こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

職場モラハラ その4

2006-11-12 00:15:49 | 職場モラハラ
 職場でも家庭でもモラハラ被害に遭っていたこの頃、私は人生最悪最低の時期だと思っていた。子どもの頃の苦しみもいろいろとあったが、この時期の苦痛はまた質が違った。自分で選んだ夫、そして自分で選んだ職場から酷い目に遭わされる。ここまでなぜ私は蔑まれなければならないのか。私の嫌いな人から攻撃されるのならまだわかる。しかし私が好きだった人たち、そして私に好意を寄せてくれた人たちからなぜここまで徹底して嫌がらせを受けるのか。私はいったい何を見ていたのだろう。もう自分が信じられなかった。どうしてこうなってしまったのだろう。結婚のために移り住んだこの土地が良くないのだろうか。そうだったら、いっそのこと、実家に帰った方がいいのかもしれない…。
 ある日夫の帰りが遅かったとき、私は久し振りに高校時代の友人に電話をかけた(夫がいるときには電話などできなかった)。あまり詳しくは触れなかったが、夫とあまりうまくいっていないこと、職場からも嫌がらせを受けていること、頭までハゲたことを話した。そして、「もう最悪の気分」とため息をつきながら友人に心の内を訴えた。すると、友人は「ウメ、もしかして厄年?」と言ったのだ。そういえばその時の私の年齢は、大厄と言われる年だった。「きっと大厄だからだよ」と友人は繰り返し言った。私はそれまで、厄年など、気にもせずそれが何歳を指すのかもしらなかった。しかし私はその言葉に希望を見いだそうとした。そうか、これは厄年なんだ。この年齢が終わればきっとこの状態も変わる。きっと変わるはず…!私の心は友人の一言のお陰で少し軽くなっていた。

 年が明け、同僚は産休に入った。手薄になった部署で、私は何とかがんばろうと思っていたが、相変わらず上司の顔色を窺いいつ罵声を浴びせられるかと思うと、気の休まるときがなかった。年度末も近づいたある日のこと、私は上司に「話しがある」と呼ばれた。途端に動悸が強くなり、手が冷たくなる。今度は何の用なのか…。
 なんと上司は私に、部署の異動を打診してきたのだ。私はこの部署で主任となり、新たな仕事を立ち上げ、同僚と共に努力してきた。その成果も上がっていた。他の会社からもその成果はある程度評価されていた。それを異動だと?主任を降ろしただけでは気が済まないのか?同僚もいない今、異動?しかも次の異動先は、職場から離れた分所だった。そして仕事の内容も今のしていることと違う種類のものだった。
 明らかに左遷としか思えなかった。上司は一生懸命笑顔を作って、いかに私がよくやってくれたか、そしてまた違う部署で責任を持って貰いたいことを饒舌に話した。
 私はもう何を言う気力もなかった。もういい。もう上司は私を徹底していたぶろうとしているのだ。何を話してももう無駄だろう。もうこんな職場ではやっていけない…。私は上司に「わかりました」と伝えた。上司は私に、取り繕ったような気持ち悪い笑顔を向けた。ぞっとした。

 あまりにも理不尽な上司の言動に、私はすぐにでも辞めたい気持ちだったが、ただ仕事を失うことも恐ろしかった。夫に完全に経済的依存をすることは非常に危険だった。それか、仕事を辞めて夫とも別れて実家に帰ろうかとも考えた。しかし私の本心はまだ夫と離婚するなどというところには至っていなかった。私は自分の選択をまだ放棄したくなかったのだ。世間の目も気になっていた。私はあと1年だけ働き、その間に密かに就職活動をすることにした。
 その頃だ。夫のモラ攻撃に対して、猛反撃に出たのは(『闘い』)。私の奥底で煮えたぎっていた様々な怒りの感情を、なぜかその時は思い切りぶつけた。これ以上自分を抑えることに、私自身の限界を感じたのかもしれない。その後、夫はしばらくの間、おとなしくなった(『夫の鬱』)。

 そして新年度になり、私は分所へ異動した。仕事は張りのないものだったが、意外にも私の心は非常に穏やかになった。職場自体が上司からも離れたので、毎日顔を合わせることもなく、上司の顔色に怯える必要もなくなったのだ。上司と顔を合わせるのは、定期的に行われる会議のみ。分所の社員は私も含めて3名だけだったが、他の2人は気のいいおばちゃんと、初老の男性だった。2人とも「なぜウメさんがここに異動になったのだろうね」と同情しながらも、新しい仕事を親切に教えてくれ、のんびりした雰囲気の中、勤務することが出来たのだ。
 
 大厄が終わった…。私は心の底からほっとしていた。あと1年、何とか勤め上げたら退職しよう。もうこの職場に残っていても仕方がない。もうあの頃の上司はいないと思おう。穏やかな毎日とはいえ不本意な仕事をやらされ、こんな飼い殺しのような状態はもうたくさんだ…。退職する頃には後厄も終わる。夫も最近は落ち着いてきた。なんとか最悪な状態から脱出できそうだ。そう考えれば厄って本当にあったんだな…。と私はぼんやり考えていた。

 しかし、この考えをまた覆すようなことが起こるのだ。私はもう1年待つことには耐えられなかった。
 もう我慢できなかった…。