ウマさんの気ままな行動日記(その2)

趣味の釣り・日帰り温泉・街道歩き・ウォーキング情報等を発信していきたいと思っています。コメント歓迎します。

紅葉の月居山から袋田の滝へ

2011年11月05日 | ウマさんの「健康ウォーキングの会」
2011年11月5日(土)


毎週金曜に地元土浦周辺を歩く同好会「健康ウォーキング同好会」が主催する、
本年第36回「月居山ハイキング」に参加した。

月居山ハイキングは、昨年も参加したが、好評だったことから今年も企画した。
”ときわ路パス”を使えば運賃が大幅に安くなる(平日往復3,780円のところが2,000円)ことから、土曜日にした。


荒川沖駅ホームで電車を待つ。


水戸で3両編成の水郡線・郡山行きに乗り換える。
この日の参加者は10名。昨年の8名より2名増えてはいるが、もう少し増えてもいいかな。


水郡線に揺られて1時間10分後の10時31分、ようやく袋田駅に到着だ。


袋田駅舎


先ずは準備体操


10時45分、月居山目指して『いざ出発っ!!』


袋田の滝方面を目指す。
この日の先頭は、会長が務める。


久慈川を見下ろす場所に建てられた”日本二十五勝”の碑
Wikipediaによると、
本来は日本新八景に次ぎ、日本百景よりも上位の選にあたる、とのことだが。
日本新八景や日本百景が現在もしばしば景勝地の惹句(じゃっく)とされるのに対して、
今日では日本二十五勝であることが喧伝されることは、その地元ですらほとんどない、そうだ。
せっかくこのような碑を立てているのだから、日本二十五勝をもっとPRしてもよさそうなものである。
因みに日本二十五勝には、数ある瀑布の中から那智滝養老滝、そしてこの袋田滝の3つしか選定されていないのだから。


月居山(前山と後山)が見えてきた。
真ん中の窪みに月居観音堂が見える。


幕末の勤王志士 桜田門外ノ変実行部隊の指揮者関鉄之助の碑が建てられている。
万延元年(1860)3月3日、大老・井伊直弼を暗殺し、事件後西国から薩摩に入ろうとしたが拒絶され、
かつて親交のあった常陸国久慈郡袋田村の桜岡源次衛門を頼り、同年7月中旬桜岡邸屋敷に身を潜めた。
潜伏期間中の約1年間に、多くの漢詩や和歌を書き残した、そうである。
その後捜査の手から逃れるため、会津から越後へ入ったが、文久元年(1861)に湯沢温泉潜伏中に捕えられて水戸へ送られた。
翌文久二年(1861)江戸小伝馬町へ移されて処刑された。享年39歳であった、と紹介されている。


「袋田の滝」へ通じる道の少し先を左へ折れ、月居山登山道の入口へ向かう。


月居山への登り口
”月居山登山道まで1Km、徒歩15分”の案内板が。


ここまで30分、上りが始まる前に小休止だ。
入口は通行止めの看板が立てられ、閉ざされていたので少し気になったが・・・
車が対象だろうということで、構わずそのまま進むことにした。


緩やかな上り坂が続く。


上り始めて10分ほど進むと、根こそぎ倒れた木が道を塞いでいた。
台風の大雨の影響で崖崩れが発生したのだろう。


”通行止め”は人も通れないためだったのか? 引き返す訳にも行かず、木を避けながら前へ進むしかない。
未だにそのままになっている倒木だが、早目に除去して欲しいものである。


大きな岩も崖から転げ落ちたままの状態だ。


月居山登山道入口に到着。
最初の登り口から15分ちょっと、案内板どおりだ。


山道らしくなってきた。
落ち葉を踏みしめながら進む。
気温は20度前後、全身に汗が滲んできた。


さほど急ではない坂道が続く。


月居山山頂への登り口
ここからは、一段と急な道になる。


坂道-1
いつの間にか先頭は最年長のTさんになっている。


坂道-2
いつも元気なTさんである。


山頂へ至る最大の難所はロープにしっかりと掴まって登る。


まるでロッククライミングだ。
男性陣は楽しんでいる様子にも見える。


最後の一番急な岩場を登ると・・・


月居城跡に到着した。
やや平坦になった場所があり、櫓か何か建物があったのだろうが、よくこんな山の頂上に造ったものだと感心させられる。
家臣たちは毎日大変な思いをして登ったのだろう?
左側の一段小高いところが月居山山頂(423m)になる。


12時を20分ほど過ぎていたので、山頂(後山)で弁当を広げることにした。
『美味しいわっ!』


弁当も終わり、満腹になったところで記念撮影だ。


下山開始
『滑らないように気を付けてっ!』


『ゆっくり、落ち着いてねっ!』


小さな門の先に鐘楼が見える。


”無事下山”の祈りを込めて一撞き。
月居山中に鐘の音が響き渡る。


月居観音堂
案内板には、次のように紹介されている。
正しくは月居山光明寺観音堂といいます。宗派は天台宗で大同二年(807年)に建てられたと云われています。
このお堂の中には、運慶の作と伝えられる高さ6尺(約1.8m)の聖観世音菩薩が安置されています。
永保三年(1083年)源義家が奥州征伐の時、このお堂の中に一夜お籠りして戦勝を祈願した、と伝えられています。


月居観音堂からの見晴しは抜群だ。
山形の山寺からの景色を思い起こさせる。


石段をゆっくりと上ると月居山のもう一つの頂(前山)がある。


その頂を過ぎると、今度は石段の下りになる。
ここからは、滝まで一気に下る。


急に視界が開け、麓の景色に見惚れる。
『いやぁ絶景だねぇ』


次第に色づく奥久慈の山々。
正面に見えるのは、生瀬富士(420m)である。


袋田温泉滝川沿いの土産物店や観瀑台入口が見える。


昨夜のNHK天気予報で、”袋田の滝は見頃”と放送していたらしい。
まさに紅葉真っ盛りだ。


やはり赤いもみじが混じると美しい。


『綺麗だわねぇ』
『来て良かった~』


「生瀬の滝」の観瀑台への途中、木々の間から「四度の滝」の最上部が垣間見えた。
流れ下る滝の音が回りの谷にこだまし、「生瀬の滝」への期待が高まる。


「生瀬の滝」の観瀑台に到着。
『いやぁこれは素晴らしい眺めだねぇ』
あちこちから感嘆の声が上がる。


生瀬の滝
昨年は10月中旬だったので、紅葉は全く観られなかったが、
この日のビューイングは”最高”というべきだろう。


天狗岩の伝説
案内板には、次のように紹介されている。
天狗の鼻のような形をしていて、天狗が滝見をしたところと云われている。
夜な夜な天狗の大きな羽ばたきがしていた。ところが、実はこの辺りに棲んでいるムササビの羽ばたきであった。
科学の発達した現代では笑い話のようなことが、真実として伝えられている伝説が多い、とのことだ。


膝が笑い出す寸前、長い下りの階段もようやく終わりに近づいた。


観瀑台への吊り橋の先を渡ると”袋田の滝”(四度の滝)だ。


袋田の滝
ここからでもかなり迫力が感じられるが、ここまで来たら観瀑台から観なければ・・・
K子さんからこの時のために用意してくれたスタンプラリー割引券を渡される。
めいめい割引券と250円を払って観瀑台へ向かった。50円の割引はありがたい。


この日は土曜日ということもあって、観瀑台は大勢の人が訪れていた。


最初は第二観瀑台からの眺め。
滝全体を観ることが出来、第一観瀑台とはまた違う景色を味わえる。
第二観瀑台は、第一観瀑台より47mほど高いところに設けられている、そうだ。


こちらは第一観瀑台からの眺め。
目の前に滝の水が滑るように流れ落ちて行くので迫力がある。


土産物店をそのまま通り過ぎるのは珍しい。
滝を満喫した余韻に浸って、土産を買うのも忘れてしまった?


紅葉と滝を満喫し、大満足の様子だ。


立ち止まって眺める先には・・・


月居山だ。
『あそこのてっぺんまで登って来たんだねぇ』
感慨深げである。


左手に滝川を見ながら袋田駅へ向かう。


滝川にも溯上した鮭を見ることが出来た。
この時期、既に産卵を終えた鮭の死骸は数多く確認できたが、生きているのを見たのは初めてである。
かなり弱っている様子だった。『御苦労さんっ!』の声が飛ぶ。


水郡線の踏切を渡ると、袋田駅はもう直ぐだ。


線路の先に袋田駅が見える。


うまい具合に駅前に酒屋があったので、めいめい缶ビールとつまみを買い求めた。


整理体操もそこそこに・・・


『汗をかいた後のビールは最高だねっ、美味いっ!!』
電車を待つ少しの間、至福のひと時である。


水戸行き電車に乗り、袋田を後にした。
『今日は本当に御苦労さまでしたっ!』


「ときわ路パス」を使っての月居山ハイキングは自身2度目であるが、この日は滝と紅葉を堪能した。
やはり紅葉の時期は一味違うものがある。
要望があれば、また企画したいコースの一つである。



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