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融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

新しい時を目指した

2014年03月13日 | 聖書のお話
 コヘレトの言葉 3章1~15節

 コヘレトの言葉1章の2節には、「なんという空しさ、なんという空しさ、すべては空しい。」と記されています。口語訳聖書では、「空の空、空の空、いっさいは空である。」です。とても含蓄のある言葉ではないでしょうか。
 コヘレトは、1章と2章において、地位や名誉、富や知識を手にしている権力者の立場になって語っています。彼は、その権力をふるって、知恵や知識を極めました。けれども、それは極めたつもりでも、また新たな先が見えるだけで、まるで時を追い続けるかのような「空しさ」に他ならないことだと教えています。また、それだったら、毎日心温かく、楽しく食事をした方が良いと言っています。
 たとえば、原子爆弾は、科学の粋を尽くして作り上げられたものです。また、その平和利用として、原子力発電があります。それは、膨大なエネルギーをもたらしましたが、副産物として放射性物質ももたらしました。利益を得たのですが、不利益も得たのです。今、人類は、極めたつもりが、そうではなく、これからも時を追いかけ続けるような空しさを経験しているのではないでしょうか。
 コヘレトは、続く3章において、特別な権力など持たない一般の人の立場になって語っています。まず始めに、「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」と言い、人が誰でも経験するような日常の出来事を羅列しました。彼は、ありふれた日常生活の出来事の一つひとつが大切な「時」であると教えています。そうして、空しく人生を過ごすのではなく、一つひとつの出来事を大切にして、そこで共に喜び、共に分かち合って生きることが人間に与えられた幸せであると教えているのではないでしょうか。
 コヘレトは、そのために、太陽の下にある世の出来事の一つひとつをよく吟味し、責任を持ちながら歩むこと、それが神さまと共に歩む信仰生活であると教えています。私たちもまた、空をつかむようにして生きるのではなく、信仰をもって新しい時を目指し、与えられた時を大切にして、罪を犯すことのない人生を歩む者でありたいと思います。

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春一番?

2014年03月13日 | 日記
お天気は雨。一雨ごとに、春に近づいているようです。玄関付近の気温、12度。暖かいはずですが、何となく寒く感じます。時折強い風が吹いています。この強い風は、「春一番」なのでしょうか。

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