午後5時半に、ちゃっかりお店クローズして、和倉の自宅へまっしぐら・・
途中、須曽の漁港に落ちる夕日の真っ赤な色に・・・アクセルが加速します。
と・言っても、12万㌔突破したポンコツ軽四は、やんわり40㌔と決めています。
毎日通勤するガソリンの燃費も考慮して、急がず、慌てず、のんびりとをスローガンに
日々運転しています。
写真は偶然と必然と奇跡に等しいと思います。
巡り合わせ・・・この日 この時 この瞬間しか撮れないタイミングをいつも
頭の中で計算します。
ちょっと変わった夕日を撮影しました。
3月31日午後6時1分撮影 能登島大橋 能登島よりにて
6時4分撮影
能登島大橋 和倉よりにて撮影 午後6時4分
この後、小さな小鳥たちが、棲みかへ急ぎ足でかたまって、空を飛んでいました。
毎日が忙しく 過ぎていく中で 夕日を拝みながら 家路へ帰ることが出来ることに
感謝・・・
明日4月1日、七尾市街へ出陣式に行ってきます。出陣式午前9時なので、ちょっと遅れます。
4月1日開店時間、午前10:00ご来店お待ちしています。
牡蠣・ホタテ・アサリのパスタ・・・春野菜を添えて提供しています。
新作のケーキも好評です。
イルカのぷるるん手づくりスイーツ。。春バージョンの食器にチェンジしましたっ!
いつも、気になっていた、北側(裏の海)の土の中に保存していた大根を抜き取りました。
ついでに、ネギ(能登の白ねぎ)も掘り起こしました。
ネギは、輪切りにして、うどんの薬味に。大根は、酢の物に、いしるの大根漬けに、一日、
大根とネギの下ごしらえに明け暮れました。
昨年の11月の終わりに、土の中に寝かせた野菜を、こうして、食することが出来て、
昔の人々の知恵の恩恵に、感謝して、調理をしました。
大根のいしる漬けは、今週末が食べごろになるように、美味しくなぁれ・・とおまじないをしながら、
作りました。
今朝は、腰痛がひどくて、夜間に何度も目が覚めて、結局、熟睡できなくて・・それと、深夜の3時頃にカラスがギャギャーーーと鳴いて、異常な鳴き声に寝付かれず、ほとんど寝てない状態で、早朝より、七尾の小丸山公園へ写真を撮りに行ってきました。
目的は、椿の花を撮りたいと思い出かけたのですが・・・残念なことに、小丸山公園の椿は、樹齢何百年というほどの、見事な椿で、背も高くて、とてもアップでは撮ることが出来ませんでした。
この梅の花をしぶしぶ撮影しました。
桜の蕾は、まだまだ。。。です。
体調が悪い日は、写真も正直です。
ピンボケして、どれも、これぞ!といった納得の行く写真が撮れず・・・でした。
なんでやろ・・・
春がすみ・・・かと思えば、雪が降ったり、今度は、地面から水蒸気が上がったり、
なんとなく、しっくりしないお天気です。
海が好きです 空が好きです 自然が好きです 鳥が好きです・・
あまりTVを見ていないけど、新聞はちゃんと見ています。
いつもは、読んだ新聞をポイ!とそこらへんに置いていますが、ポイ!と捨てられない。
毎日読んでて、同じ気持ちになって、新聞の文字を見て、涙を拭きながら毎朝、
北陸中日新聞を読んでます。
記事を書く人もまた、わたしと同じように、涙して書いている様子まで、伝わってくるんです。
今朝の新聞を読んで、感じたことを言います。
泥だらけになった、ランドセルと絵の具セット・・・・あったかな涙が目から零れました。
新聞捨てられません。
ふと思ったことがあります。わたしが撮影した能登島のイルカたちの写真・・
恵寿病院さん森クリニックさん能登島小学校さん・・いろんな施設で、病気や怪我で苦しんでいる人、それから、大切な子供たちがいる場所に・・わたしの写真が、やさしさに包まれていることを、
今日、森クリニックの院長先生が伝えてくれました。
あの写真に、坂下さんの、名前を書いてもいいかぁ~・・みんな写真と向かい合わせになって、
じぃーーーーと見てる。
その話を聞いたとき、出来ることなら、被災地の病院や小学校に、わたしの写真をおくりたいと
思いました。
叶うことなら、自分で持って行きたいです。
車の中で、昔のユーミンのCD聞いてます。
ひこうき雲です。
ユーミンのうたと一緒に歌っています
天使の階段 「薄明光線」
東日本大震災の被害を受けた皆様に心よりお見舞い申し上げます。
3月26日 午後2時54分
輪島から弟と母が来ました。
わたしから電話をする。
どこ行っても水がないよ。売ってないし、品切れになってる。
いつ、どうなるか・・・みんな心配してる・・県外ナンバーの人が、石川県まで来て水買いに来てる
この先の日本が心配や・・とにかく水だけは常備せな
そうやな・・・と一言。
すぐに輪島から、弟と母が来て、車にいっぱい、海とオルゴールの天然の地下水をタンクに入れて
バイバイしました。
お土産に、輪島のアオサと岩のり海藻を持ってきてくれました。
冷凍庫に保存。
3月26日 午後4時33分 久々の晴れ
3月26日 午後4時33分 夕日のまわりのVの雲・・空と海と地面は鏡だと わたしは常日頃感じています
3月27日 午前10時43分
3月27日 午前10時53分 このカラス 見かけによらず頭がいいカラスです
海とオルゴールに地震を知らせにきてくれるカラスです 大きな地震が起きる前には
海とオルゴールの建物の屋根でスキップしたり、すり足でシャカシャカと音を立てて、奇妙な鳴き声を発します まんざらダラ(バカ)に出来んヤツですよ
3月27日 午前10時53分 別におびき寄せてる訳でも なんでもないんだけどね
こんな風に 風見鶏みたいに うーーーーーん なんだろう 地震を知らせるカラスだなこいつは・・
3月27日 午前10時53分 突然 雲がシャーと切れる この一時間後が大きな地震が起きる
現象が分かってきた 世界は一つ どこかで地震が起きる前兆雲だとわたしは思います
空と海は鏡だと思います
3月27日 午前10時53分
3月27日 午前10時54分 潮が引きっぱなしの海 いつも石が海水を被っているんだけど
カラカラ状態になってる石・・・世界は繋がってる 自然が狂ってる
3月27日 午前12時20分 頻繁にこのようにカラスが来ます
「おいっ こら!」っていつも カラスのこと憎いヤツだと思っていましたが この一匹のカラスと
わたしは なんともいい関係になってしまいました
3月28日 午前9時12分 通勤の途中の寄り道にて ・・・春
3月28日 午後 小さいお子様がいる千葉県のお客さんから電話が・・・
海とオルゴールの天然水 送ってください
空いたペットボトルの容器 いつかは役にたつことがあるかもしれないと思い
資源ごみに出さずに屋根裏に閉まってあった 空っぽのペットボトル
これからの未来の子供たちへ送ってあげることができました
地震 津波 壊滅的 原発 テレビからラジオからネットからの情報を片時も見逃せません
同じ気持ちになって 胸が苦しくなったり 涙が止め処なくでたり・・・
長期化する深刻な事態に 心が痛いです
がんばれ日本 この地震は 日本全体のことだとわたしは思います
今こそ 人とひとが支え合い ・・・うまく伝えることが出来ないけど・・・
同じ気持ちです
3月28日 チビ太くん ねねちゃん 今年小学校入学のまいちゃんが使った
ベビーチェアーを キレイに手入れしました
小さな子供が 海とオルゴールに来ても安心してくつろいで欲しいと思ったからです
毎日のように
ブログ ・ツイッター・・・を見てるよって言い 海とオルゴールに来てくださるほっとした笑顔に
いつも いつも 元気と勇気をいただいています
先が見えない 自営業 でも・・・なんと言うか・・・どんな境遇でもどんな困難なことがあっても
この店を守り 来る人々の少しでも「心が晴れる場所」をご提供していただけたらと日々思っています
上手く伝えることが出来ないけど・・・いつもどこかで ずっとずっと繋がっている
みんながんばれ 日本がんばれ
今日は、どーも。
「ブログ見てるよ」
「ここに前を通って気になって、中能登町からきたよ」
「中能登町の山本さん、今日はね、家のばぁーさん連れてきたんだ」
「春菜ちゃーーん」今は素敵なママさんになって、以前勤務していた旅館のお嬢様
富山からご予約をいただいた8名さま・・・畳のお部屋で・・・
「こんないいところこさしてもらって。。。」大粒の涙を流していたおばあちゃん。。
なんだか、今日はまだ、片付けおわらないけど・・・
たくさんのお客様にご来店いただいて・・・ほんとうにほんとうにうれしいですっ!
ご来店ありがとうございました。
写真がいっぱい溜まってて・・・近々にアップしたいですっ
タヌキの恋の叫びを聴きながら・・・
今日はどーも!!
3/21 午前9時過ぎに、見つけたカラスのフン。
たぶん、屋根の上でフンをまきちらかしたようですが、こんなことするのは、初めてです。
よく、電線なんかで、止まって、ゴミの日に、おこぼれがもらえないか、見張るカラスは知ってますが・・・いやぁーーーーん こんな聖地にフンなんて いやだわぁ~
これ↓外へ出て、徹底的に掃除しました。クソォーーーーーーと思いました。
でも、このカラス殿、なかなかの予知マンで、地震を知らせてくれるすごいカラスです。
この日は、茨城の方で地震がありました。
この時期いつも潮位は下がるのは、知ってますが、最近、引きっぱなしです。
満潮・干潮・大潮もなんやわからんくらい、こんな感じで引きっぱなし状態です。
2004年・10月に台風が来たとき、この防波堤を超えて、屋根まで直撃したことがありました。
海の凄まじき猛威を目の辺りにしたことがありました。
あの波の勢いは、忘れたことがありません。
津波が来たら、ここはイチコロに破壊されるのだろうか・・・
不安になります。
ここにテトラをしてください。そう、国土交通省に電話したことがありました。
民家が密集してない場所ですから・・・の回答だった。
吹き付ける風・潮風・波しぶきをまともに被る、海とオルゴール・・・
必死に守りたいものがあります
それは、自分が、ここに立ったときに、心が晴れ晴れとした気持ちです。
そんな気持ちを多くの方に提供したいと思いました。
海は母であり、オルゴールは子供・・・そして、大切なものを開ける心の中にしまっているやさしい気持ちを、また蓋を開ける・・その瞬間を・・ここで開いてくれる人がいると思いました。
明日、海とオルゴールは満6歳の記念日です。オープン記念日が3月25日です。2005年に創立しました。
たくさんの人に支えられ、今日があります。
いま・・・わたしは、今回の地震のことで、胸が張り裂けてしまいそうなくらいに、心が痛いです。
自分も能登半島地震を経験しているから、それ以上のそれ以上の地震・そして、放射能・・・
また来るだろう余震に、毎日が、祈りの日を、ここから海に向かい祈りを捧げています。
海に働く人 海に元気をもらう人 海が好きな人・・・そんな島を襲ったこの大きな巨大地震。
海からの恩恵をいただいているいつも祈りを捧げてきた人々を一瞬にして・・・志半ばの人も
いたでしょう、小さな子たちも・・家族がばらばらになって・・いま泣いている人はいませんか。
わたしも、いま、泣いています。
言葉に文字に上手く伝えることができない・・ただ今も手と手を合わせ同じ気持ちでいます。
どんなにくじけそうになることがあると思う そんな時 前へ前へと進んでください
きっとその希望に花が咲くはずです。「決してあきらめない」わたしの好きな言葉です。
あきらめず、前を見て前進する。悪いことは後ろに必ず行ってしまいます。
困難を受け入れた人は、誰よりも強くなれる・・・
一つ・・・哀しいときは涙はこらえず、たくさん泣けばいい。こらえてしまうと、自分の内側にたまり、
苦しくなるから、流せばいい・・・
時々・・美しいここからの海を発信します。
上手く伝えることが出来ないけど・・・いつもつながっています。
人は、どこでだれとつながっているか・・・みなほんとうは一つであるんだとおもうんだ・・
わたしのお店のすぐ裏はこんなに海が近くです。「命がけ」覚悟して建設しました。
プライベートで内灘の医科大へ・・能登有料で不思議な雲を見ました。その後、段々と奇妙な色を放し。。海へと夕日が沈みました
その帰りに、湯来楽のお風呂へ行く前に誘われるように、この砂浜に、千里浜ドライブウェイ感覚で車を走らせてしまったのです。海のほうへ、海の方へと車を進ませてると、「いや・・この辺で戻ったほうが・・・」その時です、スッポリ、砂にタイヤが埋もれてしまいました。
考えてみれば、昔乗っていた車は4輪駆動だったけど、今のは、違う、ポンコツ軽四・・・
ガァーーーーン・・それよりも、怖くて。。。砂がパチパチと風に飛んで、車を直撃します。車のドアを開けると、強風でビューーーンって音がして、怖いです。
あぁーーーーん 心臓がバクバクして ドキドキして 今度は孤独と恐怖が襲います。
JAFに電話、50分待ってください。その50分の長いこと。
とんだ迷惑な、おばちゃんの巻でした。
もう、内灘の海岸なんか、行かんしって、娘のみーたんに言うと、
おかん、ダラ(馬鹿)やぁ~・・・なんであんなとこいくがいねぇ~ダラんないかいねぇ~
とことん怒られました。
今日の海です
ハートの雲です
雪がふったり 晴れたり 忙しい日でした
どこまでも どこまでも 人と人自然と共につながってますように・・・
あした 海とオルゴール 6周年記念日です。
玄関が玄関らしくない・・思い立ったら、すぐ実行!
棚をリフォームしました。
玄関の戸を開けると、ここに、白いアーチがあったのですが、いきなり、こんなとこにあるから、
狭いんだと思いつき、外側へ移動。
アーチに飾ってあったものは、いろいろな場所へアレンジしました。
白いアーチの足元に左右に注目、手作り植木鉢をスッポリはまるようにして、作りました。
にこにこ造園の村さんに手伝ってもらいました
カウンターの下はこんな感じにしました。
模様替えに大奮闘!
ここに棚があったのを、スッキリさせました。
和室空間。4/12に新しくテーブルがリフォームして戻って来ます。
それまで、小さなテーブルですが、おくつろぎになってください。
チビ太くん、植木鉢にペンキ塗りしてくれました。
村さんとチビ太くんです!
昨日(3/20)金沢の家で、お泊り・・・みーたんとチビ太とチワワのぼん君と
チワックスのりゅう君です。
金沢までの道のりに、つくづく思う。。。我が愛車・・・走行距離12万1千キロ突破しました。
いつ、ベルトが切れてもおかしくないポンコツ車・・そろそろ車乗り換えなきゃ・・
あしたも頑張って営業中・・・リフレッシュに海とオルゴールに来てください
2011年東北地方太平洋沖地震
いったいこの国の未来はどこにあるのだろう・・・
明日はあるのだろうか・・・
子や孫たちの将来を想像すると・・・
わたしのカメラに撮りためていた写真を公開します。
自然は正直に、いろいろなことを伝えてくれます。
3月18日午後4時の空と海 扇形の雲
大潮
3月18日午後6時13分撮影
3月18日午後4時51分の月 月と地球の接近「スーパームーン」
3月18日の月 月と地球の接近「スーパームーン」
空と海を撮影しました。
海の下と空の雲は鏡だといつも思っています。そのままを映しています。
自然は正直に人間に伝えてくれます。
つい3ヶ月前から妙に気になっていたカラスの異常な行動はピタリです。
ねぐらを毎日100メートル間隔に変えたり。この間はセブンイレブンの前の電線。
次の日は、業務スーパーの前、その次の日も・・・
異常な集まりや、夜間に鳴き叫んだり・・・
つい2ヶ月前から、カラスの異常な変化に、気づいていました。
一羽のカラスは、バカガラスと言って、「おい!こらっ!」と言っていたけど、
どうも、憎めない。
地震発生前日は、近づいても逃げなかったのが不思議です。
常にわたしにべったりしている一羽のカラスの察知能力に、どう言葉に表したらいいのか・・・
自然に囲まれて暮らしていると、何気ない生き物たちからのメッセージに耳や目を傾けています。
3月25日は海とオルゴールの6周年記念日です。
能登半島地震が4年前に発生した日でもあります。
海とオルゴールが誕生してから、わたしはいつも、ここに来て、海を見つめて来ました。
これからも海を見つめていくつもりでいます。
この6年間で変化したものがあります。
それは、海とオルゴールが好きだと言ってくれる人に会えたことが、
わたしの宝です。
宝物の蓋をそっと開ける その瞬間が 海とオルゴールであり続けたい
雨音を聞きながら・・・海に祈りを捧げています。
壊滅した家々や人々の映像が脳裏から離れない
失うことはたくさんある でも最期には美しい心は残る
陸があって 海があって 生き物がいて・・・
いつの間には 人間は自然と共に生きることを失いかけてきた
自然に逆らってきたような気がする
これから先の子供たちの未来が心配だ
今日、雲の写真を撮りました。扇を広げたような雲や上下のはっきりした雲
撮りこむ気力がない・・・
元気な写真が撮れないのが残念です。
4月12日に新しくテーブルと椅子がリフォームから帰ってきます。
畳ルームは小さなお子様に、ちょっと可愛くリニュアルしました。
ダイニングルームは大きなテーブルが只今リフォーム中で、急遽4人テーブルを設置
中央のテーブルは4人OK
向って右はアンティークテーブル2人OK
玄関は履物を脱いで入る空間を只今、リフォーム屋さんを探し中。
色々と使い勝手のいい方法を考えているのですが、なかなかいい案が浮かびません。
とりあえず、玄関の戸を開けた時に、白いアーチに花をアレンジしてありましたのを、
本日、花を取り外し、ウロウロと別の場所にあっち向きこっち向きといろいろしていました。
とりあえず店内イメージチェンジ中です。
わたしはいつも自然と共にくらしているので、いろいろな空気を察知します。
今日は、能登島へのアクセスは、店の前を午前にバス2台、能登島水族館へ向っただけで、
お店は、荒れた天候なので、そうたくんが学校から帰宅するまで、お店待機ということで、
体調を崩して寝込んでいました。
あと2年定休日を設けないで、ロングランで大寒の期間のみ冬季休業はさすがに、年齢とともに、
限界に来ています。天気が悪く海が荒れる日は、海とオルゴールのお休みと思ってくだされば・・・
と思います。北西の風が風と海風と同時に来て、雪も舞い・・・辺りはひっそりとひとっこひとりも通りません。
あたためていた岩盤の上に、身を置くと・・・いつの間にか、午後2時まで、スヤスヤ状態。
寒さには、すっかり冬眠状態になってしまいます。
本来なら、この時期には春一番の風が吹くはずですが・・・自然がもう・・狂っています。
今日は、カラスの姿もなく、一羽もいません。昨日まで一羽だけ、近づいても逃げず、じぃーーーーとわたしの顔を見ていたのですが、なんか普段と違います。
今日は3月17日・・・すぐ解けるかと思うけど・・・やっぱ寒いです。
東京の仕入れ先の業者に電話をしました。
どう?
計画停電はあるわ・・・パニックで、人がどこにも出かけなくなってますよ。
そっちはどうですか
だれも来ないです
誰もがこの先の日本を心配するのは・・・あたりまえですね。
辛いです
そんな時、昨日、届いた手紙を公開します。
凹んでるときにあったかなメッセージに元気が少しでました。
いただいた「はっさく」とてもジューシーでおいしかったぁ~
前略 ごめん下さいませ
その後 お変わりなくおすごしでしょうか
いつもブログを拝見しています 貴方がいかに文章を
書く能力があるかがよくわかりました
わたしはブログには投稿は出来ませんが時々は
おたよりをしたいと思っています
今回の東北地方の地震 ご親せきの方が
まきこまれたと書いておられたのにはびっくり
いたしました でも無事で良かったですね
能登地震が発生して半年位の時に
あえの風に宿泊したのを思い出しました
道路はいたるところでこわれていたし 総持寺祖院が無残な
事になっていたのを思い出し 今でも身体が震える思いです
お送りしました「みかん」はめずらしくもないかもしれませんが
召し上がって下さい
ことしのお正月にお目にかかれて幸福に
なった気分のお返しです
乱文 乱筆にて おゆるし下さい
若〇
***************************
前略ごめんくださいませ
先日は突然おうかがいいたしまして申し訳ございませんでした
本当に本当に久しぶりにお会い出来て私共がとてもうれしかったです
あの頃よりちょっぴり太ってはいたけれど愛くるしさは少しも変わってなくて
一目見た時にはすぐにわかりました。
私共ももうずいぶんと年令をとってしまいましたが私は未だに勤めていますし
主人は主人で一生懸命農業をしています ほとんど野菜ばかりです
主には夏はなす 冬は大根です
お会い出来れば あれも言おう これもと思っていましたが
興奮してしまって何を言ったかのかも少しも覚えておりませんし申し訳ない事をしたのでは
ないかと思ったりしています
でもチーズケーキのお味だけは忘れていません
とてもおいしかったです
そして早速ブログに載せて頂いてとってもうれしかったです
1月4日の日にブログを開きました写真も大きくてとてもきれいに掲載されていたので
びっくりしています
又、機会があれば是非お伺いいたしたいと思っております。
お会い出来て大切な事 いろんな事が思い出されて本当にうれしかったです
ブログに写っていた写真と同じになりますが私共が写したものもお送りいたします。
二重になるかもしれませんがご笑納下さいませ
まだまだこれから雪も多くなる事と思いますがお身体に充分お気をつけられてお元気に
おすごし下さい
又お会い出来る日をたのしみにいたしております
23.1.13
海とオルゴール様へ
新聞記者さまからこんなメッセージをいただきました。
日本は「言霊(ことだま)の国」だそうです。
言葉に一種の霊力があり「言挙(ことあげ)」(言葉を発する)
すれば現実となると信じる「言霊信仰」が、
古来から脈々と受け継がれてきたからだそうです。
つぶやきもある意味言霊(言挙)。。。
言葉の文字に傷ついたことはないですか。
私は、小学一年生の時に祖母が他界しました。祖母は、脳梗塞をわずらい、後遺症で、声と聴く耳を失いました。
母と父は働き尽くめで、私は、身体が不自由な祖母に育てられました。
私が話しても、伝わらないことがわかると、文字にしました。ある日、文字で、祖母を傷つけてしまったことが。
ありました。文字と言うのは、ひとつ間違えれば、相手を傷つけてしまうことに気づきました。
便利な世の中になり、言葉が文字になり、インターネットは人を言葉の圧で支配してしまうことも忘れてはならないと感じています。
自分も言い過ぎ、書きすぎ、エスカレートしてしまうことがたくさんあることがあると思いますが、相手を思いやり、記事をかかなければいけないなと思いました。
3/16PM5:30お母さん(そうたくんのパパの母)から電話が・・・
「おかあさん、お兄ちゃんかえってきたわぁ~、今朝、東京に着いて、さっき、かずき(そうたくんのパパ)と一緒に食事して・・・」
そうなんや・・・よかった。ほんとによかったね。喜びを分かち合いました。
しばらくして、そうたくんの携帯電話から、お兄ちゃんの携帯に電話をする。
わたしも電話に出て、無事でよかった、みんな心配したよ。
「ネットで情報を発信してくれておばちゃんありがとう」やさしい声でそう言いました。
仕事の関係ですぐ、故郷へは帰れないそうです。
そうたくんと、GWに会う約束をしていました。
人のために役にたつこと、みなひとつであり、いつもどこかでつながっています。
まだまだ、被災地では悲惨な現実が、降りかかってくるかと思います。
わたしは能登半島地震を知っています。揺れの怖さを知っています。
海から命がなくなる静けさも見てきました。
でも、決してあきらめず、前を向いて、止まった時計を動かすネジを回すのは、自分自身です。
世界が一つとなり、応援しています。
被災したみなさんへ。能登の海より、いつまでも応援しています。
辛さを共有してこそ人としての道しるべである・・・・・・・わたしはいつもそう思います。
今日、お正月に来店した、長年ご指名をいただいていた、大切なお客様より
和歌山のはっさくが届きました。
いつもブログみてんやぜぇ~がんばってはるねぇ~・・・
お礼の電話をいまさっき電話しました。
そうたくんのパパのお兄ちゃんのとこへおすそ分けしたいと思います。
みなさんのご協力、ご支援ありがとうございました。
これから、まだまだ先が見えぬ、復興への取組みに情報から目が離せません。
決して一人ではない、人は支えあい生きていく・・・あきらめないで・・・
伝えたい
海とオルゴール
坂下さとみ
そうたより
我が携帯電話の3/13(日)12:13 北生建設の社長さんの着信履歴がやけに気になり、
電話をかけようか かけまいか・・・心が交差する そのまま 海とオルゴールに出勤
朝の車のラジオでは、東京駅から那須塩原駅、列車は数本だが、運行とのこと・・
わたしの背中に翼があれば、被災地へ行き、一人でも多くの方に、役に立つことがあれば
協力したい、そう思っていた。ハンドルを持つ手はしっかり、耳に入るNHKのラジオの応援メッセージに、泣けている。
マイスター・マトバさんと、本日の午後にアポがあることすら、こっきらこんと忘れていた。
わたしの脳は、まだ、東北地方太平洋地震 岩手県大船渡へ出張に出て被災した、
そうたくんのパパのお兄ちゃんのことが気がかりで、いてもたってもいられない。
テレビにかじりついて、情報に見入っている。
余りにも、巨大な地震であったことが、日を置くごとに明かされていく現実に、
もう、言葉を失う。
インタビューに応じた男性がテレビに向かって一言「生きていたことが奇跡です。」
ほんとうに生きていることが奇跡と言える。
さて、今ほど(3/15(火)14:54)電話がありました。
東京の北生建設の社長さんが、もうすぐ、岩手県の大船渡に着く。
えっ!・・・朝の着信履歴を気にしていたことをふと思う。
必死になって、我が社員を迎えに行く行動力に、あの時、電話の向こうで話した声から、
人物を想像した。
岩手県大船渡市大船渡の魚市場で建設工事中に、津波から難を逃れた8名の社員。
全員無事、みんなを東京に連れてくる、その一身でハンドルを握り締めた北生建設の社長さん。
すごい人だね。お母さん。感謝しよう、そして祈ろうよ。(そうたくんのパパの母)
二人、電話のこっちとあっちですすり泣いた。
まず、東京に着いたら、それから石川県羽咋郡志賀町の実家へ戻るそうです。
大船渡の今の情報
携帯電話はau⇔au同士しかつながりません。
松浦正博さんはソフトバンクで母はauなので、同僚の方のauの携帯電話を借りて、
電話してる。と話していたそうです。
本人より、この大きな地震が来る前にも地震があった時に、津波警報が発令されたそうです。
その時と同じように、逃げたことが、命を救ったんだと言っていたそうです。
過信して、そこにいたら、波に飲み込まれていた。とっさの判断で高台へ全員逃げたと
母に告げていたそうです。
今回のこの巨大大地震。交通が遮断している中、懸命に現地へ車を走らせている、
一人の社長さんの心意気に、拍手を送ります。
どうか無事に帰って来てください。
どこまでもどこまでもどこまででも・・・祈っています
海とオルゴール
坂下さとみ
孫のそうたより
18:54わたしの携帯に電話が鳴る。急いでダウンジャケットのポケットの中から携帯を手で掴み、
もしもし・・・と出る。
電話の向こうは、お母さん(岩手県大船渡の魚市場の建設工事に出張していた息子の無事を心配する母)からだった。
声を震わせて・・・おかあさん(わたし)いろいろありがとう・・ありがとう・・直接、本人と電話でしゃべれたわぁ~。あぁ~よかったぁ~。
どうしてる・・・いま・・
電話は、大船渡の消防署から電話を借りて掛けている。みんな無事にいる。
配給もある。車の中で過ごしている。宿泊していた、岩手県大船渡市大船渡町富沢44-1
比田邸は、津波の被害はないが、そこへはいけない。危険な状態だ。
配給もあり、元気で怪我ひとつせずに無事にいる。
そうたも電話で話すことが出来た。
その声を聞き、親子の絆を深く実感した。
祈る。わたしたちは祈ることしか出来なかった・・その本人が母へ電話をしたことが、
奇跡であるとわたしは思う・・・
まだまだ余震もこれから続くし、これからが、もっともっと・・・言葉がでません。
文字に書けません。TVに入ってくる被害の偉大さに・・
わたしは能登半島地震の時に全国の方々から勇気をいただきました。
今度は、ここから元気を少しでも発信していけたらと思っています。
あらためてネットの向こうにいる方々に感謝を申し上げます。
3月11日、日本が揺れた。東日本大震災の被害状況をニュースで見る。
想像を絶した光景だ。その夜、孫のそうたくんと一緒に地震状況のテレビの映像を見ていたときだった。
孫のそうたくんが小さな声で言う。
お正月に、野球したり、将棋をしたり、勉強を教えてもらったりして、パパのお兄ちゃん
との楽しかった出来事を話してくれた。
僕ね、覚えてるよ手紙書いたから。
はっきりと、岩手県大船渡市大船渡町富沢44-1 比田邸
大船渡の海が民家や建物を奪い、たちまちのうちに、破壊されていく・・
その時だった。大船渡だ・・・パパのお兄ちゃんがいるとこねんよ。ここねんよ。ここに
お兄ちゃんいるんやよ。大船渡の魚市場を建設に出張しているって・・・
TVの映像が孫のそうたの目に飛び込んできて、小さな声で、
パパのお兄ちゃん死んだ?・・・目に涙いっぱいためて、ぼく、もう寝るね・・
背中を向けて、寝室へ向かう、孫に、「なにゆーとる。あきらめたらダメや。
さぁーこっちへ来い」二人で神さまに手を合わせ祈りをささげた。
何とかして、情報を発信したい一心で、わたしのツイッター・ブログ・フェィスブック
に発信をしました。
たくさんのDMや電話をいただき、情報を交換することができました。
それで、昨日(3/12)の時点で最終連絡がとれたと、松浦正博の母からの伝言です。
地震直後、津波警報が発令され、建築作業を中断し、大事なものをみな持ち、高台へ全員逃げた時点で、建築作業をしていた旦那さんの東京にいる妻の方から、東京の北生建設の社員の方から電話がありましたとのことです。
少しですが情報がつかめました。
本日(3/13)、朝、東京の北生建設の社長さんから電話をいただきました。
3月13日、岩手県大船渡にいる、松浦正博より電話があり、短い時間だったけど、話をすることが出来た。
内容は、以下のとおりです。
岩手の方は、携帯電話のアンテナ塔が水没しているので、携帯電話が繋がらない。
いま掛けている電話は、NTTの応急仮設電話からです。
東京から出張に来てる北生建設8名は全員無事です。
他の親会社の社員も全員無事です。
ガソリンの燃料も無くなった。けど、なんとかして、みんなで元気に帰るから・・・
との電話内容でした。
わたしは、能登半島地震を経験しています。
元気でいる便りがどんなささいな情報でも欲しい・・
出来る限り、情報を今しばらく発信していきます。
たくさんの命を奪った、今回の巨大地震。
海からの恩恵を受けている、そこで働く人々の命をのみこんでいったすさまじき
地震のエネルギー。
わたしのお店は目の前が海であり、いつそのような大津波が来てもおかしくない
場所で働いています。大地の下は、たくさんの活断層があり、いろいろなプレートが
ぶつかり合い、このような悲惨な地震が起こることを学びました。
亡くなられた方の命を決して無駄にしてはなりません。
どんな小さな力でも、いま、救助の手が必要ではないのだろうか・・
そう実感しています。
早急に、救援をお願いします。みんな助けてあげて。わたしも、今すぐに駆けつけて
行きたい気持ちで胸がいっぱいです。
今朝の北陸中日新聞に松浦正博さんの記事が掲載されました。
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