飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

大河原元群馬県警警部補冤罪事件、裁判所棄却!!

2011-05-25 13:46:44 | ブログ

大河原元警部補(群馬県警)は免罪逮捕され、懲戒免職!!
警察裏金(捜査機密費)を現職で告発したからだ
その回復も求める訴訟を棄却した
前橋地方裁判所!!
裁判所は所詮、「警察に荷担」するところ・・・・!



 これも、公務員天国(大蛇)に立ち向かう『竹原革命』の一里塚だ。

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【転載開始】
■2011/05/10 (火) 正義ある国へ

 大河原裁判は、「裁判所は警察に加担する所」これを証明する判決になった。
西口元(はじめ)裁判長は、「原告の訴えすべて却下する」との判決主文だけ読んで、逃げるように退室した。

判決理由は「警察が言った」「無罪の証拠がない」など、警察の言いがかりを追認するものだった。

判決は「犯罪の証明が出来ないものは無罪」との犯罪認定の原則を逸脱している。これでは日本から冤罪が無くなる訳が無い。
彼ら裁判官は保身以外の判決理由を持たないのかもしれない。
 
 警察のどろぼう、裏金を原因とする「大河原でっちあげ事件」は、「高知白バイ事件」以上の重大事件である。警察と裁判所が深く深く腐敗し、癒着している事を証明してくれた。
でっちあげをした警察官と良心に従う判決をしなかった裁判官たちの実名を記す。
実名の記録が警察と裁判所が繰り返している犯罪の証拠になることを願う。
多くの国民に、役人たちが警察、検察、裁判所まで加担して常習どろぼうをしていることを知ってもらいたい。役所と報道の癒着体質も知ってもらいたい。
そして、いつの日か国家の洗脳から脱して、ニセモノ法治国家体制(四権複合体)を終わりにしてくれる事をこころから願う。

 体当たりのでっちあげ公務執行妨害を首謀した警察官(犯罪者)

伊藤 孝順(たかより)  (現在、群馬県警 安中署長)

判決にあたり、憲法と法律にもとづかず、良心にも従わなかった裁判官

前橋地方裁判所 裁判長 西口 元(はじめ)
           裁判官 水橋 巌
           裁判官 渡邉 明子

【転載終了】



 大河原元警部補は裁判に敗れた。方や、仙波元巡査部長は逮捕もされず、裁判には勝った。どこが違うか? 


 判決を書いた裁判官が、未来(公務員としての)を捨て、良心を選んだにすぎない。これは奇跡だ



 そして、もう一つ、仙波巡査部長は相打ちを宣言した。だから、それを恐れて、告発直後、拳銃を取り上げられ、通信司令部勤務の閑職に苦しめられた。そして、その裁判に勝った。



 今日の動乱の時代、求められるのは覚悟である。警察も所詮は、一人の人間だ。命令で逮捕に向かう同僚も人間だ。やるかやられるか宣言した人間には躊躇する。決死の覚悟こそ、活路を拓く見本である。



2011年5月22日、群馬県安中警察署周辺で街宣車広報
http://youtu.be/mrceBz3xOxA

2011年5月9日、群馬県警冤罪事件・判決報告会-1/6
http://youtu.be/MndxBm_1Lxk

2011年5月9日、群馬県警冤罪事件・判決報告会-6/6
http://youtu.be/YPaCubk1-vs


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1 コメント

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「決死の覚悟こそ活路を拓く」と。 (谷間の百合)
2011-05-28 10:32:22
「決死の覚悟こそ活路を拓く」と。
ほんとそうなのです。というかそれしかありません。
不退転の覚悟でしか何も変わらないのです。


あるとき、五十歳くらいの男性が、7.8人の中学生の群れに
怒りをぶっつけているところを偶然目撃したのですが
あのような頭から湯気が立つような激しい怒りをみたのは
はじめてだったので凍りつきました。
中学生たちはクモの子を散らすように逃げていきましたが
そのあと思ったのは、中途半端な怒り方ではかえって相手の逆襲を
呼び起こすのではないかということでした。
お説教や遠慮がちな怒りは相手を増長させ復讐心を醸成するだけなのです。
怒るときは腹の底からでなければこっちが敗けてしまうのです。


わたしが在日との攻防wで体得した教訓もそうなのです。
いつか相手が発狂したかのような大声を出したとき
わたしはそれに反比例して冷静になっていったのですが
落ち着いて低い声で正論(のつもり)を言うと
なんと相手は途端にシュンとなって黙ってしまったのです。
わたしは心こそぐしゃぐしゃでしたが相手を恐れてはいませんでした。
ゼッタイ、退いてなるものかと思っていました。
(もっとも戦術として退くこともありますw)


かれら在日は虚勢で生きているのです。
虚勢の張りかたがハンパではないので、人のいい日本人は
それを真に強い男の姿だと錯覚して恐れ、あろうことか敬ったりするのです。
そういう人間がウラ社会や芸能界を仕切っているのでしょう。


仙波さんの相打ち宣言は知りませんでしたが、やっぱり「侠客」ですね。
カッコよすぎるではありませんか!
ほんとうの侠客、任侠が今もこの日本に生きていれば
こんな日本にはなっていません。
全部、在日やくざに乗っ取られてしまっているではありませんか。
それがすべての元凶です。


生意気言うようですが、
大河原さんには正義や良心があっても仙波さんの「悪」がなかった
ということではないでしょうか。
相打ちの発想とは「悪」には「悪」ということでしょうから。
大河原さんに仙波さんの「悪」が加わればさぞ立派な侠客になられることでしょう。
(どうしても任侠映画の世界になってしまいますw)






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