Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

聞取り調査

2006-04-14 08:23:58 | ひとから学ぶ
 個人情報保護が一人歩きするようになって、わたしがかかわる民俗の聞き取り調査も大変な時代に入ったといってよい。昔こんなことがあった。ある市の市誌編纂にかかわった際、ある集落を調査するということになった。その際、編纂の事務局が話者候補をあげて話者への了解を得るところまでしてくれなかったため(というよりそこまで手が回らなかったともいえるが)、年齢でいくつ以上の方をリストアップして欲しいとお願いしたことがあった。しかし、そうした情報は出せないという。こちらは市の仕事をそれもボランティアにかなり近い状態(確かにある程度の日当をいただいてはいるが、実際にかかわっている時間は日当に相応するものではなかった)でやっているのだから、ある程度情報をもらわなければ調査に入れないわけだ。
 
 結局地域の有識者に候補者をあげてもらうという形になったが、そうはいっても有識者のあげる人というのは、「詳しそうだ」とか「あの人ならだいじょぶ」といった先入観があって、必ずしも話者として適当かどうかはわからないわけだ。加えて、調査する側の意図というものもあるから、会話の中から必要な情報を見つけ出すというケースもある。「何に詳しい」というのは、ある一点だけを重点的に調査する場合は良いが、民俗誌的な捉え方をしようとする時は、必ずしもよいとは限らない。

 ましてや時間にも限度があるわけで、話者の確保まで調査者が行なっていてはボランティアはよりボランティアになってしまう。だからこそ、情報として必要だったわけだが、結局選出した一覧をいただくということはなかった。その市誌も発行されることなく頓挫して、わたしたちはまさに無給のボランティアに近い状態で職務を解かれた。そのときの市への不信感は今も変わらない。

 個人情報を考えていたら、そんなことがあったなーと思い出したわけだが、聞き取りというのも嘘があってもおかしくない。たとえば生年はいつですか、と人に聞いたとしても、その生年は必ずしも正しくないこともある。本人がわざと間違えていう場合もあれば、間違って言ってしまうということもある。しかし生年というものを聞き取らなければ時間的な変化を捉えることができなくなる。だからわたしたちには生年を聞き取っておくことは重要なのだが、といって1年や2年違っていたってなんていうことはないじゃないか、ともいえる。でも記述する以上は「嘘」を書くわけにはいかないと思う。だから公な本であればより正確なデータとしてわたしたちは確認の手段を要求するのだが、それは「個人情報」だからといってかなわないわけだ。

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