Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「遵守」

2006-04-15 01:12:14 | ひとから学ぶ
 中学3年になった息子は、最近総合テストがあった。その国語の問題に「遵守」の読み仮名をつける問題があったという。息子は読めたというが、けっこうこの漢字が読めなかったらしい。

 たまたま新学年になって、クラブ活動も新たなる年を迎えたわけである。そんな空気を漂わせるがごとく、息子の入っている卓球部で新学年になった2年生がクラブでの注意事項を読み上げたという。その際、その文にやはり「遵守」という言葉があった。読み上げた2年生は読めずにつまづいていたところ、顧問の先生が「〝そんしゅ〟と読むんだ」と偉そうに言ったという。これまでにも何度も述べているように、息子は顧問のことは信用していないし、嫌いだ。それはある一定のレギュラーだけを可愛がっているからだ。そして、かつてその可愛がられているやつらにいじめられた。息子だけではない、レギュラー以外の部員は相手にされていない。卓球台を占領するレギュラーの数人は、好き勝手に行動する。それが嫌で仕方ないが、それでも阻害されている部員は我慢して部活動を続けている。

 息子は「そんしゅ」を聞いて「違うだろう」と思ったが、わざわざ指摘もしなかったという。なんで「違う」と言わなかったのだと母が問いただしたら、「あんなやつは一生間違って覚えてりゃいいんだ」と言う。偉そうに言って馬鹿にされればいい、というのが息子の顧問に対しての仕返しなのかもしれない。

 こんな情けない学校よ「さらば」なんて言えないから仕方ないが、「なんとかしろよ」と思うばかりである。
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聞取り調査

2006-04-14 08:23:58 | ひとから学ぶ
 個人情報保護が一人歩きするようになって、わたしがかかわる民俗の聞き取り調査も大変な時代に入ったといってよい。昔こんなことがあった。ある市の市誌編纂にかかわった際、ある集落を調査するということになった。その際、編纂の事務局が話者候補をあげて話者への了解を得るところまでしてくれなかったため(というよりそこまで手が回らなかったともいえるが)、年齢でいくつ以上の方をリストアップして欲しいとお願いしたことがあった。しかし、そうした情報は出せないという。こちらは市の仕事をそれもボランティアにかなり近い状態(確かにある程度の日当をいただいてはいるが、実際にかかわっている時間は日当に相応するものではなかった)でやっているのだから、ある程度情報をもらわなければ調査に入れないわけだ。
 
 結局地域の有識者に候補者をあげてもらうという形になったが、そうはいっても有識者のあげる人というのは、「詳しそうだ」とか「あの人ならだいじょぶ」といった先入観があって、必ずしも話者として適当かどうかはわからないわけだ。加えて、調査する側の意図というものもあるから、会話の中から必要な情報を見つけ出すというケースもある。「何に詳しい」というのは、ある一点だけを重点的に調査する場合は良いが、民俗誌的な捉え方をしようとする時は、必ずしもよいとは限らない。

 ましてや時間にも限度があるわけで、話者の確保まで調査者が行なっていてはボランティアはよりボランティアになってしまう。だからこそ、情報として必要だったわけだが、結局選出した一覧をいただくということはなかった。その市誌も発行されることなく頓挫して、わたしたちはまさに無給のボランティアに近い状態で職務を解かれた。そのときの市への不信感は今も変わらない。

 個人情報を考えていたら、そんなことがあったなーと思い出したわけだが、聞き取りというのも嘘があってもおかしくない。たとえば生年はいつですか、と人に聞いたとしても、その生年は必ずしも正しくないこともある。本人がわざと間違えていう場合もあれば、間違って言ってしまうということもある。しかし生年というものを聞き取らなければ時間的な変化を捉えることができなくなる。だからわたしたちには生年を聞き取っておくことは重要なのだが、といって1年や2年違っていたってなんていうことはないじゃないか、ともいえる。でも記述する以上は「嘘」を書くわけにはいかないと思う。だから公な本であればより正確なデータとしてわたしたちは確認の手段を要求するのだが、それは「個人情報」だからといってかなわないわけだ。
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修学旅行の事前教育

2006-04-13 08:04:08 | ひとから学ぶ
 息子はもうすぐ修学旅行である。広島と京都奈良を訪れる2泊3日の旅という。学校によってもその対応の仕方はまちまちなのだろうが、びっくりすることはたくさんある。知らなかったのだが、もう昨年のうちから総合学習として行く先の勉強をしてきたようだ。そのノートとして専用のファイルで覆われた「広島・古都の旅」というものがある。昨年のうちからあったようだが、普段単身赴任しているわたしは、先日初めてそのノートがあることを知った。A5版程度の大きさで、厚さが1センチメートル以上ある立派なノートである。バインダー式になっているから、追加もできる。ビニールで覆われたファイルの表紙には、息子の通う学校の名前が印刷されている。修学旅行専用に作られたノートであることはすぐにわかった。

 そのノートを開くと、まず「目的・スローガン」というページで学習が始まるわけだ。そして、そこには日程が書かれていて、たかが修学旅行とはいえ、中学校生活の中でも最も大きな一大イベントであることがわかる。ノートは、学習用の教科書としても利用され、旅行の予習が行なわれる。そして、そこに課題を書き込むページが何ページもあって、まるで「修学旅行」という学科をこなしているようである。この内容の学習を他の人たちはどうこなしているのか、その大それたノートから心配までしてしまう。歴史好きな息子のノートだけに、そこにはびっしり細かい字が書き込まれている。息子らしいといえば息子らしいが、妻は「こんなことに手間をかけなくてよい」という。好きなことだから勉強もせずにそんなことばかりやりがちだ。「こんなところがあんたに似ている」なんていってわたしが批判されてしまう。確かにちょっと力を入れすぎかな、とノートを見てわかった。だからこそ、「たかが修学旅行」という世界が、子どもたちにとってはそうではないということを知る。妻の言葉も、そして息子の気持ちもわかる。

 荷物検査があるという。なにから何まで名前を書かなくてはいけないという。そうしないと、ごみかきでかくほど持ち主不明なパンツやらシャツがあふれるという。妻の弟は何度もそうした修学旅行に引率した。あまりのひどさに名前を書く必要性は高いという。妻とともにわたしもそんなに真剣に考えていなかったが、その話を聞いてびっくりして、名前を書きまくった。

 わたしのころはこんなノートはなかったとは、妻との会話である。そして、今の子どもたちはこんな具合にまとめられたノートがなければ、資料を整理することができず、あげくの果てにどこかにみんななくしてしまう、という結論に至った。すべてをお膳立てしてあげないと、ずての子どもたちが修学旅行に行く前に脱落してしまうわけだ。もちろん持ち物検査もそうだ。そうした検査が重要だという弟の話を聞いて、どうにもならないほど子どもたちの自主性、あるいは問題意識が低下していることに気付く。我が家の息子もまさしくそれに該当しているかもしれない。息子は小学生のころから学校外のキャンプとか泊まりの会に何度も参加している。修学旅行よりもずっと長期のキャンプにも何度も参加している。その時はそんなことは気にもしなかったが、そんな経験を積んでいる息子ですら、自主性はかなり低い。心配なことだらけの現実である。
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合併による自治体名②

2006-04-12 08:12:03 | ひとから学ぶ
 前回にひき続いて平成大合併による自治体名について触れてみる。

 ⑥かつても多くて今回もけっこうある「みさと」の名を持つ自治体。宮城県美里町、秋田県美郷町、福島県会津美里町、山梨県市川三郷町、島根県美郷町、宮崎県美郷町、熊本県美里町などある。もともとこの美里とか美郷という名前は多かった。美しい郷という意味合いが強いのだろうが、そればかりでなく、三つの地域が一緒になったからといって三郷というものも多くあった。合併によってなくなるいっぽうで、再び新たなる美里(郷)が生まれて来るところに、人々の気持ちが込められているようにも思う。

 ⑦目立つ「中央」の名を持つ自治体。山梨県中央市、岡山県吉備中央市、愛媛県四国中央市がある。吉備の中央、四国の中央だからそれぞれの中央市となるのだろう。山梨は山梨の中央という意味なのだろう。気持ちはわかるがなんとかしてほしい名前だと思う。

 ⑧⑦と同様になんとかしてほしい自治体名。長野県筑北村、鳥取県南部町、愛媛県愛南町などで、もともとそうした名前のまま合併した山梨県南部町や青森県東北町も新たにできたわけではないがいまいちのものだ。長野県筑北村の「筑北」は確かにその地域の略称として使われてはいたが、あまり愛着がわく名前ではない。○○北部とか北○○という感じに、どうしてもつけたいなら地域名を冠して使ってほしい、とはわたしの思いだ。

 ⑨広域化によって地域の名称が使えるようになった自治体。新潟県佐渡市、同魚沼市、同南魚沼市、長野県安曇野市、同木曽町、同飯綱町、静岡県伊豆市、島根県隠岐の島町、香川県小豆島町、長崎県対馬市、同壱岐市、同五島市、同上五島市、沖縄県宮古島市など、わたしにもう少し知識があればもっとたくさんこのケースはあるのかもしれない。このつけ方は、合併による自治体名称のつけ方としては、ごく自然なものだし、加えて地域イメージが浮かびやすいものだ。

 ⑩その他さまざま
 ■京都府の京丹波町、兵庫県の丹波市、京都府の南丹市、同京丹後市などはほとんど並んでいる。似通っていてすぐにイメージできないが、おおかたそのあたりにある、という大雑把なイメージはつく。
 ■山梨県の塩山市や勝沼町のあたりが甲州市になった。いかにも「甲州ぶどう」のイメージはつくが、甲州というともうちょっと広域的な感じで、かつての塩山・勝沼のイメージが薄まってしまって残念。同じものが甲斐市にもある。甲斐も甲州も同じようなイメージなのに、ずいぶんと狭い範囲で使われていて違和感ありという感じ。山梨県にはほかにも北杜市とか南アルプス市もあって、割合新たに名前を充てたものが多い。それでいていまいち違和感がある。
 ■愛知県清須市は、歴史ある名前に聞こえるが、清洲と書かずになぜ清須なのかが違和感の始まりである。


 以上のようにまだまだいろいろな見方ができるのだろう。
 合併が少しでもあった自治体を色塗りすると、広島県はほとんどの自治体で合併があったようだ。長野県は合併が進んでいない方というが、それでも色塗りするとけっこう合併にかかわった自治体は多い。そこにいくと都市近郊の自治体はともかくとして、地方で合併が進まなかったところでは、北海道や山形県、そしてこの山形県に隣接する宮城県の南部あたりはまったく色がつかない。
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もう一度ホトケノザ

2006-04-11 08:15:01 | 自然から学ぶ
 以前「ホトケノザ開花」で触れたホトケノザについて、小林正明先生が「伊那谷自然友の会報」124号で素人向きに説明してくれている。ホトケノザの場合閉鎖花(へいさか)のものがけっこう多いという。わたしが以前触れた「ホトケノザ開花」の際のものも、正確にいくと開花まではいっていなかった。そしてその花は閉鎖花のままだった。閉鎖花とは、花が開かないまま中でおしべとめしべが自然について、自家受精して種子をつくる花のことという。ホトケノザの場合はこの閉鎖花の方が開放花よりも多いともいう。

 さて、同記事の中で、ホトケノザの生えている場所は、ほとんどが畑で多年草の多い土手にはないと書かれている。そして、路傍に生えていることもあるが、その場合は掘り返したところとか、何らかの撹乱があったところだとも書かれている。わたしの見たホトケノザは傾斜のある土手に生えているもので、小林先生がいうような場所ではなかった。そのことについて妻と「あの場所は普通の土手だったけれど、この話と違う」というような話をしたわけである。そして考えているうちに妻はこう言ったのである。

 「あの場所はモグラがきてけっこう空洞なんかができたりして土手の表面が崩れたりする。そんなことが影響しているかも。」

 なるほどこれは「撹乱」にあたる。そう考えると山間部の傾斜地の土手の場合、自然状態でも撹乱は生じることがある。もちろんそれが動物によって撹乱されるということもある。「こんなところに」と思うようなところに意外なものが咲いていたりすれば、その背景はさまざまなんだと気がつく。加えて、その場所はわたしが年に3回程度草刈をする。傾斜地でかつ高い土手ということもあってわたしの担当する土手である。基本的には草だけ刈っているつもりだが、土手が一様ではなくデコボコしているから、時には土を切っているなんていうこともよくある。とすれば、わたしが草刈の際に撹乱を起こしているのかもしれない。自然というものも人間がどの程度そこに加わっているのか、あるいはいないのか、そんな微妙なことでさまざまな顔を見せてくれることを知る。


 日曜日にだいぶ草が伸びてきて自宅の草をむしった。その中にホトケノザがあった。畑にしてあるところで、一株だけあったホトケノザは開放花だった。ほかにもあるのだろうかと探してみたら、垣根の外の道端にも数株あったが、そちらは閉鎖花であった。写真は一株あった開放花である。
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桜咲く

2006-04-10 08:09:35 | 自然から学ぶ


 桜の便りが長野県にもやってきた。先日飯田で開花宣言があったが、桜にもいろいろ種類があるから、早いものはすでに咲いている。単身赴任しているから、自宅のある場所では1週間ごとの季節感しか味わうことはできないが、長野市と伊那谷ではずいぶん違いはある。いや、伊那谷といってもいろいろである。スキー場が間近にある南の旧浪合村や平谷村といったところは、雪も多く、もちろん標高が高いから寒さも厳しい。単純に南と北といっても一様ではない。飯田は暖かいとはいうものの、けっこう雪も降る。むしろ、50キロメートルも北の伊那市あたりの方が、中心街の雪は少ないかもしれない。標高差も同じ行政区域でもさまざまだし、もっというと今は飯田市に合併されたが、旧南信濃村は、県の南端にありながら豪雪指定地域だった。それほど雪は多くもないのになぜ「豪雪」という感じもあったが、いずれにしても南北だけでは計れないものがある。

 とはいえ、桜はやはり南の方から咲き始める。もちろん標高の高いところは遅いが、前述したように同一の自治体のなかでも標高差によって早い遅いがある。天竜川に沿った地域では、現在下伊那郡と上伊那郡の境あたりまで桜は満開である。しかし、段丘を上がるごとにその咲き方は五分、三分と減少し、段丘の最上段までいくとつぼみは固い。こうした空間を上下して暮らしているから、桜の季節は、平野部にくらべると長い。季節感がいまいち統一感がないのもそうしたところに理由がある。だから同じ空間で暮らしているのに人によって季節感がばらつくのである。「桜は4月上旬には咲く」という人もいれば「下旬に咲く」と認識している人もいる。

 今年は梅が咲くのが遅かったといわれ、場所によっては桜と一緒に咲いていたりする。通常北に行くほど梅と桜の咲く時期が近寄るといわれているが、今年は長野県南部でもかなり接近している。そういう視点で見れば、段丘の上の方ではようやく梅が咲いているが、段丘の下のほうでは桜が満開で、散るのは桜の方が早いかもしれない。例年にくらべればけして桜が遅いわけではないが、ここ数年早かったこともあって、「今年は遅いなー」という印象があるのはわたしばかりではないだろう。

 写真は下伊那郡松川町生田の福与というところで撮った。部奈(べな)という集落が段丘上にあって、そこへ通じる道沿いに古木の桜がある。鑑賞できるように歩道が整備されていて、けっこう人が集まっていた。天竜川端の県道から上を見て、立派な桜があるなーと思ったら案の定、そういうものにみんな目が行くようで、人が集まっていた。

 撮影日2006. 4. 9 PM
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団塊世代、そして格差

2006-04-09 10:39:28 | ひとから学ぶ
 団塊の世代の退職が近づくに従い、世の中はそれらの人々をターゲットにしたビジネスはもちろん、受け入れに関するさまざまな動きが報道されている。おそらく団塊世代とひとまとめには言っているが、そうした人々にも格差があるのだろう。ちまたでいわれているような団塊世代は、わが社ではとうに退職してしまっている。会社の行く末が奈落の底なら、高額所得者には鋭意退いていただくしかない。そんな状況だったから、団塊世代といわれる年代の人たちは会社にはいない。不況に陥るなかで、同じような境遇の人々は多い。だから、退職年齢までしっかり働けた人たちと、そうでない人たちでは当然格差があるのだろう。あまりそういうことは論じられていないが、きっと余裕な暮らしをしている退職世代をみながら、現役世代で厳しい現実にさらされている人も、団塊世代と言われながらに早くに失職して暮らすのに精一杯な暮らしをしている人たちも、そんな報道をどう見ているのだろう。

 息子の通っているピアノ教室にとてもピアノの上手な女の子がいた。しかし、「とても上手」とはいえるが、それ以上ではなかったのかもしれない。本格的な音楽家でも目指すのなら、さらなる環境も努力も必要だったのだろう。田舎で上手だからといってもお金があればそれなりの道を歩ませることもできるのだろうが、なかなか金銭的な面では親は子に必ずしも希望の道に歩ませてあげられない。その子は高校を卒業して音楽専門の道を歩むべく短大に進んで音大への編入を目指していた。しかし、音大の授業料の負担が大きいということでその道はあきらめたという。何百万かの負担は人によって受け取り方はことなる。わたしが「そのくらいであきらめるのはもったいない」というと、妻は「そのお金を工面するために親はかすみでも食っていくのか」という。確かにそうではあるが、人にはない技術を持っているのなら、音大を出てどうなるともいえないが、可能性のあるうちはなんとかしてあげたい、と思うだろう。しかし、現実に田舎の所得状況やさまざまな家庭的理由を考えればしかたがないのだろうか。

 4月に入って豪華客船が100日間余の旅に発った。380万から1千万余の価格だという。多くは高齢の方々なのだろうが、そんなところをみても格差は歴然としている。たかが何百万の授業料が負担なため、子どもの進学をあきらめる話を聞いて、田舎には予想以上に格差があると感じるのである。事実都会に住むのと田舎に住むのと、それをくらべただけで格差なのだから。
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合併による自治体名①

2006-04-08 13:09:49 | ひとから学ぶ
 平成の大合併がひとまず終わった。乗り遅れてしまったという印象が若干足りともある地域では、「なぜ合併しないんだ」なんていう住民の言葉が聞こえたりして、平成の合併は終わったとはいえない。いずれ、再び再編される地域はあるのだろう。この合併に伴って生まれた新しい自治体名をみると、いろいろ思うところはある。地域の住民のことはあまり考えず、わたしの勝手な印象で、自治体名のつけ方をまとめてみる。あくまでも地図を見たうえでの印象なので、細かい情報はなくて思ったところなのでかんべんしてほしい。

①合併する市町村名の一名称をとって「ひらがな」名にした自治体。茨城県かすみがうら市、千葉県いすみ市、秋田県にかほ市、埼玉県ときがわ町、群馬県みなかみ町、福井県あわら市、同おおい町、和歌山県みなべ町、兵庫県たつの市、高知県いの市、香川県まんのう町、福岡県うきは市、鹿児島県さつま町などである。そのまま漢字で充てればよいのに、わざわざひらがなに変えたのは、いろいろ理由があるのだろう。ひらがなにすることで合意がとれたケースなのか、それとも代わり映えがしないといって、やわらかい印象になるかなにしたのか定かではないが、ひらがな名称の場合、地域イメージがわかないし、かつてと同じ発音でもすぐにイメージすることはできない。理由はあるのだろうが、同じ名称を使うのなら漢字で充ててほしいケース。とくにあげないがこれに近いケースもある。東西南北などの位置的情報を加えて、かつての自治体名を使ってひらがな変換したものがそれだ。

②合併する市町村の一字をとって組み合わせた自治体。青森県中泊町、秋田県八峰町、茨城県小美玉市、長野県東御市、同長和町、同佐久穂町(ちょっと変則的ではあるが)、三重県大紀町、滋賀県愛荘町、兵庫県香美町、鳥取県北栄町、福岡県福津市、同宮若市、熊本県和水町(和水と書いて「なごみ」という)などがある。ちょっと近いパターンのものに、和歌山県紀美野町というものがある。美里町の「美」と野上町の「野」をつけただけでは地域感がないので、そこに「紀」をつけたものである。昭和の大合併にくらべると、こうしたパターンは減ったかもしれない。単純なるみこどな組み合わせは小美玉市である。もろに頭文字をを三つとってつけた名前で、古き時代の合併パターンといえるだろう。「いまどきそんなのありか」という感じで、もっとも従来の自治体名が消えてしまい、意図がわからないケースである。

③名称を組み合わせた自治体。②と同じようなケースだが明らかに違うのは地名を組み合わせているから、従来の自治体名のイメージはそれほど崩れていない。秋田県由利本庄市、栃木県那須烏川市、群馬県東吾妻市、千葉県横芝光町、静岡県川根本町、山口県山陽小野田市、鹿児島県市来串木野市などである。

④苦心の作(必ずしも地域の拠点名称にしなかったケース)。後述する大仙市も大曲という名が消えてしまっているが、けっこう今までの名称で地域が固定されているにもかかわらず合併のためにわざわざ違う市名をつけたものがけっこうある。そんな配慮で逆に合併が壊れたというケースもあるので、わたしに言わせてもらえれば「苦心の作」だろう。那須塩原市には黒磯市が含まれている。黒磯より那須塩原の方が地域名称に合っているのかもしれないが、その裏にはかつての黒磯市民のけっこう葛藤があったように思うがどうだろう。

⑤「そんなのありか」みたいなケース。
■秋田県大仙市と仙北市の関係はそんな感じ。大仙市に仙北町が合併しているのに、新たにその隣に仙北市が誕生した。大仙市の旧自治体には仙北町のほかに西仙北町や中仙町なんていうものもあった。いっぽう仙北市の旧自治体名に仙のつく名称は何もなかった。あくまでも情報なしで書いているので認識不足でいけないが、「仙」の北とか西とか中というときの「仙」とは何をもって仙なのだろうと興味がわく。この大仙市の中心はもともとの市である大曲市なのだろうが、どうもこの地域に「仙」とい意識が高いから上に「大」をつけて「仙」を強調しているのだろう。もともとの仙北町を知っている人は、新たなる仙北市と勘違いするだろう。


 ①のケースはかつても若干あったかもしれないが、あきらかに平成の大合併の特徴あるケース。やたらにひらがなの自治体名が増えた。②については合併するならもうちょっと考えて欲しいものである。以上気がついたところをあげてみたが、次回にも触れてみたい。
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電子申請

2006-04-07 08:06:40 | つぶやき
 このごろは資格試験の申請に電子申請というものが用意されている。もちろん昔ながらの郵便による申請というものもあるが、電子申請の方が手数料が安かったりして利用したいと思う人たちも多いのだろう。とくに専門分野でPCを使うことに慣れている人なら、電子申請を利用するかもしれない。ところが、この電子申請、けっこう面倒くさい。手数料の納付にも「電子納付情報Webサイト」なるものにアクセスしていろいろの手続きをする。それがなんだかよくわからない。まずわたしのような気の短い者には向かない。この手続きを済ませたあとに実際の試験申請となる。かなり心にゆとりがあって、時間的にもゆとりがないと本気になれない。そんなくらいなら、郵便で手続きをした方が確認もしやすくて手っ取り早い。どのくらいの人が利用しているかわからないが、とくに技術系の試験申請なら、そこそこ利用している人もいるのかもしれない。

 「住民基本台帳カードの利活用方法等に関する検討会報告書」という友人のブログに、同じようなことが書かれている。平成16年に住基ネットによる住民票の広域交付を利用した人は、長野県ではごくわずかという。利用率がかなり低くても、いつまでも低いとは限らないが、セキュリティーを重視して面倒くさい申請手続きになっていることは間違いない。加えて情報漏えいという問題がある。考えてみれば、電子申請の場合は、ごく個人的な情報をネットという世界につながっているラインに一度乗せるわけだから、セキュリティーがかかっていたとしても、もしかしたらすっぽんぽんにさらけ出しているのかもしれない。闇の世界だから、どんなシステムなのかよくわからない。頻繁に使わないものなら、確かに必要性という部分では大いに疑問がある。常にさまざまな様式変更なんかもされたりして、次に同じことをしようとしてもまったく変わっているかもしれない。

 よく無料のホームページへのアップロードしたりするとき、以前と出入りのページが変更されていて、加えて管理画面の構造なんかも変わっていて躊躇することがある。毎日更新していればよいが、たまに利用したりすると、「あれどこかへ窓口が行ってしまった」とパニックになることがある。無料のページばかりではない。何年も更新しなかったパーソナルなページを更新しようとしたら、昔のイメージがまったくなくなってしまっていて、どうしたらよいかわからなかった。電子申請の世界も同じようなことがきっとあるだろうし、そんなことだから不安が大きい。無駄なシステムにどれほど金をかけているか知らないが、いったい誰に大金が流れているのだろう。けっこう不必要な箱物を造っているのと同じかもしれない。いや、それ以上かもしれない。
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歩く集団

2006-04-06 08:23:40 | ひとから学ぶ
 新年度が始まり数日がたった。町の中を通勤していると、人々の姿が変わった。もちろん春だから装いが変わってくるのは当たり前で、とくに4月になるとすっかり春の顔を見せる。それは人々の顔の表情もそうなのかもしれない。どこかしら毎日会う顔も変わっている。人事異動などがあったり、新社会人が街に現れてくれば、明確ではないが変わった印象をもつ。そんな季節である。

 自転車で歩道を走ると、朝の通勤時間はけっこう危ないことも多い。それだけ歩道に人の数が多い。昨日のことであるが、歩道をいくつかの集団で若い人たちが歩いていた。3メートルほどある歩道を横に並んで歩いているから、後ろから自転車で行くと向こうも気付かないから抜けそうもないと感じる。すると、横並びで6、7人歩いている端っぽの人が後ろから自転車が来ていることに気付いてその人が除けてスペースを開けてくれる。若干スピードを緩めたが、こちらとしてはずいぶん早くに気がついてくれたとありがたく思う。

 その集団を抜いたかと思うと、数メートル先にまた同じような集団がいる。「またかー」と思うと、また集団の端っぽにいる人が気がついて除けてくれる。若い人たちだから話しながら歩いている。盛り上がっているようで身体でなにやら表現していて、かなりまわりに気を配る状況ではない。だからとても気がつきそうでないのに、なぜか気がついてくれる。集団の端にいる、そのポジションの取り方そのものが集団の中でどんな位置にあるのか、そんなことを思う。歩きながらの話題から外れている人なのか、それとも常に控えめな人なのか、と。誰しも集団になりたがるが、その集団においてのポジションというものがこんな歩く集団にも見えていておもしろい。
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学校情報保護について

2006-04-05 08:09:52 | ひとから学ぶ
 学校における個人情報の扱い方についての記事が、信濃毎日新聞にあった。ある学校でケーブルテレビの卒業式の撮影拒否があった。顔が特定されるような放映に対して、卒業生の保護者にアンケートしたところ35%の保護者から生徒の顔をアップで撮影することは拒否だという回答を得たという。それに伴って校長は撮影拒否をした。考えてみれば65%の保護者は了解したわけだから、民主主義でいけばOKなんだろうが、もし悪用されて事件が起きたときのことを考慮すれば、拒否するにこしたことはないという、いわゆる「安全」率の問題だろうか。わたしの地元でもケーブルテレビが放映しているが、けっこうケーブルテレビの視聴者というのは、こうしたとくに地元らしい映像に期待している。加えてわたしの地元のケーブルテレビは完全なる民間企業ではなく、どちらかというと、行政主導で始まったものである。地域の話題を追う際に、そうした撮影拒否があれば、果たしてケーブルテレビの必要性とは何なのかということになってしまう。今回のケースでもケーブルテレビ側は、顔が特定できないような撮影に留意すると説明したがだめだったわけである。

 過剰な反応ともとられがちな事例だが、世の中の人間関係の落ちぶれようを映している。記事では学校における連絡網についても触れている。緊急時の連絡網の意図というのはどういうところにあるのだろう。学校が緊急連絡する場合に、例えば40人いて5人に連絡すればそれぞれ8人に言い継ぎすれば連絡は済む。学校が40人すべてに連絡するよりは早いかもしれないが、途中で止まっているとむしろ遅くなる。だから必ずしも速さを目的とした場合は、一概には言えない。もちろん言い継ぎ段階に間違えて伝えられることもある。わざわざ意図を説明して理解を得るということもあるが、ではその必要性を全員に理解してもらえるような時代はすでに終わっているかもしれない。

 そう考えれば連絡網の必要性はないかもしれないし、同級生の住所録もいらないかもしれない。卒業後にそれが必要になるのは、同級会を開くときに連絡したいときぐらいだ。なければなくてもどうということはないし、全員の一覧も必要ない、ということになるのだろう。OKを出した人だけで名簿を作る、そんなことになるのだろう。情報保護とは、そんなものなのかもしれない。浅い関係といってしまえばそれまでだが、今の世の中をみてみればぴったりだ。

 しかし、そんなことを国が法制化しなければ悪用されるのも残念だし、人と協調することができなくてもなんら問題なし、という社会なのだろう。「本当にそれでよいのか」という気持ちは、昔から生きてきている者には当たり前かもしれない。今だから「えっ、これダメなの」と言っていられるかもしれないが、それが当たり前になって子どものころからそんな世界で育った人たちが世の中に出てきたら、この世の中はどうなっているだろう。マンションでの事件が多発する中で、セキュリティーが話題になるが、いっぽうで地域で子どもたちの登下校時を護ろうなんていっている。どんなにセキュリティーを高めようと、それでいいともいえないし、安全ともいえない。どんな状況であっても完全はない。しかし、安全率の高い方法をとっての事件なら仕方ない、ということになるのだろう。自ら責任がとれない、とりたくない、人のせいにしたい・・・、個人主義だから自分の中で解決すればよいのに、結局はできないから、人に訴えている、そんなように見えて仕方ない。
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図書館のはなし

2006-04-04 08:14:07 | 農村環境
 NHKのニュースウォッチで合併による不効率に関する報道をしていた。滋賀県の旧志賀町は大津市に合併したが、旧庁舎に何十億もかけたのに合併後は30人程度の職員がいるだけで、利用されない部屋がたくさんあるようだ。同じようなことは全国のあちこちであるのだろう。長野市に一昨年合併した旧豊野町も旧戸隠村も、そして鬼無里村も立派な庁舎があった。それほど昔に建てられた建物ではない。そこそこ合併が視野に入っている段階で建てられたものもあるのだろ。そうした建物が、今や支所としてこじんまりした利用に留まっている。地域で何らかの利用ができないものなのか、とは部外者が心配していても仕方がない。

 先日旧鬼無里村へ向かったが、まだ合併する前に鬼無里村を訪れていたころに比べると、その街道の車の数が少なくなったような気がする。明らかに人の訪れは減っている。当たり前といえばあたりまえで、役所がひとつなくなっただけでも、そこで生まれていた交易は著しく減るだろう。とくに村の最も中心といえる役場となれば大きい。現在は合併間もないということもあって、支所の役割が大きいが、いずれは人口並みの役割に縮小されていくのだろう。

 なぜこんな立派な建物が必要だったのか、疑問もあるがそれについては触れない。しかし、やはり旧鬼無里村を訪れて「図書館はありますか」と質問したら、公民館の一部に図書コーナーがあると聞いて行って見た。図書館とはとてもいえないし、わたしの地元で考えれば、児童館の図書コーナー程度であった。もちろん今は合併して長野市になっているのだから、市の図書館に行けばよいことなのだろうが、そうはいってもつい先ごろまではひとつの行政区域だったわけである。わたしのイメージでは、どんなに古くても、あるいは狭くても図書館ぐらいはあるというのが当たり前だと思っていた。そう思って周辺の村を見てみると、どうも長野市近辺では、図書館が整備されていない村がけっこうあったようだ。地域によって文化行政にも差があることを改めて認識したことと、田舎ではあったが、図書館のあったわたしのふるさとはよい環境だったのかもしれないと認識した。

 さて、合併はひとまず落ち着いた。長野県は村の数が全国で最多という。そして、人口1万人以下の町村が全国の1割近い43あるという。長野県は合併に対しては消極的であった。しかし、これほどまでに全国の情勢が合併に向かっているなかで、本当にそれでよかったかは、何年か後に示されるのかもしれない。日本の中央にある立地だけが頼みの長野県であるが、それを越えて遥かなる秋風が吹いているような気がする。
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棟に立つ幣束

2006-04-03 08:00:17 | 民俗学
 何度か中条村を訪れているうちに、長野市七二会から中条村までの間で何軒か屋根の上に幣束が立つ家があることに気がついた。七二会あたりではトタン屋根の棟の中央に1本の幣束が立ち、中条村あたりでは2本の幣束と中央に剣が立つタイプである。いったい何なのだろうと思っていたが、すべての家にそれがあるわけではない。新しい家にはないのはもちろんだが、古そうな家でもあったりなかったりである。
 
 中条村でもう少し気にかけてみてみると、萱葺き屋根にトタンを覆った屋根にそうした姿が目立つ。だからといってやはりすべてではないのだ。先日長野市の県庁裏を流れる裾花川をさかのぼって旧鬼無里村で用事を済ませ、鬼無里から小川村へ峠越えをして中条村を経て帰ってきた。鬼無里あたりでもそうした家が何軒か見られたが、小川や中条ほどではない。そして小川村から中条村にかけてはたくさん見ることができる。写真は中条村の小川村境の家にあったもので立派なものである。だいたいはトタンで幣束が作られている。幣束1本だけという家も何軒かあった。

 帰宅して『長野県史 民俗編』の資料編で確認してみたが、どうも触れられた文はない。鬼無里から小川、中条ということで、虫倉山系の総合調査報告書『むしくら』を開いてみたが、住居に関する記述は皆無だ。上棟の際の幣束は、屋根裏に立てられることが一般的だが、この屋根に立っている幣束もそれらに似ている。記述されたものがあるだろうと、聞き取りもしてこなかったが、今度訪れた際に、意味を聞いてこようと思う。
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長持唄

2006-04-02 14:38:06 | ひとから学ぶ
 昨日は、地元の神社の春の祭典であった。わたしは長持保存会に入っている。ここへ越して来て二度目の御柱祭の際に、この仲間にしていただいた。きっかけは息子が小学生のとき、この長持の子ども用の長持に参加したからだ。息子とともに練習に毎日のように参加したもので、さほど難しい所作はないものの、もともとこの地の生まれでないということで、積極的にというほどにはいかなかった。諏訪の御柱では柱を引く前の行列としてこの長持が何竿も登場する。それぞれの竿が目立つために趣向を凝らしていたりするが、わたしの地元では同じ保存会で大人の長持が二竿、子どもの長持が一竿のみということで、競うというほどのものではない。

 辰野町小野より教わって始めたものといわれ、本家は小野であるということは自他ともに認めてはいる。しかし、もう昔のことで、小野の長持もこちらの長持も変化している部分もあるのだろう。どちらも御柱の芸能であって華やかな世界のものはあるが、わたしのところの長持は比較的悠長で、まさしく婚儀の際の長持には向いている。諏訪の御柱と同じ年におこなわれる飯田の「お練り祭り」にも毎回参加していて、獅子舞とか踊りなどにくらべるとコンパクトで小回りが効くということで、参加団体のなかでも好き勝手に芸能を奉納しているほうである。そのお練り祭りにも子どもたちとともに参加したのだが、ご祝儀を稼ぐことで、保存会の経費に充てている。保存会の中でもお練り祭りや御柱は「稼ぐ」ことが目的で、祭典の奉納が本来の気持ちを込めている奉納、そんな感じである。

 お練り祭りの年に単身赴任するようになって、御柱がその辞令を受けた次の日からであった。そんなこともあって神社の祭典に参加したのは昨日が初めてであった。あまり保存会の行事から遠のいていると、年を重ねるごとに参加しにくくなるのがわかっていたので、顔だけでも出さなければという気持ちだった。

 この神社の祭りには、獅子舞と長持、囃子といったいわゆる民俗芸能と、地元の3自治会の女性たちによる踊りが奉納されている。妻も踊りの練習に出るように催促されたものの、結局練習には行かなかったようだ。3自治会の中ではもっとも戸数が多いのにもかかわらず、踊っている女性の人数はもっとも少なかった。仕方なく参加している人たちもいるようだが、天気が良かったということもあるが、こういう芸能大会のような場面も意義あるものだなーとは感想であった。農作業が始まる前の穏やかな一日であった。

 「音の伝承」にちょっとデータは重いが、「長持唄」と「甚句」を公開した。昨日録音したものだ。3.6メガと2メガというサイズなので、ADSL環境の方はぜひ聞いてみてほしい。唄がすばらしい。
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落石 徐行せよ

2006-04-01 10:40:59 | つぶやき
 ある村道を走っていたら、写真のような看板があった。数日前にも走っていて、その際にもけっこう気にとまった。山間の道を走ると、よくこういう看板に出くわす。権兵衛トンネルが開通してもう通ることはなくなったが、伊那市羽広から奈良井までのかつての峠道や、遠山谷へ通じる県道上飯田線の峠道などを走ると、1車線程度の幅しかないところに、覆い被さるような岩場や崩落面が現れたりして、落石の危険箇所はたくさんあった。昨年上伊那郡中川村の県道で落石防止ネットが張ってある崖よりも、さらに高いところから落石があって、通過していた車に直撃。乗っていた人が亡くなった。けして落石は珍しいことではないから、そんな事故は不運としかいいようがない。

 この看板の奥には山留めの擁壁の上に落石防護柵が設置されている。その手前、看板が裏向きのところから表向きの看板までの間は、わずかな区間ではあるが、この山側がこのごろ崩落したようで、この看板が立てられたようだ。写真では見難いが、その下に行くと、山肌が見えている。確かに落石の可能性はあるかもしれないが、とりあえず落ち着いているようだ。

 さて、何度走っても、意外にもその看板の印象が残る。果たしてこの看板を見て、運転者はどう判断するのだろう。「この先 落石徐行せよ」を見て指示どおり徐行するのか、どうだろう。ゆっくり走っているうちに本当に落石があったら危険だ。だからわたしの印象としては、「落石あり」程度で看板を見ていて、最後の「徐行」などという字は読む前に本能的にすり抜けようという意識が働く。落石危険箇所だからさっさと通り過ぎようというものだ。いざ落石があったら徐行していようとスピードが出ていようと、それほど関係ないようにも思う。ただ、落ちている岩に直面したとしたらスピードは出ていない方が安全かもしれない。しかし、落ちていないとしたら徐行している方が危険なような気もする。

 この看板の指示が適正かどうかはわからないが、世の中に氾濫している看板の字と状況とを比較してみると、なかなかおもしろいというか、考えることが多い。
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