きだったりするので。特に、今日みたいに秋の乾いた空気で山の木の一本一本がはっきり見える日は、ここがとても好きだったりするので。
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その使い方、間違ってません?

2005年11月11日 | ことばを巡る色色
「小さい」やつと思われそうですが、テレビなどを聞いていてずっと気になっていることがあります。

>レバニラ炒めの作り方を教えていただくのは、金萬福(なつかしのあの人、私と誕生日が同じらしいです。)先生です。

なんていってるアナウンサーがいる。結構しばしば、聞きます。
これは間違ってます。これだと、金先生がレバニラの作り方を教えてもらうという意味になってしまいます。正しく伝えるなら、

>私がレバニラ炒めの作り方を教えていただくのは、金萬福先生です。
>レバニラ炒めの作り方を教えてくださるのは、金萬福先生です。

ではないでしょうか。とっても気になります。日本語は、主語目的語を省略してしまう言語です。
英語だと  >I hate you. と言わなければいけないものも
>あんたなんか嫌い  とか>嫌いさ。
で済んでしまう言語です。だから、動詞・補助動詞・助動詞の部分をしっかりさせておかないと、関係性が崩れてしまいます。

英語(中国語もそうです)は、順序でその関係性を示します。
>I hate you.  >You hate me. は順序によって、まったく逆の意味だと言うことを示しますが、
>嫌いさ。   >嫌われてる。
のように、主語目的語がなくても、日本語では関係性を示すことができます。
ですから、「くださる」と「いただく」を使い間違えると、関係性も間違ってしまうのです。

昔の日本人にとって、関係性を間違えることは死活問題だったことでしょうに。
なぜ、かくも日本語の敬語表現は揺れてしまっているのか。
ちょっと考えてみました

①尊敬に値する人物がいなくなってしまっている。
②身分制度の名残も完全に消滅した。
③敬語を使う場が、経済活動(接客・営業・面接試験等)の中でしか行われず、尊敬の心情が伴う場が経験されない。
③英語教育が行われ続けたため、主語が省略されることが少なくなった。それゆえ、敬語で関係性を指し示す必要が減った。

言葉も±0 となりつつあるのかもしれない。それはそれで寂しいことでございます。

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私的な詩的論

2005年11月08日 | ことばを巡る色色
今朝、ふとかけていたテレビの中で、キヨシローが、「詩的」ということをライブで話していた。「平和憲法はイマジンみたいに詩的だよね、それがなくなるって、つまらない」
そうさ、「詩的」なんだ。信じ、想像する「詩的」なことさ、baby。
私たちは信じることが要る生き物だ。きっと、人間以外の生き物は「信じる」ことをしなくても生きていける。目の前に食べ物があり、今、特別な危機にさらされていなければ生きていける。でも、人間は、何かを信じていないと生きていけない。たとえば、明日が同じようにやってくること。明日も何らかの食料があること。自分が伝えたいと思うことを聞いてくれる誰かがいること。自分が心を込めてやったことを認めてくれる誰かがいること。信じて祈れば、いつか本当の安らぎがやってくること。それらが、たとえ、近い明日でなくとも、いつかはやってくると思えなければ、真の意味で生きることができないのが、人間というものではないのかな。
戦争を放棄して、戦うことをよしとすることは、現実的なのかもしれない。言い換えれば、戦争放棄というのは、非現実的なことなのかもしれない。でも、それってそんなに子どもっぽい、夢みたいなことなのだろうか。
前に書いた記事のコメントで、政府性悪説というものをいただいた。でも翻って考えれば、戦争放棄というのは、性善説な詩的なものだと思うよ。
詩的なことは、甘ちょろい夢見がちなことかもしれない。でも、詩的なことがなければ、詩的なものを信ずることができなければ、世界はつまらないし、モノクロになってしまう。
自分が戦いに出なければ、他者も戦う気をなくしていく日がやってくると信じることは、そんなにダメなことなんだろうか。
「戦争がない世界がやってくると想像してみる」という、詩的な行為は、郵政民営化という政治ツールにされたように、刺客が送られ、パラシュート部隊が降下し、歯向かうものとして除外され、国を裏切るもののように指弾されるのだろうか。
私のイメージの中には、いつも「不幸な連鎖を、もう一度結いなおす」ものとしての人の存在理由がある。戦いは、どこかで、とめなければ、限りなく報復が繰り返される。
親を殺された子は、殺したものの子を殺し、殺されたものの子は大人になり、また相手の子を殺す。
それを止めるために、楔を埋めなければならない。
詩的な楔がなければ、世の中は、本当に、ツマラナイ。詩的な楔になれない日本は、本当にツマンナイ。
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ダルクに会いに

2005年11月06日 | お出かけ
遠い希望、遠いご褒美を考えながら生きることはしんどい。つらい。手っ取り早く、強くなりたい。手っ取り早く、傷つけられない自分になりたい。手っ取り早く、一目置かれる自分になりたい。楽になりたい。世の中には薬物をはじめとする多くの誘惑が満ちている。「手っ取り早い」誘惑。でも、その連鎖は断ち切らなくてはならない。

岐阜ダルク(ダルクは薬物依存症回復のための団体です)が開いた薬物乱用防止シンポジウムで、水谷修氏「夜回り先生」の講演会を市民会館で聞いてきました。
水谷氏は多くのメディアで紹介されており、多くの方がご存知だと思いますが、その実践主義と、ちょっと芝居がかったところは、「どうしても実際に話が聞きたい」と思わせるものがあります。だから、同じように芝居がかったところのある私は、この人を確かめに行ってきました。
彼は、夜回りをするというところで世に知られていますが、今回のお話を聞いて、薬物中毒防止への思いを強く持ち、活動をされているということがよくわかりました。確かに、うますぎるお話には、ちょっと芝居がかったところもありなのですが、そうやって伝えられていくもの、そうやって伝えられなければならないものが確かにあり、正直をいうと、一時間半あまりの講演の間、私はずっと泣き続けていました。
子どもにとって、生まれ出てきたこの世は、不公平なものです。親として、育む環境として機能しないところに生まれ出る子も多いのです。だからといって、その親をのみ責めるのは正しくありません。その親もまた、救われなければならない場合が多いからです。そのような子に降りかかった不条理、誰かを責めることだけでは何一つ変わっていかない不幸。
不幸の連鎖は、くるくると回っていくけれど、その連鎖は、正しい連鎖へと戻されなければならないし、それは絶対にできるもののはずだと、私は思います。できると思いたいのかもしれないけれど、そう思わないところは果てしなく不毛が続くばかりだと思います。
ネグレクトな親に育てられた子も、やくざの親の子も、何かの依存症をもった親の子も、いじめられた子も、みんなみんな、幸せになっていい。そうして、ネグレクトだった大人も、やくざだった大人も、依存症を持っていた大人も、みんな、幸せになっていい。「まっとう」に生きる権利を持っているはずです。

生きている中で、人は何ができるんだろう。幸福なことに、幸福な環境に生まれた人は、どうぞ、何も考えず、その環境に生きてくださればいい。しかし、不幸な環境に生まれざるを得なかった人は、何のために辛いこの世に送られてきたのか。
それは、その不幸の連鎖を、自分で断ち切り、正しい連鎖に戻していくということではないかと私は思っている。それだけのために人生が終わっても、いい、じゃん。
「夜回り先生」は、そこいら中で、それをしようとしている人かもしれない。
この講演会では、岐阜ダルク代表の遠山さんのお話も聞いた。立派な話だった。連鎖を断ち切ろうとしている、潔い心のお話だった。
ダルクの活動は、薬物依存は自己責任でしょ、という点から募金が集まりにくいということだった。今回は、けんちゃんちに駐車させていただいたので、駐車料分を募金させていただいた。けんちゃん、どうもありがとう。      岐阜ダルク
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文化の日うさと版

2005年11月05日 | お出かけ
織部賞授賞式に行ってきました。
織部賞は、岐阜県が出しているもので、2年おきで今回で5回目。古田織部のアヴァンギャルドな創作に匹敵する人たちが授賞されます。
この賞は、岐阜というハニワに歌われてしまいそうな(ちょっと古いか)田舎都市にしては、目覚しいものです。
とにかく、選考委員がすごい。今回で言えば、
選考委員長 磯崎新 選考委員 石井幹子 坂根巌夫 熊倉功夫 内田繁 アンドレア・ブランヅィ 日比野克彦 松岡正剛
もう、これを聞いただけで、この賞のあり方がわかるってものです。
当然受賞者も、一筋縄ではいかない人ばかり。すごい人たちが選ぶ人はすごい!のです。
大賞は、 エットレ・ソットサス 中川幸夫 大野一雄 鈴木清順 今回の水木しげる
織部賞は、押井守 ガリアーノ スウォッチ 野村万之丞 アラーキー カッシーナ 矢野顕子 井上ひさし 森村泰昌 無印良品 杉浦康平 山下洋輔 深澤直人 などなど
ほら、凄すぎ!! でしょ。

とにかくこの賞は、文化をお腹いっぱいにさせてくれ、かつ快い満腹感があります。
大名でもこうは行くまいという、贅沢な授賞式です。
私は、2.4.5回を見に行きました。どの会もたっぷり4時間以上の授賞式があり、その中に、受賞者の創作紹介があります。演奏や、ビデオやお話や。今回は山下洋輔氏の「ラプソディーインブルー」「ラベルのボレロ」もきかせてくれました。過去に見た森村泰昌氏の「名画ビデオ」もそれは贅沢だったし、もちろん、鈴木清順氏の「映画グラフィティ」も一本の映画のようだったし、中川幸夫氏の書は美しく強かった。アラーキーは優しいおじさんだったし、清順氏のお祝いには、宍戸錠、原田芳雄、山口小夜子(!)氏もやってきた。(大野一雄氏のときも行きたかったんですが、高山ゆえ断念しました。返す返すも残念です。)パンフレットもそれは贅沢で美しく、運がよければ、受賞者とお話したり、サインをもらったりできる。

本当は、弱小、産廃問題抱え、地場産業先行き不安、デパート撤退、の岐阜県はこんな文化的なことをしてる場合じゃないのかもしれないのかもしれないんだけど、この賞は、この授賞式はずっと続けてほしい。
2年後も、行きたい。どうしても、行きたい。    岐阜ウェブオリベ
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今日は祭日

2005年11月03日 | 語る!
ねえ、きみ
今日もとっても忙しそうだね。
片付けなければいけない仕事はたくさんあるし、
あっちの紅葉も、こっちの紅葉も見たいし、
あのブログの更新をチェックしたいし、これとそれと後いくつか、コメントも付けときたいし、ニュースも読まなきゃならないし、
ヒュンヒュンビュンビュン くるくる回って 走っても 気持ちは急くし。

ねえ、きみ
まあ、ここに座って。私の向かいの席に座って。
さあ、何を飲もうか。 コーヒー?紅茶?カフェラテ?煎茶?ほうじ茶?
なんか、食べるのもいいね。 ケーキとかマフィンとか生麩饅頭とか
話をしよ。
ゆっくり、ここに座って話をしよう。
何の話がいい?
何でもいいよ、話をしよう。君が話すのを見ていたい。
私は、笑って、返事をするよ。
ゆっくり、ここで、向かい合って、話をしよう。

あのね、わたしはね
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秋歌

2005年11月02日 | ことばを巡る色色
枯れた葉を くるりくるり うらおもて どちらかこたえよ ほんとうのうそ

枯れるとは 死の意とフランスの 辞書は言い 死を踏み歩く 木枯らしの道

死にいくと 死に後れると ねえ君よ どっちが怖い? どっちを選ぶ?



風よ吹け 嵐とてもなににせん そのちさき火の 防り人われ

身の奥に 水と炎と湧き出でよ わが喉わが躯 潤せ燃やせ

一枚を 脱ぎて知りたり 秋涼し

身を削ぎてわが身を叩く雨なれど 地を潤して湧き出づる日もこむ

やわらかくあたたかき手で紅き葉を摘まみ我を覗く子の瞳のあたたかき

紅き葉の 子の瞳に映りいよいよと 紅く燃ゆるともしびとなり

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君子の交わりは

2005年11月01日 | ことばを巡る色色
君子の交わりは 淡きこと水の如く、小人の交わりは 甘きこと醴の如し。
ブログを読んでいて、時々この言葉を思い出す。私たちは、長い長い歴史の間、会ったことのある人、話したことのある人、出自を知っている人とコミュニケーションをとってきた。それはそれは気の遠くなるほどの長い年月そうだったわけだ。顔を見ず、声を聞かず、どこに住む、いくつの誰かもわからぬ人と話しをするなどというのは、ホンの数年のことなのである。昨日まで、何のつながりもなかった人と、今日は、人生の大きな問題、世の中の大きな変化について語り合っている。それは、考えてみれば不思議なことだ。
ブログをはじめるようになって、少なからぬ「見知らぬ人」と会話をするようになった。
しかし、それはしがらみのない関係だ。明日私がここから降りてしまえば、その人がやめてしまえば、それで終わってしまう「水のように」後を引かぬ関係だ。だから、みんな少し礼儀正しい言葉を使ったり、逆に乱暴な言葉になったりしながら、明日それが終わってしまってもよいように、準備をする。「醴」のようなどろりとした関係は結ばないのがお約束なのかもしれない。だから、その人が「降りてしまうこと」も私には何もいえないし、その人は何も語らずに私の前から、ふっつりと消える。放送終了のテレビみたいに白い線がつうっと横に入ったかと思うと、もう繋がらない。私はあなたが「降りてしまったこと」をこう思っているよと言う言葉も、届かない。
こんな記事を読んだ。
 
真性引き篭もり 伝えたいことが無いのならばブログの更新なんてしない方がマシだ
  (ニュースサイト まなめはうすさん 2005.10.31  を参考にしました。)

「水の如く」考えているつもりでも、「水の如く」記事を読みにいっているわけではない。声が聞こえぬという絶望。声が届かぬという絶望。「死ぬこと」にちょっと似ている。
こう思う私は、「引取お断りレトロタイプ」な人間かもしれないけど。
私はこの冬に向かいブログを書いていますよ。
関連 自記事 マンモスの眠るところ  

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