副島隆彦氏の放射能恐れるな論を
やや、皮肉ったら、
多くの反響を頂いた。
いちいち、返事は控えさせて頂いたが感謝申し上げる!!
『真面目』に徹底批判したい!!
皮肉で終わらせる訳にはいかない。氏は言論人である。言論人としての自負には、言論で批判しなければ、失礼に当たる。
誰がどう論じようと、言論の自由である。だから、非難するつもりはない。批判は言論の重要な手段で、欠かせない。副島隆彦氏は根は優しい人物であろう。口は荒いことを言うが、小心な風情を禁じ得ない。だからと言って、嫌いではない。
これまで深く尊敬申し上げてきた。
単刀直入に書く。
相手は世に靡く言論人の大家であるから、不足はあるまい。こちらは、市井の名も無きいち浪人である。
放射能に関する事実認識に多くの見解があることは、当然のことである。排出量・拡散量・測定値についてもその是非に見解の相違がある。
又、
その(放射能)の影響、特に人体に及ぼす功罪について、大きく見解が分かれることは事実である。放射能ホルミシス効果説も存在することも予てから知られている。
だが、問題はその事実認識ではない。
個人的にどの認識を持つか、そして、その認識に立って言論を展開するかは自由であろう。それは個人の自由の範疇である。
社会的認識は別物だ。法治国家である以上、法規制値というものが存在する。それは年間1ミリシ-ベルトであることは、良く知られている。緊急避難として、暫定規制値が年間20ミリシ-ベルトであることも良く知られている。しかし、これは厳密に言えば、現行法律違反であることは否定出来ない。
その中にあって、年間20ミリシ-ベルトに対する見解が大きく対立している。その結果、多くの社会不安が存在することも事実である。
問題は、氏が言論人として広く社会的に認識された人物であり、本人もそれを公言している。そのために社会的影響力は少なくない。その意味で批判が生ずるには避けられない。
批判の論点とは以下である。
事実認識が問題ではない。事実に関する見解の相違は、致し方がない。誰にも見極めることは出来ない、未曾有の事態だからである。事実認識に批判があっても対等であるから、見解の相違で終わるが、社会認識は異なる。
社会認識は、法律がある以上、その法的規制値に対して、論議の焦点を外すことは出来ない。天下の言論人が極論を発することはその社会的立場に鑑みて、不穏当であろう。氏は物理学の専門家ではないが、少なくとも法的な言質を発する言論人である。事実発している。憲法29条財産権を言及しているではないか。
社会的認識に於いては、その基準は法律であろう。憲法29条財産権を言及するのは、妥当である。ならば、原子力関連法も法律である。それが現況の実態に即し、十二分なものとは言えないかも知れないが、基準である。そして、暫定基準値は法律に著しく乖離しているが、一応基準は基準であろう。
それを抜きにして、言論は成り立たない。
それをも遙かに超える数値を出してきて、『安全』だと論理はない。自説は構わないが、論議にはならない。
ましてや、その範疇で議論する専門家を『4人組』と称して、揶揄することは正気を疑うのである。寧ろ、大勢は『4人組』に世論は与している。だから、ベストセラーになるのであろう。だからといって『放射能コワイコワイ病』を振りまく輩とは、これ又、正気を失っているとしか見えない。
社会的認識に於いて、彼らが優っている証左である。又、数万人の疎開者が現存するが、その人々にも甚だ失礼極まりない。
事実認識は各自の自由であろう。自分を守り、家族を守るのは天賦の基本的人権である。それこそ、憲法で保障されている基本中の基本である。
事実認識で、その弊害は百歩譲って不確定であるとしても、未曾有の放射能がばらまかれたことは、事実である。チェルノブイリとの比較する事すら不必要だ(当然、総量では匹敵もしくは将来凌駕する可能性を含んでいる)。
本来、自然界に存在しなかった事態が、現実に招来している。これは事実である。この程度の事実認識を共有しない言論は、全く成り立たない。暴論と言うほかない。
以上、副島隆彦氏の言論に対する徹底批判を終わる。
ついでに、私見ながら。事態は深刻であると考える。さらに深刻さは増すと考える。それはこれまで、当事者(東電・政府)は事実を隠してきた。現在も隠していると推察する。何故隠すのであろうか?
統治能力を失うことを恐れるからだ。これは不当である。事実は変えられない。その事実を受け止めてこそ、真の復興に寄与すると考える。事実に即しない対応は、それを誤らせる。
下記記事のような現実は、凡そ推量出来た。果たして、暫定基準値以下499ベクレルの米を主食と出来る言論人、政府関係者が居れば、投稿者は高みの見物をする。
投稿者はそんな自殺行為をしない。奨めもしない。出来れば、『ヤメテオケ!』と言う。これは基本的人権であり、言論の自由である。又、それは誰が観ても許されると確信する。そのための代替方法を実践する。これ又、表現の自由である。
【転載開始】石川のニュース 【9月27日03時22分更新】
田崎名誉教授が汚染土壌を使って育てた稲=金沢市内
田崎和江金大名誉教授は26日までに、高い放射線量が観測された福島県飯舘村の土を 使って稲を栽培する実験を行い、収穫したコメから国の暫定基準値(1キロ当たり500 ベクレル)の5倍以上となる2600ベクレルの放射性セシウムが検出されたとする結果 をまとめた。同村は福島第1原発事故でコメの作付けが禁止されており、データは土壌の 放射線量が農作物に与える影響を裏付ける重要な資料となる。
田崎名誉教授は6月下旬に福島を訪れた際、高い放射線量を記録した飯舘村長泥地区の 水田で土壌を採取。金沢市内の自宅で、この土壌に同市俵町で発芽させたコシヒカリの苗 を植えた。
今月中旬に稲を刈り取り、北陸環境科学研究所(福井市)で各部分のセシウム137を 分析し、1キロ当たりの線量を割り出した。その結果、籾米(もみごめ)からは、最も高 い2600ベクレルが検出された。わらは2200ベクレル、根は1500ベクレルで、 土壌の線量は5万ベクレルだった。
比較のため、俵町の水田に植えたコシヒカリも分析したところ、放射性物質はまったく 検出されなかった。
田崎名誉教授は「可食部の放射線量が最も高くなり、私自身も衝撃を受けた。土壌の除 染を急ぐ必要があるとあらためて感じる」と話した。27日には福島県南相馬市で農家に 能登の珪藻土(けいそうど)を使った除染方法などを指導する。【転載終了】
「nyuusann.jpg」をダウンロード【上図を拡大】
でも、でも、、、、今回の原発事故では、これ等の原理・原則は全く無視されています。 温暖化論を宣伝しまくっていた環境原理主義者は、沈黙していますね。
つまり、「明白、且つ、現存する危険」に対しては、環境原理主義者は無力なのです。 政府・マスコミ・御用学者、それに企業も同様です。 彼らは、単に、国益や企業利益のために、「環境」を旗印にしたに過ぎないのです。
彼らと同じ穴の狢(ムジナ)の人々は、科学的に事実を見ることが出来ませんし、見ることが出来る人々であっても、自身の利権から見えない振りをする習性が身についているのでしょう。
いづれにしても、原発事故のように極端な局面では、いくら隠しても、人間の真性が現れると思います。 これからの日本の進路と国民の運命を憂いて、真剣に進路を模索する人々がいないと、某氏のように「ハラキリ」まがいの暴挙に走る軽挙妄動の輩が多く出て来ることでしょうね。 瓢平様のように、冷静に事態を観ることの出来る人々がネットで発信していただければ、世情も違ってくることでしょう。 期待しています。
副島さんを批判しているブログが外にあるのか
知らないのですが
やはり、日本を代表する言論人ということですから
重箱の隅的な批判や感情論ではなく
その言説に対しては堂々と批判すべきだと思って
待っていました。(わたしにはその能力がありません。)
ただ、副島さんの尋常ならざる言動に対して
触らぬ神に祟りなしという気持ちになるのも
むべなるかなとは思います。
男だろうが女だろうが、年寄や子どもだろうが
向ってくるものはなで斬りにしてやるという威勢ですから
だれだって敬遠するでしょう。
それをご本人は自分のオーラでみなを黙らせていると
思っておられるかもしれませんが、そういう副島さんに
なんとなくもののあわれを感じてしまうのは季節のせいも
あるのでしょうか。
官邸に常駐するアメリカ人の名前まで突き止めた人が
なぜ、山下俊一さんが政府やIAEAの指示に従っている
御用学者だということがお分かりにならないのでしょう。
やはり、日月土様が仰るような事情があるのでしょうか。
例えば、私がクルマを運転していて、管理人さんのクルマにぶつけたとします。
管理人さんとすれば、当然、私に責任を問いますよね。
ところが、私がその管理人さんのクルマを見て、
「この程度なら、走行に支障はないから、大丈夫、大丈夫。あなたも見たところ怪我もないようだし、良かったね」なんて言ったら、どうなりますか。
管理人さんからしたら、ふざけるんじゃない! まずは謝らんかい! となりませんか。
いまの政府や東電が言っているのは、これと同じなんですね。
放射線量の多い少ないじゃないんです、ことの本質は!
管理人さんも指摘しておられますが、
311以前には、この放射能問題は自然界になかったことなんです。
未曾有の災害だったから…、不可抗力(実際は違う、人災である)だったから…という
言い訳は通用しません。そんなことが通るなら、誰も苦労はしませんよ。
それから、判断基準がころころ変わったり、識者の見解がまちまちだったり…という問題についてですが、これは誰も正解をもっていないということです。
正解がわかっていないのに、どうして安全と言えるのか。
これこそが暴論というものです。
中学生でも指摘している正しいことが、無責任な大人の厚顔無恥によって歪められないことを祈るのみです。
あぁ、いつから日本はこんな国になってしまったのか。うなだれる毎日です。
その後事態の落ち着きを見て、放射能を異常に恐れる必要はないという方針に転換しました。
あの変わり身の速さには私も随分悩みましたが、今ではこう考えています。
副島氏は天下国家を論じる人間であり、決して一般庶民的な感覚で物事を論じたりはしないという事です。
彼は放射線被曝による健康被害が100mSv/y以下では立証されていないという点に賭けたのでしょう。
福島に今まで通り人々が居住し続ける事によって福島原発周辺地域、ひいては東日本一帯が他国あるいは他国組織の管理下に入る事を、身体を張って阻止しようとしているのだと思います。
国益そのものと言える領土主権を最重要視した結果、福島に人々が住み続ける事が必要だという論理です。
これは副島氏が国家主権と人命の重さを天秤に掛けて判断した結果だと思っています。
また、今さら疎開などしても遅いのだという考えが彼の頭の中にあるのかもしれません。
いずれにしろ私は放射能に対するスタンスだけで正誤や善悪を判断すべき問題でないと思っています。
但しそれには、そこに未必の故意が絶対にないという条件が必要です。
個人レベルでは健康リスクに対しては安全策を採るのが当然だと思っていますし、私はそうしています。
それが副島氏の言う国家戦略レベルの話になると違うところが出てくるのだと思います。
但し国民の健康を守る為の政府の政策が実行されていない現状、副島氏の論は虚しく聞こえるだけです。
あって無きが如き日本の国家主権ですが、これをどの程度重要視するかで副島氏の評価が決まるのだと思います。
私は今や食品からの被曝状況については福島も東京も大差無いと思っています。
東日本の食材を食して生きる限りは同程度の内部被曝を受ける事になるからです。
どこに住むかという事よりも、食材を選ぶ事の方が重要な段階に入っていると思います。
政府が国民の健康を最優先課題と位置付け、東日本の農業と東北近海の漁業操業に強い制限をかけた上で放射能汚染食材摂取に関し年齢制限を設けるくらいの措置が必要だと思っていますが、現在の日本政府にこれを望むべくもありません。
経済事情が全てに勝る現代社会において、自分の身は自分で守るしかありません。
庶民は庶民同士で団結し、権力に対抗して生きて行くしかありません。
かつて我々の祖先達がそうしてきたように。
副島隆彦氏がこの逃れようのない厳然たる事実を身を以て明らかにしてくれたと思えば有り難いものです。
わたしは副島さんの本は一冊も読んだことがありません。
書店の棚に並ぶ副島さんの本のタイトルが興味を
そそるものであったにも関わらず、
なぜか一度も手にとってみたことがないのです。
読んだのは、植草さん、佐藤優さんとの対談本の
興味のある部分だけでしたが
真実(神)が宿るとされる細部にはまったく関心のない
人だな、論理が乱暴だなという印象だけが残りました。
言論は力なり、言論は声の大きさだということにも
一面の真理があるでしょうから、そういうところに
人は惹きつけられるのでしょうか。
ちょっと気になるのは
いずれ中国は世界の覇者になると言われることが
かれらイルミナティー?の、これから覇権は中国に移り
自分たちの寄生先も中国に決めているらしいというウワサとが
軌を一にしていることです。
わたしは小沢一郎さんの、中国は近い将来政治的動乱に
見舞われるとの予想と同じ思いを持っています。
中国はこの瞬間、瞬間にも動乱の気配を孕んでいるのでは
ないかというのがわたしがいつも感じていることです。
ですから、飯山一郎さんの大陸移住計画が
飯山さんの日本と日本人への愛情から出ていることとはいえ
わたしが先ず感じたのは、たえず暴動や動乱の危機を内包している
中国への怖れでした。
草木が靡くように、企業も人も中国へと出ていきましたが
わたしははらはらする思いで見ています。
もっとも、わたしのように日本という殻に閉じこもっていては
何の未来も生まれませんが。
http://www.asyura2.com/11/cult8/msg/646.html?c2#c2
をご参照ください。
副島氏を愛国者とはこの記事を見るとどうしても思えません。
きのうのお昼に以下のコメントを投稿したのですが
アップされませんでした。
届いていなかったのか、あるいは内容に不都合があったのか
真相が分かりませんので悩んだ末再度投稿してみます。)
副島さんが佐藤優さんとの対談で
皇室や靖国について言っておられることが
あまりにもひどくて驚いたことがあるのですが
後で思ったのは、知識や理解の有無ではなく
もともと「思い」がないのだということでした。
しかし、いま言いたいことはそのことではありません。
とても気になることがあるのです。
先日、イギリス政府が王位継承権を男子優先から
性別に関係なく長子が継承できるように法律の改正に
着手したというニュースがありました。
このニュースに接したとき
わたしはこれは必ずわが国に波及するだろうと思って
イヤ~な気がしました。
案の定、羽毛田長官が27日の定例記者会見で
皇室典範見直しの議論の緊急性を訴えました。
わたしはイギリスと日本が連動しているのではないかと
疑いましたが、
それはともかく、君側の奸どもがよからぬことを企み
暗躍しているだろうことは決して妄想でも勘ぐりでも
ないはずです。
議論の必要があるのはその通りでしょうが
またまた不快なことをいっぱい耳にしなければならない
のかと思って憂鬱になります。
<返事>
谷間の百合 様
コメント有り難うございました。
まず、<投稿先 > 飯舘村の土で栽培のコメ、基準5倍超セシウム へのコメント投稿は、日付 2011/11/01 12:04に入っております。が、理由は分かりませんが、コメント内容が「白紙」でした。仕方なしに、公開できませんでした。
再度、投稿頂きまして有り難うございます。
今回のコメント内容につきまして、全く、同様のことを考えております。
で、「天皇陛下」と題して、記事を書こうと思っていた矢先です。
で、少し驚きました。ご指摘のことも少し触れるつもりです。内容は、
天皇陛下に対する認識の雑多な迷妄を打破すべき必要を感じているからです。
自分も含めて、それに気づかされた文書を入手したからです。
お楽しみに!
いろいろいつも有り難うございます。
何なりとお気遣いなく、ご指摘ください。いつも有り難く存じています。
飄平
なにか疑うような書き方をして
申し訳なく思っています。
すみませんでした。