開田高原には道祖神・観音像が集落ごとにまとめて祀られています。
子孫繁栄、五穀豊穣、魔性防御を祈ったようで、造られたのは江戸時代後期が最も多いそうです。
「西野稗田の石仏群」
高台に祀られています。石仏は「延命地蔵」と「馬頭観音」が多いようです。
集落の一角に集められているところもあります。
御寺の門前にならべられた三十三観音仏、ここはすべて馬頭観音のようです。
以下個々を羅列します。
「馬頭観音」
「双体地蔵」仲良く肩を組み手を繋いだ仏です。
夫婦和合子孫繁栄を祈ったのでしょうか?
双体ならぬ三体というのもあります。
チョとややこしい関係の仏?これも馬頭観音です。(笑)
首のないものや上半身が割られてた仏も数多くあります。
かって吹き荒れた「廃仏毀釈」で壊された仏だそうです。
最後は堂に収められた地蔵菩薩、伊那の名工「守屋貞治」の手になる加羅陀山仏」
数多くの石仏は中央アルプスを超えた伊那谷高遠から
農閑期に呼び寄せて作ったそうです。
開田高原は木曽馬の産地、日清・日露の戦争に軍馬として徴用
亡くなった多くの命を弔うため「馬頭観音」が多く作られたとのことでした。
それ以降江戸時代から明治にかけて村落が増えた党です。
古い石仏は1600年代のものもあるそうですが、多くは江戸末期から明治初めにかけて石仏は増えたそうです。
石仏大切にされてるんですね
アチラコチラに有るので、結構歩いた記憶が有ります(*^^*)
文字が見え難い物もあったような・・・
大抵は説明文の札が立ってるので、読めなくても問題はないですけどね(笑)
写真には写ってませんが、左に同数の石仏が同じように並べられてます。場所の都合で密集させたのかもしれません。
ほとんどの集落では、2~3枚目のように離間させて祀られているのがほとんどです。
確かに古いものは苔が生えて彫像が判りにくくなってますね。
こちらは比較的新しいかと思ったのですがおっしゃる通りでした。100年経過するとかような姿になるんでしょうね。
minojiもそろそろ苔が映えそうです。
いつも決まった撮影スポットしか行ってなかったので
知りませんでした。
隠れキリシタンではと思われる十字架が左肩に薄っすら確認できるのもありました。
広い開田高原車よく知った人に案内していただかないと回り切れませんね。
大河ドラマの影響か義仲の旗が各所にはためいていました。
ということは、「馬碑」も多いでしょうね。
当地では陸軍OBが中心となったもの2か所を見付けました。
戦死した馬も多かったらしく馬の霊魂を飼い主が弔うため地蔵尊の傍に馬頭観音を祀ったそうです。
苔むして判別しがたいのもありますが、半分以上が馬頭観音でした。
開田は集落ごとに30体ほどの石仏が祀られていますので数の多さは察っせられます。