うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

ゆく年、御礼

2006年12月31日 | ことばを巡る色色
何とか仕事場のお掃除も終わり、やっと年末気分。
皆様、本年は私の身勝手な文章にお付き合いくださいまして、本当にありがとうございました。
年頭に掲げた目標、お掃除とか、預金残高一億とかは、ちぃっとも達成できなかったけれど、今年は近代建築めぐりという、新しい熱中も見つけられ、そうして、皆様にあたたかいコメントを頂き、本当に幸せな一年でした。ありがとうございました。
来年も、身勝手自分勝手に邁進したいと思います。一億貯める、とかはどうでもよくなってしまった。ただし、年末ジャンボはちゃんと買ってあるので、まだまだ望みはあります。そうして、実はね、来年は学校に行きたいな、と思っています。子供のときに背負っていた、果たさねばならないこと、生き物としてのお役目は、私はもうやれたのかもしれないなあって思っています。だから、今度は、私のために、誰かのために生きてみたいなあって思っています。
とは言え、とにかく熱しやすく、冷めやすい私ゆえ、どこまでその思いが続くか、自分でも不明です。でも、そろそろ、そういうのもいいかなって、ゆく年に思っています。

とにもかくにも、本当に、本当にありがとうございました。来年もなにとぞよろしくお願いいたします。          (画像:名古屋 三井住友BK)
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深い衝撃

2006年12月25日 | ことばを巡る色色
今日はクリスマス。キリスト教者でない私には関係ないお祭りだけれど、よそ様のお宅のイルミネーションを見学にいったりした。皆さん、毎年、アイテムを増やし、加熱していく一方。電気代が心配で仕様のない私は、きっといつになってもしないだろうけど、見学はただだから、イブは見学ドライブ。
そう、昨日はイブだった。明日からの仕事の準備にイブとクリスマスの今日はお休みにしたのだけれど、「イブ」というお祭りにもかかわらず、昨日のメインは、ディープインパクト。お馬さんだ。昨日も強かった。私は馬券を買うわけではないので、ただただ、ディープインパクトの寡黙な走りを見ているだけだ。後方からゆっくり力を溜め、加速をつけ、一気に抜き去る。当たり前だけれど、お馬はインタビューに答えたり、手を振ったりすることもなく、黙々と走り去っていくんだなあ。ゴール前の他を寄せ付けぬ走りは、最盛期のカールルイスのように、とにかくきれいで、何度ニュースで見てもあきない。いいお馬だなあ。文句もお愛想もなく、7冠馬だすげーだろうーなんて威張ることもなく、ただ走る。「私、こんなだらだら生きててごめんなさい」って謝りたくなる。

わたしの育ったところは地方競馬の町で、小さい頃からお馬をよく見た。交通標識にも馬の絵で「馬に注意」ってのが立ってるくらいだ。子どもの頃は、既製服で景気がよかったんで、いっぱい中小縫製屋のおじさんが馬券を買っていた。風が吹くと捨てられた馬券がチリチリと舞っていた。こんな町の隅まで飛んでくる。町中紙吹雪だ。たくさん勝ったおじさんは、夜には料理屋でどんちゃん騒ぎ。三味線のお座敷遊びとかが漏れ聞こえてくる。同級生には厩舎に住む子もいた。今回騎乗していたジョッキーもそうだ。騎手になる子、蹄鉄屋の子、厩務員見習いの子。みんな学校が始まる前、朝5時から馬の世話をして登校していた。勉強なんて関係ないさ、といっていた。そういいながら小柄な彼らはちょっと寂しそうだった。競馬場にも行った。あの時、父は何を私に語っていたのだっけ。馬の話をしていた。幼い私に。なんだったのだろう。思い出せない。

圧倒的に強い物は誰とも戦っていない。強い物は静かだ。走るということに身を捧げてる。だから、人でも人以外でも、本当の強い物をいつまでも見ていたいという気にさせる。ひれ伏したくなる。拝みたくなる。人の渡世のうじゃうじゃした物なんて、どうってことないやって気になる。こういうものを見るために生きてるさってね。そういうものを見たときの気持ちを心の中に深く深くスタンプしておく。いつかそんなものの何かに近づくための目印になる。そういうものがいっぱい身の内にあると、それだけで、もう十分である気がする。時々思い出しては、拝んでみる。スポーツ紙とかに書いてる「感動をありがとう」って安っぽい言葉だけど、私も心から思うよ。「ありがとうね、ディープよ」
でも、ホントはさ、もうちょっと見たかったなあ。
           画像 オールドノリタケ art deco 三面馬柄灰皿
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ファッショ じゃなかった ファッション

2006年12月22日 | ことばを巡る色色
ずっとずっと、ほとんど格好というものを気にせずに生きてきちゃった。
いわゆる無難な路線というやつを走ってきちゃった。私が若かった頃(詩の一節ではないけれど)私は本当に貧乏だったので、そうして、バイトしたお足はお芝居と映画を見ることに費やしていたので、服だのなんだのを買う余裕はなかった。
というと、なんだけれど、本当は面倒だったのよね。毎日毎日考えて服選んでってのが。いきおい、なんだか無難なところで落ち着いてしまう。ま、いいか、私を見てる奇特な人がいるわけでなし、誰と競うわけでなし、と思ってしまったため、とにかく大事な要素は「らくらく」なことに走ってしまって、花ある時代を過ごさずに来てしまったぞ。
今年夏の定番は印度綿のぞろりスカート。とにかく夏は涼しいのが一番。だからって、あの化繊の裏地は絶対いや。行き着いたのが印度綿だったってだけ。
更紗風の模様はちょいっと地味派手だけれど、なんせ機能第一なんでね。トップスはTシャツ。これも涼しいが一番。お手持ちの札は、紺黒灰そうして深緑。
冬は暖かいに尽きる。そうなると、裏ボア付カーゴにタートルネック、重い服は肩がこるので最近はめっきりウールセーターやコートは着なくなってしまった。フリースか、高機能ジャケット。おかげで小学生時から悩まされていた肩こりからは解放されたけれど、印度スカートとカーゴに甘やかされたウエストは人間失格な感じになってしまった。お買い物はもっぱらユニさんかフリマ。試着をするというのも面倒なので、似合わなくてもあと腐れないお値段のものばかし買うようになっちゃって。
無難 なんと便利な言葉でしょ。なんと便利なスタンスでしょ。後ろ指さされるほどのものでもない、という意味ですね。裸ではないけれど、石投げられるとか失笑ではないけれど、とにかく放棄ということですね。ここ長らくの私の格好といったら、身分不詳。望むところさ、っと思う時期はとっくに過ぎているんだろうにね。
いいのか!ほんとにいいのか!わたしよ!!
かくなる上は(何の上だ?)いっそのこと、年齢も煮詰まってきたことだし、ロックになってみようか。もう、きっとなんでも許されちゃうだろう、うん。
とりあえず思いつくのはどんな格好だろう。慣れぬ事ゆえ、ホントにとっぴな物しか浮かんでこない。お出かけは着物!とか、全身プリント!とか、SyowaレトロGoGo!とかレースまみれ!とか、まっくろくろすけ!とか。  はあ、前途多難か・・・

        画像:米国マテル社バービー1963カタログブック
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時期遅れ版・いじめについて

2006年12月20日 | ことばを巡る色色
死にたがる子、死んでいく子に、多くの偉い人が語りかけて、名の或る人も、そうでない大人も何がしかの感想を語っているけれど、それらの多くがぴったりこないのはなぜかな。それらの言葉は何でも吸い込んでしまいそうな闇の中にひゅううと飲み込まれていく。それはなぜかな。実体も質量もない言葉と思えてしまう。届かねばならぬところには配られないのはなぜ。
大人がこどもを思いやるとき、それは外れて、肝心なところとすれ違ってしまう。それは、その大人が、自分はそれを乗り越えてきたと思っているからだろう。何とかやってきたと思っているからだろう。だから君もがんばり給えという。乗り越えれば明日は待っているという。それはその通りだ。しかし、まず問題なのは、語った大人自身、本当に乗り越えてきたのかということだ。自らはそう思っているが、それは錯覚であることが多い。乗り越えたのではなく、うまく見ぬ振りをして大人になったり、本当は強弁なこどもだったりしたということもある。また、死にたがっている子が求めているのは、今日どう過ごすかということであるという問題もあるのに、それを語っていないということもある。遠い未来の話より、まず、明日どうすべきか教えて欲しい、というこどもになかなか大人の声は届かない。正直なところを言うと、大きく取り上げられた時期に読んだ大人の言葉のほとんどは、ウソ臭い物だった。その通りだと思えたのはたった2つだけだった。
それはきっと、死にたがる子を思いやった上でその発想の間違いを指摘する人が少なかったからだ。「君は悪くないのだ」と妙に優しい声で言っていたり、「もっと強くなれ」と叱咤したりだった。大人が大人の立場で話している。少し思い出せばいいのに。自分が子どもだった時の、ほんとに些細なことを気にしていたりしたことを。
苛められ追い詰められた子は、とにかく相手の前から逃げるべきだし、大人はその実践的方法を一緒に考えたり教えたりすべきだ。しかし、「死」という方法でけりをつけようとするのは間違いであるか、病的であることをも教えるべきだ。それが本当の大人としての役割であり、「育てる」ということだと思う。「死にたくなる君の気持ちはわかるよ」というだけでは、十分ではない。
幼い復讐。死によってしか晴らすことが出来ないと思いつめている。強い恨みの気持ち。しかし、それは無益だ。そして卑怯なまねだ。死は時を切断するものだからだ。死んだからといって恨みを晴らせるわけではない。ほとんどの物はなくなったものを忘れながら生きていく。死のうと死ぬまいと恨みを買うことをしたと気づく人は気づくだろうし、気づかない人は何百人が死んだとて気づかない。そうして死はexcuseを拒絶する。極悪人であれ、裁判には弁護人がつき、地獄では弁明が許される。しかし、死はそれを拒む。あの時はごめんねという一言にさえ耳をふさぐ。「あの時あんなに私は辛かったんだよ」と言うことも未来永劫不可能にする。いじめの最中「やめてよ」というのを相手が聞き入れなかったのと同じことを自分もするということだ。それでしか復讐が出来ないと思うことは幼い。死は世の中の全ての人を捨て去るということだ。どんな行動よりも残酷で冷たい。優しい言葉をかけてくれた人も、落し物を拾ってくれた人も、にっこり笑ってくれた人も、おいしいラーメンを作ってくれた人も全部全部を自分から、ばっさりと切って捨てることだ。友達から捨てられていることに傷ついていたのなら、その何倍も残酷で冷酷なことを自分がしようとしていることの間違いに気づくべきだ。その残酷さに気づかねば、自分が酷いことをされて傷ついたことも否定することになってしまう。傷ついたものだからこそ、人を傷つけることはしてはならない。その傷が不当な仕打ちから出来たものであるなら、その辛さを知っているなら、他人には酷いことは出来ぬはずであるからだ。
まずはその場を立ち去れ。そうして力を溜め、逆襲をしろ。ぐうの音も出ぬような形で。君がさげすんでいたヤツは、こんなに君を越えたものだったのだと万人が否定できぬ形で見せ付けてやれ。そのために生きてもいい。嵐の日は身をかがめていいのだ。それに向かって歩かねばならぬわけではないのだ。そうして風が凪いだら立ち上がって歩き始めればいい。
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濃黒の夜空から

2006年12月18日 | ことばを巡る色色
ふと、忘れてしまったはずのものが湧き立ってくる。それは暗いどっぷりと濃い黒い夜空から。くるくるとネットの網を渡っていて、藤原新也の新刊書があることを知った。黄泉の犬。藤原新也。印度の河の犬と死せる体。茫洋と雑草の生える人の住まぬ金属バット親殺しの家。少なからぬ人がパルコの片隅で物悲しい洋楽が流れるのを聴きながら覗き見てしまった写真を忘れたはずの今も遠く歩いてきてしまった今も胸の奥に持っている。印度の河と東京の住宅地のあの光景を胸の奥に持っている。漂流する東京。ミルクの松田聖子。幻の都。あ、沢木耕太郎。そうだ。あの頃、いや、いつの頃?読んだ本、見た光景。童夢。幻魔大戦。アキラ。コインロッカーベービー。赤江漠。ぼくの大好きな青髭。ドグラマグラ。裏日本には地下鉄はなかったはずなのに。バンスキングのばくまっちゃん。海の向こうで戦争が始まる。色セロファン。なんて胡乱な風なんだ。その時代を私はもう、忘れてしまったと思っていたのに。
かわいていたのかしめっていたのかわたしはいまもわからない。
セピアなんて洒落たものではない。古本屋の埃臭いにおいの薄黄土色の。その時代を私は歩いていた。「戦後」とか「団塊」とか「バブル」とか立派な名をつけられもしなかった私の世代よ。

※※※ ※※※
最近の記事はどうも、暗い。さぞや、コメントもつけにくかろう(けんちゃん、bubeさん、本当にいつもありがとう。涙滂沱です)
でも、読んでくださる方がいなくとも、私は書こうと決めた。とにかく書き続けよう、この場所で、と決めた。どうぞ、そうさせてください。
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蒐集狂

2006年12月16日 | ことばを巡る色色
私は「はまりやすい」。気になりだすとたまらない。集めたおさねば気がすまない。好きになったもので知らないことがあるなんて絶対いや。世の中のあらゆる情報を知り、食べて食べて体全部がそれにならないといや。それは「憑き物」と呼ぶにふさわしい。集めるということだけでなく、好きになった作家、音楽。一日中それに浸ると、ある日飽和点に達し、憑き物は落ちるという繰り返しの人生だ。しばらく続いていたオールドノリタケ狂いも、飽和点を見たようで、最近は近代建築に夢中だ。今日の新聞に岐阜の「日下部家」移築の危機という記事が載っていた。たまたま今日は岐阜の市街地方面に所用で出かけたので、ぽっかり空いた土曜の午後、岐阜近代建築巡りをした。
まずは旧加納市役所。扉は閉ざされている。
               

次は岐阜市合同庁舎。こちらも土曜はお休み
              
のぞくとつるつるの大理石の向こうでぼんやり部屋の明かりがついている。随分前、初めて入ったとき、ひんやり冷たい広い石の階段に感嘆の声も出なかったっけ。

そうして、「日下部家」。しばらく前までは和館の方も「吉照庵」という蕎麦屋だった。打ち水をした細い通路を入っていく店だった。
                
壁には、「2件先に移転しました」とある。黒壁は静かだ。隣の洋館は今、「石原美術」という画廊になっている。    
              
やはりここも石造りの階段を持つ館。「ドグラマグラ」の博士はこんなところに住んでいたか、と思った。記事では、和館の維持が難しくなったので、他県に移築する予定があるということだ。おうちが売られていくということなんだろうか。日下部邸があるのは岐阜市米屋町。地名も美しい。
地方が弱くなるということはこういうことなんだ。おうちが売られていくということなんだ。

物を集めるということは、執着である。拘泥である。
心ひかれるものを見出し、一つ一つを自分のものにしていく。虫ピンで昆虫を止めるように我が物とする。手に入れようとする時の沸き立つ気持ち。その時、我が物でないという不自由から解き放たれる。しかし、蒐集るということはもう、それだけで不自由なことだ。次はこれを、次はそれをという気持ちで心は縛られる。最近の世の中ではこだわるということを、高等なことと見がちであり、こだわっている人を持ち上げる。しかし、こだわるという言葉の本来の意味は無用の執着であり、避けるべき心根というマイナスイメージを持つ。こだわるとは拘泥である。「拘束」と字を同じくする、束縛である。己の意思で集めているように思い、我が物とする自由を有したのだと思っているが、「もの」に絡めとられている。我が物にせねばならぬ心の鎖だ。ぐるぐると巻かれて、その中で歓喜している。教えの本には、捨てるべきものとしてこだわることを挙げる。執着は捨てねばならぬ煩悩であり、こだわりを捨てられぬ人は無間地獄に落ちると諭す。若い頃の私はその意味がわからなかった。執着するからこそ文明は進化したのにと思っていた。が、古いおうちを見に行くようになり、私は最近ちょっとだけ地獄行きから離れたようだ。我が物にならぬとも、その価値は揺るがない。
少し日も暮れてきた。行き当たりばったりにおうちを見ながら、私は自由だ。古いおうちは雨やら風やら年月やらに曝されて、静かに立っている。何物からもプラスマイナスゼロの地点、ニュートラルなところで。少し忘れられていて、少し死んでいて、少しだけ困り顔で、心細そうで、素敵だ。
私は昔から、蒐集狂いをしながら、その裏腹に、私など手も出せない物に恋焦がれていたのかもしれない。私などがどうやっても手にいれられないものに熱狂したいと思っていたのかもしれない。そうして今、恋焦がれているのに、私は縛られておらず、私は自由だ。大きく息を吸ってみる。大人になることも悪いことではない。       
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胡散臭い

2006年12月13日 | ことばを巡る色色
人は何を胡散臭いと思うんだろう。私は、晴天白日の下、真っ白というのを見ると胡散臭いと思ってしまう屈折した人間だ。「正しい」というところに何の疑いもなさそうな物を、何の疑いもなく賞賛できるほうが、人間としてはかわいらしいのだろうけれど、どうも素直にYESと言えない。言ってはいけない気がしてしまう。何も人生の中で極悪な人に騙されたわけではないし、石を投げられるような目にあったわけでもない。苛めるよりはむしろ苛める側だったろうし、底辺で喘ぐ人であったわけでもない。でも、申し訳ないけれど、あまりに正しそうなものには警告ランプが灯ってしまう。完璧に正しい物なんて世の中にあるのだろうかという気持ちがあるということだ。人間は完璧に正しくあれるのだろうか。完璧な美しい心を持てるのだろうか、ということだ。私は心の中でそれに、否、と言い続けている。正しい物の裏には必ず、それに傷つけられる物、それにより損なわれる物があると私には思えてしまう。全き正しき物は、それを黙殺していないのかと私には思えてしまう。明るく眩しい太陽のように、正しいものには目が眩む。目を眩ませる。暗いものを見えなくする。青空の下で笑いながら歩く家族。子は親の腕に自らの腕を絡めている。それは全く正しいものだ。しかし、その光景を涙をこらえてみている子もいる。その子と自分の間に何の違いがあるのか、なぜ自分にはあれがないのか、そう思っている子もいる。もちろん家族に罪はないけれど、存在すること自体が、刃になることもある。明るく正しいものには、どこかそんな残酷さがある。
正しいものは自らの正しさを疑わない。正しいものは正しくないものを否定して成り立っている。確かにそれは皮肉れた考え方だろう。ある意味では幸福なことに、そうしてある意味では不幸なことに、私はそんな皮肉れた考え方をしながら、致命的なリスクを避けて生きてきた。そうして、それによって何とかやってこれたのだと思ってしまっている。だから、いつも、否定の余地のなさそうな正しいものを疑ってしまう。
最も危険なものは、大抵、正しい顔をして近づいてくる。目くらましの正しさだ。反論できぬ余地を与えぬものは大抵胡散臭い。そもそも物事は完璧には出来ていないものだと思う。森羅万象は、一つに完全を与えることを許してはいない。「もの」は本来、それだけでは不完全なものではないだろうか。不完全で少し悪かったり欠けていたり足りなかったりするということが物の本質ではないだろうか。それを完璧に仕立てるには、必ずどこかに嘘が必要になる。そうして、完璧に見えるものは嘘を巧妙に隠している点で罪深い。それが私が「胡散臭い」と思う理由かもしれない。正しくないものの「正しくなさ」を抱きしめて生きていけたらいいなあ。自分の正しくなさから目をそらさずに生きていたい。「正しくない」ことがわかっている人はかわいらしい。ちょっと心細そうだけれど、生き物が生きていくってそういう心細いことのような気がする。

先日知人と話していて、学習障害の話になった。障害は数値で表せるものでないもの、基準が明確に出来ぬものと私は思っている。総合的に日常生活に支障があるかどうかで線引きがされているが、どこかの分野で、誰もが境界線上にあるのではないかと思っている。計算が出来ない、本がすらすら読めないというのはわかりやすいが、喋りすぎたり、気が付きすぎたりするのもある意味での「障害」ではないかと思う。「そうやって考えていくと勉強ができすぎるっていうのも障害だって私は考えているんだよね」といった私の言葉が知人にはわからなかったようだ。知人の子は最上偏差値を必要とする学校に行っている。理解できない・感受性が低いというのが障害ならば、理解しすぎる・感受性が強すぎるというのも、どこかで異常であり、その意味で日常生活の障害であろうと私は思うのだが、知人にとっては、受け入れられぬ考え方だったようだ。しかし、「出来る」ということのみをプラスの綱の向こう側に入れておくのは、変じゃないだろうか。「出来る」ということを「正しい」と決め付けてしまうことは硬直した考えでないか。

生き物はどのように作られているか。生き物は強いもの、正しいものが生き延びているわけではない。弱いものが淘汰されているわけではない。自然はその選択をしない。あるのはその状況に合っているかどうかということである。しかも、自然は遠い遠い未来の可能性も残しながら時を刻む。それが多様性というものだ。食糧難の時代に繁栄したDNA は、飽食の時代には循環器障害などを発症し生きづらい。また、飽食の時代に健康な人は、食糧難になると真っ先に栄養障害になってしまう。しかし、自然はそのどちらのDNAも絶滅させようとは思わない。いずれ来るとも来ぬともわからぬ様々な形の時代のためにそのDNAを持つ人を残して時を刻む。自然はいつも大きな河のように、流れをその土地の形に合わせながら変え、しかも水をこぼすことなく流れていく。弱いものはいつかの時代に強いものになり、強いものは弱いものになる。自然はその未来のためにどのDNAもこぼすことなく進んでいく。今という時代にはそぐわなかったとしても、それは、北極の氷河が形を変えるような未来のいつかを生き延び、救うものであるかもしれない。そのために用意されているのかもしれない。

だから、本当は完璧に正しいものなんてないんじゃないのか。足りないものも欠けているものも許されているのではないのか。それを抱くことの出来ない社会は、それ自体が自然に逆らっているのではないのか。「正しいもの」だけが生き残っていく世の中は、生き物の住みかではない。私たちは胡散臭い異界を生きているのかもしれない。
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プアジャパン

2006年12月11日 | ことばを巡る色色
10日ほど前に引いた風邪がなかなか抜けきらず、先週は低速飛行だった。お休みの日曜も、近場にお買い物に行った程度で終わってしまった。秋の日の怒涛の名所名跡名邸名庭めぐりも、一休止になってしまった格好。ちょっとねた切れでもあったし、毎週のお出かけだったので、燃料低下となっていたのかもしれない。内職はやっと終わったけれど、途中で発熱休憩だったので、やりきった気分がしない。と思うまもなく、もう年末。残念ながら、預金額一億ははるか遠く、「ワーキングプアⅡ」を見る。もう、景色が見えたときからどきどき。ひょっとしてあのシャッター街は、あの山並みは、わが町ではないか。・・・わが街岐阜でした。「低迷する地場産業のあおりを受けてワーキングプアが増えている街」の代表になっている。まあねえ、一昔前まではどこのおかあちゃんもミシンを踏んでいたものだ。マトメ(ボタンつけとか糸切とか)の内職もたくさんあったし、街中の用水路はプレス屋さんの流すお湯で蒸気がたっていた。今はといえば、安売りスーパーにチュンゴレンのお嬢さんたちがちょいと派手な格好して自転車に乗ってやってくる。
多分間違えているんだろうと、思うよ。付加価値のある新規展開の失敗したんだろうよ。たとえばユニクロが岐阜から出た企業だったら、違う展開があったかもしれない。たくさんの箱物に旧県知事が費やした税金を違う使い方をするべきだったんだろう。世の中が泡の時代に浮かれている間にね。
昼下がりの街にラジオとミシンの音が聞こえる前は、そう、どこからも機織の音がした。既製服は、傾いた機織の仕事からの移行だった。笠松競馬は副社長の母ちゃんにミシンを任せた既製品屋の父ちゃん社長で溢れていた。ざぶざぶと日銭が入って、柳ヶ瀬はまっすぐに歩けないほど賑わっていた。そう、そのとき母ちゃんのいうことを聞いて幾ばくかでも小銭をためておけばよかったのさ、って言うことは簡単だけれど、あれよあれよという間だったよね。
賢い者、強い者、大きい者、先を読める者、そういう人たちが、「当然の利益」を受ける世の中である。
しかし、国は、既製品屋のおじちゃんやおばちゃんに、ライフモデルのシミュレーションを示したことがあったろうか。国民年金はあなたが65歳(前は60だったね)になった時これだけしか出ないし、その上健康保険やら税金やらもこれだけ払わねばなりません。病気をしたらこれだけの預金を持っていないと、治療費が払えません。だから、60になるまでにこれだけは預金をしておいてくださいね、ってちゃんと数字を示してくれたろうか。せめてそれをしてくれれば、父ちゃんも母ちゃんも計画的に老後や病気になったときを描いたろうに。でも、多分、国もそんなこといっこも考えずにいたんだろうな。だからコロコロ税制も保険料も変えて、役に立たないとこに集まった税金やら保険料やら使ってる。そうして、今も国は若い人たちに、その数字を示さない。早く言えばいいのに。この国で暮らしていくには大きな企業の正社員になって定年まで社会保険を払い続けなければ駄目ですよ。それが出来ない人は、この国では生きていけませんよって。それはみんなみんな自己責任ですよって。私の生まれる前この国には公的保険制度なんてなかった。そんでもみんな何とか生きてこれた。まさか国はその頃とおんなじだと思ってはいないだろうね。その頃は地域共同体が強固だった。村に困ったお年寄りがいれば、おかずの一皿も持って訪ねたろう。しかし,今この国はそれを持っていない。それが「美しい」あり方であったかどうかなんて関係ない。今あるのはそれを持たない国としてのこの国の現実だけだ。弱い人には生きる場を、若い人には生きる術を、そんな簡単なことさえ損得づくのいやらしい議論の中で混ぜこぜにしている私の母国よ。
こうなったら、病院は国営にしてしまって医療費は全部無料、社会保険も源泉徴収しちゃう。なぁんて、私の策も陳腐なんだけれど。共産主義みたいだけれど。ミギとかヒダリとかいうのも辟易。アノ時代の人たちは陣営を守ることばっかしで辟易。仲間(せくとトカイウノカナ?)作りばっかしで、誰が味方で誰がよそ者か、そんなことばっかししているうちに、こんな国になってしまったんじゃないのか。革の付くとことか、民青とか、幼い私はポカーンと見ているだけだった。その人たちはちゃんと企業に勤めてそろそろ年金生活かな。
若い人よ、この国は厳しい国だ。議論に浮かれて、R⇔Lなんてしている時間はないかもしれない。遠浅と見えた浜は深みを隠し持っているかもしれない。
なんとかしなければ。なにをすればいいんだろう。

購買予定「タペストリーホワイト」「知られざる福澤諭吉」
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ドーハの火

2006年12月06日 | ことばを巡る色色
やっぱり本格的に風邪を引いてしまい、久しぶりの高熱に、お休みもテレビを見ておとなしくしていたわたし。まだ、ちょっと引きずっているのだけれど、何とかお仕事はこなしている。
というわけで、この週末は、ドーハとフィギュアスケートだった。
真夜中、風邪が喉にコンコンとノックをするのを感じながら、ドーハのアジア大会開会式を見た。うとうとしていたのだけれど、まさに目覚しき開会式。ご覧になりましたか。イスラム圏初の開会式は、ざぶざぶと石油を撒き散らすような豪華な物だった。2時過ぎに始まり、とうとう5時近くまで続き、最後まで見てしまった。西欧とちょっとだけの黄色人種の物だったスポーツの祭典での開会式。私はそんなことにさえ気づかなかったのだと、衝撃だった。イスラムの人々の思いはそれまでどれだけ忸怩たるものだったろうか。それを一気に晴らすような、百花繚乱満願全席豪華絢爛経費天文学的開会式だった。しかし、イスラムの国も産油国であることの恩恵にあずかっている人が多数というわけではない。その中でも、ドーハはどうしても、あの、オリンピックの開会式のどれにも劣らぬ開会式をしたかったのだろう。しなければならなかったのだろう。国家とか、民族とか、宗教とか。そんな気持ちがあることを私はあれを見るまで気づきもしなかった。今も複雑な気持ちが心の中にある。あれだけのものをしたドーハに拍手を送りたい気持ちと、そのような形で国家や民族を顕示しなければならないという現実と。
たくさんのたくさんの花火が、終わるときなどない様に打ち上げられた。油田が天に向かって噴く火のようだった。
先日見たクイズの問題を思い出した。地球の原油埋蔵量は、琵琶湖8杯分。それを巡って、表や裏で、あの火が燃えている。しなくてもいい戦争や密約や内戦が。
煌くドーハ。あなたは美しい。それを否定しない。あなたがしたかったこの宴を否定はしない。でも私は、もう一度うつむいて考えている。

おっとフィギュアの話はまた今度。
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はたらく

2006年12月02日 | ことばを巡る色色
はああ、とにかく内職ラッシュ第一弾プチ第二弾をこなした!!
今日は大物初物第3弾がやって来たけれど、思ったより仕事は少なくって、だからうらうら。ふふ、人間なんと言ってもお仕事や。働いて、自分の食い扶持を稼いでいる人はそれだけで真っ当な人生だ。考えてみると、長い長い間働いてきたもんだ。高校のときは親戚の家庭教師。それから、家庭教師数件、大手スーパーの年末売り子、歳末の餅売り、ウエートレス、スナックホステス(!)、福引のアシスタント、試験監督、文字連ね系の内職、試験採点、データ入力、選挙のウグイス嬢(今ではこんなお仕事もないわね)こんな人生の中、ちゃんと社会保険に加入していたのは、たった3年。社会保障システムから守られないところで生きてきたんだな。
「所属している人」は苦手だ。守っているから。自分の所属場所を守るとき、人って本当に残酷になるし、意地を張るし、周りのことが見えなくなるような気がする。君の守っているものは本当にそんなに意固地になる価値があるんでしょうか?そんなにすばらしい物なんでしょうか?何より、相手は守られることを望んでいるんでしょうか?
これはあくまでも私の私的な意見なんだけれど、人間には守られるべき人と守られなくてもいい人がいる。それを間違えると悲しい諸々がやってくる。そうして守られるべきときと、そうでないときもある。これも間違えてはいけない。
皆が信じているもの、守るべきだと信じている物って、そんなに堅固なものなんだろうか。うちの会社とよその会社とか、うちの子とよその子とか、うちの家族とよその家族とか、相手を傷つけても守らなければならないって、本当は錯覚じゃないのかな。
そうそう、社会保障の話。世の中に困ったことが起こっているんだけれど、それは守られるべき人が過剰に「選択の自由」と「自己責任」を負っていること。その反対に、多分守られなくとも自己判断の出来る人は、その先見で、守られる立場を謳歌している。年金なんてなくても暮らしていける人が年金を貰い、年金がないと暮らせない人がもらえない。そういう間違いではないんだろうか。
守られなければならない人を守ることは面倒なことだ。いちいちを決めてやらないといけない。手間もお金も掛かる。非効率的だし、儲けにはならない。そりゃ、毎日会社に出てきて、仕事をパキパキこなしてる人を誰だって正社員にしたいよね。だから、ちょいと社会生活が苦手な人に対して「厚生年金のあるとこに入る必要なんてないんだよ、自分の好きに生きるのがいいんだよ」と言いくるめているんじゃないんかな。
同じことは「神様」にも言える。世の中には神様が必要な人がいて、必要でない人がいる。昔々は、みんな貧しかったから、どこにでも神様がいた。でも、誰かが神様を日本人すべてから取り上げてしまった。平気な人もいれば、そうでない人も居るのに、取り上げてしまった。いわば「お天道様の沈黙」。朝遅く起きても、だらしなく生きていても、見ているものはないんだから平気だね。
若者は、とにかく2年は社会保障のある会社に勤めるべきだと思う。そうすれば自分が社会保障の要る人かそうでないか少しは分かるだろう。そうしてお天道様と読み書き算盤だよね。「希望」って、練習は人を変えると信じることだよね。立ち止まらず、歩き続ければ、いつかは少しずつでも、変わっていけるって信じることだよね、自分も、他人も。
昨日、なごやに車で行った。次の予定まで3時間ばかしぽっかり空いてしまったので、中村ユニーに行き、パンを買ったり、中村大門辺りをそぞろ歩いてみたり。それでも時間が余ったので、中村ユニーのフードコートで、スガキヤのあんみつを食す。猛烈な睡魔に襲われ、フードコートの硬い椅子、壁にもたれて1時間眠ってしまった。目覚めたらどっぷり風邪を引いていて、今日はぼんやりしている。少しだけ、いい気分。体はだるいのだけれど、感覚とか思考とかは幕を張ったように、ぼんやり。続きを書こうと思ったけれど、いい気分に浸っていようかな。
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