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融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

但馬の早割り込み

2021年01月15日 | 日記

 知人から、テレビで「伊予の早曲がり」をやっていたことを聞きました。「伊予の早曲がり」とは、交差点で信号が変わったとたん、直進車よりも先に右折するというものです。本来は、直進優先なのですが、ややフライング気味に右折するので横断歩道を渡っている歩行者や自転車との事故も多いという危険な運転です。話を聞いて教えられたのは、番組の終わりの方で専門家が県民性について考察している部分についてです。すなわち、愛媛の人は穏やかな人が多いため、その反動として、車内という人から見られにくい空間に入ったとき、人が変わってせっかちになってしまうのではないか、ということだそうです。

 それを聞いて、私が思いついたのが、但馬では脇道やスーパーの駐車場から、大通りに向かって無理矢理に割り込んで来るという「但馬の早割り込み」(笑)という危険運転についてです。「但馬の早割り込み」という言葉は、私が勝手につけたのですが、先の専門家の考察をヒントにすると、但馬の人は忍耐強く、普段から落ち着いている人が多いため、その反動として、車内という人から見られにくい空間に入ったとき、先頭に出たいという気持ちになってしまうのではないかと思いました。

 「但馬の早割り込み」は、危険ですのでホントやめて欲しいと思っていますが、但馬の人の忍耐強い一面からそのようになってしまっているのかと思うと、何となく許せるかなとも思えたりします。但し、後続車にブレーキを踏ませるような割り込み運転は何より危険ですし、交通の流れも乱してしまいます。更に、割り込んだ車が往々にしてゆっくりと走る場合も多いような気がします。急な割り込みをして後続車にブレーキを踏ませ、自分はゆっくりとマイペースで走ることが「自己中心的」な振る舞いに受け取られ、後続車にいらぬストレスをかけている、そういう配慮は自動車に乗っていない時にはできる筈だと思うのですが・・・。 

 「但馬の早割り込み」については、私は最初は高齢の故に判断が鈍っているためではないかと思っていましたが、どうも若い人でも同様な運転が多いので、やはり但馬地域の気質に関係しているのではないかという考察が当てはまるのかも知れないと思いましす、勉強になりました。一方で、冷静に考えてみれば危険な「但馬の早割り込み」をしなくても、但馬はそれほど交通量が多くありませんので何の問題もありません。やっぱり、高齢化にあって一つ間違えば事故につながる危険な「但馬の早割り込み」に命をかける必要などないと思います。

 


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明日は礼拝です

2021年01月09日 | 礼拝のご案内

 明日1月10日(日)は、本年最初の礼拝、新年礼拝です。午前9時からの教会学校については、コロナのこともあり引き続きお休みしています。10時30分から礼拝が始まります。メッセージの題は「ふさわしいこと」、賛美歌は「新しい年を迎えて」、「馬槽の中に」です。礼拝中は、窓を空けて換気をしていますので、寒さ対策をされてお越しください。状況によっては中止しますが、礼拝後にお茶の一時があります。ご興味のある方は、感染症対策の上、どなたでもご出席いただいても構いませんが、寒波の影響もありますので無理をなさらないでください。

 先週、1月3日(日)の礼拝は、お休みしました。10日(日)の礼拝も、大雪の影響が心配です。特に、気温が低いので積もった雪の表面が凍結し、歩行中に転倒の恐れがあります。また、自動車のスリップ事故に巻き込まれないように注意が必要と思われます。加齢による判断ミス、路面状況の悪化、雪かき疲れなどが知らないうちに溜まり、判断力が鈍っていることもありますので、普段よりも数段慎重に行動するのが無難というものです。礼拝の出席を控えるくらいの判断をしてもよろしいかと思います。

 すでにコロナ渦が1年も続いています。その間、政治が適切な対応をしたかと考えると、そうは思えません。今や、医療崩壊、変異種の出現と、最悪の状況になりました。もはや、利権体質に染まった政治家による人災です。ここまで状況を酷くした政治家が、これから状況を改善できる筈もありません。これまで状況を見守っていた人たちも、これから自分たちで政治を動かして行くという位の気持ちを持たなければ、残念ながら状況は何も変わらないだろうと思います。

 


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国民に30万円出し渋り、裏では一日300万円使うスカスカー

2021年01月05日 | 日記

 このコロナ渦の国民に30万円給付するのをケチり、自分は裏で一日300万円使う異常さよ。はっきりしていることは、困っている国民に対する思いやりの心が皆無であるという点です。何が「たたき上げ」? へそが茶を沸かすわ。

 残念なのは、このような舐めたことをさせるために国民が彼らを国会議員にしたことになっているという点でしょうか?

 

 

 


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「目を上げて」

2021年01月05日 | 聖書のお話

「目を上げて」 ルカによる福音書 2章1~20節

 イエスさんが生まれた時、東方の国から遣わされた占星術の学者たちがやって来ました。学者たちは、「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」と言いました。占星術の学者たちを支えていたのは、目を上げて、星の導きを頼りとする信仰でした。彼らの信仰は、東方の国の政治と密接に結びつき、政治を指導し、時には長旅の危険を顧みず「拝みに来たのです」と言って外交までも担っていました。

 占星術の学者たちの来訪を受けて、ヘロデ王を始めエルサレムの人々が「不安を抱いた」と伝えられています。それは、ユダヤの国の政治が、東方の国の政治と比べて対照的で、脆弱であったからではないでしょうか。ヘロデ王は、余りにも無能でした。取り巻きの祭司長や律法学者たちもまた、目を上げ、自分たちの信じる信仰に従う純粋さもなく、ヘロデ王の顔色ばかりを伺い、保身のために信仰の指導者として働くこともありませんでした。改めて、頼るべきは純粋な信仰であると教えられているように思います。

 


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