「二人三脚して心が熱くなった」 ルカによる福音書 24章13~35節
今から百年も昔に「母の日」が起こりました。それは、当時、女性の地位が低かった時代に、教会から始まった「女性の地位向上のための運動」でもありました。この運動が百年も続けられてきたのは、それに関わる人たちの心を熱くしてきたからではないでしょうか。それは、個人だけではなく、社会全体としての熱でもありました。「母の日」には、カーネーションの花を求めます。経済的効果は絶大です。心が熱くなったとは、恵を得たと言い換えることができます。「母の日」の運動は、個人だけでなく、社会全体に恩恵をもたらしたのです。
このことは、何かの目標を立て、それに向かって行動を起こそうというとき、自分の目的だけを追求するのではなく、周りの人にも恩恵が行き渡るような配慮を常に持っていることが大事であることを教えられているように思います。自分の目的さえ達成すれば良いと考え、周りの人のことを考えもしないような運動なら、早晩行き詰まってしまうというものです。
聖書には、イエスさまを十字架によって失ってしまい、意気消沈してエルサレムから離れようとしている二人の弟子の物語が伝えられています。二人の弟子は、イエスさまと共に神の国を宣べ伝える運動をしていましたが、イエスさまの死によって、それが行き詰まってしまったと考えました。そのため、二人の弟子は、自分たちが掲げた目的を達成することを諦め、エルサレムを離れて自分たちの故郷へと向かっていたのではないでしょうか。二人の弟子は、道中、復活のイエスさまと出会いました。そして、三人での道中、二人の弟子の心が熱くなりました。その結果、二人の弟子は、再び自分たちの目的を見いだすことができました。
私たちもまた、イエスさまを宣べ伝えようとするとき、互いの心が熱くなるようでありたいと思います。心が熱くなるというのは、イエスさまによって恩恵を受けるということです。その恩恵が、誰であっても受けることができる恩恵であるかぎり、宣教もまた、これからも続けられるのではないでしょうか。
今から百年も昔に「母の日」が起こりました。それは、当時、女性の地位が低かった時代に、教会から始まった「女性の地位向上のための運動」でもありました。この運動が百年も続けられてきたのは、それに関わる人たちの心を熱くしてきたからではないでしょうか。それは、個人だけではなく、社会全体としての熱でもありました。「母の日」には、カーネーションの花を求めます。経済的効果は絶大です。心が熱くなったとは、恵を得たと言い換えることができます。「母の日」の運動は、個人だけでなく、社会全体に恩恵をもたらしたのです。
このことは、何かの目標を立て、それに向かって行動を起こそうというとき、自分の目的だけを追求するのではなく、周りの人にも恩恵が行き渡るような配慮を常に持っていることが大事であることを教えられているように思います。自分の目的さえ達成すれば良いと考え、周りの人のことを考えもしないような運動なら、早晩行き詰まってしまうというものです。
聖書には、イエスさまを十字架によって失ってしまい、意気消沈してエルサレムから離れようとしている二人の弟子の物語が伝えられています。二人の弟子は、イエスさまと共に神の国を宣べ伝える運動をしていましたが、イエスさまの死によって、それが行き詰まってしまったと考えました。そのため、二人の弟子は、自分たちが掲げた目的を達成することを諦め、エルサレムを離れて自分たちの故郷へと向かっていたのではないでしょうか。二人の弟子は、道中、復活のイエスさまと出会いました。そして、三人での道中、二人の弟子の心が熱くなりました。その結果、二人の弟子は、再び自分たちの目的を見いだすことができました。
私たちもまた、イエスさまを宣べ伝えようとするとき、互いの心が熱くなるようでありたいと思います。心が熱くなるというのは、イエスさまによって恩恵を受けるということです。その恩恵が、誰であっても受けることができる恩恵であるかぎり、宣教もまた、これからも続けられるのではないでしょうか。