うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

王者の帰還

2023年07月26日 | ことばを巡る色色
昨夜、井上尚弥の試合を見た。地上波で放映されないのは、日本国民にとっては残念だけど、何はともあれリアルタイムで見せてくれたLeminoさん、ありがとうございます。
ボクシングの王者は昨夜もやはり、王者の試合であった。
王者の仕事は「時の支配」であり、「場の支配」である。多くの人は、対戦相手を支配することと思っているかもしれないが、王者は人に勝とうとしているのではない。であるからこそ、王者は王者であるのだ。藤井君しかり、平野君しかり、である。人に勝とうと思っている人は結局、人との戦いの中でしか戦えない。王者が時と場とに戦いを挑んでいるからこそ、私を惹きつける。気負いなく見つめ、先を読み、狙いをすますこと。浄らかな戦いを見ることは人としてこの上ない喜びであり、またその時を味わいたくて戦いを見に行くのだ。
昨夜もそんな戦いであった。

2年前に思っていたこと、同じ思いを昨夜も味わわせてくれたのは、やはり彼が王者であるからだ。お帰りなさい。

「理解と一打」  2021-06-16
https://blog.goo.ne.jp/admin/editentry/?eid=3ae1a68f654ba2a74efe41d1ffd095fe&sc=c2VhcmNoX3R5cGU9MCZsaW1pdD0xMCZzb3J0PWRlc2MmY2F0ZWdvcnlfaWQ9JnltZD0mcD01

20日がもうすぐやってくる。井上尚弥の試合だ。
ずいぶん前、彼の試合を始めて見た時の衝撃は忘れられない。それまで、ボクシングというのは、打って打って相手にダメージを与え、攻め続けて決着をつけるものだと思っていた。その時の彼は相手を追い詰めて、一瞬時が止まったように、少し笑みを浮かべてパンチを出した。「ああ、笑っている」と思った。それは相手を(見切った)ということなんだなと、初めて分かった。間合いと距離を測りながら、ちょっと相手にたたかせたりしながら、最適の瞬間、最適の位置を見切った時、相手を仕留める。見切ることは相手を深く理解することだ。
その時から、彼以外のボクシングの試合がつまらないものに見えてしまっている。
戦いは、血みどろの力任せのものではないのだ。最もダメージの少ない静かな一瞬を見切ることが大切だ。相手と対峙し、相手を知り、受け入れ、後にも先にもない一瞬を見極める。その戦いは美しい。相手の時間と距離を自分の中に取り入れながら、自分を失わず相手を打つ。
そうだね、戦いは、自分の強さを誇示することではない。軽いフットワークで相手を見つめ、ちょっとぶつかったりしながらも決定打を食らうのを避け、相手を的確に知った者だけが勝者となるのだね。それは、日々の戦いとも共通している。
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稚き地点

2023年07月10日 | ことばを巡る色色
あまりに不調が続くので、その意味を考えてみる。自分に起こる出来事は、偶然のものであって本来、必然に有する意味はないと私は思っている。が、意味付けをする意味はあると持っている。なぜ、今、私にこれが起こっているのか。古の言葉で書かれた碑文を解読するように、あれやこれやを繋げてみるのだ。こう読み解けば、こういう分岐が見えてくると考えてみる。
あれからこれまでの長い間、私は何に囚われてきたのか。変えたい道を変えないのは、きっと変えないでいる自分が好きなのだ。変わらない自分でいたいのだ。変えてしまうと自分でいられるかがわからず怖いのだ。
稚日女尊から始まったいろいろを私はそう読み解いてみた。だから、もう一度、変わる前の私へと、囚われる前の私の地点へと行ってみよう。それは稚き日の私であり、そこから、もう一度生きてみろということなのかもしれない。それも素敵なことだ。寺山が、一番最後でもいいからさ、世界の涯てまで連れてってとうたっていたあの地点から。わたしよ恐れるな。恐れず進めばよい。
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鳥羽の女神の伊射波神社

2023年07月06日 | ことばを巡る色色
先日、旅行割最後の機会と思い、特に選ぶでもなく鳥羽のホテルに宿泊することとした。所在地の地図を見てみると近くの岬の中に神社がある。伊射波神社、万葉仮名の神社だ。これはこれは行かねばならぬ。
鳥羽一の宮に比定されているが、最も行くのが大変な一の宮とのこと。下の駐車場から、アップダウンある道を1キロ以上行かねばならぬらしい。宿泊翌日、安楽島舞台の駐車場に行くと地域の皆さんは茅の輪作りの最中だった。行くのは大変ですかと聞くと、1人の方が乗せていってくださるとのこと。途中は慣れない人ではとても踏破できぬ山道が続くが、花
、草木の話をしながら案内してくださる。確かに確かに、登ってくるのは大変だ。だが、数組の老若男女のカップルとすれ違う。夏至のこの時期、鳥羽は太陽を讃える。夫婦岩も伊雑宮も、赤崎神社も太陽が最も盛んな夏至を祝う。
この旅の後、私は実は困ったことに襲われている。鍵を落とし、マダニに噛まれ、発熱し、近所のおばあさんとぶつかり、パソコンは壊れ、体調はいまだぼろぼろである。
伊射波神社の方は優しく、神社も海も岬も優しかった。そこからみる太陽はさぞや美しかろう。
だが、これだけの難が続くのだから、ここでお礼を申しておくべきだったのかもしれない。
太陽の強くなった日、鳥羽にお迎えくださった鳥羽の女神様。そう言えば、去年もコロナ前も私をこの時期に鳥羽にお招きくださった、鳥羽の女神様。私はなんの由縁もわからぬ者だが、この時期に迎えてくだる理由があるのかもしれぬ。
この一連の出来事に体力もついていかぬ私ですが、また、太陽の地を訪れる日がやってくることを。次はどのような形になるのか、楽しみにしたいと思います。

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