私が通っていた幼稚園は月に一回、広い部屋に集められてお誕生会というものがあった。
その月に生まれた子供は、その他のたくさんの園児の前に並んで、「しょうらいのゆめ」
を発表することがあった。男の子だったら、警察官とか消防士。女の子だったら、花屋とかケーキ屋さんとか、幼稚園の先生とか。間違っても「公務員」や「大学教授」なんて漢字は出てこなかった。そこまでの専門用語を駆使できる年齢ではないし、多くの職業を知っているわけでもない。
さて、そんな「職業選択の自由」が限られた状態で、私が選んだのは「電車の運転手」だった。
一番イメージがしやすかったのだと思う。
しかし、こないだの事故で、あらためて大変な仕事でもあったのがわかる。確かに、朝は5時すきから夜は12時過ぎまで、年中無休で拘束時間がかなり長い。
高校の先生から聞いた話で、卒業後、鉄道会社に入った先輩がいたそうだが、高校に入学したときから、鉄道関係の就職を考えていたと聞いた。ある意味、小さな頃に見た夢をかなえたのかもしれない。
わたしが今やっているWeb関連の仕事は、10年前にようやく認知された職業だから、その選択を行ったのは、かなり年齢が高くなってからのことである。バブルの頃は、コピーライターが花形とも言えた職業だったが、最近はトンと聞かない。
夢を維持するには、環境の変化がとんでもなく早い。
その月に生まれた子供は、その他のたくさんの園児の前に並んで、「しょうらいのゆめ」
を発表することがあった。男の子だったら、警察官とか消防士。女の子だったら、花屋とかケーキ屋さんとか、幼稚園の先生とか。間違っても「公務員」や「大学教授」なんて漢字は出てこなかった。そこまでの専門用語を駆使できる年齢ではないし、多くの職業を知っているわけでもない。
さて、そんな「職業選択の自由」が限られた状態で、私が選んだのは「電車の運転手」だった。
一番イメージがしやすかったのだと思う。
しかし、こないだの事故で、あらためて大変な仕事でもあったのがわかる。確かに、朝は5時すきから夜は12時過ぎまで、年中無休で拘束時間がかなり長い。
高校の先生から聞いた話で、卒業後、鉄道会社に入った先輩がいたそうだが、高校に入学したときから、鉄道関係の就職を考えていたと聞いた。ある意味、小さな頃に見た夢をかなえたのかもしれない。
わたしが今やっているWeb関連の仕事は、10年前にようやく認知された職業だから、その選択を行ったのは、かなり年齢が高くなってからのことである。バブルの頃は、コピーライターが花形とも言えた職業だったが、最近はトンと聞かない。
夢を維持するには、環境の変化がとんでもなく早い。