Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

長持唄

2006-04-02 14:38:06 | ひとから学ぶ
 昨日は、地元の神社の春の祭典であった。わたしは長持保存会に入っている。ここへ越して来て二度目の御柱祭の際に、この仲間にしていただいた。きっかけは息子が小学生のとき、この長持の子ども用の長持に参加したからだ。息子とともに練習に毎日のように参加したもので、さほど難しい所作はないものの、もともとこの地の生まれでないということで、積極的にというほどにはいかなかった。諏訪の御柱では柱を引く前の行列としてこの長持が何竿も登場する。それぞれの竿が目立つために趣向を凝らしていたりするが、わたしの地元では同じ保存会で大人の長持が二竿、子どもの長持が一竿のみということで、競うというほどのものではない。

 辰野町小野より教わって始めたものといわれ、本家は小野であるということは自他ともに認めてはいる。しかし、もう昔のことで、小野の長持もこちらの長持も変化している部分もあるのだろう。どちらも御柱の芸能であって華やかな世界のものはあるが、わたしのところの長持は比較的悠長で、まさしく婚儀の際の長持には向いている。諏訪の御柱と同じ年におこなわれる飯田の「お練り祭り」にも毎回参加していて、獅子舞とか踊りなどにくらべるとコンパクトで小回りが効くということで、参加団体のなかでも好き勝手に芸能を奉納しているほうである。そのお練り祭りにも子どもたちとともに参加したのだが、ご祝儀を稼ぐことで、保存会の経費に充てている。保存会の中でもお練り祭りや御柱は「稼ぐ」ことが目的で、祭典の奉納が本来の気持ちを込めている奉納、そんな感じである。

 お練り祭りの年に単身赴任するようになって、御柱がその辞令を受けた次の日からであった。そんなこともあって神社の祭典に参加したのは昨日が初めてであった。あまり保存会の行事から遠のいていると、年を重ねるごとに参加しにくくなるのがわかっていたので、顔だけでも出さなければという気持ちだった。

 この神社の祭りには、獅子舞と長持、囃子といったいわゆる民俗芸能と、地元の3自治会の女性たちによる踊りが奉納されている。妻も踊りの練習に出るように催促されたものの、結局練習には行かなかったようだ。3自治会の中ではもっとも戸数が多いのにもかかわらず、踊っている女性の人数はもっとも少なかった。仕方なく参加している人たちもいるようだが、天気が良かったということもあるが、こういう芸能大会のような場面も意義あるものだなーとは感想であった。農作業が始まる前の穏やかな一日であった。

 「音の伝承」にちょっとデータは重いが、「長持唄」と「甚句」を公開した。昨日録音したものだ。3.6メガと2メガというサイズなので、ADSL環境の方はぜひ聞いてみてほしい。唄がすばらしい。
コメント (2)


**************************** お読みいただきありがとうございました。 *****