KIKO殿,それから,この地への寄り道を許可してくれた
JOKER殿,MILK殿の感謝します。
「どうしょうかいツアー」最終目的地,
豊後森円形機関車庫
カラフルで近代的な車両が豊後森駅を通る。
その車内からは,この廃墟はどう映るのだろうか。
割れた窓,絡みついた蔦。
そうして舞い散る雪。
どれも,普段の生活とはかけ離れた別空間のように
映るのではないだろうか。
竣工は昭和9年。
半径約48mの円弧を描くこの建物は,
13両の車両を納めることができる。
斜めに吹きすさぶ雪のせいで,
外壁を容易に撮影することはできない。
終戦直前には,米軍機の機銃掃射にあっている。
機関車の損傷はもちろん,
3名の尊い命が犠牲となっている。
つまりは,その銃弾の跡は,写すことはできなかった。
中に見えるのは,高い天井を支える円柱。
直径65cmのものが56本で支えている。
炭坑の街,大牟田でそだった自分にとって,
廃墟と,戦争遺構は,遊び場だった。
其処の歴史など考えることなく,
抱かれるようにそこで遊び,隠れ,休んだ。
だから今でも,興味があり,
自然に足が向くのだと感じることがある。
其処に,1時間でも,いや,1日でも居られる気がする。
写真なんて憶える前からそうしているので,
写真を撮るのは二の次,
独りでただ静かに呼吸するだけで満足なんだ。
前に一度,軍艦島のことが心に染みついて,
睡れなくなったことがある。
この雨の中,どうしているのだろうか,
この風の中,どんな音を立てているのだろうかと,
考えれば考える毎に眼が冴えて,
どうしようもなく感じたことがある。
結局,暴風の中,ゴムボートで無茶な探検を試みるのだが,
そこで観た景色は,
いかにも音もなく,
ただ自分の鼓動が聞こえる静寂だけだった。
ここでも,その鼓動を感じることができた。
冷たく頬と,レンズに降り着く雪をぬぐいながら,
廃墟の静けさと,
自分の鼓動を脳裏に焼き付けていく。
1999年の,いのうえ・こーいち さんの,
「国鉄機関車事典」は随分くたびれてしまったが,
自分が好きな本で,
これを読んで,鉄道模型を少しずつ集めた。
それから
彼の『昭和の鉄道情景「活写」』では,
彼の蒸気機関車とカメラに傾ける思いを感じるとともに,
機関車の躍動感を観ることができる。
「懐かしの蒸気機関車」のCD-ROMも懐かしい。
Windows95でその迫力の映像と音を楽しんだものだ。
写真集,「汽笛とけむり」のCDもよく聴いた。
この静かな機関車庫にも,
そう云った音が重なるように聞こえる。
それに,静かに耳を傾ける。
最初は,この吹雪を恨んだが,
次第に何とも云えない巡り合わせに感謝する自分が
居るのにはっとさせられる。
戦後,25両の機関車を擁したこの機関区,
その車庫は今は静かに眠っている。
とまあ,こんな感じでどげんでしょう。
豊後森劇場,おしまいおしまいでござるよ。
ここでKIKO殿とお別れ,
実に寂しい限りでござる。
お別れに,マンゴーのなんちゃら・・・。
コレは・・・甘いモノが苦手なあちきにとっては・・・。
でも,食べたよ!
帰りは大雪。
まさに,出口ユキさん,注意でござる。
ペースカーが入って,
フルコースコーション。
長崎に帰り着いたのは,よるでござった。
KIKO殿との別れも,
MILK殿との別れも,切ないものでござった。
それからJOKER殿・・・本当に運転お疲れ様でござった。
また「どうしょうかい」したいでござるね。