飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

『ゆるリッチ不動産投資塾』の全容を公開

2013-10-28 22:59:25 | 社会・経済

いやはや、世界は広い、そして、可能性に満ちている・・・』で、
ご案内してきたが、
31日20:00終了の予定が、
本日、28日20:00終了した。
規定数に達したようである・・・。
最終動画を公開する!!

つむじ風ブログPartⅡより転載


 動画題名は、表題の通りだが、真意がご理解頂けるであろう。世の中に、チャンスの女神の髪は、前髪しかないと言われる。


 次の機会を、待たれたい!
 ご判断は、お任せする。



『ゆるリッチ不動産投資塾』の全容を公開

<script type="text/javascript"> // </script>


いよいよ、本格的な晩秋を迎える! 寒くなるだろう・・・

2013-10-28 22:12:15 | インポート

『温泉末』の季節である!
浴用剤は多種多様に亘る・・・。
それぞれに良いものであるが、
温泉水をそのままに微粉末(常温乾燥微粉末)化した
浴用剤は、広しと言えども、
『温泉末』以外にはない!

 

 自宅に居ながらにして、温泉を内湯に取り込む事が出来る、と言えば、大袈裟であろうか? 

Onsenmatu10

 

 少なくとも、それに類した浴用剤は、私の知るところ皆無である。そのほとんどは温浴効果等をもたらす薬剤によるものである。それが良くないなど言うつもりはないのであるが、本物の温泉末を味わって頂きたいとの願いから、そう表現したまでだ。

 

 何によって、本物とするかは見解の相違があろうが、本当の温泉水から常温乾燥微粉末(特許製法)による浴用剤という点で、『本物の温泉成分』を有している事は間違いがない。

 

 私は、30年以上の付き合いである。

Onnsenmatu2

<写真をクリック

 

 だが、世間にはほとんど知られていない。色も匂いもないし、浴湯はあくまで透明で、一般に浴用剤の存在を気づかせない地味な製品である。本物志向であるが、それが良い場合もあるし、物足りないという場合もある。

 

 何もかも満たす事は無理な話であるが、使用すると、明らかに湯上がり感が違ってくる。

 

 温泉に浸かると、湯冷めしないと言われる。それは温泉成分が肌を優しく覆うからだとも言われているが、お湯が柔らかく、差し込む熱さが消えるから、じっくり浸かる事が出来るからかも知れない。

 

 肌の弱い人には、最適であろう。

 

 私は、温泉好きで回りに知られているが、良い温泉は、同じ温度でも熱さが感じられず、自然と長く浸かってしまうものである。そうすると良く芯まで温まるし、発汗が促される。お湯から上がっても、しばらく、汗が止まらなくなるのはそのためであろうと思っている。

_2

 

 蛙の行水から、知らぬ間に脱皮しているのを気づくのである。湯冷めしないのも当然だろうと思う。

 

 この事を少し「科学的」に説明してみよう。

 

 先ず、温泉に浸かると、熱さが射さないのはどうしてであろう?

 

 溶出している温泉成分が、浸透圧を下げるからである。これはキズ持ちの戦国武将が湯治することからも窺える。キズがあると、水も射すし、お湯は一層に沁みるものであるが、それがないのである。

 

 その昔、子供と滑り台に興じて、しこたまお尻をすりむいたしまった。あとの風呂で飛び上がってしまった。沁みたのである。思い出してもあの痛みは、忘れない。

 それが、温泉末で救われた。掻(か)き毟(むし)りによるキズなどの時、それは体験するであろう。だから、アトピー性皮膚炎などで、皮膚がセンシティブになっている時は、お奨めである。

 

 さて、

 

 入浴するのは、勿論、洗浄もあるが、もっと重要なのはやはり、温浴効果である。

 

 温浴は、全てに良い。これについては口説く必要は無いであろうが、心身共にさっぱりとするのは温浴である。精神面の鬱積は、温浴に限る。

 娘には何時も言っている。元気がない時は、誰でもあるが、『ゆっくりお湯に浸かりなさい。』 一時間ぐらい、浸かっている事がある。蛙の子である。

 しかし、その後は、すっかり元気を取り戻している。

 

 鬱は、温浴で治るとさえ言われているが、そう実感させてくれる。悩んだり、気分が優れない時は、感染症でない限り、あるいは、心身虚弱でない限り、ゆっくりお湯に浸かる事である。

 

 幸いにして、ほとんど病気に掛かる事がない私は、この温浴に依っているのではないか思っている。何かがあれば、温浴する。

 

 何よりの気分転換と、そして、療養になるのである。一時間数十分の温浴は、針・灸・マッサージと同じか、それ以上に重宝である。何たって、一人で出来る。

 

 先頃、故在って、和倉温泉(石川県)に細君を伴って、行ってきた。

Img_8196

 

 大浴場と露天風呂、そして、サウナと水風呂、交互に2時間あまり堪能した。これで、これまでの疲労素が抜けきった気分になる。長時間入り浸るので、呆れられるが、いろいろと楽しみがあるのである。

 

 よくぞ日本人として生まれてきたり、と感じる一瞬である。シャワーでは、決してこの感慨は味わえない。

 

 最近は、どの都市でも、温泉浴場が大流行(おおはやり)である。比較的簡単に温泉が掘削出来ることと、風呂好きの国民性が表れている。銭湯は減少傾向にあるが、スーパー温泉は大流行である。ポイントは、『温浴』である。

 

 ワンコインか、高くても1000円までで、温泉気分を味わえるのである。しかも、サウナがほとんど備わっている。昔は、サウナ風呂、今は、もっぱら、スーパー温泉である。

 

 そして、時折、近場の温泉を探索する。近隣諸県の温泉はほとんど制覇した。ある時は、千歳空港の空港温泉にお世話になった。当然、待ち時間は、一転、天国となった。

Head

 

 余談であるが、

 

 ある営業マンが毎月2度訪れるが、月末の面談は、温泉とビールで会食と決めてある。湯上がりのビールは堪えられない。勿論、こちらが接待するのである。本来は私が客であるので、相手は断れないのは承知しているが、強制はしない。

 

 しかし、段々と慣らされて来るのであって、次に又、と合点してくれる場合が多い。商談は、和気藹々(あいあい)で、一言で済む。そして、楽しむのである。

 悪い事は言わない。風呂にはしょっちゅう入るに限る。健康の維持には欠かせない最も安上がりな方法である。その時は、内湯の時、『温泉末』を心の隅に置いていただければ、幸いである。
 

Onnsenmatu2

<写真をクリック

 

 最後に、アトピー性皮膚炎にの方には、界面活性剤0(ゼロ)のママプレマを推奨しているが、温泉末』と共用で差し支えない。どうせ、ママプレマも原料は重曹(炭酸水素ナトリウム)である。一般の浴用剤とあまり変わらない。

 ご安心を!

<script type="text/javascript"> // </script>


生活資本主義(?!)の必要性! その①

2013-10-28 18:01:56 | 社会・経済

生活資本主義なる言葉は造語だが・・・
金融資本主義は、
現代のピラミッド型資本主義である事は、
論を待たない!!
つまり、
金融による資本が全てを支配しているのである!

 

 株主が居て、その資本で企業を支配している。又、銀行が居て、その金融資本力で企業を支配している。勿論、銀行も株主が居るわけである。株主による資本が全てを支配しているのである。これが資本主義なのであるが、資本そのものも金融で調達出来る。

 

 頂点に立つのは、金融支配力である。

O0600065712016333005



 

 中央銀行がある。その支配者は、実のところ、民間金融資本家である。

 

 そこが通貨を二束三文で印刷しているのであるから、金融の元はほとんど只である。その通貨は準備制度の下に、預金準備率を自由に扱い、市中の通貨量を調整して、好景気を作りだしているわけである。これを信用創造という。

 

 信用創造と言えば、聞こえがよいが、無から有を作り出す魔法の杖である。

 

 信用しているかどうかは、主観の問題だが、この主観を洗脳により生み出して、運営しているのが金融資本主義である。その主体は中央銀行にある。日本で言えば日本銀行だが、株式会社である。従って、株主が実体権力を握っている。

 

 アメリカでは、連邦準備銀行である。民間である。同じ金融資本家である。言い換えれば、金貸しである。同じ金貸しであっても、共同して金融で資本を作り出す資本家である。

C0139575_1352592



 

 その金融資本家が、国家の通貨発行権を手にしているのであって、世界の通貨発行権を手中に収めているわけであって、もう自由自在の金融特権を保持しているわけであるから、誰も太刀打ち出来ない。

 

 元来、 

 

 物が生産されて、受益者に到達するまでは、タイムラグが生ずるから、資金を必要とする。その間の生産資材・貯蔵品は、即換金されないからだ。その間の人的資金、流通資金等々が必要とされるから、前もって資金を提供される事が不可欠である。

 

 そのための信用創造というわけだ。それは、中央銀行を通じて、銀行がその資金の供給元となる。だから、銀行が産業を支配する構造が生まれる。ひいては、大本の中央銀行の株主たる金融資本家の支配構造が生まれる。

 

 物々交換であれば、通貨は必要とされなかった。だが、物は不安定要因がある。季節動向や地方特性がある。又、飢饉や過不足が生ずる。その歪みを埋めるために通貨は考案されたものと考えられる。

 

 それは正当であるが、その交換手段である通貨が、一部の権力に支配された事に諸悪の根源があるのだ。国家権力ならいざ知らず、現在は民間の金融資本家に委ねられている。

 

 現在は、金融資本家というものが、国家を超えた最大の権力者である。これを国際金融資本と呼ばれている。これが諸悪の根源である。

 

 現在の金融資本主義というものが、特定の金融資本家(複数)によって握られており、全ての経済支配を行っているという事である。経済支配は、政治支配に繋がるし、当然、最も資本を必要とする軍事支配も行われる。

 

 これが世界の現実である。

 

 資本により支配された企業は、その運営をする従業者を支配する。従業者は生活のために企業に身を売るのである。心まで売る必要がある。

 

 企業は、有形無形の価値を受益者に提供する事で、成り立っている。その実務を取り持つのは従業者である。従業者は、一面では受益者も兼ねている。大多数の従業者が、受益者を兼ねているから、経済は回るのであるが、最近の経済は少し、おかしくなっている。

 

 企業が競争という名の下、従業者を切り捨て、多くを日雇い労務者のごとく、非正規雇用に邁進しているのである。その原因は、企業の最大利益を求めるエゴから発している。それが国際競争力という大義名分の名の下、行われている。

3240



 

 諸悪の根源は、ここにある。さらにそのもとを辿れば、通貨を支配する金融資本家の利益の最大化である事は容易に推察出来る。その金融資本家は、実体経済の利益率に飽きたらず、金融詐欺にまで手を染めているから、いわゆる国際競争力というものが、実体経済をはるかに凌ぐ苛烈さを示しているのである。

 

 そこには、生活という人間本来の欲求を超えた、飽く事なき利益の最大化の追求にある。

 

 生活ではなく、単なる儲けが目当てであって、それに邁進するものは大いに儲けるが、それにあぶれたものは、大いに貧窮するのである。それが勝ち組と負け組である。

 

 勝ち組は、少数で、負け組は大多数である。

 

 これを是正するとしたら、昔は、革命であろう。今、何を持って革命とするかは、定かではない。相手が見えないからである。

 

 普通、革命とは国家権力を転覆させる事を目的であった。しかし、今は、国家権力を転覆させたところで、状況は変わらない。国家が、金融資本家に支配されているからである。国家権力は国民にあると言うが、実体は金融資本家の代理人に依って、行使されている。

 

 政治家も官僚もその支配人であるから、選挙は単なるセレモニーである。その状況を革命によって覆しても何も変わらない。代理人をすげ替えるだけである。本当の相手は、別のところにあるからである。

 

 不正選挙等というものが、問題になっている。代理人として、相応しくない者が、不正選挙によって除かれるのである。これは常態化していると観て良い。

 

 その追求は、しぶとく大に小に進められなくてはならないが、実体権力が国家に属していない以上、正義はなかなか実現しないのも実情だ。しかし、これを繰り返せば、あぶり出す事が出来るのである。

 

 この原因は、国民自身の目から覆い隠され、洗脳の内にあるからだ。先ず、洗脳が解かれ、真実を知る事から始められなくてはならない。

 

 これには勇気ある行動が必要である。

 

 一つ一つの事件について、真実を明らかにする事である。今般の不正選挙等は、到底、その真実を国家に糾弾させようとする試み(不正選挙に関する行政訴訟)があるが、容易では無かろう。容易ではないだろうが、あぶり出しにはなっていると観測する一人である。

 

 騒ぐ事は出来る。

 

 今回の東京高裁の裁判所争乱事件などはその典型である。大いに騒ごうと思っている。洗脳し、覆い隠そうとする権力からすれば、喩え、代理人であっても、騒がれる事が一番の脅威であり、いやな事なのである。

【五反田の】 独立党 合唱課題曲 【ビクトリア】

 

 やがて、隠しきれない事態が訪れれば、代理人の放逐が始まるかも知れないからだ。これが、今流の革命かも知れない。しかし、その道は、長く、険しい。

 大まかに観ると、諸悪の根源は、この金融資本主義の金融資本支配にあるのは間違いない話である。が、細かに観ると、複雑多岐に亘る利権構造が、大木の主根から分かれた子根、細根のように張り巡らされている。

 その中で、弱い人間の生活基盤が築かれているのであるから、容易な話ではないのである。

 大きくは、政治利権であり、さらに経済利権がある。産業利権は、大企業から零細企業まで繋がるであろう。小さくは、生活利権がある。従業者間でも、その利権の中で生活圏を保っているのである。

 現実は厳しい。

 政治経済全般が、網の目のように人脈・金脈で繋がっているからだ。諸悪の根源は理解出来ても、それから離れる手段はというと、皆目分からないと言う人々は、圧倒的に多数なのである。

 ではどうすれば良いだろうか? それは長くなるので、続きを書く。

<script type="text/javascript"> // </script>