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うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

ファースト

2025年07月21日 | ことばを巡る色色
たぶん、与党がどうとか、新興勢力がどうとか、つまり、議席数とか、不徳の致すところとか、そんな問題ではない。
この国だけでなく、ワールドワイドに、分断とか、ポピュリズムとかということをもっと考えなくてはいけないのだろうと思う。
個人の個々の不満や生活していく中でかかっている負荷は、言えなかったけど言いたかったあれやこれやを言えば、それは「真実」なのだろうか。マイノリティが優遇されているとか、この国の民ファーストとか、を吐き出せば、本当に幸せになれるのだろうか。
私をファーストにしてくれないってのを言えば満足なのか。いったい何と戦っているというのだろうか。自国の経済の不振を他国に関税をかけることでガス抜きするってことが、本当に、自国の経済を振興することになるのかって、私たちは思っているはずではないのか。政治家には有権者の支持が「イッチョウメイチバンチ」だから、簡単に支持が得られる手を打つのは、本当に有権者の幸せを考えている人であるのかを考えればよいはずだ。
分断という二者択一の中で考えるのは、簡単な手段だけれど、マイノリティを批判することは、自分がまた違った種類のマイノリティになることを想定しない悪手であるし、分断で支持を得ようとする人の思うつぼではないのか。わかりやすいイクスキューズなしの過激な言葉で閲覧数で稼いでいる人たちの思うつぼではないのか。分断は彼らにとって、手っ取り早い飛び道具だ。
自分たちをファーストにグレートにしてくれてないっていうが、本当の問題の核心は、DSとかでなく、既得権益を持つ人が既得権益を用いて既得権益集団の都合のいいように動かしていることであるはずで、それをこそ、一つ一つ明らかにし、権益を遍く分配するように、いやになるほどの長い時間をかけて変えていくことではないのか。
わかりやすいこと、短時間で気持ちが晴れるような言葉は、蜜の味で誘惑する。誰もが、一網打尽で片づけたい誘惑にいつも唆される。面倒なことはいやだし、善悪はっきりしないのはもやもやするし、でも、でも、ちょっと時間をかけて考えなければ。例えば、自分の息子の恋愛対象が男性だったら、自分の娘が在日外国人と結婚したいと言ったら、自分に徴兵の義務ができたら、自分の街に産廃や原発が来ることになったら、自分が難病で働けなくなったら、自分の会社が外国資本の傘下に入ったら、海外旅行中に急病になったら、なんてことは誰にも、起こらないとは言えないことだろう。その時のファーストはきっと今とは違うものになるってことを少しでも、ほんの少しずつでも、考えていきたい。考える国でありたい。
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お引越し

2025年05月19日 | ことばを巡る色色
ブログ、引っ越しました

https://ameblo.jp/usato3/
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先生の歌、先生と唄

2025年02月17日 | ことばを巡る色色
この冬は、「御上先生」と「金と銀」ってドラマを見ている。
「金と銀」ふうかちゃんはこっちの方が断然いいなって思うほど、細腕繁盛記かあかんたれかってほど面白い。
で、今回は「御上先生」のこと。松坂桃李さん、「今ここにある危機とぼくの好感度について」とか「あのときキスしておけば」とか、侮れないいい役者さんよね。
学園ドラマって、たいていは見ないのだけど、だって、聞き分けのない青春の圧やら、聞き分けのない教師の圧くるしさやらが満載で、でも、やっぱきれいごとだからね。もう結構、もう勘弁なんだけど、御上先生はちょっと違うっぽいぞ。
学園といってもそこは進学校、偏差値高くて偏差値高い大学目指す子ばかりが出てくる。それが、嘘っぽくないよね。進学校の高校生にとって、最優先事項は受験なんだからさ。そして、それぞれのセリフがたいてい論理的で聞いてて気持ちよい。自分の受験と世界の正義、スケールの全然違うものが並立している進学校の高校生なのさ。
そして、endingのPuppets Can't Control You がいいな
ONE OK ROCK って おふくろさんと越冬つばめでKO辞めた子って思ってた私、ほんとごめんなさい。 
Puppets Can't Control You ちょっと衝撃だった。ひりひりした。
そっか、お茶みたいなバンドかって思っててthe yellow monkeyごめんなさい って思ったのも
「職員室」ってドラマの「BURN」も学園ドラマだったな。あれも珍しく見た学園ドラマだった。
何者でもなく、社会が自分をどう判断するのかもわからず、でも正しいは正しいと言いたい、美しいは美しいと言いたい。大学に受からなければ、きっと物言う力も持てないだろうと思うけど、考えることいっぱいあるけど、っての。
とここまで書いたけど、あれからいくつも年月は流れたけど、私も何者でもなく、社会が自分をどう判断するのかもわからず、でも正しいは正しいと言いたい、美しいは美しいと言いたい、きっと物言う力も持たず、考えることいっぱいあるけど であるので、「御上先生」を来週も見る。
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お大尽詣り

2025年01月28日 | ことばを巡る色色
久方ぶりのお大尽ご飯。
冬の日、長い友の車に乗せてもらってお多度さんに行く。
上げ馬神事はいろいろに言われているけれど、奥の天津彦根様も天目一箇様も浄き山水の中に変わらず坐す。
さてさて今日は参道のその昔の旅籠の大黒屋さん。
随分前にお多度さんに参った時、これはこれはいずれお邪魔したいと思った鯉料理屋さん。
お昼なら私でもいただけそうなお品書きを、あの日の私は決して見逃しはしなかった。
上り口でおたおたしていると、「初めてですか」と声をかけてくださる。
案内されて、暖房の入った部屋に通される。廊下は鯉を放っている池を囲む庭に面している。



お多度さんのあの山水の流れる池の中で鯉は清められているのだね。そんな庭を見ながら料理を待つ、なんと贅沢。
煮凝りやらうろこの天ぷらやらあらいやら煮つけやら鯉こくやら、
たっぷり鯉をいただく。
参詣帰りの数え切れぬ人の過ごした部屋の、料理の、
なに気負うことなく、
古民家だの和食の極みだの、暑苦しい講釈もなく、そこにあることの有難さよ。
ちょっと頑張れば手の届くお昼を出してくださる有難さよ。
わたしも、かくありたいものだ。
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無敵の商売

2025年01月21日 | ことばを巡る色色
dealとは取引の意であるが、早い話が、商売、商いであろう。
人民共和国を冠する国だって、国家資本主義と商いが大事よね、っと言ってしまうのだから、世界はみんなみんな、商売に奔走し、商売に熱狂する。
商いは飯を食うためであり、食わねば人は生きていけぬのだから、イデオロギーとか、倫理とかは霞であるのだから、それは仕方がないし、生きるために商うのは、もちろん、必要悪でもない。
しかし、商売が無敵になってしまっては、商売だから、食うためだからと思えない。
経済が無敵になって、自分の商売のために、難しい民を排除したり、よそのものは莫大なtaxをおさめなきゃ売り買いできなかったり、地図の上の名前を変えたり、閲覧数稼ぎっていう商いのために根拠のない発言をアップして言われなく貶めたり、選挙ポスター枠売ったり。
商売になるからいいじゃないの、ってのを無敵の人が言いつのっている。
お詫び文も決意表明もコピー&ペーストで、だってそれが効率いいじゃん、ってのも無敵な人。
無敵の人は、人生の美しさがdealの高さであるのだが、それは人生の美なのだろうかと、わたしなんかが疑問に思うことも無敵の人からは弾き飛ばされる。私にはtaxというのが美しい言葉とは思えないのだけれどな。でも、無敵の人の商売の前には、非力だ。
昔々の金銭への穢れの意識なんて、もうもう、誰も知らない。
その昔、大阪市長だった橋下氏が文楽への助成を削減したことがあったけど、助成せねば持続できない伝統文化って助成してまでして保存する意味があるんですかって言ってたことを思い出した。dealを目指す無敵の人の前では伝統も文化も美も真も風の前の塵の如しとの思いになってしまう。
ただ、私は美しいと思えるものを美しいと思って生きていきたいのだ。
ただ、自分ちを美しくするために目障りなものを公道に投げ捨てるのは嫌だなっとおもっているだけなのだけどな。
も一度言おう。無敵の商売の前に、わたしの甘っちょろい考えはとてもとても非力だ。
非力だ。
でも、でも、なのだ。
でもと思い続けねば、なのだ。
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分れてもすえに

2024年11月19日 | ことばを巡る色色
兵庫県知事選。
SNSやら、動画サイトやら、私の嫌いなおじさんの立候補やら、何が何だか、いろんな方面からの乱暴な運動やら恫喝やらを見せられながら、いろいろいろいろがあって、あのお方が当選なさった。

この結果をあれこれ言う権利は私にはない。県民でないからね。

しかし、この選挙の流れ、
これは 分断 だな と唐突に思った。

分断とは、そう分断とは、
同じものを見ているはずなのに、違う様を見ること。

本人はそれと信じているが、同じものを論じていると思っているが、見えているものは全く違っていて、誰もが他の人の見えている景色を知らぬまま、お前は間違っていると言い合うこと。
そりゃ、違っているさ、見え方が違うんだもんね。
変換間違いみたいにね。雨が見えてる人と飴が見えてる人が、真偽を競っても決着はつかない。

確かに多かれ少なかれ、人はそんなところにいるのだが、同じ国に住んで、バラバラなものを見てる時代になってるんだね。
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発信ってさ

2024年10月16日 | ことばを巡る色色
食べ物とペットと花と。
それが年を重ねた人たちのお楽しみ。
私もおいしい店があると知ると行きたいし、おいしいレシピは作りたいし、
季節の花は愛でたいし、ペットはかわいいし。
それは個人的なお楽しみ。
たぶん、他人にはそのおいしさ、かわいらしさ、美しさは、
ちょっと曖昧なちょっと遠いお楽しみであり、「他人事」であろう。
「いいですね」とコメントがついたとしても、ね。
そんな、私事を日々お写真を撮って更新するのもお楽しみ。
他人様に、素敵でしょ、とするお楽しみ。
確かに、投資でこんなに勝っているとか、外国語どんどんマスターしましたってのも、
他人事としては、息苦しいものではあるが、
自分と意見の合わぬ団体や思想を弾劾するのも暑苦しいが。
これまで働いて、何やらにつとめてきたのだから、
ゆるゆるお楽しみに浸るのは、非難されることではないのだけれど。
年を重ねた発信がそればっかりというのは、どうですか。
色々見たくないこと聞きたくないことやりたくないことをやってきたのだから、
そこから、粛々と一つ二つを考えて、思いを言うのはどうでしょう。
いえいえ、熱く現状を非難せよという訳ではありません。
ましてや、昔ながらの枠組みの中で考えたり
自分の生活の不遇のみから恨み言をいうのではなく、
肩書も何もなくなって、何者でもない、そんな立場から、考え、発信するのはどうでしょう。
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平和を冠する

2024年10月11日 | ことばを巡る色色
物理でも医学でなく化学でもなく、日本被団協にノーベル賞。
日本国はといえば核兵器禁止条約を批准していない。
世界は日本被団協のある国として、日本を見ているのだ、ということを考えねばならない。
個の力に頼るばかりの国である。
日本国政府はこの受賞を讃えているのだろうか。素直に国の誉と思う政府であれば良いのだが。
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Good Night

2024年09月03日 | ことばを巡る色色
やっぱり、井上尚弥が勝って、
ぷっつり中断のようなTKOだったけど、
ラウンドなはじめはパンチのラッシュも見られたし、
彼はやっぱり勝ったし、
今日は新月だし
LeminoのスポットCMで聞いたasobiのHurts So Goodは
ほのさびしくていい曲で、
そうか、なんだか林檎の丸の内サディスティックに似てて
聴いてて気分がいいし、
いい夜だな、いい夜だね、
いい夜よ 
巷に、夜に、私に、みなさまに
Good Night


追記メモ
丸の内サディスティックはJust the Two of Us進行、
俗にマルサ進行というコード進行、で、おしゃれなのね
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ワタシの問題

2024年09月03日 | ことばを巡る色色
「虎に翼」を見ている。
夫婦別姓、LGBT、原爆裁判、そして認知症に、更年期障害。
これに対して、政治的だとか、左だと評する人がいるのに、ちょっと驚く。
確かにそれらは、憲法や法律の問題となるが、
始まりは個人の問題であり、終わりも個人の問題である。
困っているのはワタシであり、何とかしたいと思っているのはワタシである。問題の奥には、ご飯を食べ、眠り、怒り、笑う、たくさんのワタシがいるのだ。それは大きな課題の前に見えづらくなってしまうけれど。
法は個人の問題への対策であり、個人に還元されなくては法の法としての意味はないと思う。
それを、主義の問題、主張の問題としてひとくくりにしてしまうことは、危ないことだ。
人は主調のために生きているのではない。
初めに個人の問題があり、そのために主義のカテゴリー分けで便利になることはある。
しかし、本来は個人が生活者として尊重されるための法であり、主義であろう。
あっち寄りだからどうの、こっち方面の話だからどうの、と言っているうちに
個人の問題は、個人の声の意味合いを薄めてしまう。
姓が変わって困る人、異性婚では困る人、原爆の後遺症に困っている人、それらの人がそうでない人と変わらず生活する人として尊重されるためのものが法であり、国であろう。
自分の考えと方向性の異なる人の声を、自分の考えと方向性が違うという理由で、意味のないものとしてはいけない、と私は私を戒めたい。
くくったところから、個人は見えなくなってしまうことを自戒したい。
自分が個人として生きるには、他者も個人として生きている世でなければいけないのだ。
くくって、グループ分けをして考えるのは、効率的で楽な方法だ。だからこそ、その中で個人の声をこの方向の声として聞いてはいけない。そうしてしまうのは、個人を考え、個人の問題の解決へと還元していくことの面倒さ、コスパ、タイパを厭う気持ちである、ということをいつも考えたい。
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