飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

暴かれるか、日本航空123機墜落事故の真相?!38

2010-05-01 14:36:08 | 123

謎が多い日本航空123機墜落事故
しかし、信憑性にイマイチ欠け る追求情報!!
それが一変するかも知れない.......。
渾身の情報が発信されつつある!! 第38弾

 

  誠に想像を超えた展開。事実は小説よりも奇なり、という言葉を地でいっている。予断を排して、事実の積み重ねを待つ以外にない。事実こそ真実の断片であるから、その事実を積み重ねる以外、余人の推量は無意味であろう。


 最近、Sさんの動向が案じられていたが、無事であることはうすうす察しされていた。そういうことだったのかとの思いはある。その根拠はあえて言及しまい。


 旧ソ連軍の装甲車らしきものがあったとして、別に驚くことはない。かのオウム事件でも旧ソ連製のヘリコプターが隠匿されていたのではなかっか。その後、それはどうなったか、マスコミは報道を全くしない。


 その時の軍用自動小銃(AK-74)は、今はどうなっているのか?ダムの底に沈められたとまでは報道されたが、その後捜索すらされていない。報道もない。隠されていることに間違いはない。


 隠している正体は何者か? あんなもの個人や民間で隠しきれるはずがないではないか? ヘリコプターだぞ。銃刀法違反の拳銃ではない、軍用自動小銃及び弾薬だ。ヘリコプターが上九一色村(旧名)に存在したことは、多くの国民は知っている。しかし、その後、どうなったか、蓉として知れない。


 これを見ても、日本国内に表から窺い知れない勢力が、大手を振って徘徊している事実が見受けられる。


【転載開始】

JAL123 便墜落事故-真相を追う-そしてミサイルは発射された(14)

2010-04-30 21:11:16 | 日記
前回「そして ミサイルは発射された(13)」で、米国の戦略偵察機 U-2 が飛来し、他の軍機と同じように日航機事故現場近くに墜落していたことをお伝えしました。そして、それが日米関係を考察する上で非常に大きな意味をもつこ とも合わせて説明しました。

単なる偽装事故への疑惑が、実は大きな国際問題を含んでいた事実に、私の頭の中は目いっぱいといったところですが、そんな最中、この4月23日、現地調査 のエキスパート、S氏(*1)から新たな情報が飛び込んできました。もうこれ以上、驚くような情報は出てくるまいと思っていたところなので、その情報の意 味を知ったときの衝撃はなおさら身に堪(こた)えました。


以下、S氏の報告内容です。


ア ントヌッチ証言の中で123便の墜落地点とされた場所の近くに、妙なものを見つけました。映像を撮ったので見てもらえませんか? だいたい 1m×2m位の大きさで、おそらく鉄鋼でできたものです。表面は赤くさびており、鋼板の半分くらいは砂利に埋まっています。飛行機の翼か何かだと思ったの ですが、そうとも言い切れない。これはいったい何なのでしょうか?」

そして、以下はその映像です。



写真1:沢に落ちていた鋼板(遠景)


写真2:沢に落ちていた鋼板(近景)


写真3:沢に落ちていた鋼板(破断面)

アントヌッチ氏が証言した墜落地点は、実際の事故現場中心からは3kmほど離れた山林地帯です。S氏は何も偶然そこを通りかかった訳でなく、その証言内容 の信憑性は別にして、米国軍が事故から10年近く経ってから、わざわざ当時の情報を出してきたことに何か深い意味があるのではないかと疑い、そこを訪ねて みたということです。


この物体については私もわからず、いつもの通り、国際軍事評論家 B氏の元へ向かい鑑定をお願いしました。


*1 S氏:しばらく現地を離れていたので、急性放射線症に関しては症状が消えています。年内には本格的な治療に専念してもらう予定でいます。



■北国からの訪問者


以下、上記の写真をB氏に鑑定してもらった時のコメントです。


「これは航空機の部品ではありません。鋼板を何重にも重ねたこの構造では、重過ぎて航空機の外板には使えないからです。これは装甲車の装甲板です。おそら く航空機から降下させたものでしょうから、軽装甲車であったと考えられます。


装甲板にも特徴があります。重ねた鋼板に隙間があるのは、この空間がショックアブソーバーの役割を果たすからです。見たところ、50mm 弾までは耐えられるようですが、100mm弾までは無理なようですね。この鋼板を重ねただけのシンプルな装甲は、明らかに
ロシア(旧ソ 連)製装甲車のものです。

なぜなら、当時、西側の装甲車は緩衝材としてプラスチックを使用しているからです。一方、ロシア(旧ソ連)ではプラスチックの開発・生産能力が著しく遅れ ていたため、金属だけのこのような無骨な設計になりがちです。


これが存在しているということは、ロシア(旧ソ連)の空挺部隊もこの付近に降下したことを物語っています。おそらく、墜落したMig-25のブラックボッ クスを回収しにきたのでしょう。あの戦闘機は秘密の固まりですからね。そして、このような特殊任務を遂行するのは、ロシア(旧ソ連)の中でもKGB(ソビ エト国家保安委員会)と決まっています。また、このような山間部にまで機械化部隊を送り込んでくる戦術様式にも、いかにもロシア(旧ソ連)らしさが滲み出 ています。


しかし、この装甲板の放置された状況からすると、おそらく全隊が殲滅させられたのでしょうね。」



写真4:旧ソ連軍の軽装甲車 (本記事とは直接関係ありません、参考用です)
写真引用:http://combat1.sakura.ne.jp/BRDM-2.htm (戦車研究室)

何と・・・米ソ冷戦が最も深刻だった1985年当時に、ソ連の空挺部隊が日本の首都東京の100km圏内に堂々と降下していたというのだから驚きです。 Mig-25が墜落していた事実だけでも充分衝撃的でしたが、空挺部隊までが潜入していたとは・・・当時の日本の防衛線はいったいどうなっていたのでしょ うか!? 潜入方法についてもB氏に伺ってみました。



「Mig-25のような高速戦闘機とは違い、空挺部隊を乗せた輸送機が日本本土の上空に飛来すればほぼ100%撃墜されてしまうでしょう。それでも降下を 実行できたのですから、この場合、2つの可能性が考えられます。


 1) 自衛隊と内通していた。

 2) 民間機を装って上空を通過した。

1)はもうお分かりでしょう。自衛隊関係者と話が出来ていて、侵入するためのゲートを開けてもらっていたということです。2)については、アエロフロート (ロシアの航空会社)の東京行き便に偽装して、御巣鷹上空を通過したときに作戦を実行させたというものです。旧ソ連において、アエロフロートは事実上のソ 連空軍外郭部隊とみなせる存在でした。当時、アエロフロートは新潟空港に就航しており、新潟-東京間の航空路も同地の近くを通るので、不定期便として羽田 に飛ばすことができれば、それも可能だったはずです。


撤収するときは、装備を分解し、民間を装ったトラックなどで人員・装備を回収してから、海路で本国に運び出すことが考えられます。これらは以前から日本国 内に潜入した工作員がサポートします。」


なお、1)についてはB氏から次のような注意がありました。


「くれぐれも自衛隊を『組織』だと思わないでください。」


これは非常に重要な示唆です。このブログでも何度か報告しているように、私たちの調査を激しく妨害する自衛隊系組織もあれば、中立的また協力的な自衛隊系 組織もあるのです。正直なところ私もさっぱり訳がわからない。これらの経験から、「自衛隊」が、もはやその名前で象徴される一つの組織集団だとは、私自身 も思っていません(*2)。そして、よくわからないながらも、私が「国営テロ集団」と呼んでいる、旧帝国陸軍系の軍事グループが、政・官・財(裏社会やマ スコミも)を横断して今でも強大な影響力を保ち続けていることだけは経験的事実として認めていいでしょう。読者の皆様にも、その点をご理解いただけるとあ りがたいし、そのように読んでいただけると、このブログで紹介する事実関係の理解が一層深まると思います。


話を戻します。2)の民間機偽装については、私はかなり難しかったのでないかと考えています。なぜなら、Mig-25のブラックボックス回収が目的なら、 墜落の事実を知ったら即時に行動しなければなりません、果たして短時間で偽装部隊の編成が可能だったのか?当時の緊張した状況下ではもしかしたらそのよう な部隊が配備されていたのかもしれません。しかし、このブログでお伝えしている通り、御巣鷹事変発生当夜は上空に米軍・自衛隊の戦闘機やヘリコプターが飛 び交っている状況です。123便の墜落地点中心より数キロ離れた地点とはいえ、民間機が怪しまれず近づけるものでしょうか?


もっとも、B氏の指摘にはありませんでしたが、偽装のあるなしにかかわらず、降下を強行して機体ごと撃墜されてしまったという考え方もあります。しかし、 B氏いわく「軍事力投入に極めて慎重な国」であり、当時、軍事力で米国と対峙していた旧ソ連の部隊が、何の保障もなしにそんな無謀な作戦を強行したとは ちょっと考えられません。


そうなると、自衛隊内の旧ソ連に内通した一派(仮に「ロシア派」と呼びます)があり、それが空挺部隊の降下を手引きした可能性のほうがはるかに高いとみな せます。それ以前に、Mig-25が日本の領空を易々と侵犯している事実から、Mig侵入の時からすでにロシア派の手引きが始まっていたと考えるのが自然 です。そして、Mig-25を手引きした最大の理由、それこそが
JAL123便の撃墜であったと私は推察します (*3)。もしかしたら、米国政府はその情報を事前に掴んでいたのではないでしょうか?


*2 自衛隊は組織でない:自衛隊の乱脈を非難することは簡単ですが、第2次大戦後長らく、日本の国防や、自衛隊のあり方についてまともな議論を怠ってきた国民 側にもそれを助長した責任の一端があるのではないでしょうか。日航機事故の真相解明を機に、国際関係や未来を見据えた、正しい意味での防衛論議が高まるこ とを期待します。


*3 Migによる撃墜計画:日本が軍事物資を輸送する側なら撃墜の手引きはおかしくないか?その疑問については、「自衛隊は組織でない」という答を幾つか考え られる理由の一つとして提示しておきます。



* * *



米国国家安全保障局(NSA)のU-2による戦略的偵察行為とは、123便に積まれた軍事物資、日本国内の軍事グループ(あえて'自衛隊'とは表現しませ ん)、そして、それに軍事介入する旧ソ連軍の動き全てを視野に入れたものであったでしょう。米国政府の思惑、旧ソ連軍の参戦理由、そして中国、ドイツ、フ ランスなど、直接・間接に日航機事故に関わった各国政府についての考察は、日航機事故の全体像を理解する上で欠かせない手続きです。日航機事故の真相追求 は、単なる偽装事故疑惑の解明から、日本と国際社会の関係史理解へとその注目点が移りつつあります。



MERCENNARIUS ET QUI NON EST PASTOR CUIUS NON SUNT OVES PROPRIAE VIDET LUPUM VENIENTEM ET DIMITTIT OVES ET FUGIT

羊飼いではなく、羊が自分のものでない雇人は、おおかみが来るのを見ると、羊を捨てて逃げ去る。

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【転載終了】


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