tyokutaka

タイトルは、私の名前の音読みで、小さい頃、ある方が見事に間違って発音したところからいただきました。

変わる街

2005年05月10日 22時57分56秒 | Weblog
久々に大阪の本町を歩いてきた。その貿易会社の所在地が本町という大阪の中心的オフィス街にあったからだ。以前、この街で仕事をしていたのは一年以上前のことになる。そう、ここを離れて一年くらいしか経っていないのである。それなのに相当な変化を遂げた。

まず第一に、なじみの飲食店がつぶれた。いい店だったが、何分にもオフィス街のど真ん中、平日はともかく、休日は閑古鳥が泣く。飲食店の経営は難しいところにある。このあたりの飲食店は結構苦戦しているみたいで、メニューも限られる。同僚はみな、オフィス街で見るような、路上販売の500円のお弁当を買っていた。一度買ったことがあるが、おかずが冷えている反面、ご飯が温かかったことを覚えている。

たまーに歩くとさっぱりわからない。それもそのはず、似たようなビルが並んでいるからだ。一度、「ここ、どんなビルがあったっけ」と思ったところがある。つぶして、新たなビルに立て変わっていた。まだテナントが入った様子はなく、中では内装屋さんが仕上げをしていた。そういえば、大阪ガスの本社である「ガスビル」も改修工事を行っていた。こちらは、歴史ある建物である。近くには大阪最古の小学校というもあるが、小学校そのものが廃校となって、教育委員会が使っていたが、ここもついに取り壊して保険会社のビルが建つらしい。一度入ったことがあるが、なかなか雰囲気のある建物だった。

大阪では古い建物がどんどんつぶされては、きれいなだけのビルに立て変わる。都会はどこもそうだけど。

西井・平嶋『新編 「昭和二十年」東京地図』(ちくま文庫 1992)にこんな文章がある。

「撮影されたものの大半は数年後に間違いなく姿を消す運命にある。実際、取材中私たちは何度も測量技師と取り違えられた。健康的で生産的な顔をした都市の風景は、私をうっとりさせるどころか、しばしば不安にさせるが、これらの町並みは、ひっそりと死の瞬間を待つような佇まいをして美しさにあふれていた。
すでに東京のあらゆる町は、再開発され新しいビルに建て替えられてきた。そしてなぜか、それらは明るい廃屋のように思われる。」
  (p370)

この文章が書かれたのは昭和61年(1986)だと書かれている。あれから20年近くが経つことになるけど、いまだに多くの「明るい廃屋」が作られている。

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