Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

モザイク写真

2006-04-28 08:16:39 | つぶやき
 永年勤続で表彰してもらい、その際に写真屋さんがきて写真を撮影していた。別に欲しい写真でもないが、その写真が立派な台紙に貼られて届いた。六つ切りくらいの大きさだからそこそこ大きい写真である。ところがほぼ中央に人が並んでいて、横に長くなっているため、パノラマサイズならともかく、長方形の版にはいまいちバランスが悪い。天井と床がそれぞれ三分の一ずつとっていて、人間は真ん中に三分の一なのだ。もともと欲しくもない写真だったが、そのアンバランスな写真を見ていて、ますます「とぼけた写真だなー」と感じた。素人が撮った写真ならともかく、専門家がとったんだから、もうちょっと印画紙の画面を想定して人を並べてほしいものだ。

 「とぼけたものだ」と思いしまおうと思ってさらに気がついた。人の顔がなぜかモザイクっぽいのだ。よーくみてみると、デジタルの写真を大きく拡大したような感じに、輪郭に若干モザイクのようなブロックが見えるのだ。そう思って全体をよくみてみると、まさしくデジタルのような雰囲気を醸し出しているのだ。しかし、写真を撮っているときのカメラを覚えているが、6×7か6×9のブローニー判のカメラで撮っていたように記憶する。昔はカメラに詳しかったが、デジタルに銀鉛が押されるようになってからは、とんとカメラに興味はなくなった。だから最近のデジタル事情はよく知らない。もしかしたら中判カメラにも同じような格好をしたデジタルカメラがあるのかもしれない。でも、わざわざブローニー判に似せた大きさのカメラなんか造るわけがない、というのがわたしの結論だ。だから、あきらかに撮っていたカメラは銀鉛のブローニーだ。ではなぜこんなにモザイクがかっているのか。そこがよくわからない。ネガからデジタルに変換して、そのデータを焼き付けている、なんていうことはしないと思うが、なぜ中判カメラで撮っていたかも理解できない。

 もらった写真で美しいなどとはとてもいえない。明らかにかつてのブローニー判の写真の方が美しかった。

 たまたま一昨日の朝日新聞に「デジタル化で変わる写真表現」という文化面の記事があったが、写真をパソコン上で楽しむぶんには、明らかにデジタルが扱いやすいし、最近は汎用性を考えれば当然ネガでもデジタルに変換しておきたい。加えて最近のデジタルの解像度は高いし、印画紙へ焼き付けてもほとんどそん色はない。なのになぜこれほどモザイク化しているか、不思議でしかたない。個人的に頼んだならば、こんな写真を写真屋さんが焼いてきたら受け取れない。そう思うほどデジタル自体に即した写真だった。
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