Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

わたしにとっての「便所」

2006-04-20 08:11:21 | ひとから学ぶ
 以前にも書いたことがあるのか、もう紐解いて探すことはやめた。300編弱の日記だからそれほどの数ではないが、記憶に無いものもある。探しているといらいらしてくる。歳だろうか物忘れも激しくなった。だから、あまり過去の日記を意識するのは辞めよう。

 わたしにとっては「便所」というものは思い深いものがある。今でこそ「便所」という言い方はあまりしなくなった。かつて「トイレ」という呼称が登場したころには、その言葉にしっくりせず、便所という言葉をいつまでも使っていたが、今ではその「便所」も知らず知らず使わなくなって「トイレ」が普通に口から出るようになった。「いい印象」という言い方も適正かどうかわからない。それほど「便所」というものは変化してきたといえるのだろう。

 「はばかり」「手水場」「雪隠」「厠」「東司」など便所を表す言葉は多いし、歴史もある。岩手県九戸郡では小便所のことを「灰汁場」というらしい。また青森県では外便所を同様に呼んだという。かつては火を使ったから灰が出た。この灰を肥灰として利用したことはよく知られている。後にこのことは触れたいと思うが、かつての農家には灰屋(へえや)というものもあった。自分の排泄物が畑に撒かれ、そして食べ物が生育していったのだから、現代人が聞くとちょっと違和感はあるのかもしれない。

 さて、わたしにとっての便所とはどういうものだったのか、少し触れてみたい。
 わたしの子どものころの家の便所は、玄関の左脇にあった。もちろん何度も触れてきてはいるが、わたしは農家の生まれである。そして生家は大正12年に建てられたものだった。わたしが覚えているころにはその当時の間取りはすでに変更されていたが、便所の位置は変わっていなかった。ただ、かつては便所に隣接して風呂を置いてあったが、わたしの記憶にある生家はすでに隣接したところに風呂はなかった。風呂が隣接していたということは、風呂の水をトイレに排水していたということで、生のままでは濃すぎるということもあって、風呂の水で下肥を薄めていたというわけなのだろう。そんな玄関脇にあった便所は、一応大便と小便は分離してあったが、溜めそのものは同一だった。小便器は陶器のものではなく、板で組まれたものだったように記憶する。そして大便所の方も陶器ではなかったのだろうか、よく覚えていない。そんな便所に入ると、ウジが湧いていて、とても気持ちのようものではなかった。そんなことが起因するわけではないが、便所に行くことは好きではなかった。もちろん子どものころだから、小便とはいっても、そこらで立ち小便するのが普通で、わざわざ小便所へ行って済ませるということもなかった。

 そういえば家の中から便所には行けなかったから、夜縁側から小便をする、なんていうこともあったし、昼間もわざわざ柿木の根元に行って済ませていたものだ。また、少し大きくなったころ(中学生くらいだろうか)には、屋敷に隣接している田んぼに行っては小便をするため、そこだけ異様に稲の生長がよかったりする。そのため母に「お隣の田んぼに行ってしちゃあいかんに」とよく言われたものだ。

 とくに大便所にはあまり行かなかった。便所の印象が「悪かったから」といってしまえばそれまでだが、それは今だからそんな解釈をするだけかもしれない。なぜか大便所には行かなかった。やはり子どもにとっては、板の間に口を開けている便所は好きではない。常に「ここに落ちたら・・・」ということが頭に浮かぶ。もちろんきれいなものではない。そして、溜まっているウンチはもちろん、ウジが迎えてくれる。とても今ではイメージがわかないかもしれない。大人だったら違うかもしれないが、子どもにとっては「したいときにスル」程度に考えていれば、毎朝必ず用を足すなんていう考えはなかった。だから便秘になるのも必然的にことだったかもしれない。ガマンすることは得意で、一週間くらいウンチをしない、なんていうことも頻繁にあったように記憶する。子どもだからしたいと思ったら、草むらに行ってするのである。もちろんふく紙なんていうものは持っていないから、そこらにある葉っぱをむしってトレペの変わりにしたわけだ。とくにつたの葉を使った。大きくてごわごわしていなくて、加えて破れにくければいいのだ。それでもとても食生活は良好とはいえなかったから、お尻はよく汚れている。だからなんども拭かないときれいにならない。加えてやわらかいウンチなんかした時には大変なことだ。時には葉っぱが破れて素手で拭いていたりする。ちょっと想像をはるかに越えてしまうかもしれない。そんなこともよくあった。

 わたしだけのことではない、子どもたちはそんな経験はみんなあった。そう思うと、昔の草むらには、ウンチが葉っぱで覆われている、なんていう光景がよくあったものだ。気をつけないと、人のウンチを踏んでしまう。いや、踏んでしまったこともある。

 ・・・続く
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