私はなぜモラ夫を選んでしまったのだろう…と考える前に、私は『なぜ夫は怒っているのだろう』『夫はどうしてこう神経質なのだろう』『夫はいつか変わるのではないか』『夫は癇癪さえ起こさなければいい人なのに』と、夫は、夫は、と思っていた。辛抱強く夫と生活していけば、夫も変わるのではないか、と思っていた。常に夫を主語にした夫婦関係だったのだろう。現に日々の生活は夫中心だった。夫が選んだ家に住み、夫の好み中心の食事を作った。外食すれば夫が選んだメニューを食べ、旅行も夫が行きたいところに行った。
私が夫の意見と違うことを言うと、夫は不機嫌になったり怒ったりするので、言いなりになっていた方が楽だったのだ。私は夫との葛藤を極力避けたかった。夫と平和な日々を送りたかったがために、私は夫に合わせた。夫に判断を委ねた。
そして、私は常に夫の表情や態度に耳をすませた。夫の足音、夫の目の動き、カップをテーブルに置くときの仕草、話す声色、それらに神経を集中させ、今日は夫の機嫌がいいのか悪いのかを窺っていた。夫の機嫌がよければほっとしたし、夫の機嫌が悪そうだと私が何かしただろうかと、見えない怒りのスイッチを押すまいと、ビクビクしていた。そこには夫に振り回され、夫に依存する私しかいなかった。
そして夫はといえば、これまた私(妻)を主語にした言葉をよく話した。「おまえが悪いんだ」「おまえが俺を下痢にさせる」「おまえが俺に元気を与えるようにしなければいけないだろう」「おまえのせいで仕事ができない」「おまえが俺を病気にさせた」「おまえのせいで気分が壊れた」「おまえは無神経で鈍感だ」「おまえは頭が悪すぎる」等々、列挙すればきりがないくらいだ。もっと侮蔑的で冷酷な言葉もたくさん言われた。
振り返ると私と夫は、お互いに相手を主語にし、相手を変えようとしていたようだ。ある意味、それぞれのやり方でお互いが相手をコンロトールしようと躍起になっていたのかもしれない。しかしなぜこのような夫婦関係になったのだろう。
思えば私は、昔から問題ある人(男女問わず)に心惹かれていた傾向があった。中学生の頃、不良と呼ばれる男の子を好きになった。孤独感を漂わせた、でも個性的で芯の強そうな同性と仲良くなった。私はその時から聞き上手になっていた。友人のよき理解者になりたいと思っていた。また、私は両親のような平凡(に見えた)な人生を嫌った。皆と同じようなことをしたくない、同じような考え方の人間になりたくない、と何か周りとは違った自分らしさを持とうともがいていたのが10代の頃だった。
その後私自身では、自分で仕事も選び、一人暮らしも長かったことから、精神的にも経済的にもある程度は自立した人間だと思っていた。人付き合いも、自分が気に入った人間としか付き合わなかったし、職場は別としてうわべの人間関係に悩むこともあまりなかった。学生時代の同窓会をするときには、よく幹事をして会をとりまとめ、三次会の後は一人暮らしの自分の家に皆を泊め、面倒を見たりもした。友人達から見た私は、我が道を行く、面倒見のいい姉御的存在だったと思う。私もその役を期待されていることを感じていた。その時は、まさか自分が夫の顔色を窺い言いなりになる人間になろうとは、思ってもいなかったのだ。
しかしそんな面もありながら、私は「NO」と言えない人間でもあった。意見が違っても「私は違う」と言わず「そうなんだ」と聞いていた。友人との人間関係が気まずくなりそうになると、すぐ謝った。何でもなさそうでも、とりあえずすぐ謝った。
そして他人から何か気になる行為や、嫌な行為をされても、それに対して自己主張できなかった。特に、相手に悪意がないが、嫌な思いをさせられるという行為にはひたすら我慢した。例えばレストランで、自分に運ばれた料理に髪の毛が入っているとする。私は黙ってその部分を取り除き、何も言わずに食べる。本当は「髪の毛が入っていたから取り替えてくれますか」と言いたいのだが、我慢してしまう。例えば美容室でパーマをかけてもらったとき、どうしても仕上がりが気に入らなかった。でも我慢して笑顔で店を出てしまうのだ。本当は「もう少し、違う髪型にしてほしいので、もう一度やり直してもらえませんか」と言えばいいのだ。美容室はそんな時無料で直してくれるのだから。
なぜ我慢してしまうのか。それは相手は悪気があってしたことではない、むしろ一生懸命してくれたことに対して意見を言ってはいけない、と思ってしまうのだ。意見を言えば相手の気分を害する、と思ってしまうのだ。人間、やむを得ずしてしまうこと、言ってしまうこともある。相手に悪意はないのだから、そんなことに対しては仕方のないことと思うしかない、と考えていた。
それは本当なのか?今は違うと思える。レストランの従業員が衛生面に気を付けず、いい加減に仕事をしていたら髪の毛も入るかもしれない。美容室だって、店員の腕が未熟だったのかもしれない、それをきちっと指摘することで、その店員のためになるのかもしれないのだ。
この私の我慢強さと面倒見のよさはモラ夫との生活で随分発揮されたように思う。『夫の生まれ育った家庭環境から考えると、つい癇癪を起こすのも仕方のないことかもしれない。』と都合よく解釈してしまったからだ。これは夫にとっても都合よかったが、私にとっても現実をみないようにする都合のいい見方だったのかもしれない。問題多い夫を理解し、受け止めればきっと夫は変わる…そうどこかで思っていた。夫はたまに「俺も自分と付き合うのは大変なんだ」「俺もつい怒ってしまうけど、それも辛いんだよ」などと言った。夫も自分自身で悩んでいるんだ、変わろうとしているんだ、と信じようとした。一方で罵声を浴び続け、衰弱し真っ暗な淵に落ち込もうとしている自分を感じていたが我慢した。落ち込まないように、必死で夫にしがみついていた。
そんな自分自身についても少しずつ振り返ってみたい。
こうして考える機会を与えてくださったまっち~さんに感謝します。
私が夫の意見と違うことを言うと、夫は不機嫌になったり怒ったりするので、言いなりになっていた方が楽だったのだ。私は夫との葛藤を極力避けたかった。夫と平和な日々を送りたかったがために、私は夫に合わせた。夫に判断を委ねた。
そして、私は常に夫の表情や態度に耳をすませた。夫の足音、夫の目の動き、カップをテーブルに置くときの仕草、話す声色、それらに神経を集中させ、今日は夫の機嫌がいいのか悪いのかを窺っていた。夫の機嫌がよければほっとしたし、夫の機嫌が悪そうだと私が何かしただろうかと、見えない怒りのスイッチを押すまいと、ビクビクしていた。そこには夫に振り回され、夫に依存する私しかいなかった。
そして夫はといえば、これまた私(妻)を主語にした言葉をよく話した。「おまえが悪いんだ」「おまえが俺を下痢にさせる」「おまえが俺に元気を与えるようにしなければいけないだろう」「おまえのせいで仕事ができない」「おまえが俺を病気にさせた」「おまえのせいで気分が壊れた」「おまえは無神経で鈍感だ」「おまえは頭が悪すぎる」等々、列挙すればきりがないくらいだ。もっと侮蔑的で冷酷な言葉もたくさん言われた。
振り返ると私と夫は、お互いに相手を主語にし、相手を変えようとしていたようだ。ある意味、それぞれのやり方でお互いが相手をコンロトールしようと躍起になっていたのかもしれない。しかしなぜこのような夫婦関係になったのだろう。
思えば私は、昔から問題ある人(男女問わず)に心惹かれていた傾向があった。中学生の頃、不良と呼ばれる男の子を好きになった。孤独感を漂わせた、でも個性的で芯の強そうな同性と仲良くなった。私はその時から聞き上手になっていた。友人のよき理解者になりたいと思っていた。また、私は両親のような平凡(に見えた)な人生を嫌った。皆と同じようなことをしたくない、同じような考え方の人間になりたくない、と何か周りとは違った自分らしさを持とうともがいていたのが10代の頃だった。
その後私自身では、自分で仕事も選び、一人暮らしも長かったことから、精神的にも経済的にもある程度は自立した人間だと思っていた。人付き合いも、自分が気に入った人間としか付き合わなかったし、職場は別としてうわべの人間関係に悩むこともあまりなかった。学生時代の同窓会をするときには、よく幹事をして会をとりまとめ、三次会の後は一人暮らしの自分の家に皆を泊め、面倒を見たりもした。友人達から見た私は、我が道を行く、面倒見のいい姉御的存在だったと思う。私もその役を期待されていることを感じていた。その時は、まさか自分が夫の顔色を窺い言いなりになる人間になろうとは、思ってもいなかったのだ。
しかしそんな面もありながら、私は「NO」と言えない人間でもあった。意見が違っても「私は違う」と言わず「そうなんだ」と聞いていた。友人との人間関係が気まずくなりそうになると、すぐ謝った。何でもなさそうでも、とりあえずすぐ謝った。
そして他人から何か気になる行為や、嫌な行為をされても、それに対して自己主張できなかった。特に、相手に悪意がないが、嫌な思いをさせられるという行為にはひたすら我慢した。例えばレストランで、自分に運ばれた料理に髪の毛が入っているとする。私は黙ってその部分を取り除き、何も言わずに食べる。本当は「髪の毛が入っていたから取り替えてくれますか」と言いたいのだが、我慢してしまう。例えば美容室でパーマをかけてもらったとき、どうしても仕上がりが気に入らなかった。でも我慢して笑顔で店を出てしまうのだ。本当は「もう少し、違う髪型にしてほしいので、もう一度やり直してもらえませんか」と言えばいいのだ。美容室はそんな時無料で直してくれるのだから。
なぜ我慢してしまうのか。それは相手は悪気があってしたことではない、むしろ一生懸命してくれたことに対して意見を言ってはいけない、と思ってしまうのだ。意見を言えば相手の気分を害する、と思ってしまうのだ。人間、やむを得ずしてしまうこと、言ってしまうこともある。相手に悪意はないのだから、そんなことに対しては仕方のないことと思うしかない、と考えていた。
それは本当なのか?今は違うと思える。レストランの従業員が衛生面に気を付けず、いい加減に仕事をしていたら髪の毛も入るかもしれない。美容室だって、店員の腕が未熟だったのかもしれない、それをきちっと指摘することで、その店員のためになるのかもしれないのだ。
この私の我慢強さと面倒見のよさはモラ夫との生活で随分発揮されたように思う。『夫の生まれ育った家庭環境から考えると、つい癇癪を起こすのも仕方のないことかもしれない。』と都合よく解釈してしまったからだ。これは夫にとっても都合よかったが、私にとっても現実をみないようにする都合のいい見方だったのかもしれない。問題多い夫を理解し、受け止めればきっと夫は変わる…そうどこかで思っていた。夫はたまに「俺も自分と付き合うのは大変なんだ」「俺もつい怒ってしまうけど、それも辛いんだよ」などと言った。夫も自分自身で悩んでいるんだ、変わろうとしているんだ、と信じようとした。一方で罵声を浴び続け、衰弱し真っ暗な淵に落ち込もうとしている自分を感じていたが我慢した。落ち込まないように、必死で夫にしがみついていた。
そんな自分自身についても少しずつ振り返ってみたい。
こうして考える機会を与えてくださったまっち~さんに感謝します。
新しい記事から少しずつ読み進めているのですが、私が味わって来た事のリプレイ映像を見ているかのようで、一気に読む事が出来ません。
あ、これは内容云々では無くて、ウメさんの文章が読みやすくて、ついつい想像出来てしまうからなのでしょうね。
そして今私はモラ嵐の真っ只中に居ます。
ウメさんの解析の”依存”は自分にも該当する所がある気がしました。
相手に合わせていた方が楽・・・それぞれのやり方でお互いがお互いをコントロールしようと躍起になっていたのかも・・・
ああ、これだったのかと思いました。
相手とかみ合わない最大の原因は。
勿論、私の場合、その他細かい要因が積み重なっての結果論かもしれませんけれど。
ただ和睦したかっただけなのに。
相手の波に飲まれちゃう私の弱さも依存の一種なのでしょうね。
これから残りの記事、少しずつ読み進めて行きます。
kabuさんはモラ嵐の中でぐっと耐えていらっしゃるのですね…。
とても辛い日々だと思います。
私も夫とは仲良くしたかったですし、何とか夫の要求に応えようとしましたが
夫に合わせようとすればするほど、夫は更に無理難題をふっかけてきました。
まるで灼熱の砂漠に水をやっているような錯覚に陥りました。
やってもやってもあっという間にひからびていく不毛な関係で、私の心もカサカサでした。
モラは徹底して相手を追いつめていきます。
kabuさんは弱くないですよ。むしろ強いんです!
あの怪物モラと向き合っているのですから。
私達は忍耐強く、相手の可能性を待っていただけなのです。
実はそこで、待つ必要がないことを知ればいいのだと思います。
モラは私達の辛抱強さを利用して、より自分に依存させようと、
妻の力を奪おうとしているのです。
kabuさん、まずはモラ研究をしましょう!
モラがなぜそのような行動を起こすのか、意味が理解できれば、
自分はどのようにしたらよいのかがわかってきます。
私もそうして絶望の淵から生還してきました。
一緒に考えませんか?またお待ちしていますね。
ウメより
ブログでのあたしも本物のあたし
昔ながらのお行儀の良い?あたしも本物のあたし。
baniramamaさんがご自身のことに照らし合わせて共感してくださること、
そんなコメントが嬉しいです。
私は、このブログではモラ夫との関係を主に記載していますが
baniramamaさんの言うとおりその他の私もたくさんあります。
モラ夫からやられ続ける、惨めな私。
ある友人の中では姉御肌の私。
でも別の友人との関係では世話される私。
そして、威勢のいいときもあれば
ぼーっとしている私。
几帳面な時もあればいい加減な時もある私。
そっか。それでいいんですよね。
baniramamaさんのコメントで改めて思うところがありました。
しかし…長ったらしいホラーブログ読んで
毒気にあたらないようにしてくださいね!
ありがとうございます!
ウメより
そんなことありませんよ~~~
ウメさんの中にもあたしとそっくりな部分もあれば、見習わなければならない部分もあるし、驚く部分もあります(いつもと言うかもしかしたら後からかもしれないけれど、冷静に自分を見詰める所)
他人と対比して自分を見詰めてみる事も必要ですもんね あたしはウメさんのブログの中で元夫の所を読むときは心の中で(この人、病気かも)と思ったりする
でもってウメさんの心の動きを読んでいる時は・・・動揺してしまう この心の動きの文章が好き、好きというのは語弊がありそうだけど、自分もその環境に引きずり込める
そして誰だって大なり小なりこういう立場になりうる
自分だって加害者になるこもしれないし・・被害者になるかもしれない
そんなことを意識しながら読み進ませていただいています 一気に読みたいところだけど・・噛みしめて読んでます 時々バニラがじゃまするけれど・・
baniramamaさんは私と似ているところがおありなのですか~。
なんか自分で自分の事ってわからないな~と思います。
私も他の人の体験談や見方を参考にする中で
新たな自分を発見するときがあります。
ここでは『慢性モラ病』の夫?について言っていますが
私自身のことを問われたら、自分の中の闇や冷たさも
ありますからね。
別居後は自分をみつめるブログにしたいとも思います。
ところで、baniramamaさんみたいに、日常の出来事を
ほんわかタッチで書かれるブログもいいですよね。
私もたまにはそんなことも書いてみたいです。
そして、私も犬ちゃん、大好きです。
犬飼いたいわ~☆といいつつ今の住居環境では無理ですが…!
何か生き物がほしい…と思うこの頃です。