Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

修学旅行の事前教育

2006-04-13 08:04:08 | ひとから学ぶ
 息子はもうすぐ修学旅行である。広島と京都奈良を訪れる2泊3日の旅という。学校によってもその対応の仕方はまちまちなのだろうが、びっくりすることはたくさんある。知らなかったのだが、もう昨年のうちから総合学習として行く先の勉強をしてきたようだ。そのノートとして専用のファイルで覆われた「広島・古都の旅」というものがある。昨年のうちからあったようだが、普段単身赴任しているわたしは、先日初めてそのノートがあることを知った。A5版程度の大きさで、厚さが1センチメートル以上ある立派なノートである。バインダー式になっているから、追加もできる。ビニールで覆われたファイルの表紙には、息子の通う学校の名前が印刷されている。修学旅行専用に作られたノートであることはすぐにわかった。

 そのノートを開くと、まず「目的・スローガン」というページで学習が始まるわけだ。そして、そこには日程が書かれていて、たかが修学旅行とはいえ、中学校生活の中でも最も大きな一大イベントであることがわかる。ノートは、学習用の教科書としても利用され、旅行の予習が行なわれる。そして、そこに課題を書き込むページが何ページもあって、まるで「修学旅行」という学科をこなしているようである。この内容の学習を他の人たちはどうこなしているのか、その大それたノートから心配までしてしまう。歴史好きな息子のノートだけに、そこにはびっしり細かい字が書き込まれている。息子らしいといえば息子らしいが、妻は「こんなことに手間をかけなくてよい」という。好きなことだから勉強もせずにそんなことばかりやりがちだ。「こんなところがあんたに似ている」なんていってわたしが批判されてしまう。確かにちょっと力を入れすぎかな、とノートを見てわかった。だからこそ、「たかが修学旅行」という世界が、子どもたちにとってはそうではないということを知る。妻の言葉も、そして息子の気持ちもわかる。

 荷物検査があるという。なにから何まで名前を書かなくてはいけないという。そうしないと、ごみかきでかくほど持ち主不明なパンツやらシャツがあふれるという。妻の弟は何度もそうした修学旅行に引率した。あまりのひどさに名前を書く必要性は高いという。妻とともにわたしもそんなに真剣に考えていなかったが、その話を聞いてびっくりして、名前を書きまくった。

 わたしのころはこんなノートはなかったとは、妻との会話である。そして、今の子どもたちはこんな具合にまとめられたノートがなければ、資料を整理することができず、あげくの果てにどこかにみんななくしてしまう、という結論に至った。すべてをお膳立てしてあげないと、ずての子どもたちが修学旅行に行く前に脱落してしまうわけだ。もちろん持ち物検査もそうだ。そうした検査が重要だという弟の話を聞いて、どうにもならないほど子どもたちの自主性、あるいは問題意識が低下していることに気付く。我が家の息子もまさしくそれに該当しているかもしれない。息子は小学生のころから学校外のキャンプとか泊まりの会に何度も参加している。修学旅行よりもずっと長期のキャンプにも何度も参加している。その時はそんなことは気にもしなかったが、そんな経験を積んでいる息子ですら、自主性はかなり低い。心配なことだらけの現実である。
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