この間河口湖に遊びに行ってきました。
この時期は空気が澄んでいるためか、富士山がとてもきれいいに見えます。
標高が高いのでちょっと寒いですが、冬場に行くのも良いものですね。
そこで立ち寄ったフランス料理のお店がとてもおいしくて感動してしまいました。
http://www.boulogne.jp/index.html
フランス料理というと日本では一般的に高級料理というイメージがありますが、
ここのコンセプトはフランス料理の食堂。
”フランス人が毎日食べるようなものを提供したい”というのがお店の想いなのです。
僕が特においしいと思ったのは、以下の2品。
・ニジマスのハーブソース
・合鴨のロースト赤ワインソース
本当においしいものを食べた瞬間というは、
おいしいかどうかという思考を超えて、
身体が瞬時に反応しますよね。
おいしいものを食べたとき、どうしてそんなに感動するのか考えてみたのですが、
味覚意外の部分にも感じるものがあるからなのかなぁと思ったりしました。
それが何かというと、言葉にすると陳腐なんですが、”愛”なんですね。
自分が作るものに対しての愛情、お客さんへの愛情、
そのようなものを我々は瞬時に感じ取ってしまうのでしょう。
だからファミレスやファーストフードなど食べものはスカスカなのかなぁ・・・
味覚だけでなく、とても空虚感を感じます。
もちろん素材、調理方法なども大きく関係しますが。
まぁ、そこまで含めて愛なんでしょうね。
翻って我々はどうでしょうか?
愛を持った仕事ができているでしょうか?
自分が提供するものがスカスカだったら何か寂しい。
僕も愛を持った仕事を、行動を、言動をできるようにがんばります。
この時期は空気が澄んでいるためか、富士山がとてもきれいいに見えます。
標高が高いのでちょっと寒いですが、冬場に行くのも良いものですね。
そこで立ち寄ったフランス料理のお店がとてもおいしくて感動してしまいました。
http://www.boulogne.jp/index.html
フランス料理というと日本では一般的に高級料理というイメージがありますが、
ここのコンセプトはフランス料理の食堂。
”フランス人が毎日食べるようなものを提供したい”というのがお店の想いなのです。
僕が特においしいと思ったのは、以下の2品。
・ニジマスのハーブソース
・合鴨のロースト赤ワインソース
本当においしいものを食べた瞬間というは、
おいしいかどうかという思考を超えて、
身体が瞬時に反応しますよね。
おいしいものを食べたとき、どうしてそんなに感動するのか考えてみたのですが、
味覚意外の部分にも感じるものがあるからなのかなぁと思ったりしました。
それが何かというと、言葉にすると陳腐なんですが、”愛”なんですね。
自分が作るものに対しての愛情、お客さんへの愛情、
そのようなものを我々は瞬時に感じ取ってしまうのでしょう。
だからファミレスやファーストフードなど食べものはスカスカなのかなぁ・・・
味覚だけでなく、とても空虚感を感じます。
もちろん素材、調理方法なども大きく関係しますが。
まぁ、そこまで含めて愛なんでしょうね。
翻って我々はどうでしょうか?
愛を持った仕事ができているでしょうか?
自分が提供するものがスカスカだったら何か寂しい。
僕も愛を持った仕事を、行動を、言動をできるようにがんばります。
これはいい研究材料ですね~
掲示板にスレッドたてようかなぁ
>だからファミレスやファーストフードなど食べものはスカスカなのかなぁ・・・
これがオイラがファミレスに行きたくない最大の理由です。お店で「食事を作る」というエネルギーを感じないし「餌を流し込まれている」みたいに感じてしまう。(関係者の方いたらごめんなさい)
翻って自分の仕事は・・・
漫画とか本とか持ち込んで、誰も話しかけんなよ。コミュニケーションをとりたいわけじゃない。と(感じ悪く)食べてるんですが、
美味しいものを食べたら、その瞬間顔ってにやけるんですよね。
あきらかに「ははっ」と声が出ることもあったり。
しつこいですが、コミュニケーションを取る気などさらさらないのに。ですよ。笑顔作っちゃうんです。
んで、ふと周りを見ると、
表情がみんな明るい。
美味しい店はみんなが笑っているんですよね。
確かに愛を享受している喜びかもしれませんなあ。
にしてもその昔内観を終えてさえ「自分勝手」と診断された方とは思えませんね。
と、茶化してみる。うきき。
その仕事ごとにいろいろな愛の形があるのではないかと。
例えば凡人に達人が「達人の動作」を教えたいとき、どのように教えたら愛があるのでしょうか?
精神を研ぎ澄まし、真剣にやらなければ伝わらないことを伝えたい。地味なワークを毎日毎日あきらめずに真剣にやり、何ヶ月もダメでもそれを乗り越えたときに本当の喜びがある、幸せを感じる、それを知っている達人。
ピュアーな世界では、ある時、叱責もまた愛の形なのではないかと思います。
僕も実は、先々週あたりはかなり落ち込みました。
1ヶ月半真剣に取り組んだ一軸歩行は全くダメ、ワークのやりすぎで一週間下痢が止まらない日々を過ごしてもできない苦しみ。
「もうだめかな」とあきらめかかったとき、
先生は、
「身体が余分なものを出しているのです。もっと出して下さい。」と。
松本先生の仕事に愛を感じたのは僕だけではないはずです。