ブログなんてものを書いていると、ついつい自分をいい人に見せたくなってしまう。「愛にあふれた人」に見せたくなってしまう。だから、だからこそ、書いてみる、私の’いぢわる’
私は、いぢわるだ。生まれつきのいぢわるだ。 I was born to be an IJIWARU.
母は、いつも私のことを「本当にあんたはコンジョワルな子やわ」と言っていた。
コンジョワル=根性悪
これは我が地方では、最高級の叱責言葉である。「おまえは根性がひん曲がっているのだ!」という意味さ。ふふーん、だ。
なぜ?なぜだったんだろう。どこが?どこだったんだろう。 オモイダセナイ。
が、しかし、とにもかくにも、なにはともあれ、私は母もおののく「コンジョワル」な子だったわけで、誰がなんと言おうと「コンジョワル」な人生を歩くことになったわけである。
うむ、ちょっと思い出してみた。多分幼い私にとって、「コンジョワル」は顔に目があるように当然のことだったので、ムリ無理でないと思い出せないほどの日常だったのだが、ムリムリ思い出してみてみた。うっすらと、男子をぬれ雑巾でひっぱたいた覚えがある。「あんたなんか私より馬鹿な癖して」といった覚えが、うーーっすらとある。小2の時は、学級委員バッチを水戸黄門の印籠のように振りかざし、「私は学級委員よ、あんたなんか私より馬鹿なくせして(こればっか)、控えおろお」といった覚えがかすかにある。その時、格さんのように私の横にいたのは教師の娘だった。ここぞとばかりに「この子のお父さんは中学の先生やし、あんたが中学に入っても、きっとこの子のお父さんに叱って貰うし、私より馬鹿なくせして(またですね)。ばかばか」といって、諸国漫遊の旅をしていたことを思い出した。
小学生の時、通信簿の所見欄には、いっつも、「ともだちにはやさしくしましょう」と書かれていた。「ち、またかよ、これさえなければ、あたしは蟻も通さぬほど完璧な人間なのに、てやんでぇ」と思ったものだった。
3つ下のいとこは完全に手なづけていた。七並べ(私はこのゲームが苦手だ。それゆえ何度もいとこに相手をさせた)で負けそうになると、あーだこーだと文句をつけては、みかんを持ってこさせたりしながら、私の勝ち、もしくはいとこが泣いて終了を懇願するまで続けた。
嫌いな、ヤなやつは、とりあえず、じろりぶさりと睨んでいた。文句を言うももったいないわ、と思っていた。思うに、いぢわると傲慢とわがままとぐうたらが、鍋の中でぐつぐつ煮立っている状態だったのである。ま、いわば、いぢわるの帝王学を体得しながら、その王道を歩いてきたのだ。
その何者も恐れぬいぢわる王者の風格ゆえか、小6の時には、床屋のおっさんに、「お嬢さんは高校生?」「え、違うの大学生かあ」「じゃあ、中学生?大人びた子やね」といわれ、説明するも面倒であった。
いぢわる王様は、負けず嫌いでもあったので、ありとあらゆるお誕生会に招待されなければ気がすまなかった。嫌いなやつの誕生日でも、とにかく呼ばれなければ「私も斜陽ね」なんてさびしい気持ちになってしまうのである。誕生会の噂がちらりとでも耳に入ると、「まさか私を呼ばないなんて、とんでもないことを考えてはいないでしょうね」とじろりぶさりと睨んだものである。これで大抵の子は「落ちる」のであった。
中学の頃、「どうもいぢわるとは世の中では日陰者である」と気づいた私は、とりあえず目を伏せ、従順なやつの振りを、時々は装えるようになった。だが、言っちゃいましたよ、新採の教師が「うさとさん、最近ちゃんと僕の話聞いてくれないね、僕はどんな授業をやったら君に聞いてもらえるんだろう、僕はどうすればいいんだろう」なんて泣き言を吐くんで、「教師やめるしかないんじゃないですか」ってね。センセイもその後立派に強い人になり、立派な校長になられたそうで、お慶び申し上げます。
特に男子のうじうじしたやつはいぢめたくなってしまう。偉そうに「とお」って教室でプロレスごっこをやって弱い子を叩いてるやつには、相変わらず、「私より馬鹿なくせして(定番です)、強ぶってんじゃねえよ、うりうり、何か言ってみぃ」と、後ろ手をひねりあげていたし(この技はいとこ相手にたくさん練習し、必殺技になっていた)そんなやつにやられてるヨワッチイ男子には、「しっかりせんかい、前を向いて、ずばっと言い返したれ」と、背中をばんばん叩いてやったものだ、ハハ。
この後私のいぢわるは、思春期を迎え螺旋状の展望を遂げるのであった・・・ つづく
私は、いぢわるだ。生まれつきのいぢわるだ。 I was born to be an IJIWARU.
母は、いつも私のことを「本当にあんたはコンジョワルな子やわ」と言っていた。
コンジョワル=根性悪
これは我が地方では、最高級の叱責言葉である。「おまえは根性がひん曲がっているのだ!」という意味さ。ふふーん、だ。
なぜ?なぜだったんだろう。どこが?どこだったんだろう。 オモイダセナイ。
が、しかし、とにもかくにも、なにはともあれ、私は母もおののく「コンジョワル」な子だったわけで、誰がなんと言おうと「コンジョワル」な人生を歩くことになったわけである。
うむ、ちょっと思い出してみた。多分幼い私にとって、「コンジョワル」は顔に目があるように当然のことだったので、ムリ無理でないと思い出せないほどの日常だったのだが、ムリムリ思い出してみてみた。うっすらと、男子をぬれ雑巾でひっぱたいた覚えがある。「あんたなんか私より馬鹿な癖して」といった覚えが、うーーっすらとある。小2の時は、学級委員バッチを水戸黄門の印籠のように振りかざし、「私は学級委員よ、あんたなんか私より馬鹿なくせして(こればっか)、控えおろお」といった覚えがかすかにある。その時、格さんのように私の横にいたのは教師の娘だった。ここぞとばかりに「この子のお父さんは中学の先生やし、あんたが中学に入っても、きっとこの子のお父さんに叱って貰うし、私より馬鹿なくせして(またですね)。ばかばか」といって、諸国漫遊の旅をしていたことを思い出した。
小学生の時、通信簿の所見欄には、いっつも、「ともだちにはやさしくしましょう」と書かれていた。「ち、またかよ、これさえなければ、あたしは蟻も通さぬほど完璧な人間なのに、てやんでぇ」と思ったものだった。
3つ下のいとこは完全に手なづけていた。七並べ(私はこのゲームが苦手だ。それゆえ何度もいとこに相手をさせた)で負けそうになると、あーだこーだと文句をつけては、みかんを持ってこさせたりしながら、私の勝ち、もしくはいとこが泣いて終了を懇願するまで続けた。
嫌いな、ヤなやつは、とりあえず、じろりぶさりと睨んでいた。文句を言うももったいないわ、と思っていた。思うに、いぢわると傲慢とわがままとぐうたらが、鍋の中でぐつぐつ煮立っている状態だったのである。ま、いわば、いぢわるの帝王学を体得しながら、その王道を歩いてきたのだ。
その何者も恐れぬいぢわる王者の風格ゆえか、小6の時には、床屋のおっさんに、「お嬢さんは高校生?」「え、違うの大学生かあ」「じゃあ、中学生?大人びた子やね」といわれ、説明するも面倒であった。
いぢわる王様は、負けず嫌いでもあったので、ありとあらゆるお誕生会に招待されなければ気がすまなかった。嫌いなやつの誕生日でも、とにかく呼ばれなければ「私も斜陽ね」なんてさびしい気持ちになってしまうのである。誕生会の噂がちらりとでも耳に入ると、「まさか私を呼ばないなんて、とんでもないことを考えてはいないでしょうね」とじろりぶさりと睨んだものである。これで大抵の子は「落ちる」のであった。
中学の頃、「どうもいぢわるとは世の中では日陰者である」と気づいた私は、とりあえず目を伏せ、従順なやつの振りを、時々は装えるようになった。だが、言っちゃいましたよ、新採の教師が「うさとさん、最近ちゃんと僕の話聞いてくれないね、僕はどんな授業をやったら君に聞いてもらえるんだろう、僕はどうすればいいんだろう」なんて泣き言を吐くんで、「教師やめるしかないんじゃないですか」ってね。センセイもその後立派に強い人になり、立派な校長になられたそうで、お慶び申し上げます。
特に男子のうじうじしたやつはいぢめたくなってしまう。偉そうに「とお」って教室でプロレスごっこをやって弱い子を叩いてるやつには、相変わらず、「私より馬鹿なくせして(定番です)、強ぶってんじゃねえよ、うりうり、何か言ってみぃ」と、後ろ手をひねりあげていたし(この技はいとこ相手にたくさん練習し、必殺技になっていた)そんなやつにやられてるヨワッチイ男子には、「しっかりせんかい、前を向いて、ずばっと言い返したれ」と、背中をばんばん叩いてやったものだ、ハハ。
この後私のいぢわるは、思春期を迎え螺旋状の展望を遂げるのであった・・・ つづく
ところで、現段階(物語中)までのうさとさんは、コンジョワルっていうより、自分の思いをはっきりいうタイプだと思うんですけど・・・いぢわるっていうより、ズバズバ斬って行くタイプってか・・・影が感じられませんもの。(そういう意味では黄門様は当たってるのかもしれない・・・ひかえおろぉ)
オイラはもっとドロドロしてるかも^^;表面上ではニコニコへらへらしながら、ほんとに忘れちゃうことも多いけど、いったん根に持つとその怒りは1年くらい平気で持続しちゃうくらいに・・・
オイラもタイガイ根性二回転半くらい回ってるっす。
そんな訳で、続き楽しみにしてますね
隠れていたらしい。
私には、いじめた記憶はないのだけれご・・・
うさとさんは、校長先生も作っちゃったんだぁ。
時代劇でいう「ミネウチ」ですね。
暗い過去を明るい文章で表わしておられるのだと推察しますが、ところどころに優しさが垣間見えると思います。
私なんか、トリプルアクセルよ。くるくるりん。
うーん、負けず嫌いは何でも競いたがる。
ありがとお・・・これからもずばずばいくわ。
私、恨んだりするのも、悔しくってしないんだよね、
恨んでなんかやらないもーん、ってのが多い。
つづきが、ね。「落ち」ないのよね。
なんか、ほんわか、「本当はいい人ですよ」って、終われればいいんだけど、そうでもなかったりして
やっぱし、私もbubeさんには同じにおいを感じたぜ。
力技は、世界を平和にするのだ。
私たちはいぢめてないのに、相手はいぢめられてる気がしてる。はてさて、どっちが悪い?
私は、いぢめられてると思ってるほうが悪いと思うっ。
私はいつも男子を2分割で認識しているやもしれないと思い当たってしまいました。
「つよぶってんじゃねえよ、うりうり」か、
「しっかりせんかい、ずばっと言い返したれ」か、どっちか。
今度の男子は果たしてどちらかと、考えてしまう。でもどっちにしても、たたっ斬るにはかわりがないのですが・・・
この2種類しか知らない私の青春。悲しいことです。
「私たち」になってるし・・・
間違えてるし、[けれど]←[けれご]・・・
いじめられてるほうにも、責任あるよなぁ。
いじめた記憶もないけど、いじめられた記憶もないや。
悪質ないわゆる[いじめ]っていうのは、やめてほしいなぁ。
そうだよね、bubeさん
私たちは、いじめはしない。いぢわるなだけだ。
なにがわるいっ!
意地悪と、いじめは、違うねぇ。確かに。
私は、従兄弟に対して、いじめっ子だったのかも。
反省!
いぢわるだと思われてしまう人がいるようで、
私は、そのあたりの「押し」が強いようです。
私も、いじめられた記憶がありません。
しかも、私に「フンってされた」と思い込んでいる人が少なからずいる。
ぼーって立ってても、おこってるように見られる。
なんだか「コワイ」らしい。
そういう人も、いるんだぞ。おこってないんだぞ。
bubeさんは、従兄弟さんをいじめてたの?
私も確かに、従兄弟はいじめたかも・・・