世阿弥は、風姿花伝をなぜ書いたのか?
うどんジムは、8年ほど前に、原文で最初の50Pほど読んで、能自体の専門的なところが始まったところで、読むのをやめました。
一門の将来を考えて、どうしても繁栄させたい、能を興行的に確立させたい、自分が体得したことを伝えたい。
「どうしても」という、内なるマグマの熱を感じるような文章だったと思いました。
花と珍しきと面白きは同じだみたいなことが書かれていたと思います。
人を感動させないと興行は成功しないので、利益も出ないし、もちろん一門も生活できなくなり、自分が命をかけた能楽がすたれます。
だから秘して花とする演出に命をかける必要があったのだと思います。
同じすばらしいものでも、意外性がないと「ふ~ん」って感心されるだけで、感動されない。
人は実用や機能だけのものにはお金は案外かけない。
肉用のニワトリになるより、役にも立たない孔雀にならないと、ほんとのところ利益は出ないのかもしれない。
意外性を出すには、これから意外なことが起こるかもしれないとさえ思わせずに意外なことをする必要があると世阿弥はいっていたと思う。
今、ぱっと思い浮かぶのが新庄剛さん。
あと、X‐JAPANのYoshikiさん。
ライブで何百万もする楽器を叩きつけて壊しまくったり、倒れて中止したり、かと思えば、繊細なタッチでピアノを弾く。
今のイチローさんは、世界のスターとしてカリスマオーラが出まくって、秘さなくても花ですが、彼がインタビューで「別に。。。」「記録は知らなかった。興味がない。」を連発するのも、もしかしたら「世阿弥流?」と勘繰ってしまいたくなる。
彼が、オリックス時代に、200安打の次の年からは、いくら球場にお客を呼ぼうと思って、スタンドにボールを投げたり、外野で背面キャッチを見せたり、サービス精神を発揮しても、お客が減る一方で、イチローは成績はすごいけどお客は呼べないといわれたことをすごく悔しそうに語っていたのをテレビで見たことがある。
ヒットを量産するというコンスタントさが売りで、いいプレーをするのが当たり前とされ、またインタビューでも人を笑わせたりバカをやるようなことはたぶんできないタイプだけに、「秘すれば花」のタイプではなかったと思う。
あれだけ成績や実力に差がありながら、メジャー一年目の話題では、かなり新庄さんに食われてました。
花となるには、秘するのと対極に、底抜けにオープンであり続けるのもありだと思う。
その点、新庄さんや古く長嶋茂雄さんは、「秘していながらオープン」という稀有な時代を代表できる花だったのかも。
サッカーの中田ヒデさんもたぶん、プレー以外で、普段、愛想がよくないから花というか華があったのではないでしょうか?
秘すれば花というのは
かなり大きい問題なので、どういう切り口から書いていこうか悩みますが
うどんジムは
「秘すれば花」の弊害について言いたいのです。
無愛想に「教えてもらうな。見て盗め。」なんていわなくても、簡単にレベルアップできることがいっぱいあるのに、それで、怪我をしたり病気をしたり事業に失敗するケースがうどんだけでなくいろんな世界であり過ぎるような気がするからです。
わが国のホワイトカラーの生産性が低いというのも、秘すれば花と大いに関係があると思いました。
つまり、わが国経済の国際競争力とも関係がありそうです。
花になるのは、確かに、新庄さんの日ハムの例を見ても、活性化を招くでしょう。
ただ、花は、人の目とお金を集約させながらの活性化です。
儲かります。
今、うどんジムが取り上げたいのは、人の目とお金を外に拡散させながら行う活性化です。
そうや、それでは儲からんでないか。
だから、手をつける人が少ない。
「秘すれば花」
からは、ジャック ラカンの有名な言葉も思い出させます。
「利己的な遺伝子」とか一世を風靡したのも、通底するような気がする。
世界をつらぬく多くの関係性の串の主要な一つかもしれない。
うどんジムは、8年ほど前に、原文で最初の50Pほど読んで、能自体の専門的なところが始まったところで、読むのをやめました。
一門の将来を考えて、どうしても繁栄させたい、能を興行的に確立させたい、自分が体得したことを伝えたい。
「どうしても」という、内なるマグマの熱を感じるような文章だったと思いました。
花と珍しきと面白きは同じだみたいなことが書かれていたと思います。
人を感動させないと興行は成功しないので、利益も出ないし、もちろん一門も生活できなくなり、自分が命をかけた能楽がすたれます。
だから秘して花とする演出に命をかける必要があったのだと思います。
同じすばらしいものでも、意外性がないと「ふ~ん」って感心されるだけで、感動されない。
人は実用や機能だけのものにはお金は案外かけない。
肉用のニワトリになるより、役にも立たない孔雀にならないと、ほんとのところ利益は出ないのかもしれない。
意外性を出すには、これから意外なことが起こるかもしれないとさえ思わせずに意外なことをする必要があると世阿弥はいっていたと思う。
今、ぱっと思い浮かぶのが新庄剛さん。
あと、X‐JAPANのYoshikiさん。
ライブで何百万もする楽器を叩きつけて壊しまくったり、倒れて中止したり、かと思えば、繊細なタッチでピアノを弾く。
今のイチローさんは、世界のスターとしてカリスマオーラが出まくって、秘さなくても花ですが、彼がインタビューで「別に。。。」「記録は知らなかった。興味がない。」を連発するのも、もしかしたら「世阿弥流?」と勘繰ってしまいたくなる。
彼が、オリックス時代に、200安打の次の年からは、いくら球場にお客を呼ぼうと思って、スタンドにボールを投げたり、外野で背面キャッチを見せたり、サービス精神を発揮しても、お客が減る一方で、イチローは成績はすごいけどお客は呼べないといわれたことをすごく悔しそうに語っていたのをテレビで見たことがある。
ヒットを量産するというコンスタントさが売りで、いいプレーをするのが当たり前とされ、またインタビューでも人を笑わせたりバカをやるようなことはたぶんできないタイプだけに、「秘すれば花」のタイプではなかったと思う。
あれだけ成績や実力に差がありながら、メジャー一年目の話題では、かなり新庄さんに食われてました。
花となるには、秘するのと対極に、底抜けにオープンであり続けるのもありだと思う。
その点、新庄さんや古く長嶋茂雄さんは、「秘していながらオープン」という稀有な時代を代表できる花だったのかも。
サッカーの中田ヒデさんもたぶん、プレー以外で、普段、愛想がよくないから花というか華があったのではないでしょうか?
秘すれば花というのは
かなり大きい問題なので、どういう切り口から書いていこうか悩みますが
うどんジムは
「秘すれば花」の弊害について言いたいのです。
無愛想に「教えてもらうな。見て盗め。」なんていわなくても、簡単にレベルアップできることがいっぱいあるのに、それで、怪我をしたり病気をしたり事業に失敗するケースがうどんだけでなくいろんな世界であり過ぎるような気がするからです。
わが国のホワイトカラーの生産性が低いというのも、秘すれば花と大いに関係があると思いました。
つまり、わが国経済の国際競争力とも関係がありそうです。
花になるのは、確かに、新庄さんの日ハムの例を見ても、活性化を招くでしょう。
ただ、花は、人の目とお金を集約させながらの活性化です。
儲かります。
今、うどんジムが取り上げたいのは、人の目とお金を外に拡散させながら行う活性化です。
そうや、それでは儲からんでないか。
だから、手をつける人が少ない。
「秘すれば花」
からは、ジャック ラカンの有名な言葉も思い出させます。
「利己的な遺伝子」とか一世を風靡したのも、通底するような気がする。
世界をつらぬく多くの関係性の串の主要な一つかもしれない。