こころの声に耳をすませて

あの結婚生活は何だったのだろう?不可解な夫の言動はモラル・ハラスメントだった…と知ったウメの回想エッセー。

お楽しみ ~ひとり生活ひとりごと~

2006-04-02 14:34:29 | 日々の想い
 4月になった。春、目覚めたように咲く花々が好きだ。一番好きなのは木蓮。寂しい裸の枝に、ほっこりと咲く花はまるで蝋燭がぽっ、ぽっと灯っているように見える。ひっそりと秘めていた力が、花となって現われる、そんなふうに感じるのだ。そして桜。春のエネルギーを一気に放出させるような見事な咲き振りに、ただただ見とれてしまう。

 ただ、花は好きなのだが、私にとって基本的に春は苦手な季節だ。まず暖かくなったと思ったら、雪が降ったりするような不安定な気候。そして花粉症持ちの私はいつもこの時期、抗アレルギー薬とマスクを購入し、くしゃみ鼻水や喉のかゆみ発作に備えなければならない。もちろん洗濯物は室内干し。
 更に仕事上でも歓送迎会に人事異動、業務の切り替えや新しいシステムの導入、前年度の決算等慌ただしい日々となる。
 なので心身共に憂鬱な季節なのだ。昨日も土曜出勤だったし。。。はぁ~…しんど。

 ということで、気分転換をしようと先日仕事帰りに映画を観た。
 もともと私は映画が好きだ。結婚する前は友人と見たり、ひとりで観たりしたものだった。ただ夫と生活しているときは、自分の自由な時間はごく限られていたし、友人と楽しむ時間はほとんどなかった。夫と離れてから、仕事以外は殆ど自分の自由時間になったので時々仕事帰りに、映画を観るようになった。映画はやはり映画館で観るのがいい。あの大画面で観ていると、自分が映画の世界に入り込んだような感覚になる。どっぷりその世界に浸りきることができる。この非日常的な感覚が好きだ。今はレディースデイがあるので、ふんだんに活用させてもらっている。

 私が観た映画の中で一番印象に残っていたのは彫刻家、ロダンの弟子である『カミーユ・クローデル』だ。イザベラ・アジャーニの鬼気迫る演技が心に残った。ヴィム・ベンダースの『ベルリン天使の歌』、タルコフスキーの『サクリファイス』は名作だからと観たものの当時の私の頭ではいまひとつよくわからなかった。象徴的かつ哲学的で難しかったな。『猫は行方不明』、『仕立屋の恋』などフランス映画はちょっと風変わりだが味がある。恋愛を通して人種差別を描いた『ジャングルフィーバー』、南アフリカの苛酷な人種隔離政策への告発『遠い夜明け』などシリアスなもの、戦争ものも好きだった。『プラトーン』『7月4日に生まれて』『サルバドル』『シンドラーのリスト』『戦場のピアニスト』『トンネル』なども印象に残った映画だ。特にナチスドイツ戦禍の人間模様を描いたものに秀逸な映画が多いと感じる。宮崎駿のアニメも好きで欠かさず観た。『風の谷のナウシカ』は、涙が止まらなかった。後からこの原作も夢中になって読んだが、この壮大な物語を一編の映画にするのはちょっと無理があるかなあ。動物ものドキュメンタリー的映画も大好きだ。『WATARIDORI』は結婚後に夫が出張中に観に行った。私はバードウォッチングが趣味で、特に冬の水鳥たちが好きだったので、鳥の渡りをひたすら追ったこの映画には胸が躍った。また夫と別居後に観た『皇帝ペンギン』この時間も、ペンギンたちはブリザードにさらされながらじっと耐え生きているんだと思うと涙が出た。そして自分の身に重ね合わせたものだった。私はすぐ映画に感情移入するたちなのだ。

 実はファンタジーものも好きだ。ハリーポッターシリーズは、ずっと原作で読んでいた。映画を観たときは原作のイメージそのままで、その世界を再現する高度なCG技術には驚いたものだ。そして、以前からとても楽しみにしている映画があった。『ナルニア国物語』だ。
 私は子どもの頃から本が好きで、特にファンタジーものや推理小説などが大好きだった。ムーミン谷のシリーズ、ドリトル先生シリーズ、アルセーヌ・ルパンやシャーロック・ホームズもの…そしてナルニア国物語のシリーズ。詳細は覚えていなかったが、大まかなあらすじは記憶にあり、この映画の宣伝をしていたときに、私はナルニア国物語がとても好きだったことを思い出したのだ。それまでそんなことすっかり忘れていたのに。

 そして先日『ナルニア国物語』の映画を観た。頭の中で想像を巡らし、心躍らせたあの頃が蘇る。あの挿絵から導かれ生き生きと動き出す世界。そう、私は子どもの頃、この物語を夢中になって読んでいた。毎日のように図書館に通い読みふけっていた。図書館への道筋、建物、館内に並べられた本などが次々に思い出された。
 私はこの物語を楽しむと同時に、懐かしさで心がいっぱいになった。

 子どもの頃の忘れていた記憶が突如意識の中に飛び出してくる。ああ、私は子どもの頃、そんなふうに楽しんでいたんだ。そんなふうに日々生きていたんだ…。不思議な感覚だった。子どもの頃遊んだあの公園、図書館への道をもう一度歩いてみたい。あの頃の私自身に会ってみたい…。

ナルニア国物語、もう一度観ようかなぁ。。。


疲れました ~ひとり生活ひとりごと~

2006-01-26 22:19:45 | 日々の想い
 寒い毎日。風邪やインフルエンザが流行っているこの頃。小中学校では学級閉鎖もあるとか聞いている。職場も閉鎖にならないかな…、なんて無理か。という私は風邪も引かず…きっと毎日アルコール殺菌している成果だろう(笑)と、納得していたりする。

 ひとりで生活していると、普段あまり意識しないことまで考えるときがある。
「自分を食べさせ続けるのは大変…」「私が突如、死んだらこの部屋にまず入るのは誰だろう」「そのとき、あまりに部屋が散らかっていたら恥ずかしいな。。。」

 そんなことを考えさせられたことが会社であった。たまに顔を見せる中年男性の顧客。仮にこの客を『肝山』と呼ぼう。肝山は難しい顧客だった。ちょっと暗めだが、話しは饒舌。自分論をぶつ人だった。しかもこちらの提案するプランになかなか乗らないが、とにかく話しが長い。他の社員は皆この顧客を敬遠していた。そして「聞き上手」と都合良く言われた私が、たいていその顧客の相手をしていた。肝山は一方的に自分の要求を話すが、時間をかけてよく聞くと、「ついくだらないこと言って悪かった」「俺もわかっているんだけどなあ。言い過ぎるのが俺の悪いところだ」「いろいろ言うが、この会社の応対やサービスは気に入っているんだよ」と、最後は気前よく商品やサービスプランを契約し笑って帰る。私はそれにほっとすると同時に、私がしっかり相手をすれば契約を取れる、なんて思ってしまっていた(これが私の共依存パワーで、常に一長一短だ)。

 しかしある日、肝山は私との会話の中で、些細な言葉にひっかかり、突如キレた。他の社員も周りで聞いていたが、誰もがごく普通のやりとりと思う内容だった(後で皆そう言っていた)。肝山の機嫌も悪かったようだったが、「おまえのその言葉は何だ!どういうつもりだ!」という突然の大声に血の気が引いた。周りの社員も青ざめ、私達を見つめる。私は「お気に障ることを申し上げたかもしれない、申し訳なかった」と謝ったが、肝山の怒り収まらず。見かねて上司が応対を替わってくれたが、肝山、ますます調子に乗り「おまえらの会社をどうにかすることなんて簡単だ!ただで済むと思うなよ!おまえら、帰り道には気を付けるんだな!」とわけわからんことを喚いている。とにかく、何とか上司がなだめすかして、その後肝山は帰った。

 そしてその後…度重なる無言電話。そして、名乗らなかったが明らかに肝山の声で、会社や私や他の社員の名前を挙げ誹謗中傷する電話が続いた。皆、電話が鳴るたびに固まり、暗い顔で上司が受話器をとった。私は自分のせいで会社に迷惑をかけてしまったことと、肝山から何か攻撃されるのではないかという恐怖で、頭の中もそのことで一杯になってしまった。仕事のスケジュールを間違えるミスも増えた。胃がむかつき、偏頭痛に悩まされた。毎日欠かさなかったアルコール殺菌?もする気がなくなった。

 そして湧き起こる思い。。。なんで私は仕事にまでモラ夫みたいな野郎に脅かされなければならないんだろう…あれはまるでモラ攻撃だった。私は頭が真っ白になり、冷静な応対が出来なかった。ただ固まってしまった。なんで、こんなことが私に起こるのだろう。もうこんなことは沢山なのに…!私がもし殺されるとしたら、モラ夫だと思ってくれ、と友人に言ったことがあるが、今度は肝山の可能性もある、と言わなければならないのか?私がもし、どこかで刺されて倒れたら、この部屋には誰が入るのだろう。ああ、洗濯物が散らかったままだ。せめて見られて恥ずかしくないくらいに片付けておかなくては。でもまあ、世の中どんなことで突然死ぬかもわからないし。歩道を歩いていたって車がつっこんできたり、物が落ちてくる場合だってあるし。。。。。。
 と、飛躍しつつこんなことを考えた。

そんな強烈憂鬱な日々だったのだが、何とか上司や社長、そして顧問弁護士まで出てきての対策で、ようやく事が鎮静化した。きっともう肝山はこないだろう、と思う。社長は、私を責めることなく、「肝山がおかしかったんだ、まあ、あんな奴はたまにいるよ。たまたま奴にあたっちゃったんだ。ああいう変なタイプが増えるんだろうなあ」と寛容だった。上司は、営業でもっとひどいこともあった、と慰めてくれた。ああ、人生経験豊富な人たちが上司でよかった。あの一言で心底すくわれた。私も年取ったら、何があってもこんなふうに社員をかばうことができるだろうか…と考える。そう思ったらこれも貴重な経験なのか?

 しかしほんとにげっそりした。そして、今日久し振りにビールを飲んだ。

新しい年

2006-01-04 23:29:54 | 日々の想い
 あけましておめでとうございます。皆様はどんな想いを抱きながら新年を迎えられたのでしょうか。

 私が子どもの頃、祖父母が生きていた時は、その家に親戚中が集まり、わいわいと賑やかだった。子ども達はお年玉をもらい、カルタ取りなどをして遊んだ。大人達は料理を準備したり、お酒を飲んで話し込んだりしていたものだった。大人同士はきっとお互い気を遣っていたところもあっただろうが、お正月らしい風景だったように思う。
 20代前半までの頃は、年末年始に向け何か特別な気持ちがあった。1年が終わり、また新たな年がやってくる、と新鮮な気分で元旦の朝焼けを眺めたものだった。
 それがいつの頃からか、1年の区切りというけじめを感じられなくなっていた。12月31日から1月1日になっても、それはただ昨日が今日になり、今日が明日になっただけのこと、と単なる時間の連続でしか思えなくなっていた。
  
 そして結婚してからの年末年始は、私にとって苦しい時となった。仕事が休みに入った途端、大掃除、お節の材料を買い、大晦日までゆっくり座る間もなくお節料理を作る。そしてお正月になってやっと年賀状書き、夫の食事作りで終わる。お正月に実家に帰ることもなく、しみじみ感慨に浸る間もなかった。そしてお正月は2人きりだった。夫は自分の兄弟とすら会わなかったし、もちろん私の実家に行くなんてことも全くしなかった。そして、夫はお正月の行事は私に準備するよう求めるものの、お互いに楽しく話したり夫も大掃除をする、ということもなかった。私はただ夫の顔色を窺っていた。

 このお正月は実家で過ごした。弟夫婦も来て、賑やかなお正月となった。お互いにたわいない話しをし、弟が私の夫のことについて心配もしてくれた。そこで私はお酒も入っていたので調子に乗り、散々夫の悪口を言った。そして後日母親から「あのときのあなたは下品で恥ずかしかった」と説教をされた。世間体を気にする母は、私が夫と別居していることは自分の知人誰1人にも話していない。この母親からは別の日に、また「孫が欲しい」と何回も言われた。どちらの場面でも嫌~な気分になったが、私も以前と違って言い返すことができた。そして母親も短い時間で黙った。
 こういう普通の会話が以前はできなかったのだ。親から何か言われると私は固まり、恨みだけを募らせていた。そして母親は自分の気が晴れるまで延々と文句を言い続けていた。
 親も年をとった。私も年をとった。私は母親から理解してもらうことを、とっくに放棄していた。母親が私のことを理解し受け止めるなんて無理なんだ。そう思えたときから、私は楽になっていった。母親だって私の気持ちを無視していろいろ言うのだから、私だって言いたいことを言ってもいいんだ。そう思えるようになるまでどのくらいかかっただろうか。
 私も変われるんだな。。。しがみついていたものを手放せる時もくるんだな。。。と思ったりもする。


 新しい年に向け、私の好きな歌を心の中で歌いたい。

     Greensleeves     イギリス民謡(柳田知常 訳)

  1 古いものはみな うしろに過ぎ去り
    よろこびの歌が 聞こえてくる
    山も海も ゆたかにかがやき
    めぐみあふれよ 新しい年

  3 殻を脱ぐように わたしらも今は
    思いわずらいを ぬぎすてよう
    愛がやどり 胸はさわやかに
    めぐみあふれよ 新しい年

 どうかどんな時も、自分の力を信じて、自分が感じることを信じて、自分を大切に生きていけますように…!
 皆さんと一緒に、この時を…!

雪の降る夜

2005-12-29 00:37:28 | 日々の想い
 今年の冬は冷え込みが厳しく、あまり寒くない私の地域でも12月に雪が降った。空に雪が舞う。雪は私にとって非日常の世界に連れていってくれる。雪が降るといつまでも、いつまでも見とれてしまう。私が見る世界を、白く染めてくれる雪。汚い物もそっと包んでくれる雪。腐敗をそっと凍結させてくれる雪。

 私が子どもの頃は、よく雪が積もった。雪合戦、雪だるま、かまくら、そして雪にコンデンスミルクをかけたかき氷ならぬ雪氷。雪が降ると、そんなお楽しみに心躍ったものだった。そして空から絶え間なく降りてくるぼたん雪に私は見とれていた。じーっと見ていると、雪に乗って空に吸い込まれそうな気持ちになった。
 「手袋を買いに」という絵本がある。そこで子狐が雪と出会い、驚き戯れる描写が印象的だ。また、宮沢賢治の「雪渡り」では、雪の上を歩く「キシリキシリ」とか「キックキック」という音が頭に残った。先日降った突然の雪。どんどん降り積もり、私は出勤途中の道に積もった新雪の上を歩いた。キックキックと音がし、懐かしい物語を思い出した。

 私は一時雪国に住んでいたことがある。しんしんと降り積もる雪。何もかもが白く覆われていく。長い長い冬の季節。毎日雪が続くと、灰色の空からまるで灰が降ってくるようで迫り来る雪に息苦しさを感じた。あの時ほど春を待ちわびたことはない。雪国に住む人々にとって冬は本当に厳しい季節だ。道路の両脇にできる雪の壁、玄関や窓が壊れないように雪囲いを作る。水道管が凍結しないようにする、そして日々欠かせない雪かき。そこまで生活に迫り来る雪は、きれい、というより圧迫感だけがあった。
 そして突然の青空。まぶしく輝く銀世界。目に突き刺さるような光。そんなとき、私は友人と一緒に近くの地元の人たちが利用するスキー場に行った。春が近づくと、少しずつ晴れ間も多くなる。積もった雪がぽたりぽたりと溶けていく様子に春の喜びを感じたものだった。

 結婚して夫と生活を始めたこの土地でも、1~2月にはたまに雪が降った。雪が舞う中、夫と雪を楽しみながら散歩をしたこともあった。また、夫がひとりで見つけてきたマンションに引越さざるを得なかった時、引越しの当日は冷たい霙が激しく降っていた。霙の中の荷運び。重い雲がたれ込め、霙に濡れた段ボール箱が室内に運び込まれる。私は寒さに震えながら段ボールを雑巾でぬぐった。暗く重い天候はこの先の生活を暗示しているような気がしたものだった。そして引越し後の夫との生活は常に冬だった気がする。厳冬だったり、雹が降ったり、暖冬かと思ったら吹雪に心身凍りつく…と言ったような。私にとっての春は、夫から離れることだった。夫と生活をしていたとき、どんなに春を待ちわびたことか。私の心が晴れやかになる日は来るのだろうか…?そう感じていた。
 時間が経てば、そのうちに季節は移り変わる。しかし夫との生活は待っていても変わらなかった。季節は冬のままだった。私は自分で、太陽を取り戻すために南方向への脱出計画をおぼろげながら夢想し始めていた。それが具体化するまでにはもう少し先になったのだが。
 
 雪降る夜、私は懐かしさを感じながら外を見る。私の生活に、もうモラが入り込むことはあり得ない。モラ夫と過ごした日々が、遠くなっていく。こんな日がくるなんて。こんな心穏やかに、ひとりで暮らせるなんて、こんな日を私は作れたんだ。悲しいけれど、ほっとする。不安だけれど、自信も出てくる。今、私に向かって「最低最悪人間だ!」と言う人は誰もいない。誰も。

              *******************************************

 年の瀬も押し迫ってまいりました。この1年、皆様にとってどんな年でしたでしょうか。私は、モラ夫と別居して1年が過ぎました。心の平安を取り戻し、ビクビクすることなく穏やかに暮らしています。『できないことを数えるよりも、今自分ができることを、ささやかでもいいから行動すること』、そう自分に言い聞かせています。
 このブログはまた年明けから再開させていただきます。いつも読んでいただいている皆様、どうか良いお年をお迎え下さいますように…!


気持ちのいいこと ~スイミング~

2005-11-26 23:47:49 | 日々の想い
 今年の夏から、何年かぶりにプールで泳いでいる。どこのプールがいいかと、公営のプールをいくつかと、フィットネスの体験で泳いだが、経費や距離などから電車で15分くらいのところにある公営プールを利用することにした。今は月2~3回、そこで泳いでいる。
 私はもともとスポーツが好きだ。観戦は嫌いだが、自分がするのは好きだ。小学生の頃はよく体を動かして遊んだ。男の子たちと一緒に草野球をし、おにごっこ、ケイドロ、虫取りなどよく歩き走り回った。スイミングスクールにも通った。中学生の時はバスケ部に入った。働き初めてからはスキーに夢中になり、毎年冬に休みを取り、友人と信州や上越、東北のスキー場に行って滑りまくったものだった。

 しかし結婚してからは、あまり運動をしなくなった。というか、夫と暮らしているときには、自分の時間を自由に使えることはあまりなかったからだ。仕事から帰れば、座るまもなく夕食の準備に取りかかった。休日も家事に追われ、時間が空いても夫が家にいれば外に出かけることは難しかった。夫とはよくウォーキングをしたが、時間も距離もコースも夫の決めるがままだった。しかも夫はスキーなどに一切関心がなかったので全く行かなくなった。
 私自身も、夫との生活を日々やり過ごすことに精一杯で、何か趣味やスポーツをしようというゆとりもなかった。精神的にも時間的にも、経済的にも。

 夫と別居してから訪れた平和な毎日。穏やかな時間。私の縮こまり固まっていた心と体が少しずつ動き出した。何か、のびのびと体を伸ばせる運動をしたい。気持ちよく体を動かしてみたい…そんな欲求が私の中で生まれた。
 そして私は結婚以来(8年ぶりくらいに)久々にひとりでプールに行った。古い水着を着て、私は水の中で体を伸ばした。体は泳ぎを覚えていた。私は思いきり手足を伸ばし、水の感触を楽しんだ。水の中に体を委ね、無重力に解放される感覚。私の体はいつの頃よりも、自由にリラックスしているように感じた。
 泳ぎ始めた時は、25メートル泳いだだけで息があがり少しの間休まなければならなかったが、そのうちに呼吸も慣れてきた。体が水に馴染み、私は無の境地でひたすら水の感覚に心も体も委ねた。そしてプールから上がったときには、何か非常にすっきりした爽快感があった。体の中に溜まっていた澱が抜けていったような、そんな感じ。水の中で体を思い切り伸ばせるって、なんて気持ちがいいのだろう…!
 そして私は新たにフィットネス用の水着を買い、たまにプールで泳ぐことにした。回を重ねる毎に体が水をとらえ、息があがることもなくなってくる。私はただ黙々と泳いだ。

 ある日プールに行くと、何人かの高校生くらいの子どもたちが入ってきた。水着からして気合いが入っている。念入りに準備体操し彼らはプールに入った。多分水泳部か何かに所属しているのだろう。その彼らの泳ぎに目を奪われた。最初の人が泳ぎ、10秒後にまた次の人が、というように順にスタートして泳いでいく。若い体が勢いよく水を切り、しぶきを上げ泳いでいく。まるでイルカやトビウオがジャンプしながら突き進んでいるようだ。なめらかな肌が水をはじき、水を滑っていく。

 私はその時、若いっていいな~と感じた。瑞々しい体、はじけ飛ぶようなエネルギー、彼らはそれを全身で楽しんでいる。水の中で彼らは無敵だ。クロール、バタフライ、平泳ぎ。すごいな~、きれいだな~、と私は見とれていた。

 私も泳ごう。自分らしく、ゆったりと。イルカというよりはマンボウのようにゆるゆると、息長く、ときおり水の中に差し込む光のゆらめきを見つめながら、自分の四肢を思い切り伸ばして、水をとらえ、水にゆだねながら、体も心も解放してあげよう。
 次はいつ行こうかな。。。