2008年1月14日(月)
中辺路(田辺から熊野本宮大社へ至る熊野古道)の一部を歩いた。
熊野九十九王子のなかでもとくに格式が高いとして崇敬されてきた「五体王子」のひとつで、熊野の霊域の入り口とされた重要な場所、「滝尻王子」跡。
御幸一行は七~八百人、多いときはその三倍以上だったといわれる。

王子跡の裏から山に向って古道がのびている。かなり急で険しい坂道でまるで登山道である。
平安時代の法皇や上皇の御幸の行列はこんなところを熊野本宮大社を目指して登って行ったのかと、今さらながらに感心するばかりである。
室町時代には別の古道が出来たため、この道は通らなくなったそうではあるが。

女性がここをくぐると安産できるとの俗信がある、胎内くぐりの岩。
中は狭く大の大人が通り抜けるのに苦労する。

中辺路の「箸折峠」へ通じる熊野古道の入口。

箸折峠への熊野古道。杉の林の中を歩く。

昔、花山(かざん)法皇が熊野参詣の途中ここで昼食をとり、箸がないので近くのカヤを折って箸にしたのが峠の名の由来といわれる。
牛馬童子像(左側)は法皇の旅姿と伝わる。

南紀白浜の名勝、「三段壁」と「千畳敷」
エレベータで波打ち際(左側の洞窟の奥)まで降りられるが、あまりにも高い(1,200円)のでやめた。

「三段壁」にはたくさんの釣り人が竿を出していた。
高さ10m以上はありそうだ。それにしても怖くないのかなあ?

「千畳敷」は三段壁から近い。

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中辺路(田辺から熊野本宮大社へ至る熊野古道)の一部を歩いた。
熊野九十九王子のなかでもとくに格式が高いとして崇敬されてきた「五体王子」のひとつで、熊野の霊域の入り口とされた重要な場所、「滝尻王子」跡。
御幸一行は七~八百人、多いときはその三倍以上だったといわれる。

王子跡の裏から山に向って古道がのびている。かなり急で険しい坂道でまるで登山道である。
平安時代の法皇や上皇の御幸の行列はこんなところを熊野本宮大社を目指して登って行ったのかと、今さらながらに感心するばかりである。
室町時代には別の古道が出来たため、この道は通らなくなったそうではあるが。


女性がここをくぐると安産できるとの俗信がある、胎内くぐりの岩。
中は狭く大の大人が通り抜けるのに苦労する。

中辺路の「箸折峠」へ通じる熊野古道の入口。

箸折峠への熊野古道。杉の林の中を歩く。

昔、花山(かざん)法皇が熊野参詣の途中ここで昼食をとり、箸がないので近くのカヤを折って箸にしたのが峠の名の由来といわれる。
牛馬童子像(左側)は法皇の旅姿と伝わる。

南紀白浜の名勝、「三段壁」と「千畳敷」
エレベータで波打ち際(左側の洞窟の奥)まで降りられるが、あまりにも高い(1,200円)のでやめた。

「三段壁」にはたくさんの釣り人が竿を出していた。
高さ10m以上はありそうだ。それにしても怖くないのかなあ?

「千畳敷」は三段壁から近い。

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