tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

再調査で間違いとわかりました

2005年05月16日 22時26分25秒 | ニュース
2005年5月11日のブログ「真の軍人の生還を願う」において
アームズ誌で見たのが、斉藤さんだと文中で書きましたが、本書が手元に無い状態の記憶だけで書いたので、改めて再確認を行った結果、斉藤さんではなく、ホンダさんという方の書かれた記事だと判明しました。関係各位にご迷惑おかけしたことをお詫びいたします。

しかし、報道で斉藤さんが狙撃銃を伏せ打ちされている写真が公開されていますから、狙撃任務につかれていたことも事実のようです。体験的に狙撃銃(FR-F2)を使うことが出来るというほど、ゆるい選抜システムでもないようです。ちなみに外人部隊の狙撃手になるには、非常に厳しい試験をパスしなければなりません。

個人的な誤読の元となったアームズ誌を詳しく読むと、月に一度、仏軍用のFA-MAS自動小銃で射撃試験が行われ、200メートルの距離では伏せ打ち、25メートルでは緊急展開用の射撃スタイルであるへそのあたりにストックを付けて連射する姿勢を取らされます。FA-MASは全長の短いライフルですが、200メートルでも射手の腕がしっかりしていれば、よく当たるとのことです。ですから、200メートルで全弾、もしくは90%の命中をおこない、その集弾もかなり小さなものでなければ、狙撃訓練は行わせてもらえません。

そもそも、狙撃手は人気の高いポジションであるため、希望者は多いが、視力と射撃成績が第一関門となり、次に小隊隊内で狙撃手に向くかどうかの判断がされます。一発の狙撃の正否が状況を左右する訳ですから、当然ですし、それ以上に狙撃手が他の隊員にとって命を託せるかどうかの判断のもとで可否が出る訳ですから、技能と同じくらいの人間としての信頼が判断されるともいえます。人間としての信頼は、我々日本に住む人間に取って、人間としての理性から狙撃をためらうような心理のことではないのはもうわかると思います。つまり、生身の人間を乱射で撃つのではなく、確実な意思と腕で倒す訳ですから、それは鉄の意思が必要になります。しかし、彼らを人間性を失った殺人集団と見るのは、私でもためらいがあります。

ホンダさんの場合、200メートルの距離で拳大の大きさに全弾を集めることが出来たそうです。確実な腕と言わざるをえません。

あらためて、間違いに対しお詫びしますが、ホンダさんの記事から得た情報をもとに、斉藤さんの横顔を想像した時、軍人としての確かな知識と経験、実力を持っていた人と改めて認識しました。

速報:第23期DTPエキスパート認証試験に合格しました!

2005年05月16日 10時18分18秒 | DTP/Web
当ブログをご覧の皆様へ

3月13日は春先にありながら、非常に寒い日でした。この日、受験した
第23期DTPエキスパート認証試験(ブログ中に書き込みあり)の合格者発表がありました。
4時間で700問以上を解き、なおかつプロレベルの課題の提出を要求する、非常に難しい試験でした。前の期、22期では一分野9点が足りなく、不合格となりましたが、今期で合格いたしましたことをご報告いたします。

なお、今後とも、このブログとあわせて、tyokutakaをよろしくお願いいたします。

うす味の地域

2005年05月15日 23時08分34秒 | Weblog
夕食のメニューはすき焼きだった。「いいじゃん」という返事が返ってきそうだ。確かに。食べはじめの頃はいいが、食べるにつれ時間が経過し、煮詰まってくる。最後の方になると煮詰まって、とても食べられた味ではない。醤油に日本酒、砂糖を入れる訳だから、煮詰まった味は、とても形容できた物ではない。食べていて、本当に体に悪いものを入れているという感覚になっていく。同じ鍋物でも、水炊きの方がずっといい。時間が経つにつれ、豆腐などはスが空いてくるが、味が大きく変わるものではない。何時間経っても、味はほとんど変わらない。

こちら関西は、うす味の文化を持つ。私自身、薄味が好きで、何にでも醤油をかけるのが嫌いだ。この感覚を維持すれば、安物の豆腐でさえ味を感じることが出来る。ただし、本当にうまいものとの区別がつくがどうかは、また別の話だが。豆腐に味があることに、今ひとつピンとこない人もいるかも知れない。かくいう私も昔はそうだった。

京都の豆腐は、相対的にうまいらしい。それを当て込んで南禅寺という寺の周囲には「湯豆腐」をメインにした料理屋が軒を連ねる。私も友人と歩いたときは、よく客引きに誘われた。その前に安いざるそばを食べたのが幸いしたが。

昔、父がここで湯豆腐を食べたことがある。支払いをすませて出てきた答えは、対して普通の豆腐と変わりなく、あれだけの金を出せば、家で風呂桶一杯に湯豆腐が食べられたということ。
ということは南禅寺界隈の湯豆腐屋は風評(社会学的には「記号」か?)だけで商売をやっているということになる。そんなもんだろう。この話を聞いてから、京都の名物豆腐に関する私の疑惑は始まった。

大学院に入学してしばらく、京都の嵯峨野で合宿形式で研究会をしようと誘われた。これに誘われた帰り、豆腐屋に連れて行かれた。豆腐屋と言っても工場みたいなところで、店舗など無く、ただ出来たものをあのプラスチックの容器に入れてくれるだけ。売ってくれる人も、なんか作業服だ。
この種の買い物が得意でもなかったし(豆腐などみんな同じだと思った)、本当に「おいしい」豆腐の味などわからなかったから、半信半疑で一丁買ってみた。家に帰って、醤油をかけて食べたとき、本当に失敗したと思った。というより、自分の経験の浅さを思い知った。本当に味が濃く、うまいのである。

そのあと、学会で香川へ行った時、醤油豆を買ったが、これは大失敗だった。私が買う食べ物系の土産はたいてい今ひとつだ。しかし、紀南地域で調査を行った時に買った「浜峰の干物」は骨まで食べられる逸品だった。後年、「どっちの料理ショー」でも取り上げられていた。

でも、あの嵯峨野の豆腐屋がどこにあったのか、いまだにわからない

神戸まつりを見に行ってきました

2005年05月14日 23時26分07秒 | Weblog
神戸祭りを見に行ってきました。この祭り、もともと夏場に開催されていました。しかし、ここ数年、この時期に変更されました。確かに夏の開催はしんどい。

夏の祭りといえば、大阪の天神祭、京都の祇園祭と並ぶ形で開催されていたのですが先の祭りと比べると、歴史が無く、ここ10から20年の間に企画された祭りです。それにしてもパレードなどの規模が大きく、最近の祭りにしてはスケールが大きいです。

この祭りのパレードを見るついでに、古本屋に寄ります。一カ所、多く本を置いている店があるのですが、この古本屋、それほど安くしていないのが難点です。ウェーバー『支配の社会学』が欲しいのですが、結構、定価との差が縮まったものでやめました。もう一件も今年は不発。ときに、ここ神戸三宮には一年に一回くらいしか来ません。神戸の本屋と言えば、ジュンク堂です。ここを拠点にスタートしました。広い店が多いのですが、それでも大阪のキタにある店よりは小さいところが多いです。阪急ブックファーストもそうですが、多くの店がここぞ勝負の場所を東京に設定して、東京に進出したら、大型店舗を出店するパターンが多いようです。大阪にも大きな店舗が多いのですが、私にしてみれば「よりきれいな本をさがすため」に本屋のハシゴをするようなもので、なじみの本屋というものがないです。

パレードの規模は大きく、沿道にはびっしりと人が並んでいます。人の数はすごいのですが、周辺の商業施設が今ひとつぱっとしなく、三宮そごうもテナントの数が少ない。中では店員さんがマイクを使って案内をしていて、なんか安売りの店に来た感じです。以前来たときはすごい人だったのですが、やはり時代の流れですかね。そういえば、大阪の三越が閉店し、キタの中心地に再オープンするのは2011年とか。今年から、阪急百貨店も改装工事に入り、完全再開はやはり2011年みたいです。阪急の場合、2011年まで食料品売り場で売り上げをしのぐみたいですが、基本的に多くの店が入っていることを魅力とするこれら大規模小売り店鋪は、改装といえ、店の稼働力を落とすことは大問題で、わずか2、3年で客層ががらりと入れ替わることもあります。要は、百貨店の質が落ちるきっかけにもなるのですが。

この神戸という町、震災の復興から立ち直ったのですが、三宮を見ていると、大阪の近所というイメージが無く、どちらかと言うと、東京の新宿あたりに等しいのではないかと思うことがあります。なんかよくわからないのですね。でも私に取ってみれば、渋谷も新宿もただ広いだけの町で、どこへ行ったら良いのかわからないのですね。そんな感じがする街です。1年に一回来るのが限界かな。

指導教官という存在

2005年05月12日 23時56分29秒 | Weblog
とかく大学というところは人の出入りが激しい。
学生に始まって、最後は教授まで出たり入ったりする。
教員の出入りとは、いわゆる一般企業の入社/退職の意味である。今日も私の母校で、経済学部の教授が契約雇用の延長を認められず、途中で退職させられたため、学生が教育上の不利益をこうむったということで、大学を提訴した記事が朝日新聞の社会面に載っていた。

『白い巨塔』などを見る限り、理系の人々は大変なんだろうが、われわれ文系の人間にとってみれば、大学における指導教官はそれほど重圧の対象にもなりえないことがある。たしかに、権力を効かせる人間もいるが、そういう人はおうおうにして、それなりの評価が出される。

あるとき、そうした人がセクハラで訴えられて、大学を追われた。

業績で大学の教員を見るのも考えものだ。さっきも言ったように、人格と必ずしも一致するものではないし、それ以前に業績などというものがない人さえもいる。
私の場合、あまりにも外部に発信しない人を指導教官に選んだものだから、学会などで「指導教官はだれです。」などといわれると、恥ずかしくていえなかったし、言っても「だれそれ」という顔をされた。

とはいえ、指導教官の存在が、大学院生などにとって重要なのも事実。
私が後年通った旧帝国大学のある教員の下には、多くの院生が集まっていた。温厚な人だったからだ。しかし、旧帝国大学の定年退官は結構早く、その先生が退官してこのかた、そのゼミの勢いは急速に衰えた。

私がその大学で指導教官を選ぶ段になって、重要視したのは人格だった。その人物はそのとき助教授だったけど、素晴らしい人だった。私がそこをでてしばらくして、その人は教授に昇進した。
彼の影響下で勉強したのだから、仕事以外で、何か研究を発信しなければならないと、最近感じている。

真の軍人の生還を願う

2005年05月11日 23時21分36秒 | ニュース
拘束の斎藤さん「銃撃戦で被弾」 同僚が目撃、証言 (朝日新聞) - goo ニュース

私が斉藤さんを知ったのは、「アームズマガジン」で狙撃の特集記事が組まれたときに、出られていた。当時、フランスの外人部隊に所属されていたときである。
外人部隊といっても、その多くが紛争地に送られることは少なく、ボスニア紛争時でもパラシュート部隊が出されたくらいだった。斉藤さんは、その多くの部隊のなかの狙撃部隊の一員だったように記憶している。実際、今回のニュースの写真を見ても、フランス軍用狙撃ライフルである「FR-2」をかまえている写真を見かけた。

その特集記事の内容も私自身はっきりと覚えているのだが、そこから感じたのは本物の軍人だという印象だった。

通常、ゲリラ戦の戦闘では、襲撃された方は出会い頭に殺される。彼が重症を負ったにもかかわらず、生きているならば(そう願いたい)彼が非常に錬度の高い兵士であったことを意味している。

無事生還を願いたい。

追記:アームズマガジンの記述の誤読で、斉藤さんではない別の方が書かれた内容であると、再調査でわかりました。お詫びと再検証を5月16日のブログで書いています。あわせてお読みください。

変わる街

2005年05月10日 22時57分56秒 | Weblog
久々に大阪の本町を歩いてきた。その貿易会社の所在地が本町という大阪の中心的オフィス街にあったからだ。以前、この街で仕事をしていたのは一年以上前のことになる。そう、ここを離れて一年くらいしか経っていないのである。それなのに相当な変化を遂げた。

まず第一に、なじみの飲食店がつぶれた。いい店だったが、何分にもオフィス街のど真ん中、平日はともかく、休日は閑古鳥が泣く。飲食店の経営は難しいところにある。このあたりの飲食店は結構苦戦しているみたいで、メニューも限られる。同僚はみな、オフィス街で見るような、路上販売の500円のお弁当を買っていた。一度買ったことがあるが、おかずが冷えている反面、ご飯が温かかったことを覚えている。

たまーに歩くとさっぱりわからない。それもそのはず、似たようなビルが並んでいるからだ。一度、「ここ、どんなビルがあったっけ」と思ったところがある。つぶして、新たなビルに立て変わっていた。まだテナントが入った様子はなく、中では内装屋さんが仕上げをしていた。そういえば、大阪ガスの本社である「ガスビル」も改修工事を行っていた。こちらは、歴史ある建物である。近くには大阪最古の小学校というもあるが、小学校そのものが廃校となって、教育委員会が使っていたが、ここもついに取り壊して保険会社のビルが建つらしい。一度入ったことがあるが、なかなか雰囲気のある建物だった。

大阪では古い建物がどんどんつぶされては、きれいなだけのビルに立て変わる。都会はどこもそうだけど。

西井・平嶋『新編 「昭和二十年」東京地図』(ちくま文庫 1992)にこんな文章がある。

「撮影されたものの大半は数年後に間違いなく姿を消す運命にある。実際、取材中私たちは何度も測量技師と取り違えられた。健康的で生産的な顔をした都市の風景は、私をうっとりさせるどころか、しばしば不安にさせるが、これらの町並みは、ひっそりと死の瞬間を待つような佇まいをして美しさにあふれていた。
すでに東京のあらゆる町は、再開発され新しいビルに建て替えられてきた。そしてなぜか、それらは明るい廃屋のように思われる。」
  (p370)

この文章が書かれたのは昭和61年(1986)だと書かれている。あれから20年近くが経つことになるけど、いまだに多くの「明るい廃屋」が作られている。

隣の大国の勉強

2005年05月09日 22時00分17秒 | Weblog
あす、中国貿易の関係者と会う約束があって、その前に中国の現状について調べてみた。あまり、いい情報はない。いや、情報の質について云々しているのではない。(方法が悪いとか、分析方法が悪いとかの意味である)。むしろそこから見えてくる中国という国の様子があまりよくないように見えてくるのだ。

たしかに、私は大学で、主にヨーロッパを中心に研究してきた人間だから、そこから物を見ていることは否めない。そうしたヨーロッパの国々は高い失業率とか、低い経済成長とかいうけど、日本がこんな調子だから、まだ、そちらの方がなじめる。つまり高い経済成長を根底に置きながら、バブル期のような日本のようにイケイケの状況よりも、今日明日で景気が回復する訳ではない、あーまったりという国の方が落ち着けるのである。それゆえ、「中国は熱いですよ」とか、「パワーを感じます。」「可能性があります。」とかいって、高く評価し、すすんで仕事の場を求める人々を「ああ、そういう場もあるんだな」くらいにしか見えなかった。

さて、何がよくないのかと言うと、政府の情報機関が完全にインターネットを監視の対象にしているということである。早い話が、インターネットはあっても、発信できる情報が限られるというような状況らしい。思想の統制は激しく、個人のメールまで監視の対象となり、民主化運動、法輪功などのキーワードがあると、削除され、その人物が監視の対象になる。驚いたのは誰がどんなページを見たのかまで国家が把握するというシステムが出来ていること。またプロバイダーは9軒しかないらしい。外国のホームページを閲覧するには、国家公安機関の運営するプロバイダーしか通せないらしい。ただし、規制の対象となるもののなかに、反日運動が入っていないらしい。だから、あれほど広まったのだ。ちなみに、運動の大きさを見て、いかにも若い人はみんなインターネットを持っているように見えたが、そうでもなく、30歳未満の男性に中心があるみたいだ。すなわち、大学生が主体となる。中国の大学に通う学生はエリート層である。日本ほど大学に入るのが容易ではなく、定員も限られている。そこから漏れた人々が日本やアメリカの大学に入学する例も多い。つまり、優秀な人間は勿論、そうでない人も留学するのである。

もう一つ。

中国の今の経済成長はバブルである。これはみんなが知っている。みんなが知っているということは、ボチボチ危ないのではないかという意見もあって、最近の日系企業は進出が及び腰になりつつあるという。対米輸出の黒字が大きく、圧力がかかって、経済政策が行われる可能性が大きいのだが、下手に行うと日本のプラザ合意の後のように大混乱がおこる可能性があると言われていたが、最近では、どんなことを行っても危ないと言われているらしい。そのため、ほとんど経済政策らしいことは行われていないと書いてあった。
しかし、政府不干渉のまま進んでも最後には不況が訪れるらしい。今の好景気は2008年くらいまでとか、2010年くらいとか言っている。
ある側面で、日本から直接アメリカなどへ輸出すると問題になるから、日系企業が中国に工場を作って、日本の技術を中国製としてアメリカに輸出している部分もあるという。だとすると、隣の大国の経済が破綻すれば、また一部日本の不況が進むかも知れない。一部というのは、日系企業が進出に慎重になっているからだ。その方がまだ良いのかも知れない。新しい意味での植民地を作ったところで、最終的には良いことなんかないから。

物事を大局的に見るとあまり良いものが見えてこない。
私が会った中国人は良い人たちが多かったのだけど。

すいか

2005年05月08日 23時46分00秒 | Weblog
朝から家の仕事でバタバタして、私と妹がまさしく「くたばった」状態で昼寝をしていると、
両親がこれ幸いと買い物に出かけた。乳幼児が昼寝している間に、買い物に出かけるのと似ている。(そして事故が起こるのだが・・・)
ちょっとした買い物だが、本当にあちこち見てきたらしい。

さて、そんな買い物の中に、すいかが入っていた。
今年初めてである。
まだ、この時期のは甘くないとか言うが、本当に甘かった。
ここ数年、すいかを口にする機会が減っている。
夜、食べると、果物の類が入らないくらいになるからだ。

おそらく、今年も暑くなる。

もう、夏だ。