昔のうどんジムの風姿花伝や唯物史観に関する文章を読まれた方がいらっしゃるかもしれません。
・秘すれば花 秘せざるは花なるべからず
・暗黙知を形式知に
・情報の非対称性から利益が生まれること
・唯物史観
・物語性による価値判断と記号論とメディア
・高度情報化による消去と忘却(銀行の待ち時間に読んだ日経ビジネスで武田徹先生がそんなこと書かれてました。)
このあたり関連付ける範囲が広がったことで、昔書いたのよりもかなり意味のあることが書けるようになったと思う。
昔、某店の店主が本で
修行している○○君がなかなか生地を四角く延ばせずに、丸く延ばしてしまうのがいかんと書いてました。
そんなん、盗んだり慣れて経験することで覚えるような暗黙知にしとるのがいかんと思う。
端に体重をかけて押すと四角くなり、真ん中にかけて押すと真ん中に角ができ、引くときに体重をかけると真ん中に角ができる。
引くときに体重をかけ過ぎたり、すかしというか、引くときに浮かせてないから、丸く延びるんではないだろうか?
そんなん、はっきりマニュアル的に形式知として、言葉にして解決できるレベルのことだと思う。
上に上げたキーワード群はほとんど同じようなことを別の角度から見たり範囲を変えているようなものではないかと思ってますが、麺の打ち方やブランド戦略や社会的な諸問題の評価にまで具体性を持って語れるものだと思います。
徳島で、犬ががけの途中に止まっているのを援助しようと多くの人が動いた。
でも、その人は、貧困国へのワクチンの援助には動かない。
この人に
「あなたは人よりも犬が大事なんですか?」と聞くと
そうだとは言わないでしょうし、その人がそんなにひどい人なわけでもない。
人はある事象に物語性を持たせることができるかどうかで判断して動くことが多い。
合理的な価値判断では人は動かないことが多い。
そして、秘して花として、情報に非対称性を持たせることで、人の心を動かし、利益や誘導を得ることにもなると思う。
感心させずに感動させるには、秘することが大事だと世阿称は言っとったと思う。
でないと芸にならん、利益にならん。
情報が非対称でないと利益が出ないとはよくいわれる。
医療でも、法務でも、ブランド品でも、ITでも同じだし、うどんだって、セルフでばらすより、たくさん入れて、天ざるセットとかにして、何にどう原価が対応してるか目くらましした方が利益は出やすい。
こういうことがあって、形式知にしてしまえば、簡単にすむことがいつまでも暗黙知のままに社会的には無駄にそうなってることが多いと思う。
もったいぶった方が利益が出るし、あんまり早く弟子がマスターしたら、長く安く見習いとして働かせられないし とか。
唯物史観とかマルクス主義とかに前に書いたけど、このようなまやかしのベールを取り除くには唯物史観と記号論ってのは便利だと思う。
マルクス主義って、あまり好かれないことが多いのは、ルールをつくってる側のまやかしのタネあかしをされてしまうことと、感動を排除して、感心させるためのものだったり、情報の非対称性を破って、利益が出る場所をつぶす可能性があることや、激しい論戦を生みやすいことなどがあるかもしれない。
そう思うと、やっぱり検査機器や刃物になぞらえたこととつじつまが合う。
高度情報化による忘却や消去というのは、情報が多すぎて、人々の物語性が麻痺したり、物語を大量消費することで、人々の認識スタイルが変わり、メディアもそれに合わせて戦略を変えてくることとも関係があると思う。
みそぎをすませたら、取りあえず、バラエティーあたりで視聴者の反感を見てから、あとのスケジュールを考えましょうみたいな。
・秘すれば花 秘せざるは花なるべからず
・暗黙知を形式知に
・情報の非対称性から利益が生まれること
・唯物史観
・物語性による価値判断と記号論とメディア
・高度情報化による消去と忘却(銀行の待ち時間に読んだ日経ビジネスで武田徹先生がそんなこと書かれてました。)
このあたり関連付ける範囲が広がったことで、昔書いたのよりもかなり意味のあることが書けるようになったと思う。
昔、某店の店主が本で
修行している○○君がなかなか生地を四角く延ばせずに、丸く延ばしてしまうのがいかんと書いてました。
そんなん、盗んだり慣れて経験することで覚えるような暗黙知にしとるのがいかんと思う。
端に体重をかけて押すと四角くなり、真ん中にかけて押すと真ん中に角ができ、引くときに体重をかけると真ん中に角ができる。
引くときに体重をかけ過ぎたり、すかしというか、引くときに浮かせてないから、丸く延びるんではないだろうか?
そんなん、はっきりマニュアル的に形式知として、言葉にして解決できるレベルのことだと思う。
上に上げたキーワード群はほとんど同じようなことを別の角度から見たり範囲を変えているようなものではないかと思ってますが、麺の打ち方やブランド戦略や社会的な諸問題の評価にまで具体性を持って語れるものだと思います。
徳島で、犬ががけの途中に止まっているのを援助しようと多くの人が動いた。
でも、その人は、貧困国へのワクチンの援助には動かない。
この人に
「あなたは人よりも犬が大事なんですか?」と聞くと
そうだとは言わないでしょうし、その人がそんなにひどい人なわけでもない。
人はある事象に物語性を持たせることができるかどうかで判断して動くことが多い。
合理的な価値判断では人は動かないことが多い。
そして、秘して花として、情報に非対称性を持たせることで、人の心を動かし、利益や誘導を得ることにもなると思う。
感心させずに感動させるには、秘することが大事だと世阿称は言っとったと思う。
でないと芸にならん、利益にならん。
情報が非対称でないと利益が出ないとはよくいわれる。
医療でも、法務でも、ブランド品でも、ITでも同じだし、うどんだって、セルフでばらすより、たくさん入れて、天ざるセットとかにして、何にどう原価が対応してるか目くらましした方が利益は出やすい。
こういうことがあって、形式知にしてしまえば、簡単にすむことがいつまでも暗黙知のままに社会的には無駄にそうなってることが多いと思う。
もったいぶった方が利益が出るし、あんまり早く弟子がマスターしたら、長く安く見習いとして働かせられないし とか。
唯物史観とかマルクス主義とかに前に書いたけど、このようなまやかしのベールを取り除くには唯物史観と記号論ってのは便利だと思う。
マルクス主義って、あまり好かれないことが多いのは、ルールをつくってる側のまやかしのタネあかしをされてしまうことと、感動を排除して、感心させるためのものだったり、情報の非対称性を破って、利益が出る場所をつぶす可能性があることや、激しい論戦を生みやすいことなどがあるかもしれない。
そう思うと、やっぱり検査機器や刃物になぞらえたこととつじつまが合う。
高度情報化による忘却や消去というのは、情報が多すぎて、人々の物語性が麻痺したり、物語を大量消費することで、人々の認識スタイルが変わり、メディアもそれに合わせて戦略を変えてくることとも関係があると思う。
みそぎをすませたら、取りあえず、バラエティーあたりで視聴者の反感を見てから、あとのスケジュールを考えましょうみたいな。