tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

いつまで続くか

2005年05月23日 23時39分02秒 | Weblog
よく人々は他人の行動の評価として、つまらない物事に対し「いつまで続くか」という表現を用いる。この表現、当の本人も使う場合があって、その場合、本人もまたつまらないがなぜか続けていることという自覚があるのだろう。もっとも、つまらないという表現が妥当なのかどうかわからないが。

さて、今年も学会のシーズンがやってきた。学者かその見習いたる大学院生しかいないという学会である。つまり、世間からは確実に隔離されたところで行う「学習発表会」といえる。

もっと簡単にすると、小学校の運動会は日曜日に父兄を呼んで観覧させているが、中学校になると平日の誰にも見せない体育大会を行う。学会って、この後者の「体育大会」の方に等しい。こうなると教育の一環なのだ。年とった先生方にしてみれば、年に一度の懇親会ともなっている。

さてこの学会の当日に、どんな人間が参加しているかと言うと、発表する大学院生と教員のみである。すなわち、発表者しか集まらない会と言っても過言ではない。そんなはずはない、聞いているだけの人間が必ずいるはずだ、という反論が返ってきそうだが、私が2年くらい前に行った学会のある部屋は、聞いているだけの人間が私一人だという状態だった。

この学会というのは、大きな会だったら事前に誰がどんな題目で発表するのかという情報がネットで流れることもあるのだが、この時期の会は小さいから、そんなもの流れない。従って、飛び入りで参加する私のような人間は当日現地へ行って何が発表されるのかを知るという「出たとこ勝負」になってしまう。後から『発表要旨』という本を眺めてみても、対して重要な発表がある訳でもない。なんで行くのかと言うと、友人が発表しているから・・・という理由に落ち着いてくる。
本当にいつまで続くのか・・・というノリで行っている学会。

今年はどうしようか。