うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

読みましたか

2005年10月30日 | ことばを巡る色色
読みましたか
箇条書きのようで、国の民としての志など持ちようもない品性に欠けた文章によって書かれており、、「正義と秩序を基調とする国際平和」と、「秩序」などという抽象的なものを判断基準にし、意に沿わぬものを「秩序を乱すもの」として排斥することのできる、「自民新憲法草案」を、読みましたか。
不戦の誓いなど押し付けられたものであり、自らの望むものではないと叫び、「正義の秩序」を守るためなら、地の果てまでも戦いに行ってよいと謳い、被爆国として不戦を誓った潔さをすべて捨て去った「新憲法草案」を読みましたか。

この国の長は、単純明快な言葉がお好きらしい。「新憲法前文草案」は、「わかりやすい」短文で構成されている。私たちは、この国の経済成長の中、合理的で効率的なものを求めてきた。「新憲法案」も、効率よく誰にもわかるものとして書かれているのかもしれない。
「わかりやすく」「単純明快」なことは、どれほどの力を持つものなのか。
「単純明快」な言葉は、多くの解釈を可能にする。政治家にとって、なかなか便利な「手」である。

私は、「現憲法前文」は、「祝詞」のようだと思う。声に出し、読んでみるといい。これは「いのり」のことばである。
「現憲法前文」は、ひたすらに、戦いの不幸を嘆き、、戦いの空虚を訴え、戦いのない世界を「言あげる」ものである。「法」とはこういうものでありたい。国と、人の世の平安なることを祈るこころざし高き「祝詞」でなければならない。
私の国は、「唱えるべきことば」を、こうしてなくしていくのだろうか。
こう考えるわたしは、偏向していますか。まちがっていますか。
どうぞ、どうぞ、面倒に思わずに読んでみてください。
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パトロン・コレクター

2005年10月29日 | ことばを巡る色色
「お大尽」の、究極の楽しみは、パトロンになることと、コレクションをすることであろう。
「集める」ということは、ほとんど非生産的であり、過去に向かっている。それに対し、パトロンになり「育てる」ということは、未来に向かう生産的な技である。この相反する両者を同時にやって初めて、「お大尽」と言えるのかもしれない。
しかし、どちらも、「人間」特有のものだ。確かに動物も、自分の子や群れの子は育てるけれど、そこに「才能の開花」という、未来への想像はない。その意味で、コレクションとパトロンは「人間らしい」ことなのかもしれない。何を「集め」、何を「育てる」かは、その人を知る早道である。同様に、「集め方」「育て方」も、その人を語る。
「コレクションは「チョイ大尽」でもできる。「形見分け」というものがあるが、そのとき、生き方がはっきりすることが多い。箪笥何本もの着物だったり、掛け軸だったり、旅館の割り箸だったり、グリコのおまけだったり。自分が死んだとき、「こんなものばっかりたくさん残してさ」と、親族郎党ががっかりしたりするのは、情けないけど、逆に愉快でもある。
「育てる」ことは、「チョイ大尽」にはちょっと難しい。わが子を育てる程度で精一杯である。しかし、世の中には想像もつかないほどのお大尽がいて、育てられ仕事をなした「天才の仕事」の、3分の1くらいの賛辞を送ってもかまわぬような育て方をする人もいる。「育てる」お大尽が金持ちであるだけではだめだというところも面白い。いわゆる審美眼というものも必要だし、莫大な金額をかけなくても「育てる」ことが可能なときもある。精神的なパトロンというのも「あり」なのであるし、お金をかけても、精神的な「育て」ができなければ、真のパトロンとはいえまい。かように、パトロン・コレクター「お大尽」への道は、細く険しいのである。

紛れもないパトロン・コレクター「お大尽」のお話を昨日聞いた。
岐阜出身の原三渓という人である。明治横浜の貿易商であり、「三渓園」の持ち主であり、岡倉天心のパトロンである。彼のコレクター魂は、桁外れであり、集めたものはちゃちなヤフオクで買えるような代物ではない。彼は、美術品のみでなく「家」を集めちゃったのである。正確には旧東慶寺仏殿・臨春閣などの「歴史的建造物」である。それを自分の庭である、「三渓園」に、バンバン移築した。そうして、そこを、若手画家に提供した。なんと豪気なこと!!しかも、関東大震災以降は、ぱったりコレクションをやめてしまった潔さ。かっこよすぎる。「お大尽」はかくありたいというものである。
最近の「お大尽」は、企業買収とか、TOBとかM&Aとかをなさっているが、それも、一種のコレクションであり、パトロンであるのかもしれない。しかし、「お大尽」の王道を進んでくれるものがなかなかいないので、今の世の中は、ちょっとつまらない。ホリエモンは、旧ソビエトのロケットを買ったそうだが、原三渓を見習い、それをコレクト、パトロンの道に繋げてほしいものだ。

原三渓のチケットは下記「つきみそう」matsubara様にいただきました。
三渓は、岐阜に別荘を持っており、今は水琴亭という料亭になっています。このあたりは、古い町並み、由緒深く、趣のある町並みです。ぜひ一度ご訪問ください。

☆★グルメのけんちゃん★☆:気韻 
つきみそう:濃尾震災
TBさせていただきます。
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枯葉よ

2005年10月27日 | ことばを巡る色色
枯葉よ
幾枚も幾枚も重なり合って、
丸いものや、とがったものや、五本の指を持ったものや、船のようなものや
黄朽葉色 煉瓦色 利休色 鶯色 駱駝色 海松色 焦香色 胡桃色
折り重なり、積み重なり、ふかふかの寝床となり、
忘れられた小径を
並木の小径を 
思い出し思い出し 歩く私を くるぶしまで埋める     

「枯葉」というシャンソンが好きだ。「枯葉」を歌う人なら、誰でも好きだ。
尊大ないやらしい歌を歌う人も、この歌を歌うときは、風に翻弄される一枚の「枯葉」になってしまう。
その中でも、イヴ・モンタンのジゴロ崩れ中年も渋いし、
椎名林檎の巻き舌で切り刻むようなのも、いい。
「枯葉」は、人生の年輪を重ねた人が歌うといいといわれるが、
どうしてなかなか、若い人が歌っても、その若さゆえに、人生の無常を感じさせる。
秋が好きというわけではないが、、この歌をくちずさみながら歩ける季節であるところはいい。
何年か前に「題名のない音楽会」で、随分高齢の男性シャンソン歌手の「枯葉」を聞いた。
とても、残念なことに、日本シャンソンの草分けと紹介されたその人の名を忘れてしまったが、
東海林太郎のように、幾分直立不動な姿勢で歌う「枯葉」は
その命の残りをちりちりと燃やすような、心震わすものだった。
枯れて葉脈だけでつながっていて、大きく風が吹けば、散り散りになってしまいそうな、「枯葉」だった。
この季節にもう一度聞きたい。どなたか、名前をご存知だったら、教えていただけるとうれしい。

げに我は枯葉のごときこの身ひとつなれば       和色大辞典 
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京都・白黒

2005年10月25日 | お出かけ
京都に行ってきました。新しいところを開拓するぞーっと思い、いろんな方に教えていただきました。ありがとうございました。
それで、京都でどうだったかというと、やっぱり、いつものうどん(冨美家)を買い、いつもの豆腐(とようけや)を買いました。ただ、二条若狭屋さんの栗のお菓子は買ってきましたよ。それから、御所の参観もしましたよ。御所はネットで参観予約ができます。身元をちゃんと書かなきゃいけないし、同伴者の氏名とかもちゃんと明かさなきゃいけないので、御所の参観に嘘偽りはききませんよ(でも、いけない関係だからと言って、とがめられるわけではないので安心してくださいね。)御所以外で行ったところは、二条城。このお城を見て、当時の京都の人たちがどう思ったか、想像するのはちょっと楽しかったです。でっかいお城は、ひょっとして、徳川家の威信を示すためだったのかなっとか、でも京都の人たちは、こんな大きいだけの田舎くさいもの作ってなんて思ったりしてとか思ったのかなっとかね。それから、十条のジャスコ(!?)錦には行かなかったので、ここで冨美家をかいましたよ。

十条はパッチギのロケをした場所。京都は、 千年都市であり、マイノリティを多く抱く町です。その意味は何でしょう。永遠とも思える未来に向かって苔むしていく町。そうして、訪問者には見えないところで、士でも農でも工でも商でもない民を抱えた町。その意味はなんだろう。
御所は、今まで見た建物の中でもっとも「清らか」な場所だった。真っ白な空間に向かって果てしなく開いた清らかさ。考えうる最高の「封じ」と「寿ぎ」をして作られた町のその中心の中心。何物にも邪魔されない、万物に向かって「開いた」場所。千年にわたって清められ続けた場所。そうして真っ白な強い光が放たれ続けている場所だった。私たち大和人の累類は何を求め、何を目指してここをその中心としたのか。歴史の中で揺すぶられ続けているはずなのに、このイノセントな「清らかさ」は、何なのだろう。答えの端っこにも触れぬまま、帰って来ました。
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立ちつくす言葉

2005年10月20日 | ことばを巡る色色
あなたのまえで わたしのことばは立ちつくす
辛いでしょう かわいそうに がんばっテネ イツカイイトキモクルサ
用意された あらかじめ準備された 当たり前なことばは
ひらがなになり カタカナになり 液体になり 気体になり 霧散する
本当に話しかけたいとき ことばは立ちつくす
こんなにも こんなにも あなたに わたしは はなしかけたいのに 
どうしても どうしても あなたに 話しかけなければならないのに
だから なにもいえず わたしは あなたの前で 立ちつくす
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酔ひて候

2005年10月16日 | ことばを巡る色色
酔い方にはいろいろある。くだを巻くもの、説教師になるもの、脱いでしまうもの、殴りかかるもの、太鼓もちになるもの、何がおかしいのか笑い出すもの。とりあえず、先に酔ってしまった者が勝ちである。周りのものは、観覧者、もしくは介護者になるしかない。とりあえず、なだめすかし、まあまあと言い、話が穏便な方に向かうようにする。あまりに、面倒な酔人の場合、他人の振りをして、そっと席を離れたり、「おうおう大変なことになっていますね」と傍観するか、であろう。
何はともあれ、酔っている者本人は気持ちがよい。しかし、酔い遅れた者は、みるみるうちに酔いが醒めてしまう。

言葉を出すこと、表現することは、「酔うこと」に似ていると思う。それが文字で書かれたものであれ、声に出されたものであれ。書きながら、語りながら自らの言葉に酔っていく。
本人は、自分がどれだけ酔っているのか、なかなかわかりにくい。酔えば酔うほど、「酔っている自分に酔う」という厄介なものだ。周りのものは、取り残されて、「酔い人劇場」を見せられることになる。
語る人の「酒」はさまざまである。自分の技量だったり、ご自慢の品だったり、経歴だったり、家族だったり、それはもう、ありとあらゆる「その人の持ち物」が酒となりうる。
読まされ、聞かされるほうは、その「内容」でなく、その人の「酔い」を見せられる。
観客は、仕返しに殴り返したり、優しくなだめたり、知らぬ振りをしたりして通り過ぎるのだが、なかなか、語る人には「酔い」の自覚がない。独走である。
言葉を出すことの恐ろしさは、そこにある。知らぬうちに、言葉に酔いどれている。自分の語ることに浸っている。特に、何らかの「持ち物」を持っている人は、あぶない。「上手い」歌い手が、自分の歌声に酔ってしまい、やたらとコブシをまわしたり、サビを盛り上げすぎて、急につまらない歌しか歌えなくなってしまうのと同じだ。「上手い」ということは、「いい」に似ているけれど、決定的に違っている。「いい」はこころにまっすぐに飛んでくる矢である。「酔った射手」にはけして射れぬ矢である。


酔っていてかわいらしい人もいる(ただし、酔ってかわいい人は、酔わなくてもかわいらしい人なのだが)。酔わなければ言えないこともある。酔った振りをして言うという、「手」もある。
しかし、大人の諸兄諸姉は、シラフで語ったほうがよかろう。いつも酔っている大人は、重ったらしく、いやなにおいがする。たまに酔うから、かわいげもあるってものだ。
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そうだ、京都、行こう

2005年10月14日 | お出かけ
秋は京都。

我が家は京都へのお出かけが多い。日帰りもあれば、お泊りもあるのだが、車で出かけることが多く、ここ数年は数ヶ月に一度は行っている。京都といえば寺社巡りということになるのだろうけど、うちは京都通いの「通」なのでちょっと違っている。まず一つ二つ、お寺などに行き、三条・錦辺りに行き、豆腐を買って帰るのだ。
去年の春行ったのは、京都の町から少し離れた伏見。黄桜などの酒蔵がある街だ。新撰組で有名な池田屋もある。川沿いには酒蔵と柳があり、船に乗ることもできる。酒蔵で、買い物をしたり、食事をしたりすることもできる。駅前の商店街は、おみやげ屋と、日常の商店が混在していて、とても歩きやすい。町にはお茶屋さんがいっぱいあり、おいしい宇治茶が比較的安価で売っている。
今年の春は、京都国立博物館に行った。ここは無料駐車場があり、ゆっくりと観覧できる。明治時代にできた建物は、それを見るだけでも、楽しい。近代博物館の向かいは頭痛持ちの後白河院が作った三十三間堂。ここも駐車場に無料でとめられる。仏像一つ一つを見るだけで、1時間くらいはすぐに過ぎてしまう。
文化的なものの後は、当然、おいしいものとお買い物。四条辺りに車を止め、三条、錦市場に行く。京都は学生の町なので、古着屋さん、雑貨屋さんも多い。そこらを見て回ったら、いつもの手拭いやさんへ。私はここのデザインがとても好きだ。復刻柄なのだが、舞妓さんがスキーをしていたり、骸骨だったり、とてもポップで、楽しい。
錦では、豆腐ドーナツを買い、富美家にいく。鍋焼きうどんがおいしいんだけど、力餅の入った富美家うどんもいいし、カレーうどんもいいし、懐かしい感じのの中華そばもいい。とにかく迷う。食べ終わったら、お持ち帰りの鍋焼き、カレーうどんを買う。ちょっと甘めのだしだけど、安くておいしい。さすが京都の名水じこみ。たまにお漬物を買ったりするけど、「通」になった最近はあまり買わない。だし巻き卵や、じゃこ山椒を買ったりする。京の台所なので、生花も売っている。いつだかは、シャクヤクを胸いっぱい抱えて帰った。
もう帰らなきゃという頃には、車を出して、北野天満宮近くに、お豆腐を買いに行く。京豆腐といえば嵯峨釈迦堂清涼寺の「森嘉」(ここに行くなら、飛竜頭と、納豆を買ってみてください。さすがのお味です。京都で納豆は意外だけど、大粒で、本当にふっくらしていてしっかりしています)が有名だけど、うちはもっぱら北野のとようけや。とようけやは、北野天満宮の向かいに、軽食の食べられる茶屋があり、そこで、お豆腐も買えるのだが、品数は多くないし、売り切れも多いので、ちょっと入った北野下の森商店街にあるお店で買う。京都に行く目的の半分くらいはここの豆腐を仕入れる(そう、仕入れといいたくなるような量を買ってしまうのです)ため。青豆、紫蘇、ゴマ、、どれも納得のいく豆の味。当然湯葉も買うし、引き上げ湯葉、そうして、たっぷり厚い、油揚げ、豆乳。地元の人たちもひっきりなしに買いに来ている。普通のペースで、3000円くらいは買ってしまう。しかし、町の豆腐屋の値段なので、たっくさん買える。ずっしりと重い袋を乗せて岐路につき、帰ったら、夜食は豆腐尽くしと富美家うどん。油揚げは軽くあぶり、しょうゆをかける。湯葉に豆腐も盛り付けて、醤油でいただく。富美家のうどんは、具とだし汁がパックになっているので、お鍋で温めるだけだ。だし巻きを切り、漬物を買った日はそれを添えれば、十分贅沢な、お土産夕餉である。
他には、お茶の一保堂もやはりおいしく、缶がかわいい。
一澤帆布店にも行きたい。
東寺や北野天満宮の骨董市にも行きたい。

やっぱり行きたいぞ、京都。
やっぱり行こう、京都。

どこぞ、お勧めの京都があればお教えいただけるとうれしいです。
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18の秋に

2005年10月11日 | ことばを巡る色色
18歳の秋に読むべき本はなんだろう。18歳で、高校3年生だった時、私が読んだのは、夏目漱石、森鷗外、泉鏡花、ちょっといやいや小林秀雄。
受験生にとって、時間はかけがえのないものである。しかし、本だって読みたい!!問題を解かなくていい本は特に読みたい。しかし、そんな時間はない。そんなときこそ、夏目、鷗外などの明治の文豪の本を読みたい。明治期の文学はたぶん受験生にとって、半分古文、半分現国である。てぇことは、古文、現国両方のチューニングをすることができるという、一挙両得、棚からぼた餅的なものである。古文が苦手なのは、たいていは言葉のチューニングがあっていないからではないかと思う。古文だとて日本語なのだから、「慣れる」ことができれば、大筋の内容は読み取ることができるはずだ。しかし、古文だけをやっていても、外国語のようでなかなか理解できない。それを結んでくれるのが、明治の作品である。
比較的楽に読めるものとしては、夏目の「夢十夜」、鷗外の「舞姫」であろうか。どちらもそれほど長くないし、内容も追いやすい。「夢十夜」は、短編集で、不思議譚のような内容である。一つ一つが暗喩的で、奥深い。また、「舞姫」は、青春譚。古語調でドイツ語を話しているのが楽しいが、お話は切ないものだ。夏目も鷗外も、開国した明治日本を背負って留学した、その時期の日本の才能の先端である。彼らは、当然、子どものころから漢文の素養を育み、言文双方を使い分け、そうして、外国語で生活をするという経験をつんでいる。日本人が持ちうる最高知識の一つの典型といえる。この機に触れておかねば、人生の損失ともいえるだろう。
ちょっと、色合いのほしいときは、泉鏡花の絢爛たる文体で一休みするのもよいだろう。
夏目、鷗外の文体になれてきたら、次は江戸の華、「雨月物語」へと進む。なんとなく聞いたことのある話もあり、これも怪奇譚であるので、その怖さを読み取ったときは、ぞくぞくするような快感がある。笑いたいときは、ずっと時代をさかのぼって「宇治拾遺物語」。下ネタ満載で、愉快である。
ここまでくれば、国語はもう「やなもの」ではなくなっていると思う。

当然、18歳以上の大人の方々にもお奨めしたい。
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「文」について語ってみた

2005年10月10日 | ことばを巡る色色
恥ずかしながら、大学は国文科だった。何がやりたくて国文を専攻したかったかというと、実は、「文体」がやりたかったのです。たとえば、夏目と鷗外は、文体が違う。何行か読むとそれがわかる。いったいその違いはどこから来るのかを知りたかったのである・・・しかし、卒業論文の課題を決める段階になり、それを考えるのはあまりにも難しいということに気づいた。ま、そういうわけで、卒論は、形容詞の名詞化接尾辞における意味の相違についてなんてところで、お茶を濁してしまった。難しそうに聞こえるけど、100マイルくらい逃げてしまった訳です。

画家がその人らしさを一目でわからせるように、プロの技は、「その人」であることが大切だ。文章もまたしかり。ああこの人のなんだわって思わせたら、もうプロの領域に片足を突っ込んでいる。しかし、文章には、色や音がないので、なかなか大変な技である。漢字、ひらがな、カタカナのバランス。語彙、句読点の打ち方、文の長さ。これらが、その人らしさを決める要素となるのだろうが。

私はなかなか気のきいた、おしゃれな文章はかけない。だが、文を書く上で気をつけていることは、ある。
まず、第一に、書き過ぎないということ。文を書いていると、これで本当に伝わっているのだろうかとか、本当はこんなことも知ってるし、こんなことも書きたいのさと、過剰に自分を出してしまいたくなる。そういう文は、後で読み直すと、「わかって、わかって」が表に出てしまい、「とてもうるさい」ものになってしまっている。伝えたいことは、できるだけ短い言葉で書くべきだ。そのために、どの言葉が一番、自分の気持ちに近いのかを丁寧に選んでいかなければならない。それを怠ると、グダグダと長ったらしい説明になってしまう。そうして、「普通の文」を書こうと心がけることが大切だ。これは私の好みなのだが、文章は、文字だけで伝えられるべきものだと思う。だから、絵文字は入れずにいたい。絵文字を使えば簡単に「らしい雰囲気」を表せることも多いが、それにより損なわれてしまうものは少なくない。どうしても、特別な意味合いを持たせたいときは、「ゲンセンチョウシュウ」のように、ひらがなやカタカナで書いてみたりすればよい。しかし、それも、極力少なくしたい。文字が主張を強くすれば、それが先走ってしまい、内容が薄れてしまうからだ。同様に、行間を空けるのもなるべく避けたい。話題が転換するときはやむをえないが、あまりに空の行が多いのも、かえって息苦しいし、過剰な余韻を求められているようで、重ったらしい。
ちょっとした工夫をするといえば、通常は打たないところに読点(、)を打つことで、息遣いを表したり、長い形容詞を作ったり(うすら悲しい、というようなもの)することぐらいだ。
装飾過剰な文章というのも確かに面白い。しかし、それは凡人向けではないような気がする。体の中にリズムを持っている人の過剰さは面白いが、そうでない人は、むしろ装飾しない文章を書く方が、いいのではないかと思う。

読み返してみると、どうも私は色気のない文章しかかけない「心がけ」を持っているようだなんだなあ。よそのブログを読むと、世の中には随分、面白い文章を書く人が多い。よその方々はどんなことに気をつけて文を書いているのかちょっと聴いてみたいな。
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ごんの赤い花

2005年10月08日 | ことばを巡る色色
真っ赤だった彼岸花も盛りを過ぎて、ちょっとぼんやりしてきましたね。
半田のごんの里でも、きっとたくさんの彼岸花が咲いたことでしょう。  新美南吉記念館

「ごんぎつね」を読んだのは、、小学3年生のとき。小学館「小学3年生」の中でした。
お話を読んで泣いたのは、これが生まれてはじめてでした。
ごんがかわいそうで、かわいそうでなりませんでした。
お話の村にいけるなら、「栗とかまつたけを持ってきてるのはごんなんだよ」と兵十に教えてあげたのに、私が優しい、かわいそうなごんを守ってあげたのに。

このお話はちょうど今頃。彼岸花が咲いて、栗の実が落ち、まつたけが出てくるこの時期のお話です。

兵十が母のために採ったうなぎをごんが逃がしてしまったのは、悪いいたずらだったけど、
自分がしたことの意味が、相手にとってどんなものであるのかわからない時っていうのは、毎日の中でもたくさんあります。
相手にとって重大な意味があることに気づかずに、何も考えず傷つけているということもあります。
暮らしていくってことは、それだけで、手探りな、恐ろしいものなのかもしれません。


そんな恐ろしさに気づかず、「平気の平左」で暮らしているのかもしれません。
それに気づいた時、相手に痛手を与えてしまったとわかってしまった時
それを背負って、泣きながら、お詫びをしようとできるだろうか。
傷つけた当の相手から、そうやってそっとお詫びをされた時、素直に受け入れることができるだろうか。

優しい きくさん のことばの中に、 「まるで、涙がいっぱいたまった目で、世界を見ているみたい」という部分があり、数日、この言葉がリフレインしています。
手探りな、この場所で、涙をいっぱいためた目で。ごんと同じように、真っ赤な彼岸花を見ながら。

「ごんぎつね」は、上記新見南吉記念館のHPにて読むことができます。ぜひこの季節にご再読ください。
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迷走のバター

2005年10月02日 | ことばを巡る色色
私の迷走。大人と子にまつわる、私の迷走。
せっかく読みにきてくださったのに、私はぐるぐる回ってバターになってしまいそうです。
kenさんから頂いたコメント
+++++++++++++++++++++++++++++++++++
うさとさんの筆者としての立場は、例えば次のうちのどれに該当するのでしょうか。
・親としてこういう経験をした
・子供の頃、こういう経験をした
・こういう親を身近に(または新聞記事などで)知っていて、問題を感じている
・こういう子供を身近に(または新聞記事などで)知っていて、問題を感じている
・こういう親子関係に共感する(または同情する)
・子供を育てるなら、こういう親でありたい/ありたくない
・こういう問題を感じるから、子供を育てたくはない
・自分は子供だ
・その他
(親という語は、大人と読み替えていただいても構いません。)
++++++++++++++++++++++++++++++++++++

身にしみております。私が迷走していた理由は、多分、これらを書かずに、考えを述べることはできないのだろうかと思ったところから発しているからです。そうして、前回の記事を書きながら、「やっぱり、これらを書かずに述べるだけの技量が私にはない」と痛感していました。
また、
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
前の記事で、コメントを書いているみなさんが、なんらかの形で、自分の立場を表明しているのに対し、うさとさんだけが、立場をはっきりさせず、または複数の立場を混同させながら、言葉を連ねているように見受けられるのです。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
というkenさんの指摘に、自分の卑怯な回避が、迷走を深めているのだなっと思っています。みなさん、ごめんなさいね。

私の心の中には、暗い部屋の中でひざを抱えてうつむく少女がいます。大人になった今も、その子は変わらず、私の中でひざを抱えています。それは私です。
(母には私たちを守る力がなかった)というコメントを書いてくださった方がいます。私もそうやって育ったのだと思います。少なくとも、子の私を守るより、自分を守ることで精一杯な親だったのだろうと思います。そんな時子どもは、自分で自分を守り、「親の親」になってやらざるを得なくなります。「大人」であるほうが「親」をやらなければならないのですから、「親」が自分を守れない人ならば、子どもがその親を「かわいそうに」と思ってやらなければ、家族としては成立しなくなってしまいます。それができなければ、家族を捨てるしかないのですから。
誤解を恐れずに言うのなら、私は、「少女の私」が、かわいそうでなりません。今も時々、少女の私の境遇に、涙を流すことがあります。ほかに誰も、「かわいそうに」と言ってやれる人がいないのだから、こうやって、無事に生き延びて大人になった私が、少女の私に「かわいそうに」と言ってやって、泣いてやって、何が悪いんだろうと思います。あの子を幸せにしてやりたいと思います。しかし、過ぎてしまった時を戻すことはできません。もう一度幸せな子ども時代を送ることはできないし、私を守るだけの力のなかった親に恨み言を言っても、何の意味もないことです。弱い人が弱いのは、その人のせいではありません。それに、家族というのは、自分を満たしてくれぬ恨みと、その相手からの愛を求める心という真逆な感情がいつもくるりくるりと翻っているものです。恨みながら愛し愛されたいと願う。恨んでいないけど、恨んでいる。愛されなくてもいいけど、愛されなくてはならない。そんな宙ぶらりんに私はいました(今も少しはそうかもしれません)そんな気持ちを言えぬままに大人の年になった私は、どこかで大人の私も、子どもの私も満たされることを求めています。心のどこかで、thirstyな気持ちを持っています。ノドがカラカラなのです。子どものときの自分を大人の自分が幸せにしてやりたいと思う気持ちが、おかしい、わからないとおっしゃる方がいらっしゃるかもしれないけど、それが私の正直な気持ちなのです。私を守れなかった私の親を、「親」であるがゆえに恨めない私は、その気持ちをどこにもっていけばいいのか。憎むとか恨むとか、泣き言を言うとか、そんな非生産的なことではなく、何をすれば私の満たされなかった気持ちはおさまっていくのでしょう。
私は本当は、大人になっても、それを過去のこととして清算できていないのかもしれません。だから、こんなにも、迷いながら書いているのかもしれません。「まるで仕返しのように、ちゃんと生きようとしているね」と言われたことがあります。でも、そういう私が今日も生きている。逃げたいけど、逃げず、恨みたいけど、恨まないようにしようと生きている。謝ってほしいのかもしれない。かわいそうなことをしたねと言って欲しいのかもしれない。しかし、そんなことで欠けている部分が埋まらないことも知っている。そうして、年老いていく親に、求めるものはもう、ない。でも、私は私の人生の中で、この欠落を埋めなければならない。死なないで、まっすぐ前を向いて、かわいそうな少女の私のために埋めなければならない。
私の立場はなんだろう。きっと、大人でもなく親でもなく子どもでもなく。傷ついた子どもとして大人になった私という立場。そうして、それを忘れられずにいるという立場。
傷ついた子を見ると、自分のことのように、きりきりと痛い。交通事故をした後、同じような場面にあうと頭の端がぴりぴりするようになるけど、それと似ている。一人の部屋にうずくまる少女の私をつらい目にあわせているような変な気分になる。自分と他人の区別が薄くなる。だから、何かを言いたい、それが、私を救うことでもあるから。
できれば、小さい人若い人にはこういう思いをしてほしくない。明るい未来だけを見てほしい。燦燦と降り注ぐ陽のあたる未来を思い描いてほしい。少なくとも、恨みながら愛を求めるというようなことにはなってほしくない。何の逡巡もなく、大人を捨てて未来に向かって歩いていってほしい。喜んで捨てられよう、そのためだったら。
今までに会った子どもたちに、私は何かができたろうか。もっと、何かができたのではないのか。私こそが、彼らに声をかけるべき人ではなかったのかという自問が私の中にはある。こうやってここにいる私に与えられた役目ではないのかという、焦燥がある。
きっと、やさしい子は、親を捨てることに罪悪感を抱くだろう。だめな親でも、彼はいつもそのだめな親に愛されることを夢見ているだろう。切ないことだと思う。与えられぬつらさに、親を恨む自分に嫌悪を抱くことだろう。でも、自分を責めることはないよと、誰かが言ってあげなければならないんじゃないんだろうか。そうでなければ、その子までだめになってしまわないか。そういうことを、私が言わなければいけないのではないのか。
心の中の子どもの私が、「なんで、言わないの」と、大人の私に問う。
消したくて、忘れたくて、ここまで来たけれど、どうやら、そんなことは私にはできないらしい。だから、私は言わずにおられない。

本シリーズは、ここで終わりです。お読みくださった方もお疲れでしょうが、私もどっぷり疲れました。申し訳ありません。ありがとうございました。でも、違う形でまた、書くことになるとは思いますが(またいつか、です。すみません。)
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a child in the room

2005年10月02日 | ことばを巡る色色
暗い部屋の中で、ひざを抱え、一人うつむく子がいる。
わたしは尋ねる。
今のわたしは間違っていない?わたしはあなたが嫌いなことをしていない?

人はなぜ、悩んだり、つらい思いをするんだろう。
それはきっと、みんな、愛されたり、わかってもらったりしたいためじゃないかな。
夜中に騒音を立てて走り抜けていくあのバイクの少年も、道で殴りかからんばかりに誰彼かまわず毒づくあの青年も、長いこと自室にこもって親への恨み言を駆り返すあの子も、怪しいサイトで知った男にお札を握らされているあの子も。会社にいけなくなって公園に座ってるおじさんも、キッチンドランカーの主婦も。
はじめに有ったのは、もっと愛され、もっとわかってもらいたいということではなかったのか。
「愛」なんて書くのは、とても恥ずかしくって、陳腐だけれど、でも、本当はそういうことじゃないのかな。
「拒絶する心」は、「受け入れらることを求める心」から発しているというパラドクス。


大人も子どもも、心の底でそれを求めていて、満たされたいと願っている。ただ、大人はその心に折り合いをつけ、やっていくべき人だ。なぜなら、大人は「やめること」「違う場所に行くこと」ができる人たちだからだ。
大人は動物で、子どもは植物のようだなって思う。動物はそこに餌がなければ、餌があるところに移動ができる。でも、子どもは動けない。光や水が注ぐのをその場所で待っていなければならない。大人は引っ越したり、会社を辞めたり、離婚したりできるけど、子どもは一人では学校を辞めたり、違う親の子になったり、一人で部屋を借りたりできない。その点でわたしは「寄る辺ない存在」だと思う。
大人も子どもも愛を求める気持ちは同じだけれど、大人が子どもに求めるとき、それは子どもに重くのしかかる。「こんなに一生懸命あなたのためにやっているのにどうしてわからないの」「親だって、いやなことはあるんだから、わかってよ」「大人に向かって、その口のきき方はおかしい」「それがいやなら出て行きなさい」「親の気持ちもわかってね」というようなことは、どこかで、子どもの愛を求めてはいないだろうか。(当然、家族の有り方はいろいろなので、これらが全て、子どもに愛を乞うものでないことも多いとは思うが。)
大人は子どもよりは世慣れているので、うまく口に出すが、その底に、自己愛が勝つ気持ちがありはしないのか。「殴る」という行為にも、そんな子どもへの甘えがあるように思えてならない。「もっとわたしのことわかってよ」という気持ちがありはしないのか。
「子ども」の中の少なからぬ者たちはそれに耐えられない。「植物」な彼らはどこにも逃げていけないし、物理的には何もリセットできない。そんな人たちに、「大人」が愛を乞うのは、卑怯な仕業だとわたしは思う。「出て行けない」「殴り返せない」「期待に応えられない」子どもに、それは重すぎる。
悲しいことだけれど、世の中には、「愛を与える」のでなく、「愛を求める」大人が多く存在する。そんな中で、子どもは疲れ果てたり、自暴自棄になったり、さまよったりする。それが大人にはなかなかわからない。自分は子どものためにやっているし、わたしだってつらいんだし、と思ってしまうから。子どもが子どもである期間はそんなに長くはないのに。すぐに一人で動けるようになるのに。
「愛を求められた子」はどうなるだろう。動けぬ植物の身を持ちながら、心だけは大人になり、親の要求を聞き、いい子になって、「愛を与える」側を演じるかもしれない。いわゆる不良行為に走り「求められる」立場から降りようとするかもしれない。そうして、「愛を求める心」が宙吊りになる。満たされぬ思いを抱いて、「大人」になる。「大人」になった子どもたちは、自分の子に愛を求めるかもしれない。わたしはこんなにつらいから、わかってねって思うかもしれない。でも、そのメビウスの帯は、どこかで正しく繋ぎ直されるべきだと思う。
だから、わたしは問いかける。
本当は、思っている。子と接するなら、「大人」になりなさいと。やせ我慢でも、いい。心の中は子どものままで、愛されたいと思っていてもいい。ただ、子の前に立つとき、「与える人」になってほしいと。そうしてそれだけが、「大人」にとって満たされ、与えられることであると。「与えられる」ことだけが、満たされることではない。「大人」のあなたは、「与える」ことが満たされる方法である。降ってくるのを待っているのは、植物の仕事だ。だから、あなたは与える大人になってほしい。
(このシリーズ、わが道独走ですが、走れなくなるまで、書くしかないという気持ちです。走り終わったら、またもとの道に戻るつもりです。また、いろいろに読まれるのもいいなっと思っています。)
コメント (9)
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