マルコによる福音書 13章1~13節
東日本大震災は、尊い人命、これまで築き上げてきた生活、家や地域といったものまでも奪って行きました。そして、福島原子力発電所のメルトダウンと爆発により、飛び散った放射性物質や海に流れ続けている汚染水が、被災からの復旧を困難なものとし、そして今もなお日本も世界中も汚染し続けています。
今、日本の原子力発電所は、設計時に想定した使用年数を大きく超えていたり、安全対策に不備があったり、そして福島原子力発電所の事故が収集もつかないのに、再稼働に向けて進んでいます。それは、すべてを経済最優先にして、目先の利益に囚われている姿なのかもしれません。その結果、子どもたちの健康を害し、子どもたちの未来を奪っているとしたならば、とりかえしのつかない罪を犯しているのではないかと思います。私たちは、これまでの歩みを悔い改め、心を落ち着け、謙虚になり、これからの歩みを考える必要があるのではないでしょうか。
イエスさまと弟子たちが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が「先生、御覧ください。何とすばらしい石、何とすばらしい建物でしょう。」と言いました。弟子たちは、神殿の建物を見て惚れ惚れし、そう言ったのでした。しかし、それを聞いたイエスさまは、驚くべきことに神殿の崩壊を預言されました。
弟子たちが見ているエルサレム神殿は、ヘロデ大王が手を加えて立派に建て直したものでした。ヘロデ大王に信仰があったからではなく、ユダヤの人々の気を引いて、自分がユダヤの王であり続けるという利益のためでした。ユダヤの人々もまた、ヘロデ大王の信仰を見るのではなくて、建物の立派さを見て喜んだのでした。その時から、ユダヤの人々は、自分たちが神殿によって得る利権や利益のことしか考えなくなってしまいました。
イエスさまは、本来、祈りの家であるべき神殿が、経済を最優先にする強盗の巣になっていると言われました。しかし、今の状況は、神の国に向かう途上であり、堪え忍んで真理を求め続けることが大切であると教えられました。今は、産みの苦しみの時として、悔い改めて、祈りつつ歩む者でありたいと思います。
東日本大震災は、尊い人命、これまで築き上げてきた生活、家や地域といったものまでも奪って行きました。そして、福島原子力発電所のメルトダウンと爆発により、飛び散った放射性物質や海に流れ続けている汚染水が、被災からの復旧を困難なものとし、そして今もなお日本も世界中も汚染し続けています。
今、日本の原子力発電所は、設計時に想定した使用年数を大きく超えていたり、安全対策に不備があったり、そして福島原子力発電所の事故が収集もつかないのに、再稼働に向けて進んでいます。それは、すべてを経済最優先にして、目先の利益に囚われている姿なのかもしれません。その結果、子どもたちの健康を害し、子どもたちの未来を奪っているとしたならば、とりかえしのつかない罪を犯しているのではないかと思います。私たちは、これまでの歩みを悔い改め、心を落ち着け、謙虚になり、これからの歩みを考える必要があるのではないでしょうか。
イエスさまと弟子たちが神殿の境内を出て行かれるとき、弟子の一人が「先生、御覧ください。何とすばらしい石、何とすばらしい建物でしょう。」と言いました。弟子たちは、神殿の建物を見て惚れ惚れし、そう言ったのでした。しかし、それを聞いたイエスさまは、驚くべきことに神殿の崩壊を預言されました。
弟子たちが見ているエルサレム神殿は、ヘロデ大王が手を加えて立派に建て直したものでした。ヘロデ大王に信仰があったからではなく、ユダヤの人々の気を引いて、自分がユダヤの王であり続けるという利益のためでした。ユダヤの人々もまた、ヘロデ大王の信仰を見るのではなくて、建物の立派さを見て喜んだのでした。その時から、ユダヤの人々は、自分たちが神殿によって得る利権や利益のことしか考えなくなってしまいました。
イエスさまは、本来、祈りの家であるべき神殿が、経済を最優先にする強盗の巣になっていると言われました。しかし、今の状況は、神の国に向かう途上であり、堪え忍んで真理を求め続けることが大切であると教えられました。今は、産みの苦しみの時として、悔い改めて、祈りつつ歩む者でありたいと思います。