この人、ブッシュ政権の関係者なので、ずいぶんかばわれてると思う。
事件の詳細はわたしにはわからんし、この人自体が、前回ナチスの幹部にたとえられるような残虐な人でもないのでしょう。
まあ、それをいったら、談合や汚職で逮捕される知事などもほんとに、地方経済のことを大事に思った面もあるのだと思うし、村上さんや堀江さんにだって、悪気も残虐性もほとんどないと思う。
ウォルフォウィッツ総裁が事実上、背任罪の要件をそろえていることは、疑いにくいと思う。
刑罰を受けるに値するように思う。
なんで、ほかの多くの事件の中で、うどんジムがこの事件にたいへんこだわるのか。
恋人を優遇するってのは、ほんとに、その優遇して支給したお金の問題じゃなくて、組織そのものをダメにしてしまう可能性がかなりあると思うんです。
実際に世界銀行の職員間ではかなり不満が渦巻いてたらしい。
経験的にも、うどんジムが見たところ、自分の気に入った人だけを飲みに連れて行ったり、個人的に好き嫌いを仕事に反映させる人がトップにいると、どこでも事なかれ主義が横行したり、失点の可能性はあるけど手柄の少ない仕事は、押し付け合いになって、仕事の隙間が多くできたり、真面目な人や人のよい人が際限なくやり、上と飲みに行ってしゃべるのが得意だけど、仕事に不真面目な人が幅を利かせるというおかしなことが横行していた。
こういう人がいると、問題隠しも多くなります。
判断に客観性がなく、自分が困るかどうか、好きか嫌いかだから、予測が難しい。
始皇帝の法を劉邦が改めたというが、好きか嫌いかで、シートベルト着用義務違反で死刑とかになるのでは、人は活動できません。
人の動きが活発でなくなると、経済が停滞する。
だから、罪刑法定主義というのはあるともいえる。
何も、国家から人権を守るためだけではない。
詐欺の要件がはっきりしてないと、セールストークなんかできない。
恋人を厚遇するというのは、国家経済が経済関係法が整備されてないと立ち行かないのと同じように、組織の仕事活動を立ち行かせなくなるように歪める可能性をつくることになる。
恋人を優遇するというのは、黒インクのごとしで、たとえ1滴でも、大きな水槽の水をたちどころに黒くしてしまうことが往々にある。
大きな組織の責任者でありながら自覚なく、際限なく問題を垂れ流す人がときどきいる。
比率としては大きくなくても、数としては多く、目立つ。
これが、小さな町工場でなら、まだいい。
でも、企業でも、役所でも、警察でも、大きい組織になったらどこでも不特定でかなり多数の生命を左右することがある。
リコールの検討や災害警報や現場レベルの初動命令を出すべきだと思うけど、何もなかったときに、怒られてどっか飛ばされるかもしれないとか、トップのお気に入りの人がめんどくさがりだから、にらまれるのが怖くて、「まあ大丈夫だろう。」と流してしまう。
あとで、大事件になるようなことは、たどれば、こんなレベルの現場の感覚がもとであることが多い。
世界銀行なんか、IMFなどと並んで、何億人もの人々の貧困に働きかける世界のメイン組織で、そこが歪められたのが腹立たしい。
いちおう、うちも、ユネスコの寺子屋とか、貧困国のチャリティーにはときどき参加している。
それだけに、最も有力な機関が、こんなトップのふさわしくなさ過ぎる振る舞いで、歪められているというのが、やるせなさ過ぎる。
物語性ではないけど、くさむらで踏まれている草がかわいそうだとか誰も考えんように、物語性の認められない命が、総裁の恋の物語によって、まるで無自覚に踏みにじられているように思えるのは、わたしだけ?
まあ、そこまで言うかと現代人は思うかもしれなけど
論語では
彼は誠実な人である。仕事場以外では上司と絶対に会わない。
なんて書かれてます。
まあ、ノミニケーションをまるで否定する気はないけど、常に悪影響をはらむという自覚は持つべきだし、大きな組織のトップにもなれば、コミュニケーションの取り方にも相当の注意を払わなければ、(本人の悪気なんか関係ないのです。)本人が優しくていい人でも、組織を歪めて、人の命に影響を与えることが往々にあるのです。
自分が後輩のとき先輩に殴られたから、自分が先輩になったときに殴ってやるといわんばかりに、組織を半ば私物化してきたような力強い言動と気風の良さが目立つ親分肌のトップの真似を自分がなったときに同じようにする人がいるのはほんとに困ります。
事件の詳細はわたしにはわからんし、この人自体が、前回ナチスの幹部にたとえられるような残虐な人でもないのでしょう。
まあ、それをいったら、談合や汚職で逮捕される知事などもほんとに、地方経済のことを大事に思った面もあるのだと思うし、村上さんや堀江さんにだって、悪気も残虐性もほとんどないと思う。
ウォルフォウィッツ総裁が事実上、背任罪の要件をそろえていることは、疑いにくいと思う。
刑罰を受けるに値するように思う。
なんで、ほかの多くの事件の中で、うどんジムがこの事件にたいへんこだわるのか。
恋人を優遇するってのは、ほんとに、その優遇して支給したお金の問題じゃなくて、組織そのものをダメにしてしまう可能性がかなりあると思うんです。
実際に世界銀行の職員間ではかなり不満が渦巻いてたらしい。
経験的にも、うどんジムが見たところ、自分の気に入った人だけを飲みに連れて行ったり、個人的に好き嫌いを仕事に反映させる人がトップにいると、どこでも事なかれ主義が横行したり、失点の可能性はあるけど手柄の少ない仕事は、押し付け合いになって、仕事の隙間が多くできたり、真面目な人や人のよい人が際限なくやり、上と飲みに行ってしゃべるのが得意だけど、仕事に不真面目な人が幅を利かせるというおかしなことが横行していた。
こういう人がいると、問題隠しも多くなります。
判断に客観性がなく、自分が困るかどうか、好きか嫌いかだから、予測が難しい。
始皇帝の法を劉邦が改めたというが、好きか嫌いかで、シートベルト着用義務違反で死刑とかになるのでは、人は活動できません。
人の動きが活発でなくなると、経済が停滞する。
だから、罪刑法定主義というのはあるともいえる。
何も、国家から人権を守るためだけではない。
詐欺の要件がはっきりしてないと、セールストークなんかできない。
恋人を厚遇するというのは、国家経済が経済関係法が整備されてないと立ち行かないのと同じように、組織の仕事活動を立ち行かせなくなるように歪める可能性をつくることになる。
恋人を優遇するというのは、黒インクのごとしで、たとえ1滴でも、大きな水槽の水をたちどころに黒くしてしまうことが往々にある。
大きな組織の責任者でありながら自覚なく、際限なく問題を垂れ流す人がときどきいる。
比率としては大きくなくても、数としては多く、目立つ。
これが、小さな町工場でなら、まだいい。
でも、企業でも、役所でも、警察でも、大きい組織になったらどこでも不特定でかなり多数の生命を左右することがある。
リコールの検討や災害警報や現場レベルの初動命令を出すべきだと思うけど、何もなかったときに、怒られてどっか飛ばされるかもしれないとか、トップのお気に入りの人がめんどくさがりだから、にらまれるのが怖くて、「まあ大丈夫だろう。」と流してしまう。
あとで、大事件になるようなことは、たどれば、こんなレベルの現場の感覚がもとであることが多い。
世界銀行なんか、IMFなどと並んで、何億人もの人々の貧困に働きかける世界のメイン組織で、そこが歪められたのが腹立たしい。
いちおう、うちも、ユネスコの寺子屋とか、貧困国のチャリティーにはときどき参加している。
それだけに、最も有力な機関が、こんなトップのふさわしくなさ過ぎる振る舞いで、歪められているというのが、やるせなさ過ぎる。
物語性ではないけど、くさむらで踏まれている草がかわいそうだとか誰も考えんように、物語性の認められない命が、総裁の恋の物語によって、まるで無自覚に踏みにじられているように思えるのは、わたしだけ?
まあ、そこまで言うかと現代人は思うかもしれなけど
論語では
彼は誠実な人である。仕事場以外では上司と絶対に会わない。
なんて書かれてます。
まあ、ノミニケーションをまるで否定する気はないけど、常に悪影響をはらむという自覚は持つべきだし、大きな組織のトップにもなれば、コミュニケーションの取り方にも相当の注意を払わなければ、(本人の悪気なんか関係ないのです。)本人が優しくていい人でも、組織を歪めて、人の命に影響を与えることが往々にあるのです。
自分が後輩のとき先輩に殴られたから、自分が先輩になったときに殴ってやるといわんばかりに、組織を半ば私物化してきたような力強い言動と気風の良さが目立つ親分肌のトップの真似を自分がなったときに同じようにする人がいるのはほんとに困ります。