80過ぎの老婆の息子、
60過ぎても、若いモンだ!!
居なくなると、突然老ける.......。これが実相!!
彼は曰く。『娘や孫たちに囲まれていると、俺も年寄りの仲間になったなぁと、つくづく思う。ところが、年老いた母親の元にいくと、以前の子供に戻ってしまう。少なくとも20歳は若返るなぁ~。』
至言であろう。不思議なものである。
ところが、その年寄りが粗末に扱われている。これはゆゆしき問題だ。昨今も小規模老人ホームで火事があった。多くの痴呆性老人が焼死した。ある施設では、老人虐待が問題になっている。
これは老人問題ではないのである。若いモンの問題だ。
若いと言うことは、全く相対的な概念であって、人間の精神においては、それは認識できない。老けると言うことも、全くそれと同じである。相対的な存在である肉体を基準にしたとき、それを認識する。
<無題ドキュメント様より写真拝借>
初めて認識できると言い直した方がいい。子供を持って、初めて親として認識できるのと同じである。大人とは、子供を持って初めて確認できることかもしれない。勿論、自らの子供でなくてもそれは問わないだろう。子供に接することを使命とする人も同じであろう。
そこで、『子供を持って、初めて知る親の恩』という言葉があるが、これは綺麗事すぎて実感が湧く言葉ではない。『子供を持って知る、初めて子供の恩』という方が、実際の感覚である。人間は、そう易々と他人の感覚を慮(おもんばか)る程、才覚がある人は少ないように思う。
同じことは、親についても言える。『親を持って、初めて知る親の恩』である。
年老いた親に接するとき、いつの間にか自分が20歳以上も若返るとは、これはいかなる医学もなしえない。奇跡である。これを恩と言わずして何と言おうか?
今、年寄りが増えている。年寄りとは何か? 相対的に年を重ねた人々のことである。従って、絶対的な年齢ではない。ある人は80歳でも若いモンはいるし、60歳でも年寄りは居る。40歳代でもまるで年寄りは、うようよ居る。
若いモンを増やすコツは、相対的な年寄りを大切にすることである。つまり、長老を大切に大切に扱うことこそ、若いモンが必ず増える極意がある。これは単に物理的なシステム的なことでは実現しない。心のシステムだからである。心から年寄りを大切にする精神にこそ、その奇跡は起こる。
後期高齢者などという絶対的な区分のなんと愚かなことか?! 孫にとっては、件(くだん)の彼は年寄りかもしれないが、年老いた親に心から接するとき、彼は若返る。これは真理であろう。年寄りをいたぶるものは、自ら老いる。そういう社会からは、若いモンは消えていく。
真の長老社会が実現するとき、若者の息吹が復活する。社会は真に若返る。そう確信する。