うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

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観世音

2011年08月30日 | ことばを巡る色色
そういえば、5月にこんなものを書きかけて、投稿し忘れていた。
季節はずいぶんずれていて、申し訳ない。
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ゴールデンウィーク後半初日早朝
国道8号を抜け、石山寺から月ヶ瀬を通り、京都奈良の県境に向かう。
途中、西国札所の岩間寺。黄砂に煙った新緑の山が連なる。
この先6キロ醍醐寺 とあるが、また後日伺いましょう。
西国三十三カ所は観音巡礼。観世音菩薩は水の恵み。水の浄めである。
くねった山道を通り、円成寺へ行く。
庭園の池から望む高い楼門は浄土の入口であるかのように聳える。
山間で春の水はそこかしこで音を立てて豊かに流れる。
初来の本尊が十一面観音であったのもその所以であろうか。
そして、それ故の春日社と白山社。厳に素に坐しておられる。
運慶の大日如来座像。若い春の水のように印を結ぶ。
運慶の作ったあるべき姿としての完全なる形。そこに彼の天才と世界の完全を見る、
また、峠を越えて海住山寺へ。
十一面観音様は奈良博にお出かけであったが、見事な枝垂れ桜の揺れる道を登り、五重塔を拝す。
山を下り、京田辺、観音寺。十一面観音立像を、触れんばかりに拝す。
お利口な十一面観音さんは、確かに春に拝すにふさわしいかもしれない。
プリマベーラ であろう。
妖しく見透かされているような渡岸寺のお方。厳しく問い糺されているような聖林寺のお方。
仏像はその足元に跪き、額づいて拝すものであり、
見透かされ、問い糺されるために拝す。半眼の眼差しはそれ故にあのように、
額づき見上げた わたくし を見据えるのであろう。
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ツブツブツブヤク

2011年08月11日 | ことばを巡る色色
春先に、天から仕事が降ってきて、
戦場のようなその職場を含め、
カレンダー上は週休3日、3つの仕事を兼業中ナリ。
なんだか無闇に忙しい日々をしばらく過ごした。
間隙をぬって、寺社巡りをする。
時々は世間の人とも関わって、
お座敷がかかれば、喫茶店に出向く。
とうとう、一般道で、新潟まで行ってしまう遊民となる。
もはや、社会人として
何望むなく、願うなく
できれば誠実に、身に降りかかる仕事をこなしていこうと思う。
雪のないこの時期は、隔週のペースで、
国道156号や41号で、長良川・木曽川を上流へと遡る。
山や川や人気もまばらな里が、隔週で麻薬のように必要だ。
名勝でなくとも、名のない山の風景であっても、
その全てが 美しく清い。
源流近くの山の大気に祓い浄められたいのだ。
朝廷の力も及ばぬ山中は、片仮名の地名にあふれていたり、
風土の秘密が隠されていたりして、激しくスリリングだ。
できるだけ小さく廉価で少量の物を、持ち、食べ、着たいと思う。
わたしの形は人から忘れ去られ、
わたしの言葉や行いの要素が忘れられぬことを願う。
相変わらずのデカイ態度で、瑣事を仕切り
不遜な態度で、諸事をなで斬りしてはみるが、
心おきなく忘れ去られる人となることを願う。

そこに行ってみる ということの意味の大きさが少しずつわかってきた。
神仏への信心とか何とか、いっこもないんだけど
その場に立つと、そこの神仏が感じられるということが
あるということとか なんとかが少しだけわかる気がする。
この国の人々の畏敬とかなんとかがね。
今回の大きな災害を巡る人為的事故で
この国の大気と水と海、
私たちが畏れ敬ってきた森羅万象が汚れてしまったことは
痛ましいとか悲しいとかの言葉ではあらわせぬもので
思い出しては泣くしかできないようなことで、
ふさがらぬ傷口から終わりなくだらだらと血が流れ続けているようなことで、
ある。
無抵抗の海や空気や水や土を人を蹂躙してしまった罪を
どのように償うことができるのか、
その罪をどう解釈していけばいいのか
今の私はまだ、その重大さに立ちつくすばかりで、
なにも思いつくことができない。





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sacred places as asyle

2010年12月21日 | お出かけ
ここしばらくは、寺社を巡っている。
もとはと言えば、茶碗→oldnoritake→洋館→街道・歴史的建造物→ って流れである。
流れ自体、不純 である。不純ついでに朱印帖持参である。
巡っているのはほとんどが文化財指定、これまた不敬である。
忘れもしない、あの秋の日。国道41号の上に走る高速道路の向こうに山間の村を跨いで大きな大きな虹を見た。あんなに大きく鮮やかな虹を何年も見てなかった。
目的地は白山長滝神社だったのだけれど、観光案内で奥に白山中居神社というのがあるというのを読み、小雨の中を向かった。阿弥陀ヶ滝に寄って、上へ車を走らせ、林間の注連縄の結界をくぐり着いたのは、聖なる場所の杉と橋と潔斎の川と磐境とお社だった。
偶然の気まぐれで来たのだとは、とても思えなかった。私は不純な不敬な人ではあるが、これはもう必然の場所だと思えてしまったのだ。
その秋は不思議なことに、寺社に出かけるたびに、虹やら彩雲やら龍雲やらを見た。
私は必然に従って、古聖地巡礼をしている。
不信心の私が何を信じ拝しているのか、自分でもよくわからないが、これはこれで、私の信仰であるのかもしれない。人は、特に大人になってしまった人は、自らの必然に逆らわず、身を任せるのが正しい道のりであるように私は思う。

世の中ではpower spotが人気とのこと。当然ながら、私もそんな人たちに最近はよくご一緒となる。戸隠奥社は、初詣のような凄い行列で、そこかしこから「パワー」って言葉が聞こえるし、可愛いお嬢ちゃんたちがいっぱいだし。人出のあまり奥社まで辿りつけなかったり。鞍馬寺では、小学生の会話から三角の石のとこで拝むのがパワースポットって知ったり、貴船神社は手をつなぐカップルだらけだったりするんだけど。
何かに取り上げられているから行ってみるって、もったいない方法だと思う。そんなマニュアルに従わなくっても、聖なる場所は、そこに立てば、聖なる場所である。「行く」ものでなく「体感する」ものなんじゃないかなって思う。
なんだか、アブナイ人みたいだけど、確かにずいぶん、アブナイ人になってるかもしれないけど、知己の人々には引かれそうだけど、そう思う。
休みになると、車を走らせて行きたくなる。山と石と湧き水と川と滝と森と地と風と雲とが、ここは聖なる場所であると教えてくれる。森羅万象と古代からの思いを「神」と呼んでいる場所は、ざぶざぶと細胞のアクを洗い清めてくれる。邪念の徒である私には、それが必要の必然、なんだろう。

岐阜、滋賀、京都、福井、富山、長野、奈良、和歌山を中心に巡った。いい場所に住んでいるものだと思っている。出雲の方が遠いのは残念だけど。ココからはアブナイ人がちょいと独り言を発しますよ。
強く体感したのは、大斎原。入った途端に総毛立ってしまった。凄いところだ。さすがに上皇がのめり込んだ熊野。小栗判官が甦生した場所だ。
貴船神社奥社。なぜか左半分にピリピリした感じがしちゃった。本殿から冷たい空気が出ているかのように、その通り道だけ息が白くなって流れる。由緒書き通りの龍穴なんだろうな。
上賀茂神社 雷の名の通りピリピリする三角錐の二つ山。
石上神宮 ものすごく気持ちの良いところだ。神器を振る布留。物部の聖地だから岐阜の民には気持ちよく感じるのかなあ。
御上神社 ここも心地よい。さわやかで優しく心地よいところだった。
白山中居神社 やっぱり特別な場所なんだろうなって思う。
忘れがたいところはまだまだある。
丹生都比売神社(姫は山間の小さな郷にあまりに美しい御身を秘していらっしゃる)
戸隠神社奥社(あまりの混雑に遥拝しましたが、お山とお山の岩や雲が凄かった、九頭龍で。)
平泉寺白山神社(苔も美しいけど、中世都市も目もくらみそうだけど、やはり御手洗池)
室生寺(奥の院への参道の木立が)石山寺(奥の池あたりが本来の場所かな)

なぜ私は、それを必要とし、必然としているか。
最小限の暮らしをしている。最小限の物を買い、最小限の人と会い、最小限の仕事をし、最小限のものを欲す。
最小限のことを望む。であるから。

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for ten years

2010年12月18日 | ことばを巡る色色
失われた10年というフレーズがあるが、私にとってゼロ年代は空白の10年かもしれない。
本を読まなかった。唄を聴かなかった。映画を見なかった。テレビもほとんど公共放送だった。そして、人にも会わなかった。
この間に読んだ本は、年に3,4冊くらいのものだったろう。
ミレニアムな年の前後に好きだったものを、私は10年の間、直視することができなかった。

ふと動画サイトを見ていたら、GRAYのWINTER AGAINをお勧めされてしまった。
GRAYの中では唯一、この唄と厳寒の中で唄うこの曲のPVが好きだった。
そして、恐る恐るTHE YELLOW MONKEYを聴く。
毎日聴いていたときがあった。不器用な熱情だ。ぎりぎりの、落ちてしまうことが予定されたタイトロープだ。その時、私は人生最後の長い鬱の時間だったので、この人たちを聴いていることだけが薬だった。彼らはその後、結局バンドとして戻ってくることはなかった。それは当然の結末だったろう。あんな時を、誰だって続けることは苦しくって無理だ。
そして、私は、彼らの唄をラックにしまい込んだ。もう、苦しくってとても聴けなくなってしまった。バンドとしての彼らがいなくなってしまったということか、辛い時期に聴いていたということか、時代が変わったということか、理由を決めることに意味はない。予期せず聴いてしまったときの胸の痛感が理由だからだ。
あの頃の、EGO-WRAPPIN'「くちばしにチェリー」 椎名林檎「ギブス」 hide with Spread Beaver「ピンクスパイダー」  窪塚洋介「少年H-オトコ姉ちゃん」「SOS」 小栗旬「SUMMER SNOW」 宮沢りえ豊川悦司「青春牡丹灯籠」

夕方になり、鳥は寒空を飛んでおうちに帰る。あすの朝やってくるときには、もうあすの鳥になっている。あすの朝にはもう戻ってこられない鳥もいる。私の好きなやつもほとんどが行ったきり、だ。あんまり素敵過ぎるやつは素敵過ぎる自分に耐えられないんだろう。自分に誠実であればある程、苦しくて耐えられなくて変わらなければならないことと変わってはいけないことに辛くなってしまう。そんなことは長くは続けられない。そして、残された絵だけはそのままに色褪せずにある。変わることと変わらぬことの両方を求められながらに。

そんな刹那な輝きとは別の意味ではあるが、極めて私的に辛かった私は、あの頃、唄を聴き続け、ドラマを見続け、苦し紛れにイタリアに行ったりシンガポールに行ったりした。
だらだらした失望が絶望になっていて、漂白剤でざぶざぶあらわれているみたいな、崖の先で風に吹かれ続けているみたいな気持になっていた。そして、どうしようもなくなって、カンジナイコトにした。
辛いとか苦しいとか悲しいとか感じないでるといつの間にか自分のまわりは凪いだけれど、私のどこかが死んでいるんだなあ、と思った。
自分のどこかが死んだまま、茶碗を集めoldnoritakeを買い漁り洋館に彷徨い街道を辿り寺を巡り社を拝した。
自分を裏切って緊急避難していた、自分のどこかが死んでいるとわかっているのに。だから、本も歌も映画もドラマも人も全部ダメで、ちょっとの風も怖くて籠っていた。
やっと あの頃のが 見られるようになったことの意味は何だろうと 今の私は考えている。







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drop-dead gorgeous

2010年11月20日 | ことばを巡る色色
君が今もここにいたら、
教えてあげたいなって思うことに、ときどき出くわすよ。
君に教えてあげていればよかったなってことにも、ね。

ここしばらくは、ちょっと夢のような気分になっていて、
それが drop-dead gorgeous って
今日知ったよ。
すてきでしょ、
drop-dead gorgeous
君はこんな言葉を知っていた?

私が言えないでいた言葉を、
君は望んでいたのかな。
言ってしまえばよかったのかな。
そうすれば、違っていたのかな。

落ち葉が鳴っている。雨かな、それとも猫が歩いているのかな。
そんな真っ暗な夜の中の波に乗っていけば、
あたしの言葉もめぐりめぐってたどりたどって
君に届くかな。

いつか、ここではないところで、
ここではないところにいる君と会うのかな。
その時は、たまった言葉を教えてあげるね。
おねえさんでおかあさんでこいびと になってあげるね。
それは君の間違いではなかったと言ってあげるね。
たくさん話をしよう。ちゃんと会って話をしよう。

drop-dead gorgeous
きっと君も気に入ってくれる。

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神なき時代の神仏習合その4

2009年11月18日 | お出かけ
何度か検索を繰り返し、HPやらブログやらを読み、ネットの森の中にさまよいながら、数日かけてやっと少しわかってきた。
どうやら、ご夫婦の語った二つの地を往復することを勧めているブログがあるらしい。
そのブログは人気ブログであるらしい。
ブログ主は本も出していて、心酔者がいる。
心酔者は二つの地に参ることを実践しているらしい。
二つの地を往復することでDNAが活性化し、不老効果があるらしい。
 
そう言えば、はじめの神社でも、なんだか似つかわしくない、いわゆるアラフォーの女性二人がお参りしていた

恐る恐る、そのブログを覗いてみた。
コメント欄は毎日何百とカウントされている。ブログ更新のお礼やら、夫婦の不仲やら、婚家との不仲やら、実家との折り合いやら、腰痛やら、鬱病やら、子の引き子守やら、ペットの死やら、頭痛やら 世の中のありとあらゆる悩みと体の不調についての独白と、お祀りの仕方と サプリメント等の使用のあり方などなどが 隣の男性が唱えていた言葉と共に書き込まれている。

そうか、わたしはその真っ只中に、何にも考えずに入っていってしまったのだな。
悩みも、解決すべき問題も持たずに、お気楽に。
多分、拒絶感はそのせいだったのだろう。私はそこのコメンターでもないし、二つの道の実践者でもないのに、立ち入ってしまったのだな。
図らずも、わたしはその御山ゆかりの仏様を先月に拝観しているし、図らずも春にもう一つの地にも行っている。今年に入って二つの間を何度ももちろん何も知らずに往復した。
が、不老となるどころか、このことを知ってしまって、気持ちはあまりよくない。
私の神様仏様は イノセントな明るい無邪気な神様仏様だからだ。
私は寺社がいつも拒むことなく無言でそこにあっていただければ、それでいいのだ。
ちょいと失礼してお邪魔させていただきます という私を受け入れてくださればいいのだ。そこにあると思えるだけでしあわせなのだ。
有史來、多くの拝む人の心が、私の拝む対象であるのかもしれない。

世の中にはなんと悩みの多いことか。なんと悩みを抱く人の多いことか。
私にだって、悩み事や気がかりなことがないわけではない。けりをつけたいこともある。しかし、それを神仏に願うことはしたくない。イッパツ解決なんてものを私は信じない。それは大抵マガマガシイ物だ。イッパツの解決を願う自分もどこか汚らわしい。世の中のことはほとんどがイッパツでは解決しない複雑に絡み合ったものだ。すっきりした解答なんて高校受験の数学までで終わっている。その先は即座に解決しないものであり、人はその解決困難さを受け入れるべきだ。
人は古来、神仏にイッパツ解決を願い、裏切られたと感じてきた。それは神仏のせいでなく、絡み合ったものを絡み合わぬものとしてみたかったがゆえの逆恨みではないか。自らの咎を棚上げしたがゆえの失敗ではないのか。「神仏」というのを「他者」と言い換えなければならないかもしれない。他者にイッパツ解決を願い、かなえられぬと裏切られたと思うことは、人を幸せにしない。
解決しない世の中の前では、祈る。そうして解決していくのは自分でしかない。


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神なき時代の神仏習合その3

2009年11月15日 | お出かけ
古代の神が住まう杉木立の前の拝殿に私は招かれざる人であるように座っていた。
10人あまりの車座の人は三々五々散って話をしている。関西からのご夫婦は雨で濡れた上着を脱ぎ、持参の風呂敷に丁寧に包んでお参りをしている。なんとご丁寧なことと、作法も知らぬ自らが恥ずかしくなってしまった。
違和感は神官さんから発せられたものではない。ということはこの見えぬ被拒絶感は、参列の人からのものなのだろうか。杉木立の神の拒絶でなければよいのだけれど、と思った。わたしが今まで参った神様はそんなことはなかった。どの神様もそこにすっくと居られ、動かれることなくご挨拶を聞いてくださる。唯一、夕方の上鴨神社で感じたピリピリした感じに少し似ているけれど。
雨で濡れた足を気にしながらお参りする。私は招かれぬ者でしょうか。来てはいけないところにお邪魔してしまったのでしょうか とね。もちろん、神は沈黙している。神はいつも何も語らない。
が、私の隣で参っていた人品卑しからぬ温厚そうな男性は沈黙してはいなかった。
それは神への感謝の言葉だったのだけれど、呪文のように3度繰り返された言葉がはっきりと私の耳に響いた。むしろ誇らしげに私に聞かせようとするかのように唱えていたのだ。
下座に戻ると他の人々の話が途切れ途切れに聞こえる。皆楽しく談笑しているが、漏れ聞こえる地名から、村の人の他に数人が遠方から訪ねてきた一家であることがわかった。高速を使わねば4時間はかかるところだ。
先ほど隣で唱えていた男性と他の人が話をしている。この人たちも時間をかけてここまできたようだ。「ブログ」とか「霊感」とかいう言葉が聞こえる。
私は、混乱の極みとなった。
新興の宗教のようなものか?でも神職さんはこの長い歴史を持つ神社の方のようであるし。わからぬ。とにかく私の理解を超えている。
先ほどのご夫婦と再び話をした。「滝は紅葉が素晴らしかったですよ」と言ってもあまり興味のない様子で、ここには2度目だということだ。
え?関西からこの奥の神社に2度もおまいりか?
話が弾まないかと、私も寺社巡りをしていることを話してみたが、このご夫婦からも拒絶感があることに気づいた。
どうしてこちらをお参りですか と聞いてみた。
ご夫婦は古くからの信仰の地であるこのお山と、別の参拝の地をつなげておっしゃったのだけれど、私は「熊野古道」やら「中山道」やらのような古道を巡っておられるのだなと思って聞いた。
なんだか、割り切れぬ気持ちのまま、来た山道をくねくねと走って里へと帰る。「あっ」と気づいて思わず声が出そうになった。二つの参拝の地は遠く遠く離れている。二つを繋ぐ古道も新しい道もない。この二つを繋ぐ話などきいたことがない。
どういうことだ。どういうことだ。どういうことだ。

家に帰ってネット検索をした。
まずは神社の名で。 寺社の紹介とか釣り人のブログとか。なにも らしい ことはない。
次は ご夫婦の語った二つの参拝の地
そして、隣の男性が唱えていた言葉。
わらわらと hit
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神なき時代の神仏習合その2

2009年11月12日 | お出かけ
前記事(神なき時代の神仏習合その1)のように私は最近寺社を巡っている。

心の中では、神なき時代の★明るい★神仏習合
もしくは ★イノセントな 無邪気な 他意なき ★神仏習合 って思って私は寺社巡りをしている。
国宝指定って、やっぱすごい。きっと国宝鑑定人(?)も、最後にはオーラみたいので、これは重文これは国宝って決めているんじゃないかなって程、国宝のオーラはすごい。最近新たに拝観した竹生島本殿も高月町の十一面観音像も、もう近くによるだけで、体内のDNA螺旋が活性化され沸き立ち、龍のように天に昇っていくほどだ!平伏し、へへぇーと言いたくなってしまう。こんなにも素晴らしいものを見せていただいてありがとうございます、なのだし、生きていれば出かけていって見せていただける、あそこにずっといてくださると思えるだけで、生きていることが嬉しくなる。
以前に拝観した、法隆寺百済観音像も広隆寺半跏思惟像、興福寺阿修羅像 
漢字ばっかしだけれど、そりゃあ美しかった。

で、先日の休日、ある寺社に出かけた。
山岳信仰とあいまって中近世には多くの民が講を組んで出かけ賑わったところだ。お山は田に水を恵む。故に田の民はそのお山に巡礼したのだ。お山までの道すがらには点々とお山を祀る寺社がある。お山への道は講の人々でさんざめいたことであろうが、今は静かに寺社が眠るばかりである。お山の口の村に向かう途中の寺社は川沿いにある。船を使って参拝したのだろうか、川に向かって参道が続く。大きな奉納絵馬がかかっているが、月日の中で字はかすれてはっきり読めない。ここはまだ田の民の住むところだ。そこからどんどんとお山に向かって走る。
お山参りの入り口の村の寺社は文化財指定の仏像が宝物殿で拝観できる。端正な仏様だが、訪れる人はほとんどいない。大銀杏は小山の中ほどまで黄色く色づき、紅葉はほんのり赤く染まっているのに。
町の観光パンフレットを見るとお山への参拝道には滝があり、その先にも寺社があるとのことなので車を走らせる。雨の中、カメラ人が二人いるだけの滝は錦秋の中にあり、赤やら黄色の葉が舞い散っている美しい滝だ。雨の中なのに、かすかな虹が見えた気がした。
つづら折の道を登る。そこは山の世界だ。こちらに向かって流れていた川の流れが気づくと進む方向に変わっている。分水嶺を越えたのだ。そして村があった。山を越えた中にあるとは思えぬほどの戸数がある。参拝宿であったろうと思われる民宿もある。かつてはお山に行く人がこの道を通ったのであろう。

山道の右と左の木を使って注連縄が張られている。ここからは神の域。その先の神社。抱えられぬほどの杉が林立し、杉の巨木の間に3人が並べばいっぱいなほどの参道がある。参道は石の階段となって川へと下り、橋を渡るとまた上る。そこがこの神のお住まいだ。苔むす磐境。神は長いことここに坐しますのだ。
拝殿では、人が車座になっていた。神官さんがいらっしゃる。偶然にも参拝の日にお邪魔したようだ。
ふと、この村の人ばかりでないような気がした。
私の住まう郷の鎮守さまには「お宮当番」というものが数年ごとに順繰りである。だから氏子の新嘗祭のようなお祭は見知っているのだけれど、どうも雰囲気が違うのだ。何がとは言えぬけれど、違うのだ。
今時は 地方の観光協会がうたう名の知れた寺社も、お祭りの日でもなければ、参拝している人はそんなに多くない。大概はお年寄りの一人二人にすれ違うくらいである。こんなに山深い神社に他所の人が参りに来ているのだとしたら、どういうことなのだろう。
そういえば、参道を来る時に一緒になった品のよいご夫婦は関西からだとおっしゃっていた。高速道路休日料金はこの山の奥にも人を運ぶかと思ったけれど、一言二言交わした中に、妙な違和感があった。車座の人たちを見て、この村の人でない人がいるかもしれない、と思った時に感じたものと同じ感じだ。
それは、私の ★明るい イノセントな 無邪気な 他意のない★参拝を、どこか非難しているような気がしてならぬものだった。
それは、この杉木立の中に坐します神の拒否なのか、参拝者の拒否なのか、わからなかったのだけれど。
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神なき時代の神仏習合その1

2009年11月11日 | お出かけ
現代は神なき時代であるっ!この日本においてどれだけの人が真剣に神なり、仏なりの存在を信じているのであろうか。いや、確かにおられるのだろうけれど、例えば聖典仏典に書いてあるようなことを真実だと思っている奇特なお方がどれだけおられるだろうか。少なくとも私は、畏れ多くも持ち合わせておらぬのである。
が、寺社巡りをしております。
多分、この遍歴は
オールドノリタケ→洋館→近代建築→歴史的建造物→寺社仏閣 古街道 宿場 城下町
って過程を辿ってきたのだけれど。だもんだから、巡る神仏はほとんど文化財指定されてるとこだったりする、罰当たりのものだったりするのだけれど、休みのたんびに巡る巡るという状態ですよ。
そうなのだ。きっとこういうのって本当に罰当たりなんだろうなあって思う時もあるのだけれど、お寺もお社も、本当に素敵だ。建物って無機物なのに、もうそこにあるだけで拝みたくなる。もちろん、仏像さまも、飛び切りのお方は「神々しい」という言葉は、神様の存在を信じるとか信じないなんてちっぽけなことはひょいと越えてしまったところにちゃんと存在しているのだと思う。
思えば、学校で習った日本の歴史は宗教についてなんてちゃんと教えてくれなかった。それだから、神社では二拍手だけれど、お寺ではそうしては駄目とかっていうしきたりがあって、寺社は分離した信仰だと思い込んでいた。
でも、古い寺社に行けば、神社と寺院が同じ敷地に隣り合って建っていて、本当は仲がよかったのだとわかる。神仏分離というのが明治政府の「政策」でしかなかったことがわかる。
私は今の今まで、そんなことさえちゃんと知らなかったよ。日本人が1000年も前から神様も仏様も一緒に拝んじゃってるってことを知識としては知ってた気がするけど、本当には知らなかった。
ちょっと、いいな、って思った。
区別差別なしに、信じちゃうよ、拝んじゃうよって昔の日本がしてきたことって、ちょっといいんじゃない?
ありがたい、と思えば、それ勧進、ってちょっといいよね。

そんなんで、文化財指定と聞けば出かけ、御開帳だと聞けば出かけ、出かける途中で案内板が出ていれば拝み、の日々なのだ。
古い寺社は名水にちなむところが多いので、湧き水も汲む。故に車には水汲み容器と石段を登るための携帯ステッキは常備なのだ。
秋に巡ったのは 長命寺 竹生島宝厳寺 白山長滝神社 津島神社 国府宮神社 曼荼羅寺 日吉大社 渡岸寺十一面観音様 御朱印もいただいちゃう。

何にも知らなかったのだ。日本の宗教に関するいろいろ。教科書は本当のところを教えてくれていなかった。わずかに残った私の知識欲は、刺激されまくっている。宗派とか、歴史的な事象との関わりとか、もう知らなかったことだらけで、謀られていたのか、私は、と思わんばかりだ。
寺社を巡るたびに、人っていいな、おもしろいな、って思う。
誰だかわからぬ人が、名もない人が この荘厳な建物を建て、神々しくも勿体なくもありがたい仏様を造り、数知れぬ人が拝んで、寺社をお守りしたのだなあ、って思う。そういう、人の心はかわいらしくありがたいなあと思う。
私ごときのちっぽけなものに、神仏を信じてないからけしからんなんてぇ器の小さいことは、全く気にもかけぬように、寺社や仏像は気高く佇む。そこにあるというだけで、拝みたくなる。神仏の区別をつけず拝んできた歴史の中の人々は、そういうこともわかっていたのではないかと思う。
空一面の夕焼けや開き始めの蕾が美しく拝みたくなるのと同じなのではないかと思う。
拝みながらも、ほとんどの場合願い事はしない。寺社を見せてもらいに来ているだけの私なのだから、訪問の名乗りとお礼を言う。それぞれの寺社にはそこをお守りし信仰している氏子さんや檀家さんがいらっしゃり、よそ者の私が願掛けなどせずと、この時まで、ここにあり続けていることと、私の訪問を拒まずにそこにあることをありがたく思うばかりだ。寺社の空気の中にあるだけでよいと思えるものがある。その上願い事など、欲張りなまねはしなくていいのではないかな。
きっと、こういう大きな大きな寺社を造り、人の技とも思えぬような仏像を作る人の行為の中に神仏があり、それを長い時間守ってきた人たちの気持ちの中にありがたきものがあり、その神様仏様を、私は拝みに行くのだな。 
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ええじゃないか 麻吉

2009年04月14日 | お出かけ
なぜか、いけない街には、小暗い急な坂がある。遊蕩の街への坂である。坂は曲りくねっていて、人を誘うが如き名を持つ。

そう。泉鏡花が育った金沢の主計町にあるのは、「暗がり暗闇坂」寺の裏を抜けて茶屋町に下る坂である。男が通る。女が通る。子が通る。皆違うことを考えながら、坂を通る。

おかげ参りに出かける。内宮と外宮に通じる古市参道。そこにあるのが古市の街だ。そこはもう、「都おどり」のもとになったというような、芝居小屋やら茶屋やらを思わせるものは何にも残っておらず、近所の婆さまが語らい、通園鞄を提げた子が母に手を引かれる、昼下がりの住宅街の細い道となっている。
古市に江戸の賑わいを残しているは、この坂と一軒の旅館だけだ。

「手振り坂」
誰が振る手か。誰に振る手か。その昔、男が通り、女が通った坂。その坂に向かって振った手は、両側に建つ「麻吉」の中の人。
「麻吉」は坂を挟んで両側に今もある。東海道中膝栗毛にも出てくる建物だ。坂の上を「麻吉」の廊下が渡る。
伊勢古市はぽってりと八重桜の咲く。
電話のお姐さん伊勢言葉。「まあねえさん、ええやない」と少しおまけをしてもらって、一泊朝食つきをお願いする。
今日は他に客はいないと見た。
入り口からまっすぐの部屋に通される。15畳の部屋は前面に朝熊山、右はやはり桜咲く野。開け放たれた障子からの眺めはお江戸のおかげ参りに連れて行ってくれそうだ。思わず、ため息が出てしまった。
往時の什器を飾る蔵は坂に沿って4階層になっている。もう自分がどこにいるのかわからない。考えれば考えるほど、階段の魔にはまり込んでいってしまいそうだ。

ええじゃないかの旅なら、そうして、好事の方のご宿泊はどうぞ、「麻吉旅館」へ。ネット予約なら一泊二食10500円よりにて、登録有形文化財、木造六階建てにお泊りなんて、素敵すぎるでしょ。
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