・・・もう深夜だというのに,何やらゴソゴソと音がします。
不審に思ったA君の父親は,目を覚ましました。
屋敷の奧の,真っ暗な子供部屋で,誰かが動いています。
「誰かしら」
とA君の父親がのぞき込むと,
次男のA君が二段ベッドの上から起き出し,
下のベッドで寝ている三男のO君の枕元に居るではありませんか。
「なにをしているのだろう?」
A君のお父さんは,そっと様子を見つめました。
不安はありながらも,これからどうなるのか・・・
と云う好奇心もあったのです。
すると,A君はO君の枕元にあったマスクを奪い取り,
その隣にあった目覚まし時計をも取り上げました。
「どうしたんだい?」
と,父親が声を掛けても,
A君は微笑んだまま,此方に歩き出します。
「寝ぼけているのかい?」
A君はその声に,にやりとしながらも歩みを止めません。
父親の脇をすり抜け,
廊下を静かに歩きます。
そうして,四男のI 君の部屋に入ると,
持っていた目覚まし時計を,
I 君の胸元に置き,なにやら話をはじめました。
真っ暗な部屋でしたが,
外灯の明かりのせいで,そのシルエットははっきりと見えました。
しかし,辺りはしんと静まっているのに,
その声はほとんど聞き取れませんでした。
数分が経ったでしょうか,
いや,もしかすると,たたの十数秒だったかも知れません。
A君はそのまま自分の部屋に戻ると,
静かに眠って仕舞いました。
A君のお父さんも,疲れのあまり自室で眠って仕舞いました。
朝日が,夕闇を消し去る頃,
A君のお母さんの声がしました。
何と,I 君がおねしょをしていたのです。
びっしょりと濡れたその姿は,
まるで池にでも飛び込んだようでした。
~ 中略 ~
応接間に座っているA君に,
朋智探偵は,念を押すように尋ねました。
「そうすると君は,昨夜のことを一つも憶えていないんだね。」
「はい・・・」
A君のその表情を見ていた小森君も,
その言葉に嘘がないことはすぐに分かりました。
「いったい,何が起きたのでしょうか?
今日もまた,あのような事件が起きるのでしょうか?」
心配そうに訊ねるA君の母親に,朋智探偵は,
「そうですね,これは呪いの呪文です。」
「呪いの呪文?」
応接間にいた家族と,中村捜査係長は思わず聞き返しました。
「そうです。A君は,誰かに操られて,
呪いの呪文をI 君にかけたのです。」
朋智探偵は,小森君に何やら目で合図をしました。
小森君には,それが伝書鳩を準備する合図だと云うことは,
すぐに分かりました。
もう読者諸君にはお分かりでしょう。
その「誰か」が,
そうです。それこそ,大胆不敵「怪人四面楚歌」です。
でも,このことが御家族と,中村係長に分かるまでには,
まだ数項進めねばならない話なのです。
~月川乱歩「中年探偵 夢遊病の魔人」より~