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融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

恥ずかしい日本の首相

2020年02月18日 | 日記

 ANAホテルは、企業としてコンプライアンス(法令や規則をよく守ること。法令遵守。)を遵守しているのでしょう。まっとうなことです。一方で、日本の首相は場当たり的な口から出任せの嘘をついているということになります。しかし、一国の首相がすぐにバレるような口から出任せの嘘をついているのですから、世界中の恥さらしというものです。

 安倍首相の言っていることは、どう考えても常識に欠け、無理筋というものです。まるで、嘘を指摘されてムキになり、次から次へと屁理屈を並べているようにしか見えません。自分でも嘘か現実か分からなくなっているのでしょう、可哀想な人です。すぐ病院に入れて検査してあげるべきです。

 誰でも少し考えてみただけでバレるような嘘を、国会でよくつけるものだと思います。しかも、首相と一緒に高級料亭で会食を繰り返し、政権に忖度しているメディアには開いた口が塞がりません。日本中、いや世界中の人々が見ているというのに。感覚が麻痺しているのか、元々その程度なのか、その両方があるような気がします。

 アベトモや上級国民なら犯罪を犯しても捕まらないとか、行政でも公文書が書き換えられたり、存在そのものがなかったことにされてしまうとか、もう、日本は何年もこのような異常な状態が続いています。ウンザリです。



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「赦された者として」

2020年02月18日 | 聖書のお話

「赦された者として」 ヨハネによる福音書 5章1~8節

 5つの回廊に横たわっている人々がいました。そこは、ベトザタと呼ばれている間欠泉のある二つの池と、病気を癒やすための湯治場であったようです。ここにいるのは、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人たちでした。彼らは、5つの回廊と、物語の後半部分で病気だった人が「もう、罪を犯してはならない」と言われていることから、ユダヤ教(モーセ五書)に属し、罪人と呼ばれていた人々ではないかと思われます。

 イエスさんは、38年も病気に苦しみ、罪人と呼ばれて来た人に向かって「良くなりたいか」と尋ねました。すると、彼はこれまで病気のために貧しくされ、底辺に置かれた者たちが繰り広げて来た生存競争について生々しく語りました。それは、ユダヤ教に属して生きている人々、とりわけ貧しく弱い立場にされていた人たちの痛々しいほどの現実でもありました。

 イエスさんは、彼に向かって「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい。」と言いました。すると、その人はすぐに良くなって、床を担いで歩き出しました。彼には、ユダヤ教に属して生きのか、イエスさんを信じて生きるのかという、二つの選択肢があるように思います。私たちもまた、罪を赦された者としてどのように生きるのか、その選択が迫られているのではないかと思います。

 


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